2014年 新歓山行 山行記
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筆者 S・S (3年生)
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5月10日(土) 〈1日目〉
今回の山行は今までの部員11人と引率の先生1人に新たに加わった新入部員1人の計13人での山行であった。
集合時刻は13時10分だが新入部員のOが3分ほど遅れた。遅れた理由は授業が長引いたからであった。
その後は順調に上石神井〜拝島〜青梅〜奥多摩と電車を乗り継いで行った。
奥多摩駅に到着したのは15時ごろで、それからは奥多摩ビジターセンターを横切り、昭和橋をわたって約7,8分ほどでキャンプ地となる氷川キャンプ場に到着した。相変わらず昭和橋から下を流れる日原川を見下ろす景色は最高であった。キャンプ地についてからはすぐにテント設営を開始し、15分ほどで難なく設営した後に、CLであったMの決定でしばらく休憩をとれることになり、近くを散策したり日原川で石を投げて遊んだりして部員各々の時間を過ごした。
その後は部員全員が協力し合って夕食作りを開始した。新歓山行の夕食は例年通りカレーを作った。カレーの具材の切り出しは順調にいったが13人分の食材を2つの鍋で煮込むのは大変であった。レシピにはまず玉ねぎを炒め中に含まれる刺激成分を飛ばすとあったが、時間がかかってしまうのでジャガイモやニンジンなどをすべてぶち込んで一気に煮込んだ。結果として時間はかかったが、まずまずの出来のカレーができたと思う。ごはんもいつも通りうまくできていて、おいしく夕食をいただけた。
夕食の食べ始めが17時30分ごろで、食べ終わってからミーティングを行い19時30分ごろに就寝した。春という事もあって大変キャンプ場は人でにぎわっていて、眠るのが大変であった。真夜中に打ち上げ花火の光と音が確認できるほどであった。
キャンプ場には他に千葉県総体登山競技へ参加する高校生たちの姿が大勢いたが、彼らがきちんと眠れたのか心配だ。ともかく自分はいつもより眠れなかった。
5月11日(日) 〈2日目〉
3時30分に起床して煮込みうどんを作った。何事もなく行けたと思う。
その後ポリタンクに水を入れたり食器の後片づけたりした後、5時に撤収を開始した。新入部員の大久保も良い手際のお蔭もあってか、ものの7,8分で撤収が完了した。
それから奥多摩バス停に向かい、そこで体操をして、バスの到着を待った後、バスに乗って小河内神社で下車して、6時35分に三頭山へ向かって歩き始めた。
途中でドラム缶橋と呼ばれる奥多摩湖の浮き橋を通ったのだが、橋が激しく揺れていて怖い思いをした。
山登りの最初の一本目は急坂がずっと続いていてなかなかきつかった。特にふくらはぎの疲労が激しかった。当初は1本でイヨ山まで行くはずであったが、ほかの部員たちのことをCLのMが考慮してイヨ山の手前で休憩を取った。
イヨ山で再度休憩を取った後、ヌカザス山に向けて出発した。イヨ山からヌカザス山まではコースタイムが1時間のところを36分というかなり早いペースで歩いて行った。それからもどんどん速いペースで進めていったが、4本目の途中で部員の1人が足を痛めたので、引率の先生の提案で鶴峠分岐で長めの休憩を取ることにした。そのついでに、昼ごはんもそこで済ませた。
今回の昼ごはんはいつもの菓子パンとフルーツ缶であったが、パンに味をつける品々の中に新たな顔ぶれがあった。タルタルソースとアロエジャムである。タルタルソースは一緒に持ってきたハムと合わせて食べると非常に美味であった。アロエジャムはアロエジャムなのにまったくアロエの味が感じられず、ほぼマスカット味といった具合であったが、部員たちに大人気でレギュラー入りを望む声も少なくなかった。
35分程で昼ご飯を済ませて10時15分ごろに御堂山へ出発した25分ほどで御堂峠に到着すると、ザックを下ろして御堂山の別名「三頭山」の名の由来でもある3つの峰をそれぞれ踏破しようと、三頭山東峰と三頭山西峰に登った。西峰からは富士山がきれいに見えていて絶景であった。
それから休憩を取り、帰りのルートについて話し合った結果、予定のルートではなく、鞘口峠を通って都民の森へと降りるルートへと変更になった。理由は、1年生が疲労していたためであるが、加えて、部員の大半がもうすでに従来のルートを歩いたことがあって今回は違うルートも歩いてみたいからとのことであった。御堂峠から都民の森までは1時間ほどであった。
12時7分に都民の森へ到着したあと、解散式を行って、今回の山行は終わりとなった。
今回の山行では最初の方は少し辛かったが、全体的には練習の成果がうまくあらわれた山行だったと思うので、これからも本番の山行で辛い思いをしないために練習に励んでいきたい。
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《「稜線」第36号(2014年度)所載》
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