2018年 秋季第2回山行 山行記

筆者 I・B (2年生)

 今回の秋季第二山行でSLの私とCLのが選んだコースは、二年前の秋季第2回山行で先輩方が行ったコースと全く同じものである。というのも、あえて先輩方と同じコースを行くことで自分たちの代の特徴、長所、欠点を浮き彫りにできると考えたからである。

 コースとしては、1日目に奥多摩駅からバスでお祭バス停まで出て、三条の湯まで歩行。2日目に三条の湯から雲取山、白岩山、霧藻ヶ峰などを経由して三峰神社に出るコースである。土曜日が祝日で授業がないということもあり、1日目に歩行時間をとることもできた。

 私自身、今回の山行は秋季第1回のようには一筋縄でいかないと想定していたものの、当日になると、案の定、様々なハプニングが発生し、今の代の長所と短所両方を露呈する形になった。そういう意味では今のワンゲルに多くの課題を提示した今回の山行は、かなり意味のあるものだったと思う。



11月3日 (土) 〈1日目〉  晴れのち曇り

 今回の集合時間は、8:40に上石神井駅拝島方面ホームであったが、私はこの時刻より25分程早く着いた。なぜなら、早めについて昼食を買っておこうと思ったからである。土曜日ということもあって電車の中もさほど込み合ってはいなかった。

 ホームには早くも1年生のが到着しており、自分自身密かに一番を期待していたので少し残念であった。私は、駅の外にあるコンビニとパン屋で昼食を買った。

 ホームに戻ると部員が続々と集まりはじめ、5分もしない間に1年生は全員そろってしまった。話を聞いてみると、1年生の間では20分前に集合しようと話を合わせていたらしい。こういうところは今の1年生にはとても感心させられてしまう。私たち2年生も見習わなければと思わされてしまった。

 その後顧問の先生もいらっしゃり、2年生のR・Kも多摩モノレールの遅延があったものの電車の時刻には合流することができた。私たちは予定通り、9:02の急行拝島行に乗り、拝島駅で青梅線に乗り換え、青梅まで出た。

 青梅駅に着くと、向かいのホームにある奥多摩行の電車に乗り換えるわけだが、秋の行楽シーズンだということもあったのだろう。電車の中は先頭車両まですでに人で埋め尽くされていた。私の頭にも電車に乗れないのではないかという考えがよぎった。この電車を乗り過ごしてしまえば予定のバスに間に合うことは不可能だ。西東京バスの丹波行は本数が少ないから、これを逃すと奥多摩駅で1時間半ほど待ち惚けを食うことになる。

 だからこそ、何としても乗るしかない。私たちは隊を四つに分散させその一つ一つに2年生がついた。私は1年生の関口と龍見と共に、どうにか入り込めそうなドアからそれぞれ電車の中に飛び込んでいった。

 ところが、いざ電車の中に飛び込んでみると意外とすんなりと入り込めてしまった。どうやら、ドア付近に人が密集していたらしい。とはいっても、私たちのザックは大きくて重い。周りの方々の迷惑にならないよう、ザックを下ろし、体に密着させた。他のグループも電車に乗り込めたようである。

 奥多摩駅に着くとすぐさまバス停に向かった。私たちにとって次の難関はバスに乗れるか? というところであった。これだけ電車に乗り込む人がいるということは、それと比例する形でバスの乗客も増えるはずだ。

 予想は見事的中した。奥多摩駅を出ると、奥多摩10丹波行のバス乗り場には長蛇の列が形成されていた。私だけでなく、部員全員がこの便に乗ることはできないと思ったことだろう。もちろん、3、4人なら乗り込めたかもしれないが、さすがに13人全員が乗るには無理があった。

 しかし、結果として私たちはこの便に乗ることができた。というのは、乗客の半分近くが奥多摩湖に向かう観光客で、運転手さんが奥多摩湖に向かう人を別の便に誘導してくださったからだ。私たちは、運転手さんや違うバスに移っていった方々に感謝しながらバスに乗り込んだ。

 ただ、バスの中は依然として満員状態で少しでも触れたら感電死しそうなぐらいピリピリとした空気が流れていた。そして何より、その中で全員に気を使わなければならない運転手さんはとても大変そうであった。今回の山行を2年前と同じコースにしたのは考えあってのことだが、次からはもう少し公共交通機関の込み具合は考慮しなければならないと主将として反省させられた。

 予定より15分遅れてお祭バス停に到着したのが、11:48のこと。ただ、歩行時間に関してはかなり余裕を持っているので心配する必要はない。私たちはそこで昼食をとった。

 電車とバスの長旅で1年生が疲れていないか心配であったが、みんな楽しそうに談笑しながら食事をしていたので安心した。この後、準備運動を終えて歩行を開始したのが12:15。同じくバス停で休んでいた登山客の方に見送られながら登山口に入っていった。

 この日の三条の湯までのルートはほとんどが林道である。もちろん、登山道に比べればはるかに歩きやすいが油断は禁物。私はB隊の先頭としてA隊のすぐ後ろをついていく形で歩行を開始した。1回目の歩行は問題なく行うことができた。ペースは遅すぎず早すぎず、コースタイムよりは15分〜20分ほど早い。

 そして、2回目の歩行。ここで突如CLのがペースを上げ始めた。1回目はまだ体が思うように動かなかったそうだが、2回目で本調子が戻ってきたという。徐々に加速しはじめ気づけばとんでもないスピードになっていた。私がワンゲルにいた2年間で間違いなく最速のスピードだった。Fは普段のラントレでもワンゲル随一のスピードを誇っており、「マスター」という異名を持ち、1年生から恐れられてた。だから、今回の加速も部員たちにしてみれば想定内のことだったに違いない。

 そして、今までの山行なら間違いなく先生のストップがかかっていたはずだが、今回はそれがなかった。というのも、Fのスピードに全員がしっかりついていっていたからだ。これは部全体の体力がしっかりとついてきていることの表れだった。

 今まで1年生の間で大きな課題だったのが体力不足だ。今までのワンゲルの中では異例の11人という人数は、1年生の中での体力に大きなばらつきを生んでしまった。そこで2年生同士で話し合い練習メニューを少しずつ再検討していくことにした。ランニングの量や走り方を変えるなど、1年生には少しきついメニューだったかもしれない。だが、その甲斐あってか、今回の山行では練習の成果を目の当たりにすることができた。

 後山川林道終点を通過し、山道に入ってしばらくすると、焦げたような臭いが目の前から流れてくるのを感じた。この日の目的地である三条の湯に近づいてきたのだ。

 三条の湯は谷底を流れる小さな沢に沿ってキャンプ場が広がっており、そこから少し登った上流に山小屋が作られていた。全体として高低差があり、見晴らしがよく、急坂の上に建てられた山小屋は小さいながらも荘厳さがあった。2年生の間では、機会があれば小屋泊でまた訪れてみたいという話になるほど景色の良い場所であった。到着したのが14:49。コースタイムよりも1時間半近くも早い到着だった。

 ただ、この日はそんな景色をゆっくり眺めている暇などなかった。山と高原の地図に書いてある三条の湯で張れるテントは20張なのだが、私たちが到着した時点ですでにテントは少なくとも30張以上は立っていた。素早く受付を済ませると、急いで幕営場所の確保に向かった。結局、新ジャンはかなり下流に立てざるを得ず、旧ジャンは小屋に近い上流に立てたものの、誰もテントを張らないような坂の上に立てたため、かなり不安定だった。そんなこともあって幕営にかなり時間を要してしまったが、気象通報の始まる16時までには幕営を完了することができた。

 幕営が終了すると、気象係は新ジャンにて天気図の作成に取り掛かり、炊飯係は旧ジャンにて炊飯の準備に取り掛かった。炊飯は調理よりもはるかに時間を要するため、炊飯の時間に合わせて調理が行われる。そのため、夕方の行動においてどれだけ炊飯を素早く行えるかが重要になってくるのだ。

 今回は人数が少ないということもあり、普段三つ使っていたコッフェルも二つになったため、結果的にかなり素早く炊飯が行えたように感じた。どちらもアルミコッフェルを用いているといいうこともあって、飯の出来具合に失敗はほぼない。どちらかといえば、今の問題はいかに焦げを減らすことができるかだ。一つ目のコッフェルは、焦げは少なく、いい意味でのおこげが出来上がる具合で悪くなかったものの、もう一方には焦げが目立ってしまっている印象であった。最近、新しくアルミコッフェルを購入したということもあって、コッフェルを長持ちさせるという意味でも、調理実習などを行うことで炊飯の技術を向上させて、コッフェルを長持ちさせていきたい。

 今回の夕食は牛丼であった。牛肉と玉ねぎをすき焼きのたれだけで味付けするというシンプルなものだが、山の中で食べると何でもおいしい。

 こうして、1日目は本来の予定通り19時に就寝することができたものの、実際に眠りにつけたわけではない。私の入った旧ジャンはただでさえ限界人数の6人なのにもかかわらず、地面は坂になっているため、寝るスペースを確保するのが難しかったのである。

 とりあえず、一番低い位置にザックをまとめてその上に頭を一番高い位置にもっていく形で全員が並んで寝ることを試みた。しかしながら、石の突起物が邪魔するなどしてスペースを確保できない。そこで、私がザックの上で他の部員と垂直になる形で寝ることでようやく全員のスペースを確保できた。

 しかし、テントの中心部の地面には大きな岩があり、板のようになって部員の眠りを阻害した。土と違い摩擦の少ない岩は傾きのある地面から部員を幾度となく滑り落としたのである。そのため、2年生のM・Kと1年生のの足が就寝中の私を襲った。私は体をザックの上の高い位置に避難させ危機を逃れた。

 結果的に、私はザックがソファのようになってとても眠りやすかった。この時期の寒さも不安だったものの、思っていたよりも寒くはならず、よく眠ることができた



11月4日 (日)
 〈2日目〉  曇り一時雨

 この日の起床時間は3:00である。あたりはまだ暗く、テント泊の登山客のほとんどがまだ目覚めていない時刻だ。私たちは外で味噌汁用の湯を沸かし始めた。朝食は味噌汁とスティックパン。実に絶妙な組み合わせである。

 ワンゲルの食事の中で最も入れ替わりが激しいのが朝食である。古参で定番の棒ラーメンは数年前から重いという理由で勢力を弱め、新興勢力であるリッツやスティックパンが台頭する裏で滅亡寸前まで追い込まれていた。

 しかし今年の夏合宿、5日間の山行でさすがにネタ切れだったのだろう。1日だけ棒ラーメンが復活する日があった。棒ラーメンを知らない私たち2年生や1年生の中からは棒ラーメンのおいしさに感動し復活させようとする動きが活発化。現在の朝食は棒ラーメン、リッツ、スティックパンが鎬を削る三国志時代に突入したのである。

 今回は麺をゆでる時間の短縮を考えスティックパンにしたものの、昼食もパンであることや二人分はあるスティックパン一袋をひとりで平らげるのは大変だという観点を考慮するとスティックパンは勢力を弱めていくことは考えられる。リッツにはスープをオニオンコンソメにするという条件でまだ多少の支持層はいるものの、やはり一番は棒ラーメン。これからも部内で朝食については勘案していかなければならない。

 撤収が終了したのが4:17。本来は4:00撤収を目標としていたが、遅れてしまった。確かにテントの立地やA隊B隊が離れて幕営をしていたため連携がうまくいかないという点はあったものの、全員がしっかり連携すれば間に合わない時間ではなかった気がする。私たち2年生はもう少し部全体を見て指示を、1年生は率先して行動していく必要があるように思えた。

 A隊とB隊は別々に朝食、撤収をおこなったため、テント場の上にある山小屋のそばで集合する手はずになっていた。そこで合流した両隊は、トイレを済ますことや靴紐の結び具合をチェックする最終準備を行っていた。すると、突然1年生がヘッドランプを消しだした。何事かと思ったが、どうやら星空を眺めていたらしい。私もヘッドランプを消して空を眺めた。都心とは違い、空全体に星の光が散らばっていることがわかる。その中でひと際輝いていたのがオリオン座だった。こんな些細な楽しみを見つけると私はワンゲルに入ってよかったなといつも思う。

 やがて準備体操が終わり、4:37に三条の湯を出発した。本来4:30出発を目標としていたため少し遅れてしまったものの、十分余裕を持った時間であることには変わりがない。私たちは橙色の光が窓からこぼれる山小屋を通り過ぎて登山道に入っていく。山小屋の中では朝食の準備で忙しそうだった。ハプニングはたくさんあったものの、すごく景観の良いキャンプ場だった。

 登山道に入ると、木々の間からわずかに月光がこぼれるのみであたりは暗闇でおおわれていた。視界はほぼヘッドランプが映すものだけ、音は私たちの足音だけだ。私はまるで地球から遠く離れた未知の惑星を歩いている気分になった。おそらく私たちが通るまで、道に積もった落ち葉は一晩中変わらない状態でそこに存在していたのだろう。私は自然が持つある種の均衡を壊したような不思議な感覚を覚えた。だが、決して悪い感覚ではない。それは、私たちがはっきりと前を進んでいる、自然の中ではっきりと立っていることの証明、そんな気がした。

 私たちが道に積もる落ち葉を砕く音を色で形容するならそれは限りなく黄色に近い茶色だろう。コンビニおにぎりの海苔のように歯切れよく砕けるのではない。少し湿った落ち葉は鈍く中途半端に砕ける。そんな限りなく黄色に近い茶色が真っ白なパレットの中に軽やかに描かれるのだ。夜明け前の山の中には音がほとんどなかった。だから、音を音として私たちははっきりとらえることができる。東京の都心ではそうはいかない。車の走る音、換気扇の回る音、どこからか鳴る機械音。あらゆる音がパレットを汚し、音を音として認識できなくさせる。私たちの捉える音はパレットにしみこんだ色が音を不純物に変えてしまう。

 そんなどうでもいいことを考えている間に、気づけば青岩鍾乳洞分岐を通過していたようだ。そもそも青岩鍾乳洞分岐はほぼ分岐としての意味をなしていないから発見できなくても仕様がない。ただ、鍾乳洞までは現在通行止めといわれると一体どんなところなのか気になってしまう。

 1本目はかなりいいペースで終えることができた。
 しかし続く2本目の歩行、本来のルートが落石か何かで通行止めになっており迂回せざるを得なかった。ちょうど水無尾根のところだ。そのためかなり激しいアップダウンを繰り返し一度だけ道を間違えてしまった。SLとして、このような場面でCLを助けられるとよかったのだが、どうしてもA隊についていくことに甘えてしまった。もうすこし注意を払っておくべきだった。

 そして2本目の歩行終了直前、私たちの周りにガスが立ち込めてきた。ちょうど日が出始め、徐々に辺りの景色が見え始めた直後の出来事だった。冷たい風が横から吹き付け、私たちを襲う。2回目の休憩は少し風を避けながらせざるを得なかった。

 天気予報では晴れるはずだったのだが、山の天気はわからない。3本目の歩行が始まった直後、CLのFがザックカバーと雨具の着用を指示した。雨が強くなってきたのだ。

 4本目の歩行に入ると雨はさらに強くなってきた。それに加えて、登りもどんどん急になってきており、部員たちの表情も明らかに険しくなってきた。秋季第1回山行の大菩薩嶺での登りはかなり少ないものであり、夏合宿や7月山行から数えれば3か月ぶりの本格的な登りである。それに、1年生にとっては初めての雨天歩行である。そういう私たち2年生も去年の7月山行一度っきりだ。そして、その時は下りの本当に終盤だった。隊全体のモチベーションが下がるのも無理はない。

 だが、そんな時こそポジティブに気を引き締めなければならない。だんだんとペースの落ちている部員たちに対してA先生から檄が飛ぶ。私もB隊の部員たちに声をかけ、気を引き締めようと心掛けた。

 このようにして8:12に雲取山の山頂に到着した。残念ながら、相変わらずガスっていて風景はよく見えない。その辺りの失望と登りの歩行で疲れ果て気が緩んでいたのだろう。ここで事件は起こった。

 雲取山の山頂で昼食をとることになったのだが、雨風が強いということもあり避難小屋の中で食事をすることになった。ただ、すでに中では別の登山客の方が何人かいらっしゃり、入り口付近の椅子周辺で靴を履いたまま食べるか、靴を脱いで避難小屋の奥にある広間で食べるかで部員の意見は半分に分かれた。

 本来は私たち2年生がこの場をまとめしっかりと指示を出すべきだったのだが、部員の間でいつまでも言い合いが続いていたのでA先生からの厳しい注意が飛んだ。さらに避難小屋での大人数の食事は迷惑になるためだらだら食事をしないということに関しても注意をされた。

 1年生は、今までのワンゲルの中で見れば、意見をはっきり言う世代なのは確かである。それが良い方向へ向くこともあれば悪い方向へ向くこともある。今回の場合、私たち2年生が悪い方向へ向かわないよう、きちんとまとめるべきだったのだ。

 今回の山行で浮き彫りになった一番の課題はここだと思う。今のワンゲルの雰囲気だ。今の代はこれまでに比べて人数も多く、みんな意見をはっきり言うことができる。そのため、部内での話し合いでも様々なアイディアが出て有意義なものになっている。人数が多く難しくなった情報共有もしっかりできていて、部員一人一人がしっかり考えて行動してくれている。

 たが、人数が多く、意見が多く出る分、部全体としてのまとまりに収拾がつかなくなっている部分があるのだ。普段の練習ならあまり問題はないのだが、山の中でこれが起こってしまえば、今回のケースのように山行自体に支障が出てしまう。もちろん、1年生にもその点に関してはしっかりと意識を持ってほしい。ただ、その一方で、私たち2年生も11人の後輩をまとめられるよう、しっかりとしたリーダーシップをとらなければならないと思う。主将である私にとってはなおさらだ。

 昼食はいつも通りのパン、ハム、ベーコン、はちみつ、ツナマヨ、コーンツナ、ピザソース、フルーツ缶である。はちみつは前回と同じシリーズの違うバージョンに変えてみた。前回はカナダ産だったのを今回は少し安いアルゼンチン産にしたのだ。食べ比べてみると、アルゼンチン産の方がビターでコクがあっておいしいと個人的には感じた。安くてうまいなら文句はないから、次からはアルゼンチン産にしようと思う。

 ピザソースは前回の山行で初めて導入したが、導入に際して私が半ば強制的に行ったという経緯があり、はじめはあまり期待されていなかった。ところが、味は意外に好評で、顧問のM先生からもお墨付きをいただいたということもあり、今回正式にレギュラーとして導入されることとなった。ピザソース最大の利点は、油分多めの昼食の中ではトマトベースの優しい味付けであるということ。不足しがちな野菜も摂取することができる。これからも反対運動が起こらなければ導入していきたいと考えている。

 食事に関しては先生から注意をいただいたということもあり、後半の歩行にはより一層気を引き締めなければならないと思いながら、私たちは雲取山の山頂で再び隊列を組みなおした。依然として風雨は私たちを打ち付け、ガスが周りを覆う。

 9:01、後半の歩行が始まった。20分後、雲取山荘に到着するとA隊の全員とB隊の半分ほどがトイレ休憩をとった。どうやら雲取山荘は日本最高峰の水洗トイレらしく、ここで用を足した部員たちはさぞかし心地よかったことだろう。(もちろん大きい方。)

 すると北側の雲が払われて、少しだけ青空が顔を出した。山を下ってきているということもあるだろうが、天気が好転してきているのも確かだ。トイレが済むのを待っている間、1年生のSがこんなことを言った。「天気が好転してきているのは、A先生の喝を受けて部員の姿勢が引き締まってきたからだ」と。私もあながち間違っていないなと思った。

 A先生は常に部員に「日頃の行い」をしっかりするようおっしゃってきた。それが山での天気やあらゆる事象に結びつくのだと。一見根拠がないように思えるが、これが意外とその通りに物事が動くのだ。それは私たちの捉え方の問題なのかもしれない。ただ、正直、それが正しいかどうかはどうでもよいと思う。そう信じて行動することに意味があるのだ。

 再出発する際には、A隊とかなり間隔を開けることにした。少し間隔をあけるだけではすぐA隊に追いついてしまい、一定のペースをキープすることができなかったからだ。ちょうど、写真係のNもいたため、B隊は写真を撮りながら自分たちのペースで進むことにしした。

 4回目の休憩終了間近、ちょうどA隊が出発する時だった。後ろで何やら騒ぎ声がした。振り返ってみると、一頭の鹿がこちらを見つめていた。その距離は5mにも満たなかっただろう。私は山の中で動物に出会うのが好きだ。動物園で出会う動物とはどうしてもこちらが上位の関係として向かい合ってしまう。しかし、山ではどちらも一頭の動物として対等に向き合うことができる。鹿はしばらくこちらを見つめると走り出したものの、私たちが気になってしょうがないのだろう、私たちが出発するまでたいして距離をあけずにこちらを見つめ続けていた。この後、木々に黒いネットがかぶせてあったが、それは鹿が木の皮を食べないようにしているのだろう。

 5回目の休憩は白岩山の山頂で行った。雲取山を登った後の登りであったため1年生は少々きつそうであったが、登頂するとすぐに元気を取り戻していた。ここでも一応記念写真をとっておいた。雲取山の下山を開始してからも天気はどっちつかずであったが、ここにきてやっと安定してきたようであった。ここからは下り中心のコースであるが、油断してはいけない。事故は下りの方が多く起こるのだ。そう部員に言い聞かせると同時に自分の肝に銘じた。

 そこからは天気も良くなり、景色が見えるようになってきたので、に写真を撮ってもらいながら歩行を続けた。木々の隙間から見える稜線や秩父宮の石碑、とりあえず撮れそうなものは撮った。今回の山行で撮影した写真はちょうど100枚であるというから学院際の展示にも困らなそうでありがたい限りだ。

 気づけば7回目の休憩になり、部員たちも到着時刻を意識し始めた。計画書に書いてあるバスの時刻は14:30から1時間ずつ。ただこの時の時刻は13:00。急げば13:30に間に合うのではないかという期待が部員たちの頭に生まれた。もちろん、焦りすぎてはいけない。焦りすぎは冷静さを欠き、事故につながる。しかしどうしてもペースが上がってしまう。B隊もここまでくればA隊と合流した方が良いと考え、A隊と完全に合流することにした。私たちは必死に歩いた。誰もしゃべらず、13:24に妙法ヶ岳分岐通過、13:34に三峰神社に到着した。三峰神社周辺は私が想像していたものよりはるかに観光地化が進んでおり、外国人をはじめとした観光客が多くいた。

 私たちは、13:44に解散式を終了して、それぞれが帰途についた。余談だが、私たちが必死で乗ろうとした13:30のバスは存在していなかった。実におかしな話だ。一時間おきにバスが来るのは14:30からだったみたいである。ただ、バスは観光客で行列ができていたため結果的に早くつけたことは都合がよかった。

 今回の山行は2週間前の大菩薩と違い、ハプニングの連続だった。だが、そこから今のワンゲルの問題点や課題を発見できたため価値のある山行になったと思う。

 まず、部全体の体力が着実に上がっていることを実感できたことが個人的には一番うれしい。これから冬場になると山行もなくなり、いかに練習を継続していくかが重要になってくる。まだまだ体力も満足にあるわけではないので、部全体でアイディアを出し合いながらより良い練習体制を作り上げていきたい。

 雨の中の歩行を体験できたことも良い経験になったと思う。1年生にとっては初めてであったし、2年生にとっては1年半ぶりだ。雨の中でいかにモチベーションを保ち、冷静に且つ集中して登山に臨めるか。部員一人一人が考えるきっかけになったと思う。

 課題としては部員の数が多いことによって部がまとまらなくなってしまうことだ。だからといって上級生が一方的に話を進めるのも違う。全員の意見を尊重して話し合ってこの部活を作り上げていきたいというのが主将としての私の願いだ。その兼ね合いに関しては部員一人一人が周りの状況を判断してお互いの意見を尊重できるようにならねばならない。私も今まで以上に周りをよく見て物事を判断して適切に指示が出せるようになりたいと思わされた山行だった。


《「稜線」第41号(2019年度)所載》


三条の湯の幕営地 雲取山山頂にて

鹿 白岩山山頂にて


紅葉した尾根道 (前白岩とお清平の間) 北西の方角を望む (右奥は両神山)



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