2025年 春合宿 山行記
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筆者 K・M (1年生)
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4月2日(水) 曇り時々雨
今回の集合は新宿駅小田急線乗り場に6:30集合ということで、その時間の間際に来る者もいたとはいえ、無事に合流し、予定通り6:41発の電車に乗ることができた。その後、登戸で合流予定であった部員1名も無事に電車に乗ることができ、あらかじめ不参加となっていた人を除き、全員が揃った。
新宿駅から約1時間20分の電車移動を経て8:05に渋沢駅に着き、トイレを済ませてバス停で10分弱待った後にバスに乗った。幾つかの部員は1時間ほどバスに乗っているものだと思っていたため、15分ほどでバスが大倉に着いてしまい、渋沢駅からの近さに驚いていた。
大倉に到着すると各自登る用意を始めたが、一人のザックカバーが見つからない事態となった。結局、その時は霧雨程度の雨しか降っていなかったことに加え、今回の山行ではシュラフが必要なかったため、濡れてほしくないものをビニール袋に入れるなどしてそのまま登ることとなった。準備時に、ザックに入っていると思ったものでも再度確認することの大切さを実感した。
準備体操を行って、9:08に大倉を出発し、10分ほどでアスファルトの道が途切れて、林道に入った。今回の山行は山荘に泊まる予定であったため、部員の荷物にはテント類やシュラフなどの重い用具が含まれておらず、普段に比べて非常に疲れにくく、歩きやすかった。大倉から1時間ほど歩いて10:07に1回目の休憩を取った後、順調に進んでいった。
途中、バイクで登ってきた人に追い抜かれることがあった。山行が平日であったため大倉周辺の住宅街を含めて全く人と出会わなかったので、一応人に会ったことに安堵しつつも、バイクで石の転がる林道を進んでいく姿には驚き、登山客にも様々な人がいるのだと感心した。
しかし、登っている間に沢に当たってしまい、その登山客とは別れることとなった。沢は前日に雨が降っていたのか水量が増えており、渡れそうなところをM先生と探し、登山靴を少し水に浸からせながらも、なんとか通過することができた。
その後も特に問題なく歩いていき、11:05から45分間少し早めの昼休憩を取った。昼食はアルファ米とフリーズドライとなった。というのも、準備会において当初の計画では1日目と2日目の昼食はともにアルファ米とフリーズドライであったが、どちらかの昼休憩において雨が降った場合に火が起こせなくなる可能性があることから、火起こしに問題ない時の昼食をアルファ米とフリーズドライとし、もう一方の昼食はロールパンとすることをF先生が提案された。1日目の昼休憩時には大倉で降っていた霧雨も既に止んでおり、そのためアルファ米とフリーズドライを食べることとなったのだ。
お湯を沸かしながら、アルファ米の袋にフリーズドライを入れるなど用意をしていた。ここで一部の部員はアルファ米から乾燥剤を取り出し忘れていたため、今後アルファ米を使うことがあれば気を付けていきたい。お湯を入れて数分待ってから食べると米の硬さがちょうどよく、フリーズドライの味も好評であった。
11:50から再び歩き始めた。途中からまともな登りが始まって、疲れ始める人が出てきた。12:11に後沢乗越を通過し、12:37から3回目の休憩を取った。
歩行再開後、階段のような登りが続き、登りやすくはあったものの、CLの速度に他部員が付いて行けていないような状況が数度あった。ただ、そのたびにM先生がCLに速度を落とすようにおっしゃったことで、段々とCLと他部員の息が合い、後れるものがいなくなった。
13:18に鍋割山頂に到着して4回目の休憩を取った。山頂で写真を撮った後、13:30に雨山峠方面分岐を通過した。稜線を下って行き、再び登りに差し掛かったが、CLが非常に歩きやすいペースを保ってくれたことで比較的楽に登ることができた。途中北側の山が見えたが、一面真っ白に染まっており、2日目はゲイターが必須になるだろうと思った。
13:52に小丸に到達、14:02に小丸尾根分岐を通過した後、大丸で5回目の休憩を取った。再び登り始め、14:33に金冷やしを通過した。1日目最後の登りとあって少し速度が出てしまい、ペースが乱れたが、14:49に塔ノ岳山頂及び尊仏山荘に到着した。ここまでの道中もそうであったが、山頂には霧がかっており、景色は全く見えなかった。
山荘に着いてからは管理者の人の話を聞き、各自荷物を下ろした。なんでも山荘は我々の貸し切りらしく、また山荘の設備の良さに部員達は非常に喜んでいた。
米の準備を始めて吸水させ始めたところで、全員で水を汲みに行った。プラティパスとチェーンスパイクを手に持って山荘を出発し、すぐに道に雪があったことでチェーンスパイクを付けることとなった。木の階段を下って行き、16:02に不動ノ清水に到着した。各自で水を汲んだ後、山荘へと登り始めたが、部員ごとに疲れの度合いが異なっていたことで、M先生を一番後として各自のペースで戻っていった。
山荘に戻り、16:38に調理を開始した。不参加の人の分の具材も持ってきてしまったため、牛丼の量は相当なものであった。味は申し分ないものであったので、何とか食べきり、各自片付けを始めた。
18:00よりミーティングを行い、予定では19:30に就寝するということであったが、皆疲れていたのか、19:00には既に寝ている者もいた。
4月3日(木) 曇り
3:30に起床し、3:40にチキンラーメンの調理を開始した。お湯が沸き、それを全員に配った後、4:02に食べ始めた。チキンラーメンは丁度よい硬さで少し味は濃かったが、それも含め普段通りであった。食事の片づけと出発の準備を済ませ、予定時間前の4:48に尊仏山荘を離れた。気温はそこまで寒くはなく、雨具などを着こまなくても問題はなかった。
1本目ということもあり、良いペースで進んでいき、5:17に日高、5:31に竜ヶ馬場を通過した後、5:54に丹沢山に到着した。山頂で集合写真を撮ってから1回目の休憩を取った。ここで、雪の量が多くなってきたために、チェーンスパイクを装着することになった。
雪で滑らないように気を付けながら稜線を進んでいったが、またしてもCLと他部員とでペースに差ができてしまうことが何度かあった。7:01に不動ノ峰休憩所で休憩を取った。休憩所は1年前に改修したばかりで、非常にきれいで居心地が良かった。
M先生の提案で、ここからは一時的に先生が先頭になってペースの調整を行うことになった。少しペースを落としたが、それでもコースタイムと速度はさほど変わらず順調に進んでいった。ただ、部員によっては13:16発のバスに間に合わせようと考えている者もいたが、雪がひどく滑落の危険も考慮して、それは諦めることになった。
7:54に鬼ヶ岩を通過、8:17に3回目の休憩を取った。ここからCLを先頭に戻して歩き始めた。CLがペースを他部員に合わせてくれたため、登りも非常に歩きやすかった。
8:51に蛭ヶ岳を通過し、9:18に4回目の休憩を取った。この頃から段々雪が降り始め、各自雨具や追加の厚着をするなどしていた。
10:02に地蔵平を通過、10:10に30分間の昼休憩を取った。昼食はロールパンであった。雪が降っていたことで体や手が非常に寒く、部員達はさらなる厚着や手袋をしていた。
10:50に原小屋平を通過した。地面には雪が15センチ前後積もっており歩くのに体力が多く使われてしまい、登りも相まってペースが大幅に落ちてしまっていた。加えて、雪の影響で道が見えにくくなっており、コースアウトしていないか確認しながら歩いていった。
11:18に姫次に着くと、少し早いが、5回目の休憩を取ることになった。登りであったので、先程厚着しすぎてしまった者は少し薄着になるなどしていた。
11:19に6回目の休憩を取った。歩いていると急な斜面を通ることがあり、各部員はチェーンスパイクを雪面に刺しながら、滑落に十分注意して歩いた。斜面でバランスを崩す者もいたものの、滑落者が出なかったことは幸いであった。
11:49に八丁坂ノ頭、12:07に青根分岐を通過後、12:10に黍殻避難小屋に着き、7回目の休憩を取った。黍殻避難小屋にはお手洗いも設置されており、寄っていく部員もいた。
12:28に大平分岐、12:31に黍殻山分岐、12:45に黍殻山の巻き道分岐、12:52に平山分岐を通過し、13:09に平戸方面分岐で8回目の休憩を取った。
13:30に焼山頂上方面分岐に差し掛かったが、部員の体力と天候を考慮して、巻き道を選択した。13:40に焼山の巻き道分岐と合流して、少し歩いていくと、雪が目に見えて減っていき、チェーンスパイクを外して、駆け足で下りていけるようになった。ゴールが近づいたように感じて、部員達も喜んでいた。
14:21に9回目の休憩を取った後、ペースを上げて、14:55に西野々バス停との分岐を通過し、14:59に一般道と合流、15:09にバス停に到着し、解散式を行った後に、解散となった。
今回の山行は不参加の部員が多く、また天候も悪かった中でのものであったが、成功とは言えずとも、無事に終了できたことは良かっただろう。ただ、部員それぞれに多くの反省点があったため、次回の山行に活かしていきたいと思う。
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《「稜線」第46号(2025年度)所載》
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