2015年 夏合宿 山行記

筆者 H・T (3年生)

 私がワンゲルに入部してから約2年半、ついに自分にとっての最後の部活での登山となる夏合宿を迎えた。奇しくも今回挑む山は、一昨年の夏合宿で大惨敗を喫した甲斐駒・仙丈である。私にとってこの夏合宿は、そのように二つの意味で非常に感慨深いものであった。引率して下さる先生の問題により、山行の行程としては二泊三日という例年に比べると短いものとなったが、OBの方々に4人も参加して頂き、とても充実した内容となった。

7月31日(金) 〈1日目〉

 部活の現役メンバーに引率の先生方、さらにOBの方々を加え、今回のパーティー人数は15人という大所帯となった。しかし、集合に関してはは1人の遅れも出ることはなく、新宿駅南口に、午前8時には皆集まっていた。特急券はあらかじめ用意していたためスムーズにプラットホームに移動し、予定通り9時の特急に乗る。

 その後、甲府、広河原と順調に電車とバスを乗り継いで行くと、広河原で北沢峠行きのバスを臨時で出して頂けることとなった。実は、CLの私の判断で出発を例年より一時間遅らせたところ、幕営地の長衛小屋への到着予定が15時半頃となってしまっていた。計画を立て、電車の学割も取ってしまってから気づいたため変更も出来ず、ただ頭を抱えていたところに天から差し伸べられたかのような臨時バスであった。自分の浅はかな判断はひたすら反省であるが、かくして私達は予定よりも約2時間ほど早く長衛小屋に着くことができた。

 OBの方々にも手伝ってもらいながらてきぱきと幕営を済ますと、それから夕食まではしばらく自由時間である。各々時間を潰し、16時半頃からカレー作りを始める。

 夕食のカレーの調理は、今年度から新たに導入した野菜の下ごしらえのシステムにより、材料をルーと煮るだけで終わりである。つまり、夕食作りにおいて神経と時間を要するのは専ら飯炊きであった。だが、高所にもかかわらず、炊飯係の一年のMとKは芯も焦げもほとんどない素晴らしい出来の飯を炊き、私も及第点と言えるものを炊けたので、実に美味しい夕食にありつくことができたのだった。

 そして夕食後、各自片付けや翌朝の準備をして19時に就寝する。明日の天候を案じつつ、川のせせらぎを聞きながら眠りについた。



8月1日(土) 〈2日目〉

 起床時刻の朝3時、目が覚めて外を見てみると、空は満天の星空、甲斐駒の摩利支天が闇の中でぼんやりとその白い姿を見せていた。

 朝食のうどんを食べ、甲斐駒ヶ岳へ4時15分に出発すると、あたりはまだ暗く、ヘッデン行動となった。先頭を行くCLはこの私だ。人気のルートとはいえ甲斐駒ヶ岳である。暗闇の中の登山道は一層無骨で、道なのかただの沢なのか分からなくなってしまうような箇所もあったが、ロストすることなく、コースタイムよりも早いペースで仙水峠に着くことができた。

 仙水峠から望む、朝日を受けた摩利支天は圧巻であった。一昨年を振り返ると暗雲が立ちこめた光景が思い出され、到底同じ地点からの景色だとは信じられない。我々が向かう先には一片の雲も見当たらなかった。

 駒津峰へと登って行くと、次第に背の高い木々は数を減らしていき、ハイマツ帯へ突入した。ここで朝から調子の悪かった一年生のNの体調を考慮して少し長めの休憩をとる。幸いその後回復し、最後まで歩けたのでよかった。

 さらにもう少し登ると駒津峰である。思えば一昨年、私達が一年生でOBが二年生だった頃、悪天候により無念のUターンをしたのがこの場所であった。今年の駒津峰はその時とはまるで別世界であるかのように晴れていた。ここでは写真を撮り、甲斐駒ヶ岳山頂へと歩を進める。

 岩の多い稜線を通り、甲斐駒ヶ岳山頂への巻き道へと進む。白い花崗岩の砂礫の斜面を登って行くと、いよいよ山頂である。

 甲斐駒ヶ岳山頂からの眺めは最高であった。遠くには富士山も見える。我々が登ってきた仙水峠の方を見ると雲が湧き上がってきていたが、下山ルートである双児山の方は依然晴れていて安心した。

 来た道を戻って駒津峰で昼食をとる。今回からは、パンに付けるものを全てチューブに入っている蜂蜜などにしていた。ゴミを減らし持ち運びやすくする目的であるが、これは実にいいアイデアであったと思う。また、OBのMさんにはツナ缶を差し入れして頂き、充実した食事にありつくことができました。ありがとうございます。

 双児山を越え、北沢峠の長衛小屋に戻って時計を見てみると、時刻はまだ正午前であった。その後は夕食の支度まで各自好きに過ごしたのだが、前日に引き続き、この午後の時間の過ごし方が少しまずかったようだ。この二日間、時間を潰すためトランプやUNOをやったのだが、その時の声の度が過ぎていたらしい。S先生に注意されてしまった。後輩達には、来年以降気をつけてもらいたい。

 さて、合宿二日目の夕食であるが、この日のメニューは麻婆春雨であった。春雨に、付属の素を加えて煮るだけという簡単なものであり、この日も大変なのは炊飯の方であった。しかし、昨日と同じく私以下炊飯係三人は申し分ない出来の飯を炊いたので、問題なく食事を済ますことができた。それと、余談であるが、我々の隣で1日早く幕営を始めていた別の高校のパーティーと、朝食も夕食も同じメニューであったようである。うどんと麻婆春雨は我々の鉄板メニューであるが、他校でも考えることは同じのようである。

 二日目も、就寝は19時であった。周りはまだほの明るく、まだ寝ていない他の登山者の話し声のせいか、はたまた明日がワンゲル生活最終日となることを思ってか、なかなか寝付くことができなかった。



8月2日(日) 〈3日目〉

 3日目の朝、私のワンダーフォーゲル部員としての最後の朝でもある。この日も晴れて、絶好の登山日和となりそうだ。

 私としては感慨にふけりたいくらいであったが、朝食時に少し問題が起きてしまった。この日の朝食はジフィーズであったのだが、まず、その作り方が悪かった。道の混雑やバスの時間を考慮して時短をはかった我々は、昨晩からジフィーズに水を入れてあらかじめもどしておき、食べる前に湯煎をようと画策していた。しかし、短時間の湯煎では到底ジフィーズは温まりきらず、結局中が冷たいままの朝食を食べる羽目になってしまったのである。更に、昨晩によく伝達をしなかったために、誰もS先生を朝食時にテントに呼ばす、かなり長い間待たせることとなってしまった。正しく調理することとテント間での意思疎通には、今後も注意してもらいたい。

 少しばたついてしまったが、最終的には前日よりも早く午前4時に出発した。しかし、週末ということもあって既に出発している登山者も多く、道中何度も別パーティーを追い抜き追い越され、すれ違うこととなった。

 最初の一本で仙丈ヶ岳三合目まで登ったが、ここで前日に続いて一年生のNが体調不良を訴えた。やはり朝イチ最初の一本がきついようである。昨日と同じく長めの休憩をとり、後ろからOBに付いて貰ってゆっくり歩かせると回復し、この日も最後まで歩くことができた。

 その後はいたって順調で、薮沢・小仙丈ヶ岳分岐、馬の背ヒュッテを通過して、仙丈ヶ岳へ続く稜線の鞍部へ出る。更に進むと視界が開け、一昨年見ることができなかった眺望や、薮沢カールが望めた。一昨年の、ひたすら霧、という印象とは打って変わっての絶景であった。

 仙丈小屋前で休憩をとったのち、最後の登りを乗り越えると、いよいよ仙丈ヶ岳山頂である。二日連続の快晴で、こんなことは相当珍しいことであろう。ここでも富士山が見え、その手前にも高い山々が見えた。OBのFさん曰く、北岳と間ノ岳だということであり、日本一、二、三位の高峰を一気に見ることができたわけである。

 仙丈ヶ岳から一本弱で小仙丈ヶ岳に着き、ここで昼食を食べる。登山者が非常に多く、北沢峠の方から登ってくる方々や馬の背ヒュッテなどから来た方々などで混雑していた。

 小仙丈ヶ岳から北沢峠までは二本弱であった。展望の悪い樹林帯は少々退屈であったが、着々と下って行くと11時前には長衛小屋に着いてしまった。

 想定よりも大分早い下山に長時間のバス待ちを覚悟したが、バス停でダイヤを確認すると、どうやら人数が集まり次第臨時で運行しているようであった。そこで我々は急いで撤収し、結局予定よりも一時間以上早いバスに乗ることができたのだった。

 今回の夏合宿は、先にも述べたが、自らの引退と一昨年のリベンジという、二つの意味合いを持つものだった。そしてその内容はすこぶる良く、甲斐駒・仙丈で全行程を通して快晴であった。この山行は、我々3年生にはもちろん、来て頂いたOBの方々にとっても忘れられない素晴らしいものとなっただろう。加えて、この山行は我々現役メンバーだけでは達成し得なかった。そんな山行であるからこそ、より一層この“大成功”が嬉しいのである。

 土砂降りの中、始まった私のワンダーフォーゲル部生活は、こうして最高のコンディションの中、終えることができた。それがただひたすらに喜ばしく、また、結局3年間お世話になった先輩方への感謝の念でいっぱいである。


《「稜線」第37号(2015年度)所載》



▲2015年度の山行一覧に戻る▲

△以前の山行・目次に戻る△

■ワンゲル・トップページに戻る■