1995年度 冬季山行 (菰釣山) 山行記

筆者 N・T (1年生)

1996年1月13日(土) 〈1日目〉

 道志の森キャンプ場に到着してテントを立て終わると、すぐに夕食の支度に取りかかった。

 今回の献立は、ポトフとピラフである。まず野菜をむき、切るという作業を始めた。しかし、この「まず」がなかなか厄介であった。なぜならピラフに入れる野菜は、全てみじん切りにしなくてはならないからである。普段あまり包丁を持たない僕たちにとって、みじん切りはあまりに手間の掛かる仕事だった。さらに悪いことに、食料係のN・Tがピラフに使う人参とポトフに使うのとの数を逆にしてしまい、人参をみじん切りにする量が3倍になってしまったのである。

 そんな事もあってガスコンロに火がつく頃には辺りは真っ暗になっていた。そしてその後もなかなかピラフが炊き上がらず、結局食べ始めたのは6時半ぐらいになってしまっていたと思う。しかし、味は塩こしょうを使って微妙な加減もできたし、風味も付いていて良かった。また、今まで作った中で最も料理らしい料理で作りがいもあった。

 次に寒さの事について書いていきたいと思う。

 僕は前回の山行(秋季第2回山行・蕎麦粒山)に行っていなかったので、どの程度寒いのかを予想することすらできなかった。キャンプ場に着いた時にはそれほど寒いと感じなかったが、日が沈み夜が近づくにしたがって指先やつま先の方から少しずつ体が冷えていった。そして夕食後ともなると、寒さは絶頂を迎え、テントの外は今まで経験した中で一番と言っていいほど寒かった。

 寝る時には、上半身はTシャツ、長袖シャツ、ラガーシャツ、トレーナー、フリースジャケットを、下半身はタイツ、スウェットパンツ、クライミングパンツを着て、靴下も通常のとフリースのものを重ねてはいた。それだけの服を着こんで、シュラフとシュラフカバーの中に入っていたため、寝ている時はそれほど寒くはなかった。



1996年1月14日(日)
〈2日目〉

 翌朝出発する時には、さらにナイロンアノラックを着ていた。歩きだして20分ほどはその服装で快適だったが、しだいに体が暖まってくると共に服が煩わしくなり、最初の休憩でトレーナーとフリース、タイツを脱いだ。また、タイツはぴったりしているので歩く時には多少足に負担があった。歩いている時は体が暖まるのでそれほど厚着をしなくても平気だが、休憩の時の体温調節には気を付けなくてはならなかった。休憩の最初は暑いぐらいだが、5分くらいすると汗が冷たくなって体が急に寒くなるのである。

 だから、休憩になったらまず体中の汗をふいておくベきだった。寒いと言えば、菰釣山の頂上でF先生にいただいて飲んだコーヒーは温かかった。家で飲むのとはまた違ったおいしさがあり、心も温まるコーヒーだった。

 ここまで山自体や行動について書いてこなかったので、最後に風景の事を一つ書こう。

 頂上に辿り着くと周りの山々は雲に覆われていて、アルペンガイドにあるような「富士山をはじめとする山々の雄大な展望」は見ることができず、残念に思った。しかし諦めかけていたまさにその時、雲がすっと流れていき、その間にいかにも雄大な、そして雲に見え隠れする山の端の線が実に繊細な富士が姿を現したのである。それは、小金沢の時に見たせまりくるような富士ではなく、堂々としていかにも静かな姿であった。まもなく富士は雲の間に姿を消していった。


《「稜線」第17号(1995年度)所載》

菰釣山山頂にて 菰釣山山頂から富士

菰釣山から山伏峠に向かう 菰釣山から山伏峠に向かう


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