2013年 夏合宿 山行記

筆者 S・F (2年生)

7月28日 〈1日目〉 晴れ

 この日は5泊6日にわたるはずだった長い夏合宿の初日だった。まず、私たちがいつも行っているのは1泊2日という、夏合宿からすればとても短い山行である。そのことから考えても、この夏合宿の長さはとてつもないものだとわかるだろう。また、A先生がおっしゃっていたのだが、5泊6日というのは一般的な高校の登山のクラブとしても長いようだ。現に私達が泊まった長衛小屋、早川尾根小屋や途中で会った高校生たちはこんなに長い山行ではなかった。

 さて、私が1年生の時、つまりは去年なのだが、その時は夏合宿の集合の時点で様々な問題が起きてしまっていた。遅刻などが主なものだ。しかし今年の夏合宿は違った。今年は7時20分に新宿駅に集合としていたのだが、誰ひとり遅れることなく、むしろ集合時間の10分前には全員集まってトイレも済ませている状態だった。新歓山行、6月山行の時はそれぞれ1年生、2年生の遅刻が問題になったので、そこからちゃんと学習してそのような行動をとることが出来たのだろう。そのおかげで大分余裕を持って特急に並ぶことができ、余裕を持って座ることができた。夏休みの、しかも日曜日ということでもし遅刻者がいたら座れなかったのではないかという程混んでいたので、これはとてもよいことだろう。

 新宿9時発で甲府に9時28分に着く。私自身もそうだが電車内では寝ている人も多かったように思える。始発で来ている人もいたので眠いのだろう。

 甲府駅から10時発のバスに乗るのだが、とにかくバスが混んでいた。バス停からはみ出すほどの行列となっており、南アルプスという山の凄さが伝わってきた。また甲府は非常に暑く、私達は屋根からはみ出したところで待っていたので更に熱気がきて長ズボンの私達には辛い陽気だった。しかし、列の最後尾で待っていたので、そのおかげというのだろうか、運良く他の人達とは別の貸し切りのようなバスに乗ることができた。というのも、バスが3台来ていて私達の前の人達が全員2台目までに乗ったのである。皆暑さでまいっていたのだが、ゆうゆうとバスに乗ることができ、M先生も「これは全行程全員達成の前触れか?」などとジョークを飛ばすような余裕が生まれるようになった。

 そして2時間、そのバスに揺られ、広河原に着いた。ここで乗り換えをするのだが、なにやら大きなバス停でインフォメーションセンターのようなものもあり、よく見てみたいなどと思ったのを覚えている。その時は後に本当によく見られるとは思わなかったが……。

 そこで30分ほどバスを待ち、北沢峠に着いたのは13時近くなってからだった。新宿を出発してから実に5時間。遠い道のりである。しかし、皆、乗り物疲れなど少しも見せずにてきぱきとテントを張っていた。今回は誰がどこのテントを張るかなどもちゃんと決めてから張ったので、スムーズにやることができた。これをあらかじめ決めておくというのはとても有効な方法だと思うので、これからも続けていきたい。

 テントを張り終わった後、炊飯係はM先生に呼ばれた。お米に水を吸わせる時間を作ったらどうかという話だった。この夏合宿では歩き終わってから食事の時間までかなりの時間がある。その間に米に水を吸わせておいたら上手く炊けるのではないかという話だった。私も米に水を吸わせるという考え方は家庭科の時に習っていたのだが、あまり効果があるとは思っておらず、やろうとは考えたことがなかった。だが、結果から見るとそのような考えは甘かった。水を吸わせたほうが確実に上手く炊けるのだ。もし上手く炊けなかったとしても焦げ付きが圧倒的に少なくなる。これは使うべき方法だと感じた。

 16時から調理開始ということで暇になってしまった。私は川に持ってきた飲み物をつけて冷やしといたり、珍しい花があったので写真を撮ったりとしていたのだが、それでもどうにも暇になる。MとO以外は皆そうだったようで、結局トランプ大会をすることとなった。皆で遊ぶというのは山に一緒に登る者と交流を深めるという意味でも重要なことだろう。しかしそのようなことは関係なく、楽しいひとときだった。MとOは疲れてしまったらしく寝ていた。5時間の移動だ、疲れる人もいるだろう。

 16時から炊飯開始。私自身が炊飯係であるせいで、飯炊きの様子しかわからないが、カレーを作っている方もちゃんとやっていたらしい。その証拠に美味しいカレーができていた。新歓山行のときはスープカレーだと思うようなものが出来上がっていたようだが、今回はそのようなこともなく、ちゃんとしたとろみがついていて具材も中まで火の通ったものとなっていた。皆の料理スキルのようなものも上がってきているのだろう。

 また、飯炊きの方はというと、この日はHと炊いたのだが、私の方が上手く出来ず、焦がしてしまい、対するHはとても見事に炊けていた。これに関しては面目ないの一言に尽きる。1年間も長く飯を炊いているのに、どうもこの夏合宿では全体的に1年生むよりうまく炊けなかった。やはり、ここに私の普段の怠けた態度が出てしまっているように思う。きちんとした米を炊くためにもきちんとした態度での練習を心がけたい。それに比べHは、この飯炊きで上手く炊くコツというようなものだろうか、そのようなものを掴んだ気がする。きちんとやっているからだろう。

 さて、夕食は私の飯以外は上手くいき、美味しく食べることが出来た。そして、ミーティングでM先生が朝早くから出たほうがいい景色が見られるのではないかとおっしゃっていたので、その言葉に従い18時半には就寝した。



7月29日
〈2日目〉 雨

 2時半に起床し、朝ごはんはうどんだった。起床は皆きちんと起きられていて、うどんもきちんと作ることができていたので、良かったと思う。しかし、私の感覚ではあるが、少しうどんがお腹に溜まってしまい気分が悪くなってしまった。

 当初の予定より10分遅れた4時10分に出発する。この時点で、ポツポツではある、が雨が降り出していた。しかし、そこまで気にする程度のものでもなく、むしろ涼しくていいのではないかというレベルだった。

 1本目は、まだ真っ暗な中をヘッドランプの明かりだけをたよりに何とか進む。ヘッドランプ行動と言われる歩きなのだが、1年生はあれほど暗いのは初めてかもしれない。私も久しぶりでところどころ木の根につまずきそうになっていた。

 そして、ぐんぐんと登って行ったのだが、とてもきつい。これまで登ってきたどんな山の1本目よりきつかった。岩を登り、木を跨ぎ、息を切らせて登っていく内に、Oが異変に気づいた。本来30分あれば着くはずであった仙水小屋に45分経っても着かないのだ。それに気づいた私たちは一旦止まることにした。そして上も確認してみると、道とも言えるが道ではないとも言える、そんな微妙な場所が続いていたようだ。つまり、私たちは迷ってしまったらしい。どうやらきついと思ったのは崩落地を登ったからだったようだ。

 そこで上に行くべきか戻るべきか少し考えることとなった。どこで道を間違えたかもわからない、GPSも効かないため現在地もわからない、しかし道かもしれないという可能性は残っていて今まで登ってきてしまい下りるのも面倒だ。そのような中、M先生は下りるとの判断を下した。もしこれがどこかの道につながっていたとしてもそれが甲斐駒ヶ岳に行くことが出来る道とは限らないし、なによりも、もしこのまま行って更に迷ったら困るということだった。「山では道がわからなくなったら、進むのではなく、わかるところまで戻ることが重要だ」とおっしゃっていて、実際そのまま進んだら迷子になったと思われる。この判断は正しいものだった。

 正規ルートまで戻って小休止をした。岩が濡れていたため下りるのに慎重な動作が必要で、また皆登りも合わせて疲れきってしまっていたからだ。きつい山道は登る時より下りるときの方が精神的に辛いこともある、ということを身を持って思い知らされた下りだった。私も岩に足をぶつけ傷めてしまい、湿布を貼ることになった。

 そして、小休止したところから5分のところで仙水小屋を見つけた。間違ってしまった分岐点もわかりにくく、早朝来る人は間違える人が多いだろうと思われるところだった。

 仙水小屋から30分行ったところにある仙水峠で休憩をした。どうやら1本目がきつすぎて感覚が壊れたようで、何だこんなものかと拍子抜けするような登りだった。

 しかし、その後は散々だった。仙水峠で休憩中に本格的に雨が降ってきたのだ。雨は強く叩きつけるような雨で、容赦なく私達の体力、体温、気力を奪っていった。また、皆防寒着は持ってきていたのだが、サブザックを雨から守るものをWしか持ってきていなかったので、サブザックの中身が防寒着を含めすべて濡れてしまっていた。

 樹林帯で3回目の休憩をした。1本目が終わったところでも言っていたのだが、この時にHがまた体調の悪さを訴え、進むかどうかの判断をすることとなった。しかし、この時は樹林帯だったためあまり風雨も強くなく、また本人の希望もあったため、進むこととなった。今から考えるとここで戻っておくべきだったのかもしれない。次からは体調悪い人がいた時、進むべきか戻るべきかの判断もしっかりとしなければならないと感じた。

 そこから30分で駒津峠に着いた。駒津峠は風雨を凌ぐ木々などなく、直に私たちの体に雨が当たっていた。ここまで来ると、もはや雨具も意味をなさず、体にぴったりと張り付いて寒さと危険を私達に教えていた。私は手はかじかみ動かなくなり、左腕もほぼ感覚のない状態になっていた。また手ぬぐいを首にかけずに持って歩くスタイルなので、それも雨で濡れてしぼれるような状態になっていた。ここで、さすがにここから3時間、この雨のなかを行くのは無理だろうとの判断になり、引き返すことになった。

 恥ずかしい話ではあるが、私はそれを諸手を上げて喜びたい気分だった。5日目に下りようと提案した時もそうだが、私は山への執着心が足りない。皆山が好きでだから登っているのだが、肝心なときに登りたいと思うほどの執着が出ない。勇気や根性は無謀とも言い換えられる。この時に登るのは勇気や根性ではなく無謀だっただろう。しかし、それを手放しに喜んでしまっているのが今の私、またワンダーフォーゲル部だ。それは少し意識を改めなければいけないのかもしれないと下りてきて自分の心情とよく向き合ってみて感じた。

 さて、駒津峰から双児山に向かい、そこから下りて樹林帯に入ったところで休憩をした。この1本は正直なにも覚えていない。ただ寒くて雨が恨めしかったとだけ記憶している。そのような天候だった。

 樹林帯に入れば少しは楽になり、歩くうちに暖かくとまでは言わないが、もう凍えるというようなことはなくなってきた。そして、そこから北沢峠を経由して長衛小屋に戻った。

 そこで昼ごはんを食べた。この時に私がジャムを使いすぎてしまったことが後々悪影響をおよぼすことになってしまう。きちんと食料計画を考えて計画的な食料運営をするべきだった。

 その後も土砂降りの雨で何をする気力も起きずに、かなり余った時間を寝て過ごした。しかし、この時寝たのは良かったと思う。次の日が楽になったのだ。

 前日飯炊きに少し時間がかかったので、15時半から水につけることにした。Hがダウンしていたので、急遽、飯はTに炊いてもらうこととなった。これも結果的にはよかった。Tが飯炊きがうまいことが判明したのだ。Tは1日目に私の作ってしまった焦げを洗ってくれていた。それだからか、焦げを作った時の大変さを知っていた。だから焦げを作らないような炊飯係になったのだ。

 この日は私もTも上手く炊けた。しかし、元々の予定では炒飯ということだったのだが、鍋で炒めるのは難しく、まず味付けに必要な醤油もなかったので、急遽ツナと塩で食べることとなった。しかし飯が美味かったので、私としては問題なかった。

 この日は雨のせいでミーティングは出来なかったのだが、18時半には就寝した。2日目はイレギュラーの相次ぐものとなってしまった。この日は反省点も多いので、私を含めきちんと反省すべき点を洗い出して次に活かすべきだろう。



7月30日
〈3日目〉 曇り

 この日は朝から残念なことが起こった。前日から体調が悪いと言っていたHが離脱することになってしまったのだ。元々テント泊が体に合わない上にあの雨と寒い夜でやられてしまったらしい。朝一のバスで帰ってしまった。かく言う私もあの雨や最後の日の雨ですっかり体調を崩して、山を下りてから大分苦しむことになった。やはり事前に天気予報を見て大雨が振りそうならきちんと対策を立てるなどの心構えが必要だったのだろう。苦しんでからでは遅いと今では反省している。

 起床はこの日もちゃんと出来た。この日の朝ごはんは焼きそばだった。私としてはとても美味しくできていたと思ったのだが、焼きそばが腹に重いと漏らしていた人もいた。また残り水の処理にも困った。私のテントはTが上手くやってくれたのであまり水が残らなかったが、ジャンボテントの方は大変だったらしい。

 この日はちゃんと当初の予定通り4時に出ることができ、1本目を行った。しかしどこかペースが速く、皆きつそうだった。この日はここに限らず全体的に速かったと思う。それでも1年生はちゃんとついて行っていたので、自分の体力のなさと不甲斐なさをひしひしと感じた。

 1回目の休憩は3合目で5時に休憩をしたのだが、そこから赤々と燃える太陽を見られた。綺麗に赤い太陽を見られるのは山の特権だろう。下の朝日とは比べようもないほどの圧倒的な赤だった。そしてそこから順調に登って行ったら、珍しいものを見ることができた。雪渓だ。正直雪の残っているところがあるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。夏でも残雪が残っている場所を見ると今高いところにいるのだという実感が持てる。それは私にとってはとても嬉しいことだった。

 大平山荘との分岐で休憩をとった。この時昼食を食べたらどうかとM先生には言われていた。ここからまだあるし、上は風が強いから食べることができないかもしれない、と。しかし、なんとなく頂上のようなものが見えていたので、私たちは頂上へ行って食べることにしたいと決めた。しかし、やはり先生の言うことは正しかった。頂上では風が強く、小仙丈ヶ岳まで行かなければならなくなってしまった。自分たちより経験がずっとあるのだから、先生の言うことは素直に聞いたほうがいいと思った。

 休憩が終わると、どんどんと頂上を目指して歩く。途中で霧が濃くなり、視界が5mほどしかないようなそんな天気になった。しかし、どんどん歩く。体力というよりも気力にあふれているような感じだった。気合が入っていた。

 しかし、M先生と先生を気にしつつ歩いていたMが遅れてしまった。見えなくなってもかなり進んでしまっていた。晴れなら良かった。しかし霧で視界が利かないときにあれは危険だったと後から思う。道があるとしても、もしかしたらなにか起こっているかもしれない。助けを求めているかもしれない。皆がそれがわからないところまで進んでしまっていたら危険だ。だから、先生を気にしつつ歩いていたMの歩き方が一番良い歩き方だったのだろう。

 少し疲れながら仙丈ヶ岳を登り切った。ここを登った感動はすごかった。なんといっても3000m越えの山だ。感動する。しかし風は強く、防寒着も濡れている状態だったのであまり長居は出来なかった。私は景色も見えなかったので登れたという感動だけあればすぐ下りていいように思えていた。しかし下りようとするときに1人のおじいさんが登ってきて言った。「ああ綺麗だ。景色が見えなくても心の目で見える。綺麗だ」それを聞き、自分の考えを恥じた。景色が見えないから意味がないというようなものではない。そんな薄っぺらいものが登山ではない。なんとも言い難く抽象的なのだが、景色などより登って頂上にいる、それだけで意味がある、それが登山だと感じた。

 そこから、お昼ごはんを食べるために、小仙丈ヶ岳に向かう。ここが寒かった。森林限界などとうに越えていて吹きさらしの風の中を歩いていたのだから当然だが、途方も無い寒さだった。Oの髪が凍っているのではないかなどとそんな話が出るレベルだった。そんな中、必死に歩き、小仙丈ヶ岳に着く。小仙丈ヶ岳も雲に覆われていて景色は望めないだろうと思っていた。しかし、お昼ごはんを食べている間に、なんの奇跡が起こったか、雲が切れ綺麗な山が見られた。あの時の感動は最高だった。諦めていたのに見られることほど嬉しいものはない。すぐに元通りになってしまったが、あの風景はまだ私の中に残っている。

 下りようとするときに問題が発生した。私の財布の中のお札がなかったのだ。結局テントの中に置き忘れていただけだったのだが、下りの間中、私は気が気ではなくいろんな人に迷惑をかけてしまった。自分の持ち物のことはきちんと把握しておく。日常生活でもそうだが、気をつけなければいけないことだ。そして焦りながら、2本で小仙丈ヶ岳からテントに戻った。焦りながら山道を行くというのも怪我の原因である。わたしは偶然怪我しなかったが、落ち着いておりるように心がけるべきだ。

 長衛小屋についた後は自由時間となった。この時、小屋周辺は晴れていたので、皆で河原に濡れたものを干すことが出来た。これはとてもありがたかった。この晴れがなければ5日目までもたなかったと思う。タオルなども洗って干し、たくさんのものを干していた。またやることがなかったので、トランプをすることになった。あまりにも時間が余っていて、いろいろなことをしていた。晴れてもいたし、あまり暑さも感じなかったのでよかった。

 また15時半から米に水を吸わせた。この夏合宿では、米に水を吸わせる時間は30分というように決めて、そこから炊けるまで何分というようにちゃんと時間をはかってやった。そちらのほうがうまくいきそうだ。飯はまた私とTで炊き、私が焦がしてしまったのだが、Tは上手く炊けた。ここでも私の不甲斐ない部分が垣間見えてしまった。本当にきちんとしなければと思う。

 この日はお茶漬けだったので、飯を炊いて湯を沸かして終わりだった。お茶漬けはとても美味しく、また炊飯係は大変だが、作るのと片付けるのが楽なのでメニューとしてはいいものだと思う。

 その後、引率がA先生に変わり、ミーティングをした後、また18時半に就寝した。この日の夜はとても寒く、靴下も防寒着も脱いでいた私には辛い夜となった。日中日差しが出ているからと油断してはいけない。日中日差しが出ている日こそ夜は寒いんだということを肝に銘じた夜だった。


筆者 N・M (2年生)


7月31日 〈4日目〉 晴れ

 夏合宿も後半を迎えた。前半に引率していただいたM先生からA先生へと交代し、後半戦を乗り切る体制になった。

 山行2日目の甲斐駒ケ岳のアタックの際、仙水峠から駒津峰の間の行動中に暴風雨にあったためにアタックを中止し引き返したこと、3日目の仙丈ヶ岳のアタックで無事に山頂に到着することはできたが、山頂からの景色は雲の影響で全く望めなかったことなど、前半は天候に恵まれなかったことが非常に残念だった。そして、合宿期間のうち1日だけでもいいから天候に恵まれた山行を望んだ4日目は、朝から天気が良かった。

 2:30に起床し、撤収を済ませ、4:30に長衛小屋をあとにした。合宿前半の行動はメインザックをキャンプ場に置き、サブザックで行動していたが、後半はメインザックでの行動のせいか、全体的にパーティーに勢いがなかったように思われた。

 1本目は主に樹林帯で皆順調に歩いていたが、2本目以降のハイマツ帯を抜けた後の岩場の登りは急なアップダウンが多く、また一向に山頂が見えないことからバテ始め、全体的にペースが1本目に比べて遅くなった。また、小屋から栗沢山まで2時間のコースタイムで標高差約700mと急な登りだったことも、いつものペースについていけずバテてしまった要因かもしれない。日頃からの練習に手を抜いてきた結果が、このような大事な山行に影響してしまった。

 なんとか栗沢山山頂(2714m)に到着し景色を望むと、甲斐駒ヶ岳を望むことができた。

 栗沢山からはアサヨ峰(2799.1m)に進んだ。栗沢山までと同じく岩場が途中であり体力的にも精神的にもかなり消耗してしまった。

 そして、アサヨ峰に到着した。アサヨ峰からの景色は最高で、北岳(3192.4m)や甲斐駒ケ岳(2967m)を一望することができた。休憩したあと、幕営地である早川尾根小屋(2400m)に向けて出発した。

 アサヨ峰から早川尾根を下るのは、途中に岩の登りもあり、急な下りもあり、2年生がバテ始めてしまった。1年生の前でバテたりと、みっともない姿を見せてしまったことはとても反省している。小屋までは樹林帯で適度に涼しく山行の環境は良かったと思う。

 そうして、峰から2時間で早川尾根小屋に到着し、会計が幕営費を支払うために受付をした。しかし、着いたと同時に大半がザックをその場で下ろし、くつろぎ始めてしまった。山行というものは幕営の際の受付から設営まですべてが山行なのであって、途中で気を抜いてはいけないのである。せめて受付をしているあいだにテントを設営するところを決め、受付が終わり次第速やかに設営をしなければいけなかったのである。山に登り、そして下りる。ただそれだけを「山行」と勘違いし基本を忘れ、怠けてしまったことを先生から指摘されたときは、活動2年目にして初歩的なこともわからなかった自分が恥ずかしく、後輩にも示しがつかず、深く反省している。

 そのような問題があり、結局そんないい加減な空気のまま設営をモタモタと行い、昼食もマーマレイドを計画書に買うことを記してあるはずにもかかわらず勝手な判断で買わなかったことなど、一つ欠けたら次々と欠陥点が見つかった。何事にも緊張感を持って取り組まなければならないと痛感した。

 夕食は初の炊き込みご飯で2つのコッヘルで炊き、1つは水っぽく、もう1つは固かったが、2つを混ぜることで丁度いい固さにすることを1年生が提案したことはとても素晴らしかった。よりよい食事にするためにこれからもたくさんの意見を出していってほしい。

 しかし、ガスの残りが少なくなり、明日の朝までしかもたないということが分かった。準備会で新品を買っておくべきだったと思う。夕食を済ませ、前日と同じく18:30に就寝し、2:30起床をミーティングで決め、今日を終えた。



8月1日 〈5日目〉 曇り時々雨

 2:30に起床し、朝飯であるインスタントラーメン(塩)を作った。既製品はやはり美味しいと思った。片付けと撤収を済ませ、4:30に早川尾根小屋をあとにした。朝食を食べている時に小雨が降っていて本降りになりやしないかと少し不安だったが、後にその不安が的中することになる。

 今日、5日目は小屋から広河原峠(30分)、広河原峠から白凰峠(1時間20分)、白凰峠から高嶺(2778.8m・1時間)、高嶺から鳳凰三山を巡り、南御室小屋に幕営して最終日を迎える予定だった。しかし先ほどの不安が的中してしまった。

 小屋を出発してすぐにカッパを着た。白凰峠までの2時間は天候の影響なく歩いた。しかし、白凰峠から高嶺に向かう途中からとても強い風と雨が襲ってきた。この雨と風が続いたら、たとえ高嶺を登りきったとしても、そのあとの鳳凰三山の山行が困難になってしまうことから、A先生の判断で、雨と風を避けられるところで様子を見ることにした。

 15分ほど経過したとき、携帯の通信がつながることからFが天気予報をMapionという検索サイトで調べた結果、午前中は雨が降り続けるということがわかった。そこで、先生の指示で、白凰峠と広河原の分岐点まで下り、雨と風が止むまで待つことにした。待っている途中で、鳳凰小屋から来た別の団体がやってきた。話によると、風は強いが山行に問題はないと言っていた。そのため先生は、少し待機して高嶺を目指す方向にあると言った。

 しかし、強い風と雨による寒さのため皆の体力は限界を迎えていた。Fは気分が悪いということで正露丸を飲むなど、これからの山行は継続不可能と考え、先生は広河原へ下ることを決めた。

 下山中は鉄はしごの連続やロープ付きの岩場など危なく慎重に行動しなければいけないところが数多くあった。そして、そこで事件は起きた。Mがロープ付きの岩場を下りているとき滑った拍子にバランスを崩し、崖から3mほど下まで落ちてしまった。幸いにもザックから落ちたので腕に切り傷と擦り傷を負った程度で済み、重大な問題にはならなかったが、ここでも一瞬の気の緩みが何かの問題につながるということを痛感させられた。また、落ちたMに対する先生の救助方法であるロープでザックを引き上げ、そのあとに胴体に結ばせ引き上げるという方法はとてもためになり、もしものときの活用法として勉強にもなった。そこで休憩をとり昼食にし、それから下山をした。下山中は滑るところが多く皆慎重に焦らずに下っていった。

 広河原のバス停に11:00くらいにつき、解散式を行った。先生からは様々な反省事項と今後のあり方について話を聞いた。山行中はすべての行動が山行であること。気を抜けば、必ず重大な事故につながること。日頃の行いがかなり天候の良し悪しに関わってくることなど、反省すべき点がかなり見つかった。

 秋から新体制を迎え、1年生も何らかの役職につき、誰か一人でも欠けてはいけない状況になる。合宿を通して全体的に体力が十分になかったと思う。そのため日頃からの練習を怠けず真面目に取り組み、秋からは楽しく充実した山行にしていきたいと思う。


《「稜線」第35号(2013年度)所載》

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