2017年 4月山行 山行記

筆者 R・M (3年生)

 今回の山行はこれまでの春合宿の言わば「リベンジ」といえる山行である。そもそも春合宿は前年度、つまり先輩が最上級生だった代でCLの先輩の腹痛により山を見ずして中止となってしまった。また今年度も当初予定していた4月1日〜2日付近は積雪などで山の様子が芳しくなく、無駄なリスクを回避するため延期という形を取り、4月29日〜30日に改めて行うことになったのだ。そのため我々の代ではこれが「最初で最後」の春合宿というわけだ。加えて夏に引退を控えた自分にとって、今回が最後のCLとなる山行でもあった。

 以上の経緯より今回の山行は今までの山行以上に気の引き締まるスタートとなった。

4月29日(土) 〈1日目〉 天候:晴れ

 時間通り6時30分に全員が集合し、小田急線のホームに入ることができた。計画書では6時51分発の急行小田原行きを予定していたが、丁度それよりも1本早い電車が空いた状態で停車していたので乗ることにした。そのため新宿駅を6時39分に出たことになる。

 急行小田原行きに揺られて、7時52分には秦野駅に到着した。ヤビツ峠に向かうバス停には大量の登山客が並んでおり驚愕した。天気も清々しい青空であり、登山日和だからだろう。並んでいる人たちの中には我々の方を見て学院の話をしている人を見かけたが、呼び方が「早稲田高校」だの「早稲田学院」だの散々であった。正式名称くらい覚えてほしいものである。

 8時03分のバスを混雑で見送った後、8時12分にバスが来たので乗り、8時52分にヤビツ峠に着いた。ここでSが若干の乗り物酔いを訴えたため、混雑回避も兼ねて少し休憩を挟んだ後に準備体操をし、9時15分に行動開始した。二ノ塔を順調に通過し、三ノ塔につく頃には若干ガスがかかっていたものの富士山が遥か遠くに見えていた。

 その後、新大日ノ頭を経て塔ノ岳には13時33分に到着した。登山客も非常に多く、眺めも文句なしで、何より「前年度ここには来られなかった」という事実が感動を更に引き立てた。小休止と集合写真撮影を挟んだ後、尊仏山荘にて宿泊の申込みを行った。

 この日は混雑のため自炊小屋のスペース、屋根裏とでも言うべきか、に敷かれた布団での宿泊となった。これは予約した時からわかっていたのだが、素泊まりで自炊をする我々にとってはかえって好都合だったと言える。荷物を整理した後は束の間の自由時間となり、各自山頂からの風景を撮影したり、談笑したりして過ごした。

 その後14時45分に炊飯を、16時に調理を開始した。今回のメニューは2年生のが、食事係として初めて計画した「トマトリゾット」だったため、このように連続した行動となった。また普段通り16時に気象通報の受信を開始した。2年生のの不参加を受け、私が夏合宿以来久しぶりに気象係を務めた。正直、にこの役割は任せたつもりでいたので気が引き締まった。肝心の予報はと言うと、高気圧の押し出しが弱く、風が強いかもしれないという以外は今日と同じように晴れる可能性が高いと分かり、ひとまず安心した。

 気象通報を受信している間に早めにトマトリゾットが出来上がってしまっていたようで、少々待たせる形となってしまったが、16時26分には夕食を開始した。初めてのメニューでありながらもトマトリゾットは絶品で、皆でこぞってお替わりしてしまったほどの出来であった。やはり食事の美味しさは登山において重要な楽しみの一つであるということを改めて実感した。

 17時25分、他の部員に水汲みに行ってもらっている間に気象図を完成させ、帰ってきたところでミーティングを行った。就寝までまだ時間があったので、同じ小屋に宿泊している方と少しお話をさせて頂いた。どうやら企業の山岳部とそれに同行している退職済みのご夫婦のパーティらしく、中でもご夫婦はキリマンジャロをはじめとする世界の山々の登頂経験があるとの事で、昔の登山や世界の山々について貴重なお話を聞くことが出来た。登山は人々の触れ合いがあるのも一つの魅力であると思う。

 就寝時間が近づいたので、明日の行程に期待と不安を感じつつ、布団に潜り込むことにした。だが、そうゆっくりと寝てもいられない事態が起きてしまった。

 就寝時間として決めた19時頃、下の階に上着を取りに行こうとしたが天井の梁から突き出したボルトに頭を強打し、出血を伴う怪我をしてしまったのだ。急遽医療係の先生を起こし、明かりと水道のあるトイレ小屋に移動させ応急処置にあたった。加えて私は応急処置が出来ないかと山荘の方に声をかけたのだが、「俺は医者じゃないし、自分たちでやってくれ」と鼻で笑って突っぱねられてしまい、止む無く山荘の食堂にいらっしゃった数名の方に手助けして頂いた。

 適切な処置のおかげでなんとかそれ以上の大事には至らなかったものの、このままでは通常のルートは困難と判断し、起床を予定の3時から6時に遅めた上で、大倉尾根を下るエスケープルートにて下山することで全員が合意した。2年生とを寝かせ、我々3年生も少し話し合いをした後に就寝した。時刻は8時をまわっていた。



4月30日(土)
〈2日目〉 天候:晴れ

 翌日、予定通りに6時に起床し、6時31分には朝食を開始した。の調子もそれほど悪くなく、準備などを済ませてから、7時31分に行動を開始した。昨晩のことから、をCLのすぐ後ろに並べたパーティ編成とした。

 の体調を考慮してゆっくりとした歩行を心がけた結果、コースタイムよりかなり遅めになってしまったが、無理に速めての体調を悪化させては元も子もないため慎重に進んだ。通称「バカ尾根」と呼ばれている大倉尾根だが、単調な下り坂はさておき晴れ渡った空の下の景色はさほど悪いものではなかったように感じた。道中、が、前日から違和感を感じて湿布を貼っていた膝を痛めてしまったため、パーティの編成を少し変えて進んだ。

 大倉尾根も終盤の見晴茶屋に到着したところで小休止をとり、一度病院に連絡を取った。大倉バス停まで下ってから救急車を呼ぶことが決定し、ここからは休憩を挟むことなく大倉バス停まで下ることで全員が合意した。森林帯と舗装道路を進み、10時40分に大倉バス停に到着、救急車を待っている間に解散式を済ませ、を無事送り届けて我々の春合宿は終了した。

 登山というのは常に危険と隣り合わせである。その危険は必ずしも行動中に起こるとは限らない。過去にも解散後に事故が起きた例があると聞いたことがある。個人的感想ではあるが、新歓山行を前にしてこのような事態が起きたことは、我々ワンゲル部員達にある種の意識改革を求めているような気がしてならなかった。我々の代で最初で最後の春合宿で予定通りのルートを行く事が出来なかったと悔やむより、一つの教訓的経験として今回の山行を覚えておくべきではなかろうか。そしての一日も早い回復を祈るばかりである。


《「稜線」第39号(2017年度)所載》


三ノ塔に向かう 山桜

塔ノ岳山頂にて

三ノ塔から下る (遠景は塔ノ岳) 光芒の中、尊仏山荘から水場に下る


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