2019年 夏合宿 山行記

筆者 I・B (3年生)

 今年の夏は未曾有の異常気象であった。7月下旬まで梅雨が明けず、日本列島の空は四六時中雲に覆われていた。空に浮かぶ雲は鉄の塊のようにずっしりと重く、私は7月山行から夏合宿の間の一週間を陰鬱な気分で過ごしていた。実は一年生が入部して新体制が始まってからというもの、まともに晴れた山行が新歓山行しかなかった。6月山行の鷹ノ巣山と7月山行の甲武信ヶ岳では大雨の中を歩行し、周りの景色もほとんどが雲に覆われていた。そのため、今回も雨の中を歩かなければならないのではないかという不安が常に私の頭の中で駆け巡っていた。実際、合宿まで毎日のように天気予報を確認したものの、北岳の天気は雨マークから変わることはなかった。

7月29日 〈1日目〉 晴れのち雨

 集合場所は新宿駅南口、集合時間は7:00であった。私は通勤ラッシュ帯を避けたいことに加え、余裕を持って到着したいということもあり、6:30ごろに到着した。既に他の部員が何人か到着していたので、私はそこにザックを置いた。いつも通り、新宿駅は目まぐるしく人が行き交っていた。改札を出てバスタ新宿に向かう人、あるいはその逆を行く人、新宿の街に溶けていく人、あるいは新宿の街からやってくる人。その中にはちらほら登山者の姿を見出すことができた。私たちと同じように高校の部活らしき団体もいた。

 新宿は晴れていた。それに加えて、私たちの周りを行き交う登山者たちは皆笑顔で山に登ることが待ちきれないように見えた。実に平和的だ。夢と希望に満ち溢れている。ここだけを切り取れば、南アルプスがこれから一週間雲に覆われ雨が降り続き、南からは台風が近づいていることなど到底想像がつかないだろう。嵐の前の静けさ。先が思いやられる。

 山手線が多少遅延したものの、集合時間の7:00には全員集合できたので、特急あずさに乗車するためのホームへ移動した。特急あずさは全席指定席に変更されたらしいので、全員座ることができた。

 9:07に甲府駅到着。南口にあるバス乗り場に移動した。甲府も晴れていた。

 10:05に広河原行のバスに乗車した。バスは甲府の街中を潜り抜けると、左右上下に激しく揺れながら山道を登っていく。2年前に見た景色と何も変わっていなかった。今回のコースは2年前の夏合宿と全く同じコースである。しかし、2年前の夏合宿では今の3年生は誰も踏破できなかったのだ。私以外の3人は体調不良で不参加、唯一長衛小屋まで行った私も登らずにリタイアしてしまった。だから、今回の山行は3年生にとって2年前のリベンジの意味合いも含んでいる。今回こそは踏破しなくては、と私は思った。

 広河原に着くと、そこからバスを乗り換えて北沢峠に向かった。12:59に北沢峠に、そこから数分歩いて長衛小屋に到着した。

 昼食を済ませると、夕食の準備まで少し時間があったのでしばらくの自由時間となった。私は眠りに落ちてしまい、目が覚めた時には15:00になっていた。

 私は米に吸水させるためにテントから出て水場に向かった。山の谷間から雲が覗き見るように顔を出している。雲行きが怪しくなってきた。私たちは雨が降る時のことも考えて、テントの横で炊飯を始めた。

 炊飯は1年生も慣れてきたというのがあり、スムーズに進めることができた。しかし、火を通すのが完了し、鍋をタオルで包み蒸らしが終わるのを待っているとき、テントに雨が打ち付ける音で私は雨に気づいた。様子を見る間もなかった。雨はすぐに勢いを増し、テント場に降り注いだ。

 炊飯係は慌ててライエステントに避難し、ひとまず気象係と食事係の仕事が終わるのを待つことにした。ところが、今度はライエステントが浸水を始めたのだ。テントフライを貫通した雨水はミストのようにテント内に降り注ぎ、地面を流れる水が下から染み込んできた。ライエステントは、現在ワンゲルが使っているテントで一番老朽化が進んでいる。ついこのあいだも、ポールが折れたので修理に出したばかりであった。

 単純にテントの老朽化が進んでいるだけでなく、立地も悪かった。周りに比べて少し低いところにあったため、水が溜まりやすかったのだ。既にテントの底と銀マットの間は水で満たされており、歩くとその水が噴出してくるため、とても幕営できるような環境ではなかった。私たちは、炊飯中の鍋を新ジャンに避難させ、先生方の協力をいただきながらテントを移動することにした。高い場所に移動させると先程よりも水が引き、何とか寝られるだけの環境は確保することができた。

 雨は依然止みそうになかったので、食事係が牛丼の具を作っていた旧ジャンに飯を持ち込み、まとめて盛り付けを行うことにした。そこまではよかったのだが、旧ジャンには炊飯係がいなかったため、盛り付けの要領がわからず、全体的に飯を多く盛り付ける形となってしまった。すると、食器に牛丼の具が入りきらなくなってしまい、具が大幅に余る事態が発生してしまったのだ。余った具は全員で何とか分け合って食べきったのだが、ご飯なしで牛丼の甘ったるい汁をすする部員の姿はかなり辛そうであった。

 何とか予定通りの18:30に就寝することができたが、必ずしも良いスタートを切った日とは言えなかった。雨が降ると、全体の行動がうまく噛み合わなくなるのはうちの部の特徴である。体が濡れてしまうが故、みんなテントに引きこもりがちになるからだ。それによって、テントごとの連携に支障をきたしてしまう。本来はそれをつなぐ役目として主将の私が存在しているわけだが、私自身引きこもりがちになっていた部分があったので反省している。

 雨が依然として降り続き、さらに雷まで鳴る中、私たちは19:00に就寝した。



7月30日 〈2日目〉 晴れ

 3:00に起床すると雨はすっかりやんでいた。空を仰ぎ見ると空一面に星が広がっている。とてもきれいであることはもちろん、星が見えるということは雲がないということだ。私はひとまず安心しながら、朝食のリッツとオニオンコンソメを口に入れた。

 長衛小屋を出発したのは3:54のことである。早朝ということもあり、あたりは暗く、人はほとんどいなかったため、道迷いに気をつけながら慎重に登り始めた。

 4:30に二合目に到着。ここで北沢峠からのルートと合流した。ここから尾根伝いに登っていくようになるため道も広く明瞭になった。日も昇りはじめ、周りの景色を見えるようになっていった。1回目の休憩をはさみ、5:27に五合目である大滝の頭の分岐に到着。分岐がはっきりしており、標識もあったため、迷うことなく馬の背ヒュッテへ向かう道に入ることができた。

 ここからはしばらく下りつつ、いくつか沢を渡り、5:47に2回目の休憩を取った。ここでがおなかの不調を訴えた。医療係である私は彼に胃腸薬を処方したものの、あまり効いてはいないようだった。登山そのものは可能であるということなので、少しペースを落としながら歩行を再開した。

 その後、またいくつか沢を越えて6:17に馬の背ヒュッテに到着した。ここまで来るとすれ違う登山客もかなり増え、高山植物の保護用ネットで囲われた狭い登山道を譲り合いながら歩行した。

 高山植物の藪の中を抜けると、突然視界が開けた。空は雲一つない快晴で、仙丈ヶ岳の姿もはっきりととらえることができた。

 6:47に3回目の休憩を取ると、日差しが強くなってきたため、帽子の着用と首にタオルを巻くことを部員に促した。すると、何人かが帽子を忘れたことが発覚した。山は下界より標高の高い場所であるから当然のように日差しが強い。そのため、熱中症のリスクが高くなることに加え、日焼けによって肌が痛むこと事が出てくる。長期間歩行し、標高も高くなる夏合宿ではなおさらだ。雨の心配ばかりしていたので、晴れる場合の対策を軽視していたのだろう。サブザックへ移し忘れであったことと、大きなタオルを頭に巻くことで代用できたので大事に至らなかったが、計画書にもしっかり記載してあるので、これからは事前準備を怠らないでほしい。

 ただ、ペース自体はかなり順調で7:07に仙丈小屋を通過し、7:30に仙丈ヶ岳に登頂することができた。相変わらず快晴のままで景色が良く、甲斐駒や北岳など南アルプスを一望することができた。

 記念写真を済ませると、仙丈ヶ岳の山頂は狭く昼食をとるには不向きであったため、昼食をとれる場所まで歩くことにした。仙丈ヶ岳と小仙丈ヶ岳の間の道にちょうど開けた休憩場所があったので、休憩がてらそこで昼食をとることにした。

 昼食のメニューはあんぱんと魚肉ソーセージである。あんぱんはカロリーが高く携帯しやすいだろうと思い導入したのだが、予想以上に好評であった。さっぱりしていて他の菓子パンと比べても食べやすかったようだ。魚肉ソーセージはいつもの山行で導入しているので特に言うことはないが、体が塩気を欲していたようでいつもよりおいしく感じた。

 8:10に再出発し、8:34に小仙丈ヶ岳を通過、休憩を1回はさみ、9:15に大滝の頭に戻ってきた。

 6回目の休憩をとっていた時であった。A隊が休憩を始めてしばらくするとB隊と合流したのだが、R・K先生の姿がない。話を聞くと、小林利が岩か木に挟んでしまったがために足を痛めてしまったのだという。そのため、先生が付き添い、遅れて下りているそうだ。胃腸の調子の悪いNも心配であるため、ここからはA隊とB隊は一緒になってゆっくり下りることにした。

 10:28に長衛小屋に到着し、各々サブザックからメインザックにパッキングし直しながら、R・K先生が下りてくるのを待った。しかし、しばらくしても2人が下りてくる気配はない。先生が登山道の入り口まで迎えに行かれたものの会うことができず戻ってきた。

 11:30ごろになって、ついに2人が戻ってきた。後になって分かったことだが、この時R・Kは靭帯を痛めてしまっていたのだ。残念であるが、R・Kとおなかの調子の悪いと留学の予定の入っていたはここでリタイアすることになった。

 3人が離脱することに伴い、ライエステントを持って帰ってもらうことになった。おそらく、私たち3年生引退後はもうこのテントが使われることはないだろう。今回で老朽化が露呈してしまい、人数的にもしばらくは必要がないのだ。私はあの黴臭いテントには少し愛着を持っていたのだが、仕方がないことだ。

 11:51に長衛小屋を出発し、バスを予約していたため、予定よりも早く臨時のバスを出していただいた。12:41に広河原に到着し、3人の部員と別れた。M先生は3人に付き添っていただき、翌日、白根御池小屋で合流することとなった。

 私たちは広河原山荘で幕営を済ませると、夕食の準備を始めた。すると、離脱した3人がいかにワンゲルの中で重要な役割を担っていたかを実感させられた。R・Kは3年生で唯一の食事係であったため、通称「料理長」と呼ばれていた。そして、2年生のは次期料理長候補であったため食事係のまとめ役である2人が一気にいなくなってしまったのだ。そのことに戸惑いながらも2年生のが何とかまとめ上げ、何とかベーコンカレーを完成させた。

 一方、炊飯係でもが抜けてしまったのは大きかった。は炊飯係の中でも一番の腕前と名高い炊飯士である。今回は残念であったが、は部をまとめるうえで欠かせない存在であるので、これから頑張ってほしい。

 昨日の反省を踏まえ、テントをできるだけ近くに張り、入り口も向かい合わせにすることで、雨でも動きやすいように対策したが、結局、雨が降ることはなかった。次の日の歩行時間は少なかったものの、体力を回復するために、就寝時間を30分早めて就寝した。



7月31日 〈3日目〉 晴れのち雨

 この日の朝食は棒ラーメンである。しかし、私が移り住んだ旧ジャンには少食な人が多く、浮かない顔である。当然ながら登山前にはしっかり食べなければならないので、その人たちは調味油を入れないなど工夫して食事をしていた。

 4:21に広河原山荘を出発し、白根御池小屋に向かい歩行を始めた。基本、尾根伝いの歩行であったので迷うことはなかったが、いくつか道が分かれる場面があった。また、今回の合宿で初めてのメインザック歩行であるため、私は極限までペースを落として進んだ。先頭に立つとペースが上がり気味になる傾向が強いのはわかっていたので、自分のザックを重くすることでスピードを抑える工夫もした。

 6:57に白根御池小屋へ到着した。歩行時間は少なかったものの、メインザックの歩行ということもあり、みんなそれなりに疲れたようだった。7:22に設営を終了し、9:30の昼食まで自由時間となった。

 白根御池は、私が想像したよりも小さい池で、テント場と隣接していた。説明書きの看板があったので読んでみると、どうやら昔は信仰の対象となっていたらしく、動物の骨などを沈めていたようだ。下界であれば何の変哲もない小さな池にすぎないと思うが、登山道の途中にあると何となくそんな気がしないでもない。

 昼食はスパゲッティで、各々が食べたいパスタソースを持ってきた。炊飯と違い、実践経験の少ないパスタは茹でるのが難しい。去年の夏合宿で上がった改善点をもとに、今年は早ゆで且つ短い乾麺を持ってきたものの、やはり茹で具合は少し下界と同じようにはいかなかった。芯の残り方も普段とは少し違った。通常、芯が残る時は麺の中心に近くなるにつれ固くなるのだが、今回の場合は麺全体が均等に少し粉っぽかった。気圧が低いほかに一度にたくさんのパスタを茹でたことも影響しているとは思う。

 ただ、たくさんの鍋を用いて茹でるとその分飲んで処理しなければならない茹で汁の量も増えるため、多少は妥協せざるを得ない。パスタの茹で汁を飲むのは全員が初めてである。先輩方から地獄のような儀式だと伝え聞いていたからみんなかなり警戒していた。ところが、実際飲んでみると決して不味くはない。むしろ、美味しいといえるぐらいである。小麦の甘みが感じられ、蕎麦湯の類だと考えれば何も問題はない。一つのお湯で何回も麺を茹でたがため、小麦の風味が濃厚になったのが幸いしたのかもしれない。砂糖を入れればおいしくなると思ったのだが、残念ながら私の味覚センスは他の部員には受け入れられなかった。ただ、冷めてくると飲みにくくなるらしく、茹ですぎたパスタと悪戦苦闘している部員以外のメンバーで何とか飲み切った。

 昼食を終えてしばらくすると、北岳をピストンしてきたであろう登山部の団体が下りてきた。彼らはテントを撤収して広河原に下りていった。

 さらにしばらくすると、今度はM先生が白根御池に到着された。先生はいつも離脱者の付き添いをしてくださるため、部の中で誰よりも動いてくださっていることには感謝しかない。

 そして、いつも通り15:15に炊飯係が夕飯の準備を始めた。この日のメニューは麻婆春雨である。麻婆豆腐にするか迷ったのだが、麻婆春雨は永谷園の麻婆春雨の素を一式もっていけば事が済んで楽であったのでこちらにした。それに麻婆豆腐にするとなると高野豆腐を用いるため、豆腐が汁を吸ってしまい、冷めやすく微妙な完成度になってしまうのだ。

 今回も調理中に雨が降り始めてしまい、旧ジャンで一括して盛り付けることになったが、前回の反省を踏まえ、炊飯係の私が入ることでミスを防いだ。就寝前のミーティングの時には雨が止み、初日よりもスムーズな形で18:30に就寝することができた。



8月1日 〈4日目〉 晴れのち雨

 この日は早めの2時半に起床した。なぜなら、今合宿で山場の一つとなっている草スベリを含めた北岳までの登りがあるからだ。山の中では昼になるにつれてガスが昇ってくるため、景色が見えなくなるばかりか雨が降るリスクが高まる。特に北岳はじめとした南アルプスは太平洋からの季節風によって流される雲を受け止めるため、この季節に雨が降りやすい。早朝に登り始めることで雨に遭遇するリスクを減らすばかりか、景色を見ることもできるのである。また、早朝は登山者が少ないためすれ違いの手間も省くことができる。さらにA先生がおっしゃるには、草スベリの登りは暗く上が見えない方が精神的に楽であるという。このような理由から、この日は早朝からの歩行に踏み切った。

 朝ご飯のスティックパンとスープを平らげると、早速歩行を開始した。昨日、テント場から見える草スベリに皆恐れおののいていたものの、実際に登ってみると思いのほか楽に歩行することができた。やはり、先生がおっしゃった通り暗いと精神的に楽なのだろう。それに私自身かなりペースを落として歩行したこともよかったと思う。地図上でちょうど草スベリの真ん中にあたる部分で、4:20に1回目の休憩。A先生が転倒時に手を怪我されたので絆創膏と消毒液、化膿止めを処方した。

 歩行を再開すると、すぐに日の出を見ることができた。計画書に記載した日の出時間よりも早かったが、それは標高が高いからであろう。

 右俣コースとの合流地点を通過した直後の5:20に2回目の休憩を取った。かなり疲れているだろうと思い、みんなを見渡したものの、皆さん元気満々なようで楽しそうに景色を眺めていた。下の方は少し白くかすんでいたが、先生曰く、これは下と上では空気の層が異なるからだという。

 再出発後は、5:42に小太郎尾根分岐を通過、6:12に北岳肩の小屋を通過した。北岳肩の小屋は外見が個人的に気に入っており、去年の新歓用パワポの写真に用いていた。実際に見てみると、ドラム缶と人が乱雑にごった返し、良い意味で古臭い茶色い小屋が味を出していた。

 北岳肩の小屋の横を通過してしばらく歩いた6:21に3回目の休憩を取った。B隊はKがトイレをしていたらしく合流することがなかったが、北岳山頂で待てばよいので、B隊を待たずして出発した。

 ここから北岳山頂までは岩場が続く。他の登山者も増えてきたので、譲り合いながら着実に進んでいった。どうやら、みんな岩場を楽しんでいるようであったので私も少しペースを上げた。6:54、ついに北岳山頂に到着することができた。

 周りにはガスも一切なく360°はっきり見渡すことができた。鳳凰三山のオベリスクが捉えられるほどである。A先生も今まで北岳に登った中で一番景色が良いとおっしゃるほどだ。

 北岳の山頂は去年登った白馬岳の山頂とよく似ていた。ただ、3年生になって見える景色は明らかに違っていた。しみじみと景色を眺めながらB隊が到着するのを待った。B隊が到着すると記念撮影を済ませ、少し下って8:16に幕営場所である北岳山荘に入った。

 B隊の到着はまだであったが小林利の離脱後、会計をA隊にいるに任せていたため、先に受付を済ませることができた。事前情報で有料だった水も無料化されていてありがたかった。とりあえず、ヘリが着陸するというので小屋から離れてテント場の方へ向かった。テント場はまだほとんどテントが張られておらず、余裕を持ってテントを張ることができた。

 9:30に昼食を開始した。メニューは食パンとピザソース、はちみつ、ツナマヨ、魚肉ソーセージという普段の山行で食べているメニューである。ただ、フルーツ缶だけは水分が多く、重くなるという理由で今回は廃止した。

 昼食後は全員テントにこもって昼寝をしていた。太陽がガスで隠れ、適度にぽかぽかしていて暖かかった。私もイヤホンで音楽を聴きながら深い眠りに落ちていった。すると、突然燃えるような暑さを感じ私は跳ね起きた。私はテントの入り口から顔を出し風にあたった。私だけではない。他のテントからも「暑い暑い」と悲鳴が聞こえ、続々と人が飛び出してきた。どうやら、太陽を遮っていたガスがなくなり日光がじかに降り注いだようだ。

 テントから出た部員たちは逃げまどい、必死で陰のある場所を探した。しかし、太陽は限りなく真上にあり影ができている場所などなかった。仕方がないので多くの人はテントの横に腰掛け、風にあたりながら太陽が隠れるのを待った。私もあまりの暑さに夕飯までの間に水を1.5L近く消費してしまった。水が無料であることに感謝である。

 ガスに包まれたところにベンチがあったので、私たち3年生はそこに座りながら引退後の役職について話し合い、時間を潰した。

 この日も夕飯を作り始める直前に雨が降り始めた。いつもなら怖気づくところだが、南アルプスの午前中は晴れて午後は雨が降るという気候の特徴にも慣れ始めた私たちは臆することなく調理の準備を始めた。

 夕飯のメニューは味噌汁とご飯である。面倒くさいのでフリーズドライの味噌汁の素の上にご飯をのっけてその上からお湯をかけた。一見、邪道に見えるこの方法だが意外とおいしく頂ける(と個人的には思っている)。というのも、味噌汁の素が上手くお湯に溶け込まないがゆえに、ご飯と味噌が別々に存在できる。自分でつける味噌の量を調整しながらご飯を食することができるのだ。おそらく、この方法に不満を持った人がいたであろうが、雨が降っており素早い盛り付けが必要であったため、ご了承いただきたい。夕食のメニューがシンプルということもあり、食事の時間や片付けの時間も比較的短く抑えることができた。

 17:39にミーティングを行い、18:30に就寝した。



8月2日 〈5日目〉 晴れのち雨

 朝食は今回の合宿2回目の棒ラーメンである。相変わらず、苦手な人は調味油を入れないなどして工夫しながら口に運んだ。ただ標高が高く、夜に体が冷え込んだため、暖かい棒ラーメンはありがたかった。

 4:15に歩行を開始し、4:55に中白根山に登頂した。ここでずっと思っていた疑問が解消されることとなる。白峰三山を「しらねさんざん」と呼ぶ理由である。普通なら「しらみねさんざん」と呼ぶべきなのになぜそう呼ぶのか。先生がおっしゃるには、元々、白根三山と表記していたものが漢字だけ変化したというのだ。確かに中白根山と白根御池の呼び方は「しらね」であるが、漢字は「白根」である。実にややこしい話だ。「白根三山」の何が悪いのだろう。

 1回の休憩をはさみつつ、A隊は6:05に間ノ岳山頂に到着した。間ノ岳の山頂は広くガスっていると登山道から外れ右にそれやすいというが、晴れて視界がはっきりしているとその理由がよく分かった。

 山頂で2回目の休憩を済ませ、農鳥小屋へ下った。A隊が農鳥小屋を通過したのは7:03。順調に歩行で来ていたので吸水は行わなかった。

 そこから6分後に3回目の休憩を取った。目の前にある西農鳥岳の登りはかなり急そうであったので、念のため塩分チャージタブレットを配布して準備を整えた。

 西農鳥岳の登りはかなりきつかったようだ。後ろから時々息が切れる音が聞こえた。7:55に西農鳥岳山頂を通過し、下りに入った。西農鳥岳と農鳥岳の間にある下りは足元の安定しない岩場が多く真横は急坂で滑落するリスクが高かったため、慎重に進んだ。4回目の休憩を取った後、8:37に農鳥岳山頂に到着した。

 ここで昼食をとることにした。昼食はメロンパンとチーカマである。メロンパンはものの見事に平らになっており、もはや別の食べ物に見えた。だが、それはそれでおいしい。

 農鳥岳の山頂ではライチョウの姿を捉えることができた。ライチョウなら去年の夏合宿でも見ることができたが、その時は3羽程度であった。今回は群れで10羽近くいる群れである。先生は写真係に写真をとるように促すが、写真係は全員メロンパンを食べることに夢中で、ライチョウが一番多いタイミングを逃してしまった。しかし、何とか数羽でいるところを捉えられたので、ギリギリセーフである。

 今まで歩いた道の方を振り返ると、北岳の山頂付近はガスでおおわれていた。稜線を雨で歩くことにならないか心配しながら、9:07に出発し、この日のメインディッシュ、大門沢下降点に向かった。

 大門沢下降点には9:32に通過した。大門沢下降点には吹雪による滑落事故を伝える黄色い鐘があった。それだけ危険なところなのだろう。ここが日本一の悪路と呼ばれていることも知っていたから、気を引き締めた。

 大門沢下降点からの下りは、確かに日本一の悪路の名にふさわしい道であった。終始足場が安定せず、不安定な石の上に足を乗せてしまい転倒する部員もしばしばいた。かくいう私も何度から足を滑らせて転倒してしまった。ただ、ペースはあまり落とさなかった。ゆっくり歩くと、むしろ足をとどめる際に転倒することもあるからだ。かなりきつい人もいたかもしれないが、部員の緊張感を緩めないためにもここは我慢してもらった。

 その結果、コースタイムの1/2の時間で11:21に大門沢小屋に到着した。B隊の到着まで50分ほどあったので、その間テント場の近くにある湧水で顔を洗った。はじめに手が顔に触れた時の感触にぬめりを感じたのでおそらく相当汚れていたのだろう。とはいえ、顔を洗うとすっきりし、湧水を飲みながらB隊の到着を待った。

 この日の夕食はお茶漬けで、簡単ではあったのだが、米の吸水を始める前に雨が降り始めてしまった。少し雨が収まったので、小屋の水場で鍋に水を入れていると、横に座っていたおじさんと世間話になった。そこで、おじさんが「もう雨は降らない」となぜか断言するのである。正直、雲がまだ立ち込めていることもあり、はじめは全く信用しなかったのだが、実際もう雨は降らなかった。なぜ、分かったのか本当に不思議である。

 いずれにせよ、外で調理を行うことができるようになったのでひと安心である。さらに雨が上がったのと同時に、山の谷間に橋を架けるようにして虹がかかった。

 私は久しぶりに炊飯に復帰したのだが、恥ずかしい話、かなり焦げた飯を炊いてしまった。1、2年生の方が上手く炊けていたので、これで代替わり後も安心である。

 次の日が最終日かと思うと、私自身感慨深いものがあった。しかし、まだ油断してはいけないと自分に言い聞かせながら眠りについた。



8月3日 〈6日目〉 晴れ

 最終日の朝食は毎年恒例のジフィーズである。食器武器を使わなくてよいので、調理の時間はかかるものの片付けの時間を短縮することができ、早く撤収に入ることができた。撤収にかかる時間も6日間を通して、徐々に短くなっていた。この夏合宿を通して部全体が成長することができ良かったと思う。

 3:30に大門沢小屋を出発した。ただ、暗い中森を下るということもあり、とても道がわかりにくい。基本的に沢に沿って下るため、水の流れる音に常に耳を澄ませながらピンク色のテープと石に記された黄色い矢印をたどるように進んでいった。

 十分に注意したつもりだったのだが、目の前に草木が茂り、テープが見当たらなくなってしまった。道に迷ったのである。沢の存在は横にはっきり感じられたので正規ルートからそこまで外れていないことはわかったいたのだが、闇雲に動くわけにもいかない。先生と先生に先行していただき道を探したが、それらしいものは見当たらない。

 ひとまず、1回目の休憩をとりながら日が昇るのを待っていると、沢の方にいくつかのヘッドランプの明かりが通り過ぎていくのが見えた。先生方が確認に行ったところ、どうやら沢と隣接する形で道があったらしい。大幅に時間をロスしてしまったが、最後まで気を抜いてはいけない。

 峠で2回目の休憩を取った。そこからは一気に下り、途中、沢渡りや急な下りなどがあったものの、何とか乗り越えて、6:18に3回目の休憩を取った。

 再出発した直後につり橋を渡ると、人の手によって整備されたような道や建物が増えてきた。合宿前に心配されていた橋の倒壊は修理中で、しっかりと迂回路が作られていた。

 徐々にダムの関連施設なども見受けられるようになり、それに沿う形で下り、6:49に登山道入り口を通過、しばらく行くと土砂崩れで道がふさがっていたものの、迂回路を通って通過した。

 7:13に奈良田第一発電所を通過し、7:17に4回目の休憩を取った。既に車が横を通り、人家のぽつぽつと見受けられるようになってきていた。全体的に工事車両が多く、それとすれ違いながら、7:46に奈良田バス停に到着し、解散式を行った。

 事前に天気がかなり心配されていたが、歩行中には一切雨が降らなかったので、少なくとも前回に比べれば「日頃の行い」が良かったと言ってよいかもしれない。

 体力面に関しての心配はほとんどなかった。まさか1年生がこれほどの人数歩ききるとは思わなかったし、今の1年生は体力面だけを見れば、2、3年生の1年生時をはるかに凌駕しているに違いない。下りで少し遅れ気味の人もいたが、ついてくることはできていたうえ、今回でかなり成長していたように思える。今回、合宿にこられなかった人もリタイアしてしまった人も、今まで通りに練習すれば、来年の夏合宿は必ず踏破できるはずだ。

 ただ、必ずしも改善点がなかったわけではない。これほど大人数のパーティーとなると、指示をする側である上級生が何もかも目を配ることはできない(もちろん、上級生はそれを言い訳にしてはいけないし、できる限り目を配り、全ての責任を負わなければならないが)。そのため、それぞれが自分のことは自分でできるようにならなくてはならないのだ。忘れ物がないように個人装備を準備すること、体調管理をできる限り自分でできるようになることなどだ。私たちが引退した後も、新四役をはじめとした2年生がしっかり部を引っ張って行ってもらいたい。


《「稜線」第41号(2019年度)所載》



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