2017年 7月山行 山行記

筆者 R・M (3年生)

 はじめに今回の山行を行うにあたって、CLとして私は先の見えない不安を感じていた。というのも、部員の中に補講に掛かってしまった者が数名いたからだ。7月山行は期末試験を挟んで行われるため気の緩みが生じてしまうことが懸念される。そのため部の結束や部員の気の緩みを締めるために夏休み中に練習を入れたのだが、補講は部活動よりも優先しなくてはならないため、練習に参加できない者が出てきてしまうのだ。

 しかし、なにより私を不安にさせたのは、CLの私やSLのも補講に掛かってしまったことだ。山行を引っ張って行くべき私達がこの有り様であることに主将のは不安の声をあげていた。そしておそらく、声には出さなかったものの後輩達も今回の山行について不安を感じていたのではないだろうか。とにかく私は、得体の知れない不安を感じながらも今回の山行で大事をやらかさないようにと願うしかなかったのである。

7月21日 〈1日目〉 曇り

 今回の山行は、3年生が4人、2年生が2人、1年生が4人、そして引率の先生と先生を含めて合計12人での山行となった。集合場所の新宿駅南口改札外には私が最初に着いたようで、その後着々と部員が集まりはじめた。そして集合時間になったのだが、1年生のM・Kがまだ来ていない。スマホで現在位置を確認すると、なぜか中央東口にいるようだ。予定の特急に間に合わないと焦った私はを中央東口に向かわせたのだが、そのことについて先生からお叱りの言葉を受けた。曰く「山の中で隊を分裂し行動させると遭難するだけだ。どんな時も全体で動け」とのこと。たとえ山の中でなくとも常に山を想定し、全体を意識した動きをするのがCLの役目。なんとかM・Kと合流はしたものの、全体への配慮が欠けていることついて私は自身を叱責せざるを得なかった。

 全員が集まったところで今後の行程について3年生で話し合い、現状の部の雰囲気では、今日、天狗岳西尾根を登るとアクシデントも想定されるということで、本来予定していた唐沢鉱泉から西天狗を経由するコースから、緊急の際に予定していた桜平からオーレン小屋に至るコースへと変更した。

 特急は8:00に新宿始発のものに乗り込み、10:08に茅野駅に到着。タクシーに乗って桜平手前の駐車場まで行き、各自持参した昼食をとって11:30から歩行を開始した。そして順調に歩を進めていき、12:00に夏沢鉱泉を通過、12:55にオーレン小屋に到着した。設営が6分となかなか素早くできたのは、朝のこともあり、部全体に緊張感があったからだろうか。

 桜平からのルートに変更したため夕食準備まで2時間ほど自由時間があったので、3年生はこれまで2年半の部活動の思い出話に花を咲かせていた。あの辛かった2015年の新歓山行がもう2年も前のことで、私がこの部活動に居られる時間もあと数週間しかないと考えるとなかなか感慨深いものである。

 その後、夕食準備を始めたのだが、どうも炊飯の調子が良くない。出来は酷くはないのだが、今まで炊いてきた飯と比べると納得はいかないクオリティだ。というか、今年度に入ってから上手く炊いた記憶がない。かつては一級炊飯士と同期に呼ばれてた時期もあったのだが、1年生にその頃と同じクオリティの飯を食べさせてやれないのは炊飯係として悔しいものである。

 一方、食事係の方は上手くいっていたようだ。前回の山行の際、ハヤシライスのルーを買いすぎてしまったため、今回もハヤシライスだったのだが、飽きはしない。飯の失敗もカバーしてくれて、飽きないほど美味しいとはなんと素晴らしい料理であることか。

 食事を済ませ、17:53からのミーティングで明日の朝の行動をテキパキするようにと伝え、19:00に就寝。翌日の行程を頭の中で確認しながら、近くの親子が歌っていた英語の歌を聴きながら私は眠りについた。



7月22日
〈2日目〉 曇のち雨

 枕にしてたポリタンクが合わなかったせいで何度か寝起きを繰り返し、首筋に痛みを感じながら3:00に起床。素早く朝食の準備をして3:47に食事完了。8分で撤収をし、予定通り4:30にヘッドランプを点けて歩行を開始した。

 CLは今回の山行で3回目なのだが、未だにペースがつかめず後ろのから速いと何度か注意を受けてしまった。また、夏沢峠を通過する際、雲の隙間から日の出を拝むことができ、私は本日の行程が無事に済むように、と心の中で祈っていた。

 そんなこんなで硫黄岳までは予定より早く到着、目の前の爆裂火口周辺の切り立った断崖はまさに息を呑む光景であった。休憩までまだ時間があったので硫黄岳は写真を撮るだけで通過、硫黄岳山荘の手前にはコマクサがピンクの可愛らしい花を懸命に咲かせて群生しており、写真を撮る登山者も数名いた。どうやら今の時期が花のシーズンらしい。

 台座ノ頭を通過した辺りから高山特有の足場の悪い道やクサリが姿を見せる。このような体験は1年生や今年入部した2年生のにとっては初めてのはずで、ハシゴを降りたりする際に少し躊躇いが見られたのだが、夏合宿の練習としては丁度良かったのではないだろうか。

 7:45に三叉峰に到着。その後もルンゼ状の岩やクサリ、ハシゴなどを無事通過し、8:35に赤岳天望荘着。ここで休憩をとり、赤岳山頂まで40分のところを26分というハイペースで登りきった。しかし、パーティ全体に疲労の色は見えなかったので、どうやら私のペースは悪くはなかったようだ。

 赤岳頂上山荘から赤岳山頂まで移動し、写真撮影。その後昼食をとった。この頃から次第にガスが昇ってきており、昼食を食べている間、私達はガスの隙間からしか景色を眺めることができなかった。残念。

 昼食を済ませて、阿弥陀岳に向かう。赤岳頂上から文三郎尾根分岐に下っている時、昨年の夏合宿の常念岳から横尾分岐までの道を彷彿とさせたのは私だけだろうか? とにかく、今回の山行での問題点の一つは間違いなくここではないかと思う。記録を見る限り、30分のコースタイムのところを28分で来ているので時間的には問題ないのだが、1年生を含め、我々はこの下りであまりにも体力を消耗しすぎたのだ。

 まず、これは登りの時にも思ったのだが、八ヶ岳は高山の割には老若男女問わず登山者が多い。そのため道の譲り合いがとても多かった。そしてこの登山道は奥多摩で経験してきたそれとは違い、足を取られやすい小石の坂道が続くので、慣れてない1年生にはとてもキツイものだったはずだ。極め付けは私がパーティ全体のペースをあまり考えていなかったことだ。今にして思えば、ここはたとえ遅くなってもパーティの士気を維持するべきだったのだろう。

 足を悪くしてしまったため、先生が文三郎尾根で途中下山。本隊は中岳のコルへと向かった。

 その途中、中岳の頂上で休憩を取ったのだが、ここが問題点の二つ目だ。この休憩中、私達は阿弥陀岳にどう登るかで話し合ったのだが、私が当初の予定通りザックを置いてピストンしようと提案したところ、A先生は雨が降ったりするケースなども考えてザックを持って行くべきだと提案された。私は先生のご意見に確かに、と思いザックを背負って阿弥陀岳を登る方針に変更したのだが、この光景が部員達の間では私の優柔不断な思考の上での決断に見えたらしく、彼らの不安を煽ってしまったらしいのだ。つまり、赤岳からの下りで疲労していた部員達に更に精神的な不安を煽る行動をとってしまったせいで、コースタイム通りとはいえ、この阿弥陀岳の登りは、私の見る限り、私の登山経験の中でもトップレベルのグダグダさを醸し出してしまった。ともすれば、阿弥陀岳からの下りも当然のようにグダグダになる。結局、本来20分のところを40分かけて中岳のコルに下り、12:45から休憩を取ることになった。

 この時点で、バスの最終便に間に合うかどうかはギリギリになっており、部員達の間でもタクシーを検討すべきではないか、という話が聞こえてきた。私も最悪そのケースがあるかもと思い「どうしようか」と話をしたところ、またしてもA先生から「自分の計画、判断、行動を責任を持ってやり遂げなさい。タクシーを使うかなどは、その後の我々引率者の責任だ」というこの山行何度目かのご指摘が。自身の不甲斐なさに申しわけなくなりながらも、とにかくこれからできる最善の行動を心がけようと決意し、バスに間に合わせようと12:56に行動を再開した。

 13:32に行者小屋に着いた時、いよいよ雨が降り始めてきてしまった。よく先生が「日頃の行いが山に影響する」と仰っているのだが、今回の雨もそのせいかなと一人悲痛な気持ちになりながら、全員に雨具とザックカバーを着用するよう指示、しかしがザックカバーを忘れてきたらしく、彼はビニール袋を使っていた。私もあまり他人を責められる立場にはいないが、そういう装備の不備には本当に気をつけてくれ……。

 そこから美濃戸口までの道のりは、ただひたすらに歩いていた記憶しかない。美濃戸山荘に着く手前で雨が止んで安心したのもつかの間、美濃戸口まであと20分程といった辺りからスコールに降られ、グシャグシャになった。ここまで濡れたのは昨年の冬季山行以来ではないだろうか。このあたりからは先生が私に変わりパーティを先導をしてくださったため、視界が悪く疲労困憊であった私はもはやCLとしての機能をほとんど果たしていなかったと思う。

 そして、なんとか16:20の最終便バスに間に合った私達は、体を拭き、バスに乗り込んで深い疲労感に見舞われながら茅野駅に着き、解散式を行なった。

 全体を通して見ると、今回の山行が私のCLとしての最後の山行だと考えると心残りのあるものになってしまったが、その反面、我が部としては得るものはとても多かったとも思う。
 まず、M・Kの遅刻。彼の行動は彼の問題だけではなく、団体行動を心掛けるべき我々全員にとって多くの反省点を見せてくれた。当然私にも。そして、強い日差しや高山特有の歩きにくい稜線の歩行は夏合宿の良い練習になったであろう。
 後輩達は今回の山行から得たことを夏合宿以降にもぜひ生かして、次の世代に伝えていってほしいものである。


《「稜線」第39号(2017年度)所載》


硫黄岳山頂から主稜線を望む
左から、横岳、赤岳、中岳(その背後に権現岳)、阿弥陀岳。阿弥陀岳の右奥に甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳。

稜線を行く
遠景は、阿弥陀岳。阿弥陀岳の左奥に甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳。阿弥陀岳の右奥の山並みは中央アルプス。右端に御嶽山。

稜線を行く 赤岳山頂にて



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