2012年 夏合宿 山行記

筆者 Y・I (3年生)

 7月山行から中3日での夏合宿である。楽しみでもあるが3年生である以上、歩ききるだけでなく1年生のフォローなどもしっかりしてワンゲル部員としての最後の合宿を成功させなければならない。
 そんな重圧も感じながら、新宿駅へと向かう。


7月27日
〈1日目〉

 集合は新宿駅だった。今年の山行は集合時間が守られないことが多かったが、今回は皆余裕を持って集合していた。当初は先生方を含めて9人のパーティの筈だったが、直前になってYが足の怪我の影響で参加を控えるということで8人での出発となった。  

 特急に乗り4時間で南小谷に到着。1年生が南小谷までの切符しか買っておらず、平岩駅では少しバタバタしたが、それ以外は何の問題もなく電車・バスを乗り継ぎ、予定通りに蓮華温泉に着いた。幕営の後は時間もあったため、皆のんびりとしていた。

 16時から私とDはTさんと一緒に気象の仕事に取りかかった。

 その間、他の皆は夕食の準備を行っていた。メニューはナシゴレン。インドネシアの炒飯らしい。ところが味付けが濃過ぎたようで皆なかなか食がすすまない。合宿で新メニューを試すのはやめた方が良いようだ。

 消灯は明日の起床が3時ということもあり7時。今日は歩行がなかったというのに皆とても疲れた顔をしていた。



7月28日
〈2日目〉

 朝から反省点の多い1日だった。まず30分寝坊した。その上、朝食を作ろうとしたら、うどんの麺が3人分しか無い。さらに火にかけているコッヘルがひっくり返った。結局先生方は非常食を召し上がるということになり、私達部員8人で3人分のうどんを分けた。1年生には今日の反省をしっかり今後の山行に活かしてもらいたい。

 撤収後、予定よりかなり遅れて出発。途中、天狗ノ庭で朝食が少なかったことを考慮して昼食用のサンドイッチを半分ほど食べた。その後は順調に進み、コースタイムより早く白馬大池山荘に到着し、昼食と幕営を済ませた。

 そこからはサブザックでの行動となった。大池の横を通って雪田を目指す。1本もかからず目的地に着き、Tさんの指導の下、雪渓歩きの練習をした。今後のルートには雪渓がたくさんあるらしい。夏だというのに広がっている景色はまるで冬であり、少し感動した。幕営地まで戻りしばらく自由時間となったので私は睡眠をとることにした。

 16時からは初日と同じく気象組と食事組に分かれて作業した。天気図は今までと比べるとずいぶん良いものが描けている気がする。Tさんのおかげである。夕食は麻婆素麩。美味しく出来上がっていた。片付け終了後、前日と同じく19時に消灯。今日の反省事項を思い出しながら眠りについた。


筆者 Y・K (3年生)


 夏合宿。我らワンダーフォーゲル部の最大の試練である。累計標高差7000m、45km以上の道のりを27sの荷物を担いでいくのだから普段の山行とは桁が違う。この数字がどのくらいかと言うと、高尾山を麓の駅から9往復もしくは東京駅から八王子駅までを歩くようなものである。これだけ聞くと案外平気そうに感じるかもしれないが、27sという重さである。赤ちゃん9人をおぶってこれをやれと言われれば話は違ってくるだろう。それでいて山に5日間籠もる、鬼のような合宿である。

7月29日 〈3日目〉

 そんな合宿の中日は、幸い晴れであった。昨日のようなミスもなく、無事に朝は終わった。

 朝食はラーメン。長年に渡り何人もの部員を山から降ろしてきた因縁のメニューだが、今年の1年生は大丈夫そうだった。というよりも、先代の食料係が愛用してきたメーカーが山には合わなかっただけではないだろうか。今回は何となくXO醤を入れてみたのだが、あるとないのとではかなり違う。我が部の因縁の麺類も、残すは蕎麦だけだろう。

 そんなことを思いながら撤収を始める。しかしまだ明かりも点けていないテントが多かったので、無声でラジオ体操。出発するも、これだけテントが多いと足を引っ掛けそうで慎重に歩かなくてはいけない。そして幕場を抜けていきなり雪渓。昨日雪原で練習もしたし、雪渓とは言えないくらい短いものだったが、ザックを背負っている分緊張する。ゆっくり雪渓を横切ると、今度は登り坂である。ペースは上がらず、登山道で日の出を迎えてしまう。しかしそれでも朝焼けの白馬大池を望むことができて満足である。

 船越ノ頭を過ぎると本格的な岩稜歩きとなり、高山植物も増えてきた。増えてきたというよりも、右を向いても左を向いても花が咲いている、そんな状態である。今まであまり高山植物に恵まれた山行はなかったので今年こそたくさんの花に会いたいと思っていたが、最後の山行が大当たりで本当に良かった。一見同じように見える花でもよく見たら違う種類であることが頻繁であったり、酷いガレ場に咲いている花の原種が平野でごく普通に見られるものだったり、なかなか高山植物も面白い。

 道端の花を楽しみ、涼しい風に吹かれながら森林限界を超えた岩の稜線を歩く快感は普段の山行ではなかなか味わえない。3日目にしてようやくアルプスに来たんだなという感じが湧いてきた。しかし気持ちいい反面、すぐガスに包まれてしまうのも高山の特徴である。白馬は雲の壁を作っていた。その様はまさに「怒れる獅子」という感じである。

 小蓮華からそちらに向かう間、もうしばらく雲の上にいてくれよと願いつつ非対称山稜なるものを歩いていくが、日曜日、日本百名山、「登りに変化があってしかも易しく、道も小屋も整っている」人気の山であるから、登山者が多い。時折渋滞に巻き込まれながら進んでいると、いつしか道はガスの中であった。白馬岳に着くもガスは晴れることなく、風も身を切るようだったので、そそくさと山頂を後にした。

 白馬頂上宿舎まで一気に下って幕営を始める。が、ガレ場のうえ風が強く、思うように張れない。ようやく張れたころには体も冷えてきたので、急いでテントの中で昼食をとる。2700mもあるのだから寒くても仕方がない。しかしこう寒くても食べれば元気の出る果物缶と言うものは、本当に偉大である。

 少し休んだ後、杓子岳までピストンすることに。しかしここで元々風邪なのになぜか防寒着を雨具で済ませようとしてしまったFが離脱。M先生とともにテントで留守番と言うことになった。丸岳周辺の稜線もやはり花畑で、一行は霧に包まれながらも軽い足取りであった。しかし白馬三山に挙げられるだけあって、杓子岳の登りはそう簡単なものではない。200m以上ある急登のうえ、大変足場が崩れやすい。落石を起こさないように気を配りながら登らなくてはいけないほどだ。落石に遭うのもいやだが、加害者になるのはもっと御免である。

 そういう次第で、山頂に着いた頃には神経が擦り減っていた。これで晴れていれば万々歳だが、依然ガスの中。テントに戻るには同じガレ場を再び下らなくてはいけないわけだが、今思えばこの下りが今山行の中で一番神経を張りつめていたかもしれない。それでも下ってしまえばサブザックの身なので、あとはのんびりと行くことができた。そしてあれだけ暗かった空がここに来て好転し、雲の切れ間から白馬岳が悠然と構えていた。正直今日はあきらめていたが、本当に山の天気と言うものはわからない。きつい下りも終え、かなり元気の出た一行は心行くまで高山植物を楽しんだ。

 夕食は2700mという標高の中炊く焦げやすい炊き込みご飯だったが、炊飯係のは最後まで優秀で何の問題もなく出来上がった。引き継ぐ予定のFも上手に炊き上げ、しばらくワンゲルの飯事情は安泰であろう。

 ただ、確実なエスケープルートが保障されているのはここが最後のため、風邪気味のFとバテ気味のOがここで隊を離れることに。離脱者は隊の士気に関わりそうであるし、至極残念ではあったが、何かあってからでは遅いので明日2人とM先生は大雪渓を猿倉に下ることになった。



7月30日 〈4日目〉

 テントから外を覗くと、満天の星空だった。今日も期待できそうである。3時に起き、日の出に備える。高地ということで沸点が低いながら、パスタも無事茹で上がり、今日は絶好調である。

 エスケープ組との食料・装備分担も順調に進み、一行は再び白馬岳山頂を目指す。白馬岳の西腹を登っていると空もだいぶ白んできて内心不安だったが、稜線に出た瞬間太陽が雲から顔を出す絶妙なタイミングで、思わず快哉を叫んだ。南には杓子岳、鑓ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、と北アルプスの主稜線が続いていき、西に視線を移すと立山・剱岳が、北にはこれから向かう雪倉岳、朝日岳と見渡す限りの大展望であった。大雪渓組も白馬岳山頂まではついてきてくれたが、山を下りる前にこんな絶景を見ることができて良かったのではないかと思う。

 山頂で記念写真を撮った後、大雪渓組に別れを告げ、三国境へと降りていく。そこからは昨日のルートと分岐し、いよいよ雪倉・朝日の縦走ルートに入る。この道もコマクサやウルップソウなど、見たかった花々が続出し飽きさせない。雪倉岳まで雪渓を横切りながらザクザク進み、3本かからずに登ってしまった。そこでお昼を摂っていると雲一つなかった青空もガスに覆われてしまい、一行は山頂を後にした。青空は気持ちのいい反面かなり暑くなってしまうので、白馬岳で景色を堪能した分曇ったほうが嬉しかったりする。

 燕岩の手前の花畑で休息を取るが、生徒が3人と少数でポリタンもすでに2周目に入っている。ちょうど次の歩行の間に水場を通りそうなので、そこで水を補給することにした。いざ水場に着いてみるとただの沢なのだが、今日まで小川の水、池の水、雪渓の水を飲んできたのでもう慣れてしまった。むしろ冷たそうなその流れに期待が高まる。飲んでみると案の定雪解けの水温で、まだまだ続く長い道のりに丁度よかった。

 そこからは木道中心の行程でニッコウキスゲの咲き乱れる草原やミズバショウの生えた池塘をこえて水平道分岐に到着。しかし頂上宿舎のスタッフに確認しておいた「水平道は使える」という情報はどうやら誤りのようで、水平道は無情にもロープで封鎖されていた。今年は残雪が多めと言うことで覚悟はしていたが、それでも5本歩いた後に400mを一気に登るというのはかなり来るものがある。特に登り始めは急登どころでは済まされないとんでもない傾斜で息たえだえ、超鈍足という感じで登って行った。

 それでもしばらく行くとだいぶ緩やかになり、何とか朝日岳山頂にたどり着くことができた。霧に包まれているのが嬉しい。あとは朝日小屋まで下るだけ、疲れていたのでのんびり下った。途中荒廃した木道も見受けられたが、同時に再整備も進んでいて一安心である。まったく頭が下がります。

 朝日小屋に着き、テントを張る。しかし張りが弱かったようだ。それを先生に指摘されると、今まで体験したことのないような、盆をひっくり返すとはこのことかというような凄まじい雨に遭った。すぐに浸水し始めた。張った場所も悪かったらしく、気づけばテントの床下浸水という状況になっていた。2年前の床下浸水時はウォーターベッドになって気持ちよさそうじゃないかと呑気なことを考えていたが、2年もやっていればテントが濡れるのがどれだけ厄介なことかわかっている。最後の幕営だったのがせめてもの救いである。

 雨が小康状態になったのでテントを張りなおす。場所も替える。加えて水が来ないように堀を作る。さらにこれでもかというくらいフライを張り(ペグは使わず石で張るのがコツ)一呼吸しに水場に行くと、なんと蛇口からは泥水が……! どうやら今の大雨で原水が駄目になってしまったらしい。Tさんのアドバイスを頼りに必死に濾過を試みるが健闘むなしく、ガーゼを通しても水は濁っている。幸い今日の夕食はレトルトだったので、温めるだけなら泥水でも大丈夫だ。炊飯分の水はぎりぎりあったので何とか食事にあり付くことができた。最後の炊飯は自信作らしく、レトルトと相まってかなり満足のいく夕飯だった。

 これであとは寝るだけと言うなら良いのだが、明日までに水が回復するかがまったくわからない。とりあえず朝食は水を使うジフィーズを取りやめ、A先生が普段から持ち歩いているという非常食を戴くことになった。また、念のため泥水を煮沸しておき、どうしても駄目だったときはそれを飲むということになった。

 今日も何だかいろいろあった、さて寝ようという時に、今度は怪我人がいて搬送用のヘリコプターがここに飛んでくるということでテントを抑えてくださいという小屋番の指示があった。ヘリコプターがいつ、小屋のどこに、どうやって飛んでくるのかは全く分からなかった。霧のため上から着陸できるのかもわからない。と思ったら、下からやって来た。操縦士の技術に感心しているとあっという間にヘリコプターは飛び去って行ったが、本当に今日は色んなことがあった。ワンゲル最後の夜の感傷に耽る間もなく、疲れて眠ってしまった。




7月31日 〈5日目〉

 今日も頭上は星空。良かった。最終日がすっきり晴れたのは何年か振りだそうだ。山の神様を信じてきて良かった。GWに穂高神社にお賽銭を入れてきて良かった……!

 ただ穂高神社にお祈りしたのは夏合宿の成功なので、まだ安心するわけにはいかなかった。何しろ水がないのだ。とりあえず昨日決めたとおりA先生の非常食を戴く。ジフィーズもお湯を入れて待つだけだが、このご飯(?)は封を切って食べるだけなので、時間が全くかからない。まだ泥臭い気もしたが一応水も澄み、撤収もあっという間に終わり、もはや定番となった無声ラジオ体操を終えて早速歩き出す。

 早めの出発だったので今年初めてのヘッドランプ行動になったが、これから秋の深まる山々を歩く1年生にとっては練習になると思う。もっとも朝日岳の登りは昨日下りてきた道のため、迷うことはなかった。この朝日岳の登り(約200m)を超えれば最初の関門突破である。

 今日の行程はまず朝日岳に登って、そこから1300m以上下りて、そして最後にまた登る(しかも300m強)、N字型の今までにないものである。最終日なのに歩行時間は7時間超で、最後に登りが控えている。そこで夏合宿で溜まった疲労にダメ押しされないためにペースを考えていく必要がある。とりあえずNの3分の1はあっさり終わった。

 朝日岳は昨日とは打って変り、大展望である。東を見ると、朝日が雲海を照らしている。その雲海に浮かんでいるのは妙高であろうか。南には雪倉があり、その後ろに白馬連峰が大きく展開している。そして西には立山が昨日よりもくっきり鴇色(ときいろ)の空を縁取っていて、その隣には剱岳がすっくと聳え、さらに西の方には白山が望めた。北に目を移すと日本海である。日本アルプスの南の果てが光岳(てかりだけ)なら、北の果てはここ朝日岳だろう。もちろんテカリとは違って、朝日を北に下っても這松はあるだろうし、親不知が日本アルプスの起点だというのが一般的だけれど。

 水は安全だと断言できるわけではなかったので、朝日岳頂上付近の水場を探すという話だった。しかし気づくと吹上のコルまで降りてしまっていたのでそういう話はなくなった。この先にも水場はあるし、第一朝日小屋の水を飲んでみても別段変な感じはなかったからだ。それにしても朝日岳〜吹上のコルは早かった。速く歩いたつもりはないのだがコースタイムの2.5倍……。ここを北に行けば栂海新道、あの有名な親不知までの縦走ルートである。いつか安房峠からこの道を通って親不知まで行く日は来るのだろうか。そんなことを夢見つつ、一行は蓮華温泉の方に下り始める。

 道端の花が大きくなっていて高山植物という感は薄れたが、色とりどりで楽しい。慎ましやかさこそないけれど、「高原植物」といったところか。気持ちのいい高原であったが、途中何ヶ所か雪渓があった。ところが南斜面のため、体重を乗せると崩れそうなほど水っぽかった。仕方ないので、雪渓の下を回ることにした。登山道を逸れて原野に足をつけるのはやや気が引けたが、雪崩を起こすよりかはいいだろう。ここでも雪解け水を直に飲んだが、素晴らしい味だった。

 結局おいしい水が恋しくなり、小さな沢で休息を取る。朝日岳の下りが相当早かったから、N字の第2段階はあっという間に終わるだろうと思っていたが、間違いだった。この3本目は純粋な下りというわけではなく、地図で等高線を縫うような形で道が描かれている通り微妙なアップダウンを繰り返しながらの道だった。しかも地図の言うとおり、よく滑る。木道はたいてい原っぱにあるので日当たりさえよければ乾いてしまい問題ないのだが、今は密林の中、沢沿いに歩いているので常時濡れているような感じである。というわけで盛大に転んでしまった。ザックが重すぎてでんぐり返ってしまった。CLというのは景色はいいのだが、始めの一歩を常に踏まなくてはいけない存在なので、滑りやすいポイントに引っかかりやすいのだ。

 そういう次第で、花園三角点まではコースタイムと同速の鈍足っぷりであった。三角点自体は灌木の中にあってあまり花園という感はないが、周辺は五輪高原と名付けられた気持ちのいい草原で、ワタスゲやオオバキボウシなどが思い思いに陽の光を浴びている。すでに1700mまで降りてきて高山としての眺望はこれが最後だろうということで昼食にする。木道にご飯を広げることになるだろうが7時半だから大丈夫だろうと思っていたら、一人登ってくる人がいた。一体何時に蓮華温泉を発ったのだろうか。夏合宿最後のご飯はさながらピクニックのようだった。爽やかな高原であった。

 再び歩き始める。木道からポクポク響く足音が心地よい。今日も絶好の天気で良かったのだが、稜線でないから風も少なく、標高も低く暑くなってくる。仕方がないので眼下の景色に別れを告げ、森林帯に逃げ込むのだが、どうもまだ疎林で日光を遮断してくれない。大変暑かったが白高地沢まで下りることができたので火照った体を冷たい流れに任せた。

 景色に溶け込んでいるとは言えない丈夫そうな鉄橋を渡ると、次第に人が増えてきた。中でも林間学校と思われる団体が長大な列を作っていて、時間がかかる。まぁこれから最後の登りが控えているので疲れない分いいのだけれど。そうかと思うと、案外地図では表記しきれない登りがすでに始まっていて体温が上がっていく。

 そして瀬戸川を越えると、最後の登りが待っていた。やはり、さんざん歩いてきたあとにこんな坂があるとこたえるものだ。一度小さな沢で体を冷やし、再び登りに取りつく。なぜか途中道がロープで封鎖されていたが、何だったのだろうか。ロープをスルーした先は木道で、兵馬ノ平も近い。ここら一帯の湿原は観光客も歩けるような遊歩道になっている。だからきつい登りもないだろう、と思っていたけれど、この炎天下、緩やかな坂でも重い荷物を背負っていれば汗もかく。兵馬ノ平は美しい湿原だったのが救いである。

 その後も地味な登りが続く。ふと下を見ると、小さな鼠がいた。跨いでも全く動じなかったのは人に慣れているからだろうか。蓮華温泉までほんの僅かである。気づけば初日の幕営地で見た赤い屋根が前にあった。もう50分歩いていたが、そのまま歩き通し蓮華温泉へ。長かった合宿は終わった。

 解散式を終えた後、皆温泉に入ったりジュースを飲んだりして体を休める。そしてゆっくりバスで平岩に下り、A先生とTさんは新幹線に乗りに糸魚川方面へ。私は松本経由の鈍行にのんびり揺られることにした。実は平岩から八王子までご一緒だった方がいたが、その方々といろんな山の話をしながらだったので鈍行も都心に着くのは早かった。こういうことがあるのも山の魅力である。

 まったく今回の山行はいろいろあった。今回と言い切るより、今年度と包括してもいいかもしれない。
 夏合宿を終え、1年生に部活を託すことになるが、人数が多い分協力していってもらいたい。2年生がいないのはきついかも知れないが、大きなアドバンテージにもなりうるので、登りたい山に登るためにも知識や体力をどんどんつけてもらえれば良いかなと思う。今回完走できなかったメンバーも、これから長いから次の機会を楽しんでくれたら幸いだ。山は逃げないとはよく言ったものだ。

 最後に、個人の感想になるが、この夏合宿は「大雪渓あり、豊富な花畑があり、眺望がすこぶる良い」と称される通り、大変楽しい山行であった。「鬼のような」と最初に書いたけれど、実はかなり楽しみにしていた自分がいる。3年間の全山行を通す中でいつの間にか山に憑かれてしまったのかもしれない。それに、夏合宿というものは辛い分見返りも大きい山行だと思う。引退がこういう山行で良かったなと思う。それにしても終わってみれば私の高校生活はワンゲルあってこそのものになっていた。2年前この部活に入ろうと思ったことは、まったく間違いではなかった。ワンダーフォーゲル部に入って良かった、本当に。



《「稜線」第34号(2012年度)所載》

▲2012年度の山行一覧に戻る▲

△以前の山行・目次に戻る△

■ワンゲル・トップページに戻る■