2017年 夏合宿 山行記

筆者 Y・B (3年生)

7月28日 〈1日目〉 雨

 朝、新宿駅に一番乗りで到着した私の目に映ったのは多くの登山客である。いつも集まっている場所は既に他のグループに占拠されており、私は仕方なく少し離れたところにザックをおろした。周囲はサブザックを背負った登山客ばかりで、私たちほど大きな荷物を持っていた人間はおらず、夏合宿初へ向かう私はその厳しさを想像していた。

 そんな事を考えていると、後ろから「おはよう」と言う声とともにNがやって来て、それからものの10分で全員が集まった。メンバーは3年生全員との計7人と先生方。M・KR・Kは前日に体調不良の報告を受けていて、は当日朝に寒気を感じたため不参加であった。仕方の無いことではあるが、1年生が少ないのは残念である。私も含めて何人かはザックとは別に、手にトートバックを持っていて、各々、重い重いと口にしていた。3年生は今までの夏合宿で一番重いと言っていたが、これを背負って山に登ることを考えると体力面など様々な不安に襲われた。

 初日の行程は、移動だけとはいえ、電車やバスに乗っている時間は長い。8:00発のスーパーあずさに乗り、甲府で降りる。非常に天気に恵まれ、厳しい日差しの中、広河原行のバスを待つ。ここから長衛小屋までは2時間半の長旅となる。バスは他の登山客でいっぱいで、広河原から北沢峠までのバス内はザックを持った客ですし詰め状態だった。

 北沢峠に到着し、ザックのかつてない程の重さに不安を感じながら長衛小屋までの坂道を下ると、空が急に曇り始めた。山の天気は変わりやすいというが、急に陰りを見せ始めた空に気を配りつつ、急いで設営と食事の準備を済ませると、いよいよ雨が降り始めてきた。

 その後は降ったりやんだりの繰り返しで、テント内での夕食となった。この日のメニューはもうおなじみとなったハヤシライスである。おなじみとはいえ、三回連続ともなるとさすがに飽きが来る。白いルーを見たかったのは私だけではないはずだ。ここで持ってきたラップがその真価を発揮した。先生には荷物になるだけではないかと指摘されたが、結果的に食器を拭く時のペーパーの使用量を抑えられるので個人的にはありだと思う。

 夕食を済ませミーティングは17:30から行った。気象のは明日の天気について予想がしづらいと言っていて、歩行時の雨に備えて雨具はすぐ出せるところに置いておくようCLから指示があった。歩行本番を前にして、明日の快晴を祈って眠りについた。


筆者 Ru・M (3年生)

7月29日 〈2日目〉 曇り

 3:00に起床した時、外は既に雨の中にあった。予測していたとはいえ気が重くなる。しかし、最初からネガティブな気持ちでいては元も子もないので、重い体を起こし、3:10に朝食をとった。今日の朝食はオレオとコーンスープ。昨年度までの棒ラーメンやうどんに比べればかなり気が楽ではあるが、オレオの甘みが重く感じる部員も多いらしく、前日にオレオが大好きだと言っていたも食が進まない様子であった。

 3:30に朝食を終え、朝から体調が優れない先生とともにテントに残し、4:15には各自雨具を着用し、テントの外に出た。こんな時のために私は冬季山行の際に購入したスパッツを着用した。行動開始の時点からそこそこ強い雨が降っているというのは初めての体験であったが、一昨年と同じ場所を歩くということもあり、気合を入れて準備運動をし、4:30から行動を開始した。

 暫く歩くと、が体調不良を訴え始めた。元来早朝の一本目に弱い体質であることは部員間では承知のことであったが、どうやら今回は本人曰く緊張から来る過呼吸になってしまったと言う。最後の山行であることやCL、主将の重圧を考慮すれば無理もないことだった。相談して往路はSLのが代わりに先頭を歩くことになった。後にが「本当に助かった」と振り返っていたが、こういう事態の時に仲間の助けは必要不可欠である。重大な役割を果たしてくれたには私からも感謝の念を表したい。

 雨に降られてはいたものの、その後は特に体調を崩す者や怪我人もなく、6:36に藪沢小屋、6:54に馬の背ヒュッテを通過した。植物を柵で囲った道や、森林限界を越えた景色(ガスで殆ど見えなかったが)を眺めつつ歩いていると、一昨年の微かな記憶がよみがえる。頂上につくまで感慨に浸るのはまだ早いと自分を戒めつつも、懐かしいものを感じずにはいられなかった。

 7:46には仙丈小屋で水汲みの小休止を取った。ここからは仙丈ヶ岳まで一気に登る道である。気を引き締めて歩を進め、8:12には仙丈ヶ岳山頂に到着した。山頂では曇り続きの中、奇跡的に一瞬晴れ間が顔を出し、私は思いもよらぬ幸運に感謝した。一昨年のあの壮大な景色は見られなかったものの、何だかワンゲル部と私の原点に戻ってきたような心持がしたのだった。

 写真撮影と休憩を終えた後、昼食を摂るべく小仙丈ヶ岳に向かった。ここからは体調が回復したが再び先頭を歩いた。実は恥ずかしながら私は一昨年、小仙丈ヶ岳に到着しパーティが止まる数歩前で気を抜いてしまい転倒したことがある。同じ過ちは繰り返すまい。9:00に小仙丈ヶ岳山頂に到着した時、私はその地面をしっかりと踏みしめた。昼食は菓子パンとしてメロンパンを取った。大抵の部員(私も含む)が持ってくる際にかさを減らすために潰してしまい、平べったい物体を揃って齧るという些か奇妙な光景になってしまったが、これも山行ならではだろう。

 昼食を早々に済ませ、9:25には行動を開始した。藪沢・小仙丈分岐を9:56に通過し、長衛小屋に10:56に到着する好ペースで仙丈ヶ岳ピストンは終わった。ここでテントで待機していたは、体調回復の見込みがないとのことでパーティを離脱することになった。これにより最後の山行であるにも関わらず1年生が一人もいない状況になってしまうことになる。今年の1年生は体力的に問題ない面々であったため残念である。仕方がないとはいえ、1年生には今後気をつけてもらいたいものだ。

 11:40に撤収を開始、11:47に撤収を終え、長衛小屋を11:56に出て、12:06にバス停に到着した。ここで荷物を詰め替え、13:00のバスに乗り、13:29に広河原バス停に到着、13:32にはと分かれて行動を開始した。先生には馬場に付き添っていただき、再び戻ってきてくださることになった。

 13:36に広河原山荘に到着し幕営を開始した。小雨にもかかわらず10分ほどで幕営を終え、炊飯の時間まで各自自由時間を過ごした。炊飯の準備が始まった後、私は予定通り16:00に気象の記録を取り始めたが、正直な所あまりいい予測はできないようだった。台風に情報が集中しているせいで気圧の情報が薄く、十分な天気図が書けないのも不安材料の1つだった。

 16:46に摂り始めたこの日の夕食はお茶漬けと味噌汁だった。汁物被り、というのは禁句のようだが、あっさりした味で美味しかった。食事係の負担が少ないのは納得行かないとはいえ、行動後にはありがたい食事である。

 16:53に夕食を終え、17:30にミーティングを開始した。明日の気象のことも考慮し、翌日は行動を1時間遅らせることにした。

 Bの離脱に伴いジャンボテント1つとなったテントの中で身体を寄せ合いながら、私は明日の行動への一抹の不安を振り切るようにして目を閉じた。


筆者 Ry・M (3年生)

7月30日
〈3日目〉 雨のち晴れ

 今日は、予定歩行時間が短いのと前日の歩行の疲れが溜まっていることを考慮して5時の起床となった。今日の朝食はビスケットとオニオンスープ。私は山行での朝食が苦手なので、今回採用した比較的さっぱりした味わいのオニオンスープは胃に負担がかからず相性が良いのではないか、とすこしばかり期待をしていた。しかし、いざ食べ始めるとすぐに胃に違和感が……。結局私の体は朝食を受け入れず、なんとかビスケットを数枚とスープを一杯腹に入れて朝食を済ませた。

 そして、6:05に撤収を開始。5分で完了し、にわかに雨が降っていたので、全員雨具を着用して、白根御池小屋に向けて歩行開始。この登りはコースタイムで行けば、25分で分岐に出てそこから2時間10分で白根御池小屋に至る、という非常に短い行程だ。

 しかし前日のサブザックでの歩行とは違い、いよいよ本合宿初めてのメインザックでの歩行となるため、昨日から部員の中で話題にはあがっていたのだが、ついに登り始めるとなるといよいよパーティ全体に緊張の色が浮かんだ。かくいう私も、ここまでの部員の体調不良や微妙な天気などもあって、この登りが今回の五泊六日の合宿がうまくいくかどうかを決める最も大事な場面の一つではないか、などと考えていた。

 歩行一本目。歩き出しはCLののペースが良く、特にSLとして進言する事もなく順調に歩を進めた。しかし歩行開始から20分くらいが経過したあたりで私の腹部に違和感が。初めは腸が活発になっただけかと思い我慢していたのだが、暫くするとなにやら吐き気を催してきた。

 流石に我慢ができなくなり一時隊を止めるようNに伝え、私の様子を見るという事で歩行開始から40分のところで休憩を入れた。体調管理には気を配っていたのだが、やはり朝をあまり食べなかったせいだろうか。とにかく栄養を入れるため持参した携帯食料を食べ、腹部の調子がある程度戻ったところで、7:28に行動を再開。隊に遅れを生じさせてしまい申し訳なく思う。

 その後は順調に歩いていたのだが、途中我々は山岳救助隊に搬送される高齢の登山者の方や、足を負傷したのか松葉杖を使って下山する方とすれ違った。私はこの二年半色々な山に登ってきたが、救助隊に運ばれるほどの怪我人を山で見たのはこれが初めてだった。実は5日目の行程の際も滑落しかけ頭を負傷してしまった方とすれ違うのだが、とにかく、私は改めて「山に登る」ことは常に危険と隣り合わせなのだと実感し再度気を引き締め直した。

 そして、9:18に白根御池小屋に到着。全員そこそこの疲労が見られたが、無事に行程を完了できたのはNのペースが良かったことに起因するのだろう。明日以降もぜひこの調子でやっていってほしい。

 すこし休憩を取り幕営開始。流石に二年生と三年生だけなので幕営は手早く済ませ、そのまま水汲みや昼食の材料を揃えて昼食準備をする。

 昼食はパスタを食べた。味は三種類から選べたため各々食べたい味を選んだようだ。私と二年生のはカニクリームパスタにしたのだがこれがなかなか美味しい。特にはこの味をとても気に入ったようで、家に帰ったらまずこれをもう一度食べたいと山行中何度も言っていた。

 昼食後は各自自由時間を過ごし、16:44に夕食へ。夕食の麻婆豆腐は、の大好物なのだそうだ。今回は乾燥した状態からそのまま料理に使えるため高野豆腐を採用。高野豆腐が麻婆の汁気を吸ってしまい若干味が濃くなってしまったが、今回飯がすこし芯の残る残念な結果となってしまったため、味が濃い方が食べやすかったので良かったと思う。

 そして、17:30にミーティングを済ませ、明日は日本二位の山に登るのだ、という期待と不安を背負いながら私は眠りについた。


筆者 R・N (3年生)

7月31日 〈4日目〉 快晴

 合宿4日目の7月31日は、広河原から始まった1700m直登の2日目として、白根御池小屋から草スベリを経由して北岳を目指す。

 朝起きた。というより起こされた。隣の高校生のパーティが2時起きで騒ぎ始めていた。笑い声や悲鳴が白根御池に響き渡る。なかなか心象の悪い朝になったが、「星がキレイだね」という外からの一言でみんなの顔色が変わった。テントから首を出して見上げてみる。素晴らしい。プラネタリウムみたいだと言いたいが、その表現はむしろ星空に失礼だと感じるくらいに圧倒的な満天の星空だった。ここに来てようやく晴れたかという安堵がジャンボテントを支配した。

 ただ、そんな安堵とは裏腹に私の朝の気分は絶不調だった。いつも極端に朝が弱い私だが、この日はいつも以上に寒気に襲われて身体が重く感じられた。昨日の夜に消灯時間ギリギリまで遊んでいたことを後悔する。結局、先生と相談して出発を少し遅らせてもらった。朝食が終わって寝込んでいる時はものすごい自責の念に駆られていたが、その間にみんなが私の荷物を詰めていてくれてとても心強かった。結局、食事後の休憩で回復し予定通り草スベリに向かって歩きはじめた。

 草スベリは文字通り草だらけの滑りやすい悪路が続き、前日同様の非常に急峻な直登であった。昨日の歩行のペースを思い出し、ここでもパーティを止めないようにゆっくりと歩いた。この時私の支えになったのは上を見上げると草の間から見える雲一つない快晴だった。全行程のメインディッシュともいえる北岳にこんな快晴の中登れることにこの上ない喜びを感じ、自然と足が前に出ていった。

 森林限界を越えると、帽子とタオルを着用しながらひたすら直登に食らいつき、コースタイムが2時間30分の区間を1時間30分程度で登りきった。これはなかなかの爆速登山だと思った。1時間30分というと同区間の下りのコースタイムくらいである。昨日の広河原―白根御池間の歩行もそうだったが、パーティを止めずにゆっくり慎重に歩くと、気付けばコースタイムを大幅に上回る好タイムになっている。小太郎尾根分岐をもって直登に別れを告げると、いよいよ北岳までの稜線に乗って頂上を目指した。

 途中の北岳肩の小屋に到着すると、先生にアドバイスをいただいた通り、既に水を消費している部員は水を補給しようとした。しかし、肩の小屋の主人曰く、肩の小屋から水場までは往復30分かかり、小屋で水を補給する場合は購入になってしまうことを教えてもらった。肩の小屋の水が有料だったのは想定外だったので、急遽、肩の小屋での水補給を諦めて、北岳までの最後の登りに挑んだ。

 と声を掛け合いながらパーティの気を引き締めつつ、岩場の道を一歩ずつ進み、鎖付きの岩場を何回か超えると、北岳の頂上が姿を表した。最後は気合だとみんなを鼓舞したが、それ以上に自分の心も鼓舞された。やっとの思いで頂上に着くとすぐに写真撮影をした。東側から徐々にガスがあがってきていたので、看板とともに仙丈ヶ岳を背に西側で写真を撮った。東側のガスが晴れることを期待しつつ時間稼ぎも兼ねて北岳で昼食を摂ることにした。すると一瞬だけガスが晴れて東側の富士山が姿を現した。Bはここぞとばかりにシャッターを切っていた。卒業アルバムに使う写真も撮影し、少し遅くなってしまったが、9時半ごろに北岳山荘へと再び歩き始めた。

 北岳山荘へ到着すると、すぐに飲用可能な蛇口があることに気づいた。どうやら北岳山荘の水は無料化されたらしい。非常に有り難い。と私で一番乗りにテント場のチェックインを済ませてテントを設営した。森林限界の上は日差しがカンカン照りで、とても蒸し暑いテント内に入ろうという気にはならなかったので、テントは乾燥も兼ねてそのまま放置し、横の斜面で銀マットや雨具なその装備を乾かした。

 しばらくしてテントに戻ると、私たちは気の緩みから昨日注意されたばかりのゲームを始めてしまった。しばらくすると先生がテントにやってきて再び注意された。本来休息するべき時間にゲームをやっていた上に、そのゲームの内容が先生方を不快にさせてしまった。1年生がいなくなり、テントも一つになっていたところで、徐々に2年生と3年生の間で馴れ合いの雰囲気が出来てしまっていた。部活で山に来ている私達は顧問の先生と協力しながら節度をもって行動することが大前提だ。私は主将として想像力が足りておらず、結果として雰囲気作りを間違えてしまったと反省している。

 しばらく時間が経ち、食事の準備を始めることになった。メニューは春合宿以来のトマトリゾットだ。このメニューは炊いた後の白飯を使って作るトマトリゾットなので炊飯と食事は同時並行にできない。そこで明日の行程の長さを考えて就寝時間を遅らせられないと判断した私は、炊飯の開始時刻を早く設定して準備を始めた。いつもより早く炊飯が終わるとトマトリゾットづくりに着手した。

 私の目論見通りトマトリゾットは早く完成した、のは良かったのだが、早く完成しすぎての気象図が完成していなかったので、結果的にを待つことになってしまった。凡ミスだったが、トマトリゾットは温め直しをすることで事なきを得た。ちなみに飯の出来はというと昨日と同じく概ねよく炊き上がっているものの、やはり一合分だけ芯が残るという怪現象に見舞われていた。しかし、今日に限ってはトマトリゾットを作る際に再加熱したのであまり気にならなかった。チーズを入れすぎて少しベチャベチャになってしまったが、トマトリゾットを美味しく頂くことが出来た。

 夕食後すぐに行われたミーティングでは、先生から昼間に注意されたことを振り返って、ワンゲルで登山をする上での心構えを指導された。先生や先生が私達を信じてここまで帯同していただいている事を踏まえて、あと二日間の日程と下山後の振る舞いで挽回していこうと決意を新たにした。

 明日はいよいよ稜線歩きの日だ。明日の行いで合宿の充実度が決する。そう自分に言い聞かせて眠りについた。



8月1日 〈5日目〉 曇り一時小雨

 合宿5日目の8月1日は、北岳山荘から間ノ岳と農鳥岳を目指す、全日程で唯一の稜線歩きの行程であった。

 朝、3時に目を覚ますと気温がえらく低いことに気がついた。森林限界上にあるテント場はこうも冷え込むのかと驚きながら朝食の準備を始める。ここ数日は朝の弱い私に代わってMが率先して朝食作りを引き受けてくれている。そして以外のみんなは眠い目をこすりながら黙ってコッフェルを見つめている。どうやら朝の眠気だけはどこのテント場でも変わらないみたいだ。

 ただ、合宿の日程を消化していく中で変わったことといえば、パーティに奇妙な安定感が生まれてきたことだろう。別に普段のパーティが安定感に欠けているというわけではない。しかし、朝食を食べ終わると無言でコッフェルを片付けだして、気づくと荷物を詰めて撤収の準備を整えている。「言葉が減る」という表現が自然だろうか、1週間近く山にこもることは非日常を日常化してしまうのだと改めて合宿の場の大切さを深く感じた。

 この日の歩行は4時半前に始まった。まずは、中白根を経由して国内三位の高峰である間ノ岳を目指す。道中は薄暗く、単調な岩場が連続していたので少し退屈になってしまった。いつもは景色や時間を気にしながら歩いているが、この時は特に何も考えずにひたすら徘徊するように歩いていたので、気付かないうちにペースが落ちて、ちょうどコースタイムくらいのペースになっていた。間ノ岳の手前では、岩が水玉模様になるくらいの僅かな雨が降ってきたので、念のために雨具を装着した。雨具の着脱も慣れたものである。

 そこから、次第にきつくなる岩場を歩き、雨が止んだ頃に間ノ岳の山頂に到着した。富士山、北岳に次ぐ第三位の標高(3,190m)でありながら何とも影の薄いこの山の山頂はだだっ広く、本当に山頂なのかと少し疑ってしまうほどだった。というのも、間ノ岳はもともと日本で最も標高が高い山だったそうだ。それが地すべりによって山体崩壊が起こり現在の標高になったのではないかと考えられているらしい。広い山頂もそのためだとされる。味気ない山ではあったが、記念撮影を終え、いよいよ白峰三山の最後のピークである農鳥岳へと歩きはじめた。

 ここからは三峰岳を右目に収めながら、農鳥小屋までの二重山稜に注意しながら左(東)の稜線を目指して歩く。準備会で先生に指摘していただいたので、特段の注意を払いながらペンキに導かれて下っていくと。フタコブラクダのような二重稜線の先に農鳥小屋が姿を表した。また、振り返ると、これまで歩いた大稜線が綺麗に見えた。曇ってはいたがガスってはいなかったため、視界は良好で部員たちは本格的な稜線歩きを楽しんでいた。間ノ岳から1本で農鳥小屋に着くと、休憩の後に壁のようにそびえ立つ農鳥岳に挑んだ。

 農鳥岳までの登りは広河原から北岳までの登り同様に少し遅めのペースを一定に保ち隊の足を止めないように進んだ。肉体的にも精神的にも堪える登りだったが、ここでも妙な安定感の中、一度も足を止めること無く一本足らずの45分ほどで西農鳥岳に着いた。コースタイムが70分であることを考えれば中々の好タイムだと思う。SLのMにもペースを褒められて少し嬉しかった。

 ここから尾根伝いに歩いて農鳥岳に着くと、記念撮影の後に昼食を摂った。この日の昼食は、バゲット(?)に似たスティックパンである。本来の計画にあったバゲットは想像以上に日持ちが悪く、形の似たスティックパンで代用したという経緯がある。吹き上げる冷たい風は少し寒かったが、荷物で潰された食材をテキパキと分配しあまり時間をかけずに昼食を終えた。ここからは大門沢下降点までしばらく稜線を歩いた後、大門沢小屋までの下りに差し掛かる。この先の行程を全員で共有した後、歩行を再開した。

 30分強で大門沢下降点を通過すると、いよいよ大門沢までの急激な下りが始まった。事前にこの区間の危険性を認識してはいたが、想像以上の急坂に合宿終盤の私たちは本当の正念場を迎えたのだった。印象的だったのは途中に崩落箇所があったことだ。ここだけは先生に前に出てもらい事なきを得た。

 その先の樹林帯を下る途中に流血している男性に出会った。実は農鳥岳直前の登りで高校生のパーティとすれ違い、そのパーティから農鳥岳付近で滑落した顧問の先生が大門沢小屋を目指して下山しているという情報を得ていた。この男性は恐らく農鳥岳で滑落した男性だろうと思われる。大門沢新道と旧道の分岐点にある広場でその男性と共に休憩をしたがその姿は痛々しかった。男性の無事を心から願いつつ、我々は大門沢小屋を目指した。

 ここから先は、今朝の雨でぬかるんだ石や苔などでとても滑りやすく、先頭を歩いていた私は何度も滑りかけてはバランスを取ってゆっくりと落ち着いて歩を進めた。スリッピーな地面に文字通り悪戦苦闘しながらも、農鳥岳から通算3本で大門沢小屋につくと、小屋の方に男性の状況を説明し、幕営を開始した。

 テントを張ると、はトイレに向かったのだが、ここで問題が発生した。トイレが非常に原始的であったのだ。北アルプスに比べて水に恵まれていることを背景に簡易水洗トイレが発達している南アルプスは非常に有り難いのだが、大門沢小屋のテント泊用の屋外トイレは「本格的な」汲み取り式であるという。その話を聞いて、私もそのトイレを覗いてみると、確かに歴史の資料集に載っていそうな原始的なトイレだった。それでも山の中にトイレが有る事自体がとても有り難いことであり、3年間のワンゲル生活の最後の日でのいい思い出になったと思った。そんな話題も束の間、夕食までは先生と明日の出発時刻の確認をしたり、山小屋での思い出話に花を咲かせたりして過ごし、通常より30分遅く食事を始めた。

 この日の夕食、すなわち3年にとって最後の夕食は、レトルトハンバーグである。先生からどうしてそんなに重いものをわざわざ持ってきたのかと聞かれたが、このメニューは新体制初の山行で雲取山に行った時に食べた思い出のメニューなのだ。あの時は1日目から三条の湯まで林道を3時間歩いた上、諸事情あって幕営時間が大幅に遅れ、雨が降る極寒の中で特例的に認められたレトルトハンバーグを作って食べた。精神的にとてもつらかったあの日によく味わえなかったハンバーグをもう一度食べようという狙いだ。

 完成すると、ふっくらしたハンバーグとデミグラスソースを白飯に注ぎ、最後の夕食が始まった。ここ2日間、ごく一部にだけ芯が残るという怪現象に悩まされていた炊飯もこの日の炊きあがりは最高で、はとてもうれしそうだった。絶品のハンバーグ丼を堪能した私たちは大きな達成感と満足感に浸って眠りについた。



8月2日 〈6日目〉 曇り

 合宿最終日の8月2日は、大門沢小屋から広河内沿いに八丁坂を下り、奈良田温泉を目指す。

 朝、いつもより30分遅い3時30分に目を覚ました。6人の寝息で湿気と熱気のこもった、相変わらずスペースの少ないジャンボテントである。見たところ雨は降っていそうにない。どうやら、予備日は使わなくて済みそうだ。とうとう夏合宿の行程も今日が最後になるだろう。そう思いながら朝食のジフィーズに使う熱湯を作るためお湯を沸かし始めた。

 毎年、合宿最終日の朝はこれと決まっている。調理方法も簡単で手軽に食べられる上、味が安定しているジフィーズなのだが、私達3年生にとっては忘れられない思い出が甦る献立だ。遡ること2年前、ジフィーズを前日の夜から吸水させておき、朝に湯煎をして食べるという方法で調理した。これは当日の調理時間の短縮を狙ったものだったのだが、見事に失敗し、芯の残ったかたいお米になってしまった。特にチキンライスを食べたはほとんど口に入らず辛い思いをしたという。

 そんなこともあって、なかなか思い出深いのだが、今年は去年同様その反省を活かし、調理時間を惜しまず当日の朝にお湯でジフィーズを調理した。案の定、食事開始は少し遅くなってしまったが、美味しく頂くことができた。部員たちはアルファ米を次々と口に運ぶとあっという間に完食し、少なくなった荷物をザックに詰め、撤収の時を待った。雨と露に濡れたテントを畳むといよいよワンゲル生活最後の歩行が始まった。

 大門沢小屋を出ると沢沿いの樹林帯を下っていくのだが、前日同様滑る石と苔、そして濡れた根に大苦戦した。特に先頭を歩く私は何度か転倒しかけた。最終日ということで気の緩みが心配されたが、こちらも前日同様に私ととで歩行中に声を掛け合うことでパーティの緊張感を保とうと努力した。

 もうすぐ合宿が終わることへの期待感の現れなのか、コースタイムを上回る好ペースで歩行を行い、1本目で峠を越え、2本目が終わる頃には早川水系発電所取水口にまで到達した。大古森沢と小古森沢の渡渉の際に架けられていた橋が頼りない木製の橋だったことが印象的だったほか、個人的には途中の吊橋へ差し掛かる1歩目で滑って右足が吊橋の外に投げ出されてしまい、肝を冷やすことになったが、特に大きな問題もなく、3本目の序盤に林道に到達した。

 そこからは、砂防工事の工事現場の中に設けられた仮設登山道を歩き、県道との合流点で県道に入ると20分程で奈良田の集落が目に映った。それは12年前に同じ場所を歩いた大先輩を偲び、間近に迫った合宿の成功に少しばかりの安堵を感じ始めた頃だった。バス停の手前で、同日程で白峰三山縦走を行っていた男女の登山客の方と再会すると互いに無事に下山できたことを称え合った。程なくして奈良田温泉バス停の待合所に着くと、給水の後に解散式を行い、5泊6日の山行は幕を閉じた。

 解散式の後はおよそ1週間ぶりの清涼飲料に喉を潤し、孝謙天皇が湯治を行ったとされる奈良田温泉で汗を流した。バスで身延へ向かい、甲府に戻るとカラオケに興じ、ラーメンに舌鼓をうちながら今後のワンゲルについて語りあった。かつて先輩が私達に与えてくれた楽しい時間もあっという間に自分達が与える側になってしまった。時が経つのはとても早いものだと率直に感じた。これからのワンゲルを担うも合宿を通じて一回り成長し、いよいよ代替わりの機が熟してきたと思う。

 私は主将に就任してからの1年で多くの事を変えてきた。ただ、それ以上に自分自身も変わることができたし、数えきれないほどの思い出と素晴らしい仲間にも恵まれ、一度きりの高校生活を彩りのあるものにできた。辞めたいと思ったこともあったが、それを乗り越えて、引退まで続けられたことは大きな充実感に繋がっているだろう。

 早稲田の校歌に「集り散じて人は変れど 仰ぐは同じき理想の光」とある。私の最も好きな歌詞の1つだ。歌詞の通り、この部活も世代交代によって絶え間なく変化していく。だからこそ、後輩たちは失敗を恐れることなく向上心を燃やし続けてほしい。そして伝統と対峙し、革新の風を吹かせ続けてほしい。それがこの部を去る3年生部員全員の願いだ。

 最後に、ワンダーフォーゲル部の今後のさらなる発展を祈念して私の山行記としたい。


《「稜線」第39号(2017年度)所載》




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