2023年 春合宿 山行記

筆者 Y・E (2年生)

 コロナ禍によって、しばらく泊まりの山行をできずにいたワンダーフォーゲル部。今回の山行は、実に3年ぶりとなる泊まりの山行だった。今回の山行をいかに完璧に成功させられるかに、これからのワンダーフォーゲル部の命運がかかっているのだという意気込みの下、2年生は今回の山行に向けて、入念な準備を行った。

 準備会では、泊まりの山行ではメインザックを使うことなど、3年前のワンダーフォーゲル部ならば、ごく初歩的であろう確認から行われた。部員の誰一人、泊まりの山行の経験がないため、やはり全員に不安と緊張があるようだった。

3月29日(水) 晴れ

 秦野駅の集合時間の08:00。無事、全員が集合した。多くの部員が早めに来て、集合時間までにトイレを済ませているという完璧ぶりだった。その後、バス乗り場へ移動した。ヤビツ峠行のバスに乗るのは初めてではないので、迷うことなく移動できた。バス乗り場には、たくさんの登山客が集まっていた。我々はだいぶ早く列にならんだが、それでも席に座れなかった部員がいた。

 ヤビツ峠で下車し、トイレ休憩と体操を済ませて、9:21にいよいよ歩行開始。しばらく緩やかな下り坂の林道を歩いた後、登山道に入った。階段が連続していて、なかなか大変だったが、特別疲れている部員はおらず、頼もしかった。順調に進んで、第一回休憩。この日の気温は少し肌寒いくらいだったが、動いているうちに暑くなってきて、私はこの休憩で上着を脱いで半袖になった。

 休憩を終えてザックを背負う時、改めてザックが今までより大きいことを実感した。メインザックは、やはり非常に背負いやすい。荷物の重さは、ザックの骨組みを含めて、今までの2倍くらいになっているが、体感としては今までの1.2倍程度だった。

 その後、20分ほどで二ノ搭に到着。息を整えるため少し止まった後、三ノ搭へ向けて歩いた。

 10:56に三ノ搭に到着。少し早いが、ここで昼食をとることにした。昼ご飯は、アルファ米とフリーズドライの具を食べた。

 フリーズドライは各々が自分の好きなものを選んだものだ。私は野菜カレーを選んでいた。コッヘルでお湯を沸かし、一人ずつお湯を入れていった。皿を取り出して、フリーズドライをパッケージ裏の説明通りに丁寧にお湯に溶かす部員もいれば、皿代わりになるアルファ米の袋の中にフリーズドライを突っ込んでアルファ米と同時にお湯をかける部員もいた。私は、後者のやり方では成功するか不安があったので、前者の方法をとった。

 全員にお湯がいきわたってから3分経った後、「いただきます」と声をそろえる。野菜カレーはなかなか本格的な味で非常においしかった。ヤングコーンや鶏肉にもしっかり歯ごたえがあり、フリーズドライにあまり期待していなかった私にはうれしい誤算だった。皿を使わなかった部員たちも、おいしく食べられているようだった。だったら私も明日の昼は皿を使わずに食べようと心に誓いながら、食べ終わった皿をトイレットペーパーで綺麗に拭き上げた。

 すべての片付けを済ませて、11:42に歩行再開。天気は相変わらず良いが、少しずつ雲が多くなってきた。この日は、我々が山小屋に到着した後の夜の時間に少し雨が降るという予報だった。しかし、山の天気は変わりやすい。夕方の早い時間に雨が降ることも十分ありうる。我々は、少しだけ足を速めた。

 登山道は尾根伝いに走っており、景色がよく、歩いていて気分がよかった。烏尾山を経て、行者ヶ岳の頂上に着いたところで第三回休憩をとった。

 ザックを降ろすと、シャツの中に風が通り、シャツに染みた汗がキンキンに冷えて不快だった。動くと汗をかくが、止まる汗が冷える。毎度のことだが体温調節が難しい。

 休憩を終えて、歩き始めて15分ほどしたところで、比較的難易度の高い下りの岩場があった。先生の監督の下、一人ずつ慎重に下りていく。岩場は崖になっていて、絶対に失敗できないという緊張があった。一方で今まで通りに基本に忠実にいけば無事下りられると冷静な心も持ったままでいられた。非常にいい緊張感で下りられたと思う。

 その後、新大日、木ノ又大日を経て、塔ノ岳山頂、つまり我々が泊まる尊仏山荘に到着した。山荘の中は石油ストーブの独特なにおいと暖かい空気で満ちていた。宿泊客は、我々の他には5人程しかおらず、山荘の中を広々と使うことができた。

 今日の夕飯と明日の朝食に使う水を鍋に注いだ後、水汲み係の木内と原田が穴田先生と共に不動の清水へ水を汲みに行ってくれた。この時の時間は15:16。30分程経った後、水汲み係が帰ってきた。早めに夕飯の準備をするとしても、1時間ほどの暇があった。

 私は頂上や山荘の中をうろうろとしていた。頂上からは、はるか遠くに街が見えた。町から遠く離れたこの場所で、一晩を過ごすというのは、分かっていても不思議で落ち着かなかった。この1時間のうち、少しの間だけ小雨が降った。

 そして16:40頃、夕食の準備に取り掛かった。この日のメニューは牛丼で、ご飯は飯盒で炊くことになっていた。事前に用意してきた牛丼の具は、円滑に調理でき、仕上がりも上出来だった。事前に調味料を混ぜ合わせてペットボトルに入れて持ってきたのが正解だった。

 一方で、炊飯は課題だらけだった。炊飯に対しての認識が甘く、水の量、火力、加熱時間など全てあやふやな状態で来てしまった。結果として、食べられないほどではないが、芯が残ったご飯になってしまった。これは必ず次回の山行までに練習が必要である。

 夕食の後は反省会を行った。記録の確認等、いつも解散式でやっていることをやった後、明日の予定の確認をした。反省会が終わって山荘の外に出ると、空には満天の星空……とはいかなかった。雲が多く星空は少ししか見えなかった。夜景はきれいに見られたので良かった。その後、20時にみな就寝した。



3月30日(木) 晴れ

 4:00に全員起床。ほかの宿泊者もいるため、大きな音で目覚ましをつけることが出来ず、目覚ましなしで早い時間に起きられるか不安だった。しかし、早い時間に寝ていることもあって、案外簡単に起きられた。慣れない時間に慣れない寝袋、慣れない部屋で、上手く寝つけなかったが、しっかり疲れが取れた感覚はあった。

 朝食はチキンラーメン。食事係が起きた直後からテキパキ行動してくれたお陰で、スムーズに用意できた。チキンラーメンは、少ないお湯で調理したため、汁がかなり濃く、しょっぱかった。これも山の食事の醍醐味と前向きに楽しめた。

 朝食を終えて外に出ると、美しい雲海と富士山が望めた。少なくとも私にとっては、これまでの山行の中で一番の景色だった。卒業アルバムで使う事を前提に写真撮影をした。出発前に、山荘の方にお礼を言った。おおらかで、一切高圧的でないのに、我々にこの山荘にいれば大丈夫だという安心感を与えてくれる山荘の方の人柄には非常に救われた。

 5:30に出発。出発前の準備体操に、近くにいた宿泊客が参加してくれた。出発する時も、「いってらっしゃい」と暖かい声をかけてもらった。

 自然保護のために設置された木道は、朝露で滑りやすくなっており、歩きにくかった。とはいえ、初めは下りがメインだったこともあり、軽快な足取りで進み、最初の休憩までの50分間で、丹沢山までたどり着いた。これはコースタイムの2倍の速度だった。

 とても順調だったため、当初目指していた16:21発のバスの1本前の13:16発のバスに乗ることも選択肢として浮上した。最終的な判断は、次の休憩でどこまで進めたかで下すことにして、再び歩行を開始した。

 途中、下りの岩場があったが特に手こずることもなく、良いペースで歩行を続け、不動ノ峰と棚沢ノ頭を経て、蛭ヶ岳の登りが始まる少し手前で第2回休憩をとった。道幅が狭く休憩する場所がなかなかなく、少し長めの歩行になった。

 休憩地点からは、蛭ヶ岳の山頂が見えた。雲の上にそびえる山頂は、遥か先の場所のように感じた。高山を思わせるような岩石が露出した山肌には、いつもの日帰りで行く山とは違う非日常を感じて、心が躍った。

 そして、ここで、蛭ヶ岳山頂で昼食を食べずに、13:16発のバスを目指して速めに歩くという決断をした。そして歩行再開。ここから蛭ヶ岳山頂までが今回の山行の中で一番体力的にきつかった。

 登り切ってすぐ第3回休憩をとった。いくらきつかったとはいえ、前回の休憩から24分しかたっておらず、ここで休憩をとったのは良い判断ではなかった。50分1セットというリズムを壊さないために、歩行スピードを落としてでも、先へ進むべきだったと思う。
 蛭ヶ岳から先は、木道と階段がほとんどだった。とても歩きやすく、一層ペースを速めることができた。

 順調に進み、地蔵平を経て、原小屋平で第4回休憩。ここまでそれなりのペースで歩いたはずだったが、さらにコースタイムより30分縮めなければ、バスに間に合わないという時間だった。とはいえ、地図を見ると、この先の道はほとんど下りであり、不可能な話ではなかった。加えて、黍殻山の山頂を巻き道で回避すれば、ある程度時間に余裕ができる。このことを全体で共有して歩行再開。

 ほとんど下りとはいえ、姫次の前など多少の登りはあった。登りは少し堪えたが、これまでに比べれば大したことはなかった。途中、倒木によって道があやふやな箇所があり、先生の指導の下、慎重に進んだ。

 その後、先ほど決定した通りに、黍殻山山頂を回避し、巻き道を進んだ。巻き道の途中で、第5回休憩をとった。歩行再開後、順調に歩みを進め、焼山分岐に到着した。焼山山頂を通るか通らないか、少し悩んだが、すぐそこに山頂が見えていたので、登ることにした。焼山山頂は木々に囲まれており、隣には鉄塔が立っていて、景色も何も見えなかった。

 焼山山頂から先は非常に急勾配なつづら折りの登山道だった。ここまでの長い歩行で足に疲労がたまっていたこともあってか、足を滑らせて尻もちをつく部員が何人か出た。幸い、ここまで速いペースで歩行してきたお陰で、時間には余裕が生まれていたので、ここは慎重に時間をかけて下りることにした。

 砂利や石も多く、足に当たって下へ石が転がり落ちたときは「落!」と叫ぶことを心掛けた。2日にわたる山行の最後の最後とあって、油断しやすい場面だったが、部員たちは互いに声を掛け合って、慎重に歩き、12:06に無事に登山道を下りきり、車道に出た。

 最終的にバス停に着いたのは、12:17。バスが来るまで1時間も余裕があった。その時間に解散式を済ませ、その後は、思い思いにバスが来るまでの時間を過ごした。

 冒頭にも述べた通り、初の泊まりの山行に、私はいつも以上に不安を覚え、緊張していた。おそらくほかの部員たちも同じだっただろう。結果としては、この緊張がいい方へ働き、山行は無事に成功した。これから泊まりの山行の経験を重ねていっても、この緊張感を忘れず、今回のように全身全霊で、すべての山行に取り組んでいきたい。


《「稜線」第44号(2023年度)所載》



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