2025年 夏合宿 山行記
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筆者 K・O (3年生)
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7月29日(火) 〈1日目〉 晴れ
朝、新宿駅南改札に集合。7時30分に集合の予定が、南口改札の場所が分からずに1人遅れて、7時40分集合となった。
ホームへ移動して、新宿駅8時発の特急あずさ5号に乗り込み穂高駅へと向かう。10時59分に穂高駅に着き、そこから路線バスに乗り、観音峠まで行く。
本来なら中房温泉まで1本で行けるはずなのだが、少し前に道路が崩壊してしまい、ある程度歩いてから、送迎車に乗ることになる。初日ということもあり、重い荷物と高い気温に少し気が滅入ったが、送迎車に乗り継ぎ、中房温泉に到着した。
中房温泉に着いて、すぐに手続きを済ませて、テントを設営する。15分ほどで設営を完了し、昼ご飯を食べて、休憩をする。
夏合宿というものは空き時間が非常に長く、夕食を作るまでの時間を談笑して過ごした。
1日目の夕食は牛丼とパウチのフルーツで、炊飯、調理ともに問題なく、牛丼の味もうまく仕上がっていた。
ミーティングが終わり、就寝する。2年前とは異なり、少し上の方でテントを張っていたからなのか、地熱は感じることができなかった。
7月30日(水) 〈2日目〉 晴れのち曇り
3時に起床。朝食はきつねうどんであった。素早く食事を済ませて、4時18分に中房温泉を出発した。
1本目は、ちょうどいいくらいのペースで進み、第1ベンチから15分ほど進んだところで休憩となった。2年前にも登った道だが、長い夏合宿の最初ということもあり、まったく覚えておらず、新鮮な気持ちで登った。
休憩が終わると、森林地帯の急坂を登り、第3ベンチで2回目の休憩をとった。
第3ベンチから30分ほど進み、ようやく富士見ベンチへと到着した。そこからさらに進み、合戦小屋の手前にて3回目の休憩をとった。この頃になると荷物の重さで肩がとても痛くなっていたが、あと少しなので気合いで登り続けた。
合戦ノ頭から20分ほど進んだ地点で4回目の休憩をとり、8時40分に燕山荘に到着した。2年前と同じで、この時刻ではまだ燕山荘で泊まる人は少なく、どこにテントを設営するかを自由に決めることができた。
テントを10分ほどで設営し、燕岳へと向かう。少しガスが見えていたので心配だったが、槍ヶ岳は鮮明に見えなかったものの、燕岳の山頂では問題なく景色を見ることができた。
燕山荘に戻り、昼食を食べる。昼食は魚肉ソーセージで作ったホットドッグだった。量に若干の物足りなさを感じながらも、やはり魚肉ソーセージとケチャップの相性の悪さを思い知った。
燕山荘に戻ってきてからはほとんど曇っていて、2年前のような直射日光にさらされることもなく、快適に過ごすことができた。
トランプなどをして時間を潰して、夕食を作り始める。毎回飯を炊く必要がある炊飯とは違い、調理は1日目以外はお湯を沸かすだけなので、気楽な気持ちで炊飯の行方を見守る。
2日目の夕食は麻婆春雨と味噌汁であり、飯が問題なく炊けた以上、気にすることは何もなく、満足のいく夕食だった。
ミーティングを終え、いつものように就寝する。高い標高ということもあり、少し冷え込んだが、寝袋があれば問題ない程度であった。
7月31日(木) 〈3日目〉 晴れ
3時に起床して、すぐに朝食を作る予定であったが、かなり冷え込んでいて、寝袋にくるまった状態でも寒く感じるほどであった。なんとか防寒具を着込み、調理を開始したが、いつもよりもかなり遅くなってしまった。
朝食はワンゲル定番の棒ラーメンで、冷え込んだ体が芯まで温まった。
素早く撤収を済ませたが予定より遅く、4時34分に燕山荘を出発した。
気温も快適であり、勾配も緩やかだったため、気持ちよく進み、1回目、2回目と休憩をとった。途中、今回の夏合宿にて初めて雷鳥を見かけたの、少し止まって写真を撮り、また出発した。
2回目の休憩から、大天井岳に向かって険しい岩道を登っていき、一度直登しかけるというハプニングがあったものの、7時42分に大天荘に着き、3回目の休憩をとり、大天井岳に登った。
大天井岳では少しガスがかかっていたものの、槍ヶ岳の方面は問題なく見えて、2年前とは変わらない絶景を再び見ることができた。槍ヶ岳の山頂付近に残った雪の白さに心を打たれた。
大天荘に戻り、東天井岳の直下まで進み、4回目の休憩をとった。
休憩を終えて出発する。浮石などがあり、少し冷や冷やしながら降っているとA先生が重大なことに気づいた。なんと私のプラティパスが破けて、水が漏れてしまっていたのだ。今回の夏合宿では水は有料のため、非常に貴重だ。そのため残った水を空のプラティパスに移し替えて進む。
4日目は長丁場である。1つプラティパスが使えなくなるだけで、水が足りなくなるのではと不安になりながら進み、5回目の休憩をとった。
休憩の後はひたすら下り続けて、足が痛くなり、靴擦れを起こしたのではと錯覚するほどに足の指先に痛みを感じ始めた頃に、ようやく常念小屋に到着した。10時38分到着と2年前より遅くなってしまっていたが、これは下りの時間の差だと思われる。
テントの設営を終えると、昼食を作る。カレーメシである。お湯を沸かすのに少し時間がかかったものの、安定した美味しさがあり、これまでの疲れが吹き飛んだようだった。
夕食の調理開始までかなり時間があった。太陽は出ていたが、風が涼しく吹いており、テントの外にいる方が涼しかったため、外で過ごしていた。長時間直射日光にさらされたためか、かなり腕が陽に焼けてしまい、腕が少しヒリヒリするようになってしまった。2年前にもこんな感じになったなと懐かしみながら、夕食までの時間を過ごした。
夕食は炊き込みご飯と豚汁である。炊き込みご飯は焦げやすく、上手く作るのは難しかったが、炊飯はしっかりと成功させていた。夕食を食べ終えて、ミーティングを済ませ、明日に備えてしっかりと眠りについた。
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筆者 R・E (3年生)
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8月1日(金) 〈4日目〉 晴れのち小雨
これまで通りに3:00に起床し、朝食のリッツ・オレオを取り出し、オニオンスープ用のお湯を沸かした。割れているものもあったが、比較的綺麗な状態のまま保管されており、しっかりとおなかを満たすことができ、体も温まった良い朝食だった。
テントの撤収は3日目と比べると早かったが、トイレに行く者が多く、もっと余裕をもって朝の支度を終えられるようになるとよいと思った。
出発してからすぐに日の出の時間が来たので、歩行を止めて日の出を眺めた。太陽によって赤く照らされた槍ヶ岳方面の山々の景色は目を見張るものがあった。
日の出の眺望を見た直後に、リーダーが道を間違えて、後ろについてきた部員2人を直登させるという事態を招いてしまった。経験不足によるものであろうが、もっと余裕をもって周りを見るべきであった。そこからは先生を先頭に変えて、常念岳を登った。頂上からの景色は格別であった。
常念岳からの下りは、部員を先頭にするのは危険という判断により、また先生を先頭にするという形で進んだ。確かに、常念岳の下りは少し足を滑らせただけで死につながる場所が多く、一瞬も気が抜けなかった。部員の1人が怪我をしたのに加え、しっかりと前の部員の後ろについていくことができないという問題もあったが、大きなミスはなく下ることができた。
蝶槍手前の2592mピークの登りからは、再び部員のリーダーが先頭という形をとった。直前の下りの分よりもさらに登る道のりで、部員たちにも疲れが見え始めた。このピークから蝶槍まではまた下って登らなければならず、部員たちも嘆いていた。
しかし、比較的良いペースで蝶槍を登り切り、そのまま蝶ヶ岳前の横尾分岐まで進んだところで、昼食のカニぱんとチーかまを食べた。腹にたまるが、その分カニぱんによって水分を持っていかれ、ヘビーな昼食であった。
ここで、先生を1人にその場に残ってザックを見張ってもらうことにして、蝶ヶ岳までのサブザックでのピストンを行った。残念ながら、ここで空がガスり始めてしまい、蝶ヶ岳の山頂ではほぼ何も見る事ができなかった。帰る途中の蝶ヶ岳ヒュッテでトイレや水の補給を行い、横尾分岐まで特に何事もなく戻ることができた。
横尾までの下りは少し雨が降っていたが、ザックカバーはつけなくてもよいという判断でそのまま下り、樹林帯まで下って行った。この下りのペースは比較的速く、コースタイムを25分ほど縮めることができた。部員全員が足や肩が痛いと言っており、今までの疲れが出てきていることが伺えた。横尾に着いてからは、また速いペースで林道のような道を歩き、徳沢に着いた。
徳沢では、前日の反省を生かし、長いコースタイムを歩いてきた後にしては早く設営を済ませることができた。
1時間ほどの自由時間の後に、夕食の準備をこれまで通り始めた。献立は親子丼(フリーズドライ)のため、炊飯係は飯を炊き、調理係はお湯を沸かすだけの単純作業であったため、特に問題なく作ることができた。
体中に痛みを感じながら、明日の朝に備えて19時に就寝した。
8月2日(土) 〈5日目〉 晴れ
3:00に起床し、朝食の雑炊(フリーズドライ)とアルファ米用のお湯を沸かした。フリーズドライの中でもおいしい部類であり、美味しい朝食をとることができた。前日の疲れなどものともしない勢いで支度を済ませ、テント場を予定よりも少し早く出発することができた。
昨日の横尾から徳沢までのような林道をずっと歩き、明神などの美しい景色が見られるスポットを通った後、上高地バスターミナルまで一気に1時間20分ほどで歩いた。到着した時は部員全員喜んでおり、達成感を感じた。
ここで、各々、やりたいことをしながら新島々行きのバスを待ち時間を過ごした。松本駅に着いたのち、解散式を行い、夏合宿は終了した。
3年生としては、今までの締めくくりとなるにふさわしい山行であったと感じた。2年生や1年生にとっては、これから行うであろう山行で確実に役に立つ良い山行になったのではないかと思った。また、離脱や大怪我というアクシデントが起きずに山行を終えられたことは高く評価できる。
これからは私たち3年生は引退し、2年生が主体となってこの部活を率いていくわけだが、ぜひこの山行での経験を活かして、ワンダーフォーゲル部をより良いものへと進化させていってほしい。
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《「稜線」第46号(2025年度)所載》
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