2012年 春合宿 山行記

筆者 Y・K (2年生)

 昨年度は地震の影響で中止になってしまったので、今回の丹沢が初めての春合宿である。都心では桜咲くこの季節でも、山は依然厳しく雪を纏ったままのことが多い。雪山に初めて、しかもCLとして入るのには不安もあったが、同時に期待もあった。雪山とは、一体どんなだろうか。それを探るべく、丹沢へ向かうのだった。

4月5日 〈1日目〉 快晴

 春分の日は過ぎたけれど、まだまだ暗い朝の5時。出発後気づいた。今日の夕飯のしゃぶしゃぶは何で食べるのか。慌ててコンビニでポン酢を買うと、電車はすでにいなかった。集合駅の新宿に着いたのは3分前。しかし都心の要塞として知られる新宿駅で集合場所にたどり着くのには困難を極め、CLだというに危うく遅刻しかけた。その後トイレの長蛇の列に飲まれ、パーティを小田急線で立たせてしまった。CLだというのに不甲斐ない。要反省の集合ではあったが、予定通り交通機関を乗り継いで、登山口のヤビツ峠に到着。(ヤビツ峠までのバスも、本数が少ないため人が集中し、立ち通しであった。)

 歩き始めは柔らかい日差しに鳥が囀る中をゆったりと下るもので、和やかで気持ちよかった。しかしその短い下りが終わると、しばらく登り一辺倒である。それにしても、暑い。どこの夏山だというくらい、暑い。耐えかねた私は半袖になるという暴挙に走った。結果、何もなかったからよかったが、山で肌を晒すのは極力避けましょう。爆弾低気圧が残したぬかるみと倒した木々に苦労しつつ登高を続ける。登り切ると二ノ塔、そして目の前に三ノ塔が聳えていた。

 三ノ塔まで行って休憩をとる。風が強いので山頂の避難小屋が有難い。しかしこの三ノ塔は背の低い割に素晴らしい展望で、大山、表尾根、箱根はもちろん、条件が良ければ東京タワーまで臨めるそうだ。なかでも目を引くのはやはり富士山で、今日はその群青の山肌を空に溶かし、かぶった雪だけが白雲のように空を漂い、幻想的であった。今日目指す塔ノ岳は富士の右手にある。目標が見えるとモチベーションは上がるのだが、三ノ塔からはガレ場鎖場の連続で、なかなか大変だった。苦労はしたが、展望もよくスリリングな塔ノ岳までの尾根は背の割に高度感があって楽しく歩ける。そのため塔ノ岳までは早かった。

 今回宿泊する尊仏山荘は立派な外観で、今までみすぼらしいテントに泊まってきたことを考えると快適さは計り知れない。お邪魔すると、外観だけではなく内装もしっかりしていて、一同いつの間にか寝息を立てていた。

 昼寝の後、水を汲みに行き食事の準備を始める。水場までは結構な距離で嫌になってしまったが、雪解けの水は素晴らしく旨くその苦労を忘れさせた。そしてしゃぶしゃぶだが、山でしゃぶるのは難しいなと思いながら作った結果、一種の鍋になってしまった。しかも朝の貴重な時間と引き換えに買ったポン酢は、ポン酢ではなくだしつゆなのであった。……という状況であったが、そのしゃぶしゃぶまがいの鍋は不思議とおいしかった。紅葉おろしと生姜の功労は大きい。

 たいていの山は夕飯を片付けるとやることがなくなってしまうのだが、都市部の近いこの山からは夜景も楽しめる。見てみると、満月の下で無数に瞬く街の燈が。なるほど遠く東に高層ビル群も見えるのだが、眼下の秦野市街の夜景は息を呑むほど綺麗だった。失礼かもしれないが、秦野の夜景が有名とは聞いたことがない。しかし現にすぐ下で秦野の街が煌々と輝き、そこから放射状に延びる車が光の列を成している様は、表現しえない景色だった。少し視線を外すと相模湾を縁取る湘南の海岸線がわずかに見て取れ、その先に点々としている漁火も美しく、また振り返ると、闇の中に丹沢の山々がぼうっと浮かび小田原の夜景を引き立てていた。

 そして戻ると柔らかい布団が待っているのである。私はこの上ない幸せな気分に浸り、しかし反芻する間もなく眠りに落ちた。



4月6日 〈2日目〉 霧のち晴れ

 朝はすぐに来た。おかしいと思ったが、4時である。布団をたたみ朝食を作り始める。昨日とはうって変わり嘘のように寒い。それもそのはず、窓の外はいつの間にか一面銀世界となっていた。おかしいと思ったが、昨日体験できなかった雪山が現れて嬉しくなる。カレーうどんもおいしい。けれど臭いは残るので気をつけよう。

 氷点下の山頂は霧に包まれ、何も見えなかった。快適だった小屋と別れを告げ、冷気の中を歩き始める。雪道は不安であったが、歩いてみると楽しいものだ。こんなにかしこまって書くこともないだろう。いや〜、楽しいよ! みんなもおいでよ雪山に! 嘘だと思ったら来てみてください。

 新雪をさくさく踏みしめ歩いていくと、鹿にあった。立派な角を生やした雄鹿である。実は昨日も小屋の前に傍若無人な一頭の雄鹿が現れたのだが、山小屋の主人の話からすると、どうもコイツは彼の弟らしい。とってくれと言わんばかりの至近距離で、カメラ目線。その後も何度か鹿と遭遇したが、その鹿たちはみな足早に逃げて行ったことを考えると、コイツと昨日の鹿は性格からしてもやはり兄弟なのだろう。

 鹿のいる風景というのはなかなか様になるけれど、彼らの食害で山が荒れていることを思うと素直に多すぎる遭遇を喜べない。もっともその原因を作ったのは人間であるため、鹿達を責めるわけにいかないのだが。しかし登山道には肉食獣の足跡もくっきり残っていて、丹沢の豊かな自然を伺うことができる。この肉食獣はひたすら登山道を歩いており、登山道は人間の道だと思うのは間違いだと改めて思うのだった。

 霧に包まれてこそいるが雪を纏った植物は美しく、野生動物の鼓動も強く感じ、まったく飽きることなく歩いていく。次第に霧は太陽で桃色に染まり、それにちょっぴり霧氷状態の木々が生えた神聖な空気の中、丹沢山に到着。なぜかここだけ日本百名山と書かれているが、「日本百名山」の原文の通り、丹沢という山塊で百名山と捉えてほしいと看板の設立者に言いたい。

 それはともかく、丹沢山を離れると次第に霧は途切れ始め、遂に蛭ヶ岳の手前で完璧な青空が広がった。驚くほどついていた。見たかった霧氷(とは言えないかもしれないけれども)と青空のコントラストもしっかり目に焼き付け、蛭ヶ岳の登りに取り掛かる。なかなかの坂であったが、もう色々と平気である。

 山頂にて昼食。残念ながら富士山は裾野しか見えなかったが、丹沢の領域にある山はすべて見渡せた。そんな大展望の中で食べるのはサンドイッチ。今回は期待の新食材トマト、スパム、そして焼き鳥缶。これらを挟もうと準備を始める。が、肉組の焼き鳥缶とスパムは寒さで油が固まってしまい、何とも言えない結果に終わった。一方トマトは、苦肉の策でカットトマトを採用したのだが、水っぽくなりそうで諦めもあった。が、結局はその水っぽさのおかげでパンに塗りやすくなり、なかなかのヤリ手ということが判明。準実用食材になる日も近いであろう。そして最後に雪解け水で淹れたカフェオレで締め、下山の路に就く。

 姫次までは根雪に積もった新雪で本当の七転八倒をして雪山の大変さを垣間見ることができた。姫次からは東海道自然歩道と合流し、よく整備された道を順調に進み、気づけばスミレの咲き乱れる西野々の里に下りたのであった。


《「稜線」第34号(2012年度)所載》

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