2023年 夏合宿 山行記

筆者 K・K (3年生)

7月30日(金) 〈1日目〉 晴れ

 朝、新宿駅南改札に集合。7時半という普段の山行の集合時間に比べると十分に遅いためか、全員集合時間よりかなり早く到着していた。初の夏合宿に臨む1年生含め、全員が気合が入っているようだ。

 ホームへ移動し、昼食のためにコンビニで買ったおにぎり3個とともに、新宿駅8時発の特急あずさ5号に乗り込む。特急内では最初に座る場所を間違えるなどの僅かなトラブルはあったものの、穏やかに過ごした。東京から3時間かけて、10時59分に穂高駅に到着した。

 ここからは中房温泉まで路線バスで移動する。過去にいた、ICカードにすべて現金を入れてしまったような人はいなかった。準備会での注意は効果を示したようだ。バスには我々以外にも乗る人が数人いたが、ほとんどの人が中房温泉まで利用するようだった。

 1時間ほどバスに揺られ、山の中を進むと、山間に中房温泉はあった。バスを降り、手続きを済ますと、すぐにテント設営を開始した。事前に幾度も練習したことが結実し、15分ほどでテントの設営は完了した。

 さて、炊飯のために無洗米を集めたところで、我々はやるべきことがなくなってしまった。時刻は12時半、夕食開始は5時炊飯のための作業を始めるのも3時半からということで、3時間の暇ができてしまった。最初のうちは温泉周辺を散策するなどしていたが、最終的には、テント内かテント周辺に固まって談笑するなどした。このように山行で長い時間何もせずに過ごすというのは初めてのことであった。

 1日目の夕食はハヤシライスとパウチの白桃であった。食事、炊飯ともに問題なくおいしいハヤシカレーができた。それに加え、中房温泉の豊富な水量を生かして白桃を冷やしたことで、さらに素晴らしい食事となった。

 ミーティングが終わり、就寝しようとしたところで中房温泉の地熱の威力を体感した。寝袋を使わずとも寝れそうなほど暑かったのである。明日の急登に備えて眠る。



7月31日(月)
〈2日目〉 晴れ

 3時に起床。朝食はきつねうどんであった。素早くA隊、B隊、それぞれのテントでうどんを作る。それぞれ作ったうどんに1人2枚ずつ油揚げを入れて完成だ。食事は3時40分に開始した。油揚げが甘く、汁も飲みやすかったため、食事はスムーズに終わった。テントの撤収などを素早く終了させ、4時30分には中房温泉かを出発した。

 1本目は、CLがうまくペースを抑えてくれたこともあり、とても歩きやすかった。第1ベンチを過ぎて、10分ほど歩くと休憩の時間となった。その際、1本目の途中から肩が痛くなり始めたので、先生に相談したところザックの肩にかかる重量を調整する装置を教えていただいた。これを強く締めることによって、上からの重量が肩の前後に分散するそうだ。これによって、かなり肩の痛みは和らいだ。この仕組みはこの合宿の後々まで大きな助けになるだろう。

 1回目の休憩が終わり、再び森林帯の急坂を登り始めた。すぐに第2ベンチを過ぎ、30分近く登ると第3ベンチに到着。その7分後に第2回の休憩をとった。この後の3本目までは森林帯に遮られて風が全くなく、スタミナを消費し、疲労が溜まってしまった。

 そして、合戦小屋で第3回の休憩をとった時、私は既にスタミナ切れに近い状態だった。そのため、その後の4本目で燕山荘に着くまで、ほぼ根性で足を動かした。合戦尾根はまさに北アルプス三大急登と呼ぶにふさわしい乗り越えがたい障壁であった。

 しかし、それによって素晴らしい景色とともに、今までに感じたことのない達成感も感じることができた。

 8時34分に燕山荘に到着した後、すぐにテント場にテントを設営した。早朝に出発した甲斐あって、我々以外に登山者はほぼいなかった。合戦尾根でのスタミナ切れの影響で、テントのペグを打つ手に情けないほど力が入らない。

 8時55分に何とか設営を終え、燕山登頂のために荷物をテント内に移し、9時1分に燕岳へ出発した。スタミナが切れてしまった私は一時的に列の前の方に編入された。結局、燕岳への道のりは多少の登り下りはあるものの、歩きやすい白い礫や砂で出来ていて、荷物を軽くしたこともあって、簡単にスピードを上げることができた。

 また、道の脇の斜面にはコマクサがかなり群生しており、美しい高山植物を見ることができた。きれいな、燕岳山頂に到着した。頂上部分は狭く、写真撮影はかなりギリギリとなった。山頂には燕岳と書かれた木板があり、それを持って写真撮影ができた。何人もの登山客に抱えられた形跡がある木板に、燕岳の人気と歴史を感じる。

 燕山荘へ戻ると、昼食である。食事は魚肉ソーセージとパンを使ったホットドックであった。ケチャップもあったが、魚肉ソーセージとの相性はあまり良くないようだ。

 11時前に食事が終わり、昨日よりさらに長い時間が自由時間として残された。谷から吹き上げてくる風が涼しいので、入り口を開けてテントの中で過ごしていると、塩分不足からくる手先のしびれが起こってしまった。熱中症の初期段階である。また、暑さの影響による1年生の数人の体調悪化に伴い、水分の補給とともに、涼しい場所へ移動することになり、テントから外へ出た。

 テント場から一段高いところにある燕山荘からの北アルプス各座の眺めはまさに筆舌に尽くしがたいほどであった。少なくとも合戦尾根による疲れは忘れることができた。

 ここで、1年生のが体調不良のため、先生とともに下山することになった。先生は常念小屋で再び合流するそうだ。

 2日目の夕食は麻婆春雨と味噌汁であった。味噌汁はインスタント方式だ。食事、炊飯ともに成功し、素晴らしい食事となった。その後、下が砂地であったこともあり、快眠することができた。


                                   筆者 K・S (3年生)


8月1日(火)
〈3日目〉 曇り一時雨 のち晴れ

 3日目の朝は3時に起床。直ぐにお湯を沸かし、朝食を開始。朝食はワンゲル定番の棒ラーメンであった。そして前日具合の悪かったの体調を確認し、特に問題ないようで一安心。この日は稜線上の歩行であったため入念に日焼け止めを塗り、後片付けに移った。いつも通りに撤収作業を行い、4時30分に燕山荘を出発。この時はまだ暗かったため、ヘッドランプを着用して歩行を開始した。

 朝の稜線は気温が低く、風もあるため、歩いていてもさほど暑くはならず、とても気持ちが良かった。頭上には一面に雲が広がっており、少々天候に不安があったが、雲は高い位置にあったため、槍ヶ岳にも雲はかかっておらず、槍ヶ岳を横目に見ながら歩行することが出来た。登山道は砂礫に這松といった如何にも北アルプスという感じの稜線であり、3日目にしてようやく夏合宿に来たのだなという実感が湧いてきた。また、勾配も緩やかであったため、特に苦戦することもなく順調に進んでいった。

 5時19分に大下りの頭で第1回休憩をとり、歩行再開。そこからは名前の通りかなりの下りで、その下りの分以上に登り返さなければならないのかと思うと、少し憂鬱な気分になった。槍ヶ岳とは反対側の斜面へ下っていったのだが、東側は遮るものがなく、高層雲と雲海に挟まれた一面白色の世界に薄明の光線が降り注ぐという幻想的な光景を目にすることができ、先程までの憂鬱な気分は直ぐに上書きされることになった。

 再び森林限界を越えた後、暫くすると雲が濃くなり雨が降り出してしまった。前日に描いた天気図での良くない予想が当たってしまったようだ。気象係としてのスキルが磨かれていることを実感するとともに、よりにもよって夏合宿でこんな予報が的中しなくても良いだろうとは思わずにはいられなかった。

 その後、直ぐに第2回休憩に入り、そこで雨具とザックカバーを着用した。風も強まっており、頂上での眺望にはあまり期待できそうにないとは思ったが、山である以上仕方がないと思い、大天井岳の上りに向けて気を引き締め直した。

 喜作レリーフの鎖場に差し掛かる辺りで、予想に反して雲が晴れ始めたことに一同驚き、士気が上昇していくのを感じた。喜作レリーフの鎖場では、全員が通過するために6分間もかかってしまった。鎖場自体は難しくはなかったのだが、この遅さを見るとやはり経験不足であることは否めない。

 喜作レリーフを過ぎ、大天井岳に登っていく。遠目に見た時はかなり怖そうであったトラバースルートも実際に登ってみると大したことはなく、良いペースで登ることが出来た。7時34分に大天荘に到着し、小休止を挟んだ後、ザックをデポして頂上に向けて出発。既に雲は晴れ、頭上には紺碧の空が広がっており、山頂に近づくにつれて期待はどんどん高まっていった。

 早足で登り終え、山頂に着くとそこには期待以上の、筆舌に尽くし難い光景が広がっていた。槍ヶ岳はもちろんのこと、北穂高岳や前穂高岳、常念岳に東天井岳などの北アルプスの山々がくっきりと見渡せ、遠景には雲海という1時間前まで雨だったことからは想像もし得ない楽園のような景色であった。北アルプスの壮大な山容に圧倒される。新歓、6月、7月と雨続きであったところにこの逆転勝利である。喜ばずにはいられない。部長の先生を以てしてもなかなかないと言わしめた晴れっぷりであった。山頂を吹き抜ける朝の風も実に爽快であり、最高の気分であった。3年間ワンゲルをやっていて良かったと心の底から思い、やはり山はいいものだと改めて実感した。

 頂上にポツンと立っていた小さな祠に心の中で感謝の言葉を述べ、先生が到着するのを待つ間、しっかりとその景色を目に焼き付けた。先生が到着した後、写真撮影を済ませ、後ろ髪を引かれる思いではあったが、頂上を後にした。

 大天荘に戻り、ザックを背負った後、東天井岳、常念岳に向けて歩行再開。好天のためか一同足取りは軽く、コースタイムのペースの1.5倍のペースで進んで行った。登山道もとても美しく、どこを切り取っても絵になる。流石、北アルプス。

 そんなことを思いつつ歩いていると突然隊が停止した。何事かと思い、前方を確認すると、なんと雷鳥がいるという。慌ててスマホを取り出し、写真を撮ることしばし。加えて写真を撮っている間にもハイマツの陰から雛が続々と出て来るではないか。ガスもかかっていないのに珍しいこともあるものだ。以前から会えたら良いねと話していた雷鳥に会えたことでテンションが再び上昇した。若干引くほど写真を撮っている者もいたが、それだけ嬉しかったのだろう。

 写真を撮り終え、暫く歩くと再び別の雷鳥親子と遭遇した。本日2度目の対面である。しかし、ここでは写真撮影は控え目に通り過ぎた。やけに高い雷鳥遭遇率や晴れ方に対して、ここまで幸運だと明日の天気が心配になってしまう。

 9時には東天井岳を通過し、9時20分からは第2回休憩を取った。そこからは常念小屋まで後1本であった。最後は思いのほか長く感じたが、特に問題なく10時30分に常念小屋に到着。ここで、前日にに付き添って下山した先生と合流。テント設営を終え、昼食を開始。

 昼食はカレーメシであった。おそらくワンゲルでカレーメシを昼食にしたのは初であろうが、やはりカレーメシ。味に失敗がある訳もなく、美味しく完食できた。ただ一点反省するとすれば、お湯を注ぐ前にルーを砕いておくべきだったという点である。

 昼食を終えると、各々係の仕事を始める時間まで時間を潰していた。テントからは槍ヶ岳が見え、素晴らしいロケーションであった。そのため、私は槍ヶ岳を見ながら何もせずひたすらゴロゴロするという贅沢な時間を過ごした。

 16時になると、気象係の仕事が始まる。ここまで来るともう慣れたもので、私はさほど時間もかからず天気図を書き上げることが出来た。天気図を見た限り、翌日の天気も良さそうであり、翌日への期待が高まった。

 また、夕食の準備中にが火傷をしてしまうというアクシデントが発生したが、小屋の方が快く保冷剤を貸し出してくれたお陰で大事には至らなかった。優しく接してくださった小屋番にはいくら感謝してもしきれない。

 夕食は炊き込みご飯と豚汁であった。炊飯係の2人は上手く炊けなかったと反省していたが、普段炊きなれていない上、焦げやすい炊き込みご飯であることを考えれば上々の出来だったように思う。そして夕食を食べ終えると、後片付けやミーティングを済ませ、19時に就寝した。



8月2日(水)
〈4日目〉 晴れ

 例のごとく3時に起床。この日の朝食はクラッカーとビスケット、コーンスープであった。このメニューは食べやすい組み合わせで、全員問題なく食べ切っていた。その後はいつものようにテントの撤収を開始したのだが、部員の物が見つからないとのことで暫く探していたため、少し予定より遅れて、4時34分に歩行開始。やはり準備は寝る前に済ませておくべきである。

 最初の1本は抑え目に。いつも先生方から言われる言葉であり、この日もその言葉通りの遅めのペースで歩き始めた。日の出が見られそうであったため、少し登ったところで一旦停止し、太陽が顔を出す瞬間を待つことにした。

 この日も前日に続き素晴らしい好天であり、雲海と日の出を同時に拝むことが出来た。反対側を見ると、槍ヶ岳のモルゲンロートも見え、槍ヶ岳の赤色と空の青色のコントラストが非常に美しかった。空や山が赤く染まっていく様は本当に見事であるとしか言いようがなく、泊まりの山行ならではの景色に目を奪われる。テント泊縦走が解禁されて本当に良かったと思うと同時に、去年、一昨年とテント泊縦走が出来なかったことは残念でならなかった。

 10分ほど日の出を眺めた後、4時58分に歩行再開。浮き石に注意しつつも順調に高度を上げ、5時55分に常念岳に到着した。そこで第1回休憩、写真撮影を行ったのだが、頂上はかなり狭く、他の登山者も多かったため、写真撮影には難儀した。景色に関しては流石と言うべきか、大天井岳にも引けを取らない360°の大パノラマであった。見える山は大天井岳とあまり変わらないが、見る角度が違うとまた違った良さがあった。

 槍ヶ岳や北穂高岳はもちろんのこと、来た方向を振り返れば悠然と聳える山々が連なっているのが見え、南東方向を見れば雲海のかかった松本盆地の向こうに富士山が見える。最高だ。個人的には常念岳の方が感動が大きかったが、なにより初の北アルプスでこんな絶景を連日見られることには驚いてしまった。入部1年目からこんな山行を経験出来る1年生を少し羨ましく思う。

 もう少し景色に浸っていたかったが、そうもいかない。4日目は合宿中一番行程が長く、時間にもあまり余裕がない。仕方なく、気持ちを切り替えて、常念岳からの下りに臨んだ。ここまでは順調に進んでこられたので良かったが、大変なのはこれからであった。

 常念岳からは慣れない岩の下りが続くため、先生の先導で慎重に下っていったのだが、ここでかなり時間を食ってしまった。なんとコースタイムで45分のところで2本も使ってしまったのである。やはり、経験不足が響いていることを実感する。ただ、慎重に下った甲斐あって誰1人として怪我することなく通過出来たのは良かった。先導してくださった先生には頭が上がらない。8時16分から第3回休憩を取り、難所を越えたことにホッとした。振り返ると下ってきた登山道が見え、やはりかなり急であったことがよくわかる。

 そこからは再びCLののペースで進んでいった。暫く歩き、2592mピークで9時3分から第4回休憩を取った。そこからは蝶槍が見えた。確かに槍ヶ岳に似ている気がしなくもないと思い、蝶槍の名前に勝手に納得した。また、登る前にかなり下るようで、分かっていたことではあっても、実際に目にするとなかなかに気が滅入るものであった。

 休憩を終え、歩行再開。直ぐに樹林帯に突入した。こんな時でも相変わらずの好天で、樹林であるのにもかかわらず、日差しは思いのほか遮られなかった。そのくせ風はしっかりと遮るといった具合であり、人一倍暑がりで汗っかきな私はかなり苦しめられた。ここが今回の山行で一番辛かったように思う。

 再び森林限界を越えると、風が気持ちよく、樹林帯で火照った身体を冷ましてくれた。樹林帯を抜けて少しすると蝶槍に10時10分に到着し、そこで第5回休憩を取った。蝶槍から見る蝶ヶ岳は大天井岳や常念岳と違って起伏に乏しいなだらかな形で、これはこれで綺麗なものであった。

 途中、横尾分岐で先生と別れ、我々は蝶ヶ岳へと向かった。

 蝶ヶ岳ヒュッテに着くと一旦荷物をデポし、カメラを持って山頂へ向かう。10時59分に蝶ヶ岳山頂に到着し、写真撮影を行った。蝶ヶ岳からも相変わらず槍ヶ岳や前穂高岳北穂高岳が見えたほか、大キレットも見渡すことが出来た。いつか一度くらいは大キレットに行ってみたいなどと談笑していたが、いつになるのだろうか。

 また、写真を撮る際、山頂標の向きが悪く、蝶ヶ岳の文字と槍ヶ岳を同時に収めることが出来なかったので、槍ヶ岳を背景にした写真と山頂標の横に並んだ写真と二通り撮った。何故槍ヶ岳と同時に写るように設置しなかったのか。謎である。

 それにしてもこの日は槍ヶ岳に雲がかかることもなく、本当に天気が良かった。我々ほど夏合宿で天候に恵まれた代はそうないのではないだろうかと思ってしまうほどである。

 そんなこんなで写真撮影を終え、蝶ヶ岳ヒュッテに戻ると、11時11分から昼休憩を開始した。この日の昼食はカニパンにチーかま、ジャムというメニューであった。持ってきたカニパンは33袋であり、これを1人の部員が持っていた。山の気圧で膨れたカニパンは相当容量を圧迫したに違いない。カニパンは1人3袋の計算だったが、3袋食べ切っている者は見た感じいないようであった。が言うには非常食も兼ねて余分に持ってきたらしいが、非常食は別のものの方が良かったかもしれない。来年からは気圧で物が膨れることも考慮して計画を立ててほしい。また、蝶ヶ岳ヒュッテで水を補給したのだが、タイミングを間違え、出発が少し遅れてしまったことも反省点である。

 11時49分に蝶ヶ岳ヒュッテを出発し、横尾に向かって下っていく。横尾分岐からは地図上には急坂と書いてあったため、苦労するかと身構えていたが、実際下ってみると拍子抜けもいいところであった。確かに比較的斜度はあったかもしれないが、急坂という程ではなかったし、特に大きな段差も難所もなかったため、良いペースで下ることが出来たと思う。

 途中第3ベンチ、第2ベンチと通過したが、そこにはパッと見では分からないただの丸太と言ってもいいベンチが設置してあった。その一方で、第3ベンチと第2ベンチの間には、特に名前がついている訳でもないが、公園でよく見かけるようなしっかりとした綺麗なベンチが置かれていた。何故なのか。そこまで頻繁にベンチはいらないだろうし、何故そこにあえて設置したのだろうか、などとくだらないことを考えていた。そんなことを考えるくらいには余裕の持てる下りであった。

 13時42分から第7回休憩を取り、横尾まであと1本と思い、気合いを入れる。槍見台を通過し、14時30分に横尾に到着した。そこで小休止を挟み、徳沢へと向かった。

 途中、上高地の景観に溶け込んでいるとは言い難い新村橋の建設や数箇所で工事などが行われていたのだが、これには風情がないと部員の1人が零していた。

 徳沢に15時27分到着。急いでテントを張り、気象通報を聞こうとしたのだが、ここで問題発生。ラジオに電波が入らなかったのである。の助言で試しにスマホでラジオをつけてみたところ、こちらは問題なく聞くことが出来たのでとりあえずスマホで聞いたのだが、何故スマホが使える場所でラジオが入らなかったのだろうか。家で確認した時や山頂で聞いた時も問題はなかったのだが……。地形の影響だろうか。

 ラジオが使えなかった原因は結局分からずじまいで、直ぐに夕食の時間になってしまった。この日の夕食はフリーズドライ丼であった。具材の方はお湯をかけるだけなので、当然失敗はない。そのため、夕食の出来は炊飯係の腕にかかっていたが、炊飯係は期待を裏切ることなく見事に飯を炊いてくれた。やはり今年の炊飯係は飯炊きが上手い。これからも山行の時は炊飯係として付いてきて欲しいくらいである。

 フリーズドライ丼は夏合宿最後の夕食ということも相まって、とても美味しく感じられた。もう夏合宿が終わってしまうのかと寂寥の念に駆られながらも完食。

 後片付けの際、洗い場があるとのことで、そこでコッヘルを洗っていたのだが、そこでは水が無料で使い放題ということに感動し、山から下りてきたのだなと実感した。ただ、洗い物に夢中になってしまい、ミーティングに2分遅刻してしまったのは反省しなければならない。

 ミーティングを終えたのち、この日は遅めの20時に就寝した。



8月3日(木)
〈5日目〉 晴れ

 この日もまた晴れであった。夏合宿の締めくくりに相応しい良い天気である。

 4時に起床し、朝食の準備をする。最後はみんなで一緒に食べようということで、外で食べることにした。この日の朝食はスキムミルクにシリアルというメニューであった。このメニューもおそらく初だと思うのだが、個人的には来年以降も取り入れるべきじゃないかと思うレベルで、良いものだった。調理も簡単で量の調節も容易、保存も利く。素晴らしいメニューだと思う。直前でこのメニューを見つけたには拍手を送りたい。

 朝食を食べ終え、テントの撤収に移る。5時8分に撤収完了。この日は撤収がやたら早く、起床からほぼ1時間程度で終わってしまった。慣れのおかげもあるだろうが、夏合宿最後ということで気合いが入っていたのだろう。

 徳沢を出発し、朝の上高地を進んでいった。前日とは違い工事の音がなく、梓川の流れる音と森林の匂いが漂う風情のある道であった。明神分岐を通り過ぎ、明神岳が目に入る。山から下ったばかりだというのにまた山に登りたがっている自分に気づき、なかなかワンゲルに染まったものだと感慨深い気持ちになった。

 5時59分に第1回休憩を取り、上高地バスターミナルに向かって歩を進める。この辺りになると登山者が一気に増え、上高地の人気の高さが窺える。小梨平キャンプ場を通過した後、6時34分に河童橋に到着し、写真撮影を行った。河童橋は如何にも上高地という感じがしてとても絵になっていた。いわずもがな、梓川の透明度は高く、綺麗なものであった。

 写真撮影を終え、歩行を再開すると直ぐに上高地バスターミナルに到着し、そこで解散式を行った。その後は家に直行する者もいたが、私は風呂に入りたかったため温泉に浸かり、次のバスで帰ることにした。

 今回の夏合宿はかなり良い形で終えることが出来たと思う。我々の代は1年生の頃から何かと問題があり、部員も増減してきた。特に1、2年生の時は行動面や体力面、意識面などあらゆる面で足りていない部分も多く、部長の先生方からお叱りを受けることもしばしばあった。そして、その反省を活かし、部の水準を引き上げるべく、色々と模索してきた。そんな中で、夏合宿に不安を残した6月山行からどうにか盛り返し、コロナ禍以前のワンゲルに近づけるよう我々としては努力を重ねてきたつもりである。その努力のお陰か、天候にも恵まれ、このような山行を行えたことは一生記憶に残る出来事となるだろう。

 今回の夏合宿で我々3年生は引退となるが、後輩たちには良い山行というものを示すことが出来ただろうか。夏合宿に関しても、良い山行だったとはいえ、まだまだ完璧とは言い難い。ただ、今までで最高の山行であったことには違いない。是非とも1年生、2年生にはこの合宿での反省を活かし、一丸となって部の水準を引き上げていって欲しい。


《「稜線」第44号(2023年度)所載》



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