2010年 夏合宿 山行記

筆者 S・T (3年生)

 学院生活も3年目に入り、僕が山行に参加するのもこれで21回目である。思えば新歓山行から色んな人と色んな山に登ったが、皆忘れられない思い出になっている。今回が僕たち3年生にとっては学院ワンゲル部員として行う最後の山行だ。3年間の集大成として気合を入れて臨みたい。いざ、長野県八ヶ岳。

7月25日 〈1日目〉

 朝6時40分に新宿駅南口集合。前回の山行では遅刻があったが、今回は部員全員が余裕を持って到着していた。
 事前に取っておいた切符のおかげで皆楽々と特急に乗りこむ。目的地である茅野までの2時間弱、おしゃべりをする者や読書をする者、音楽を聴く者等様々であったが、最終的には全員が熟睡してしまったようだ。

 予定通りに茅野に着き、タクシーに乗り込む。しばらくした後、蓼科牧場に到着し、そこからゴンドラに揺られること約10分。出発点のビジターセンターに着いたのは午前の10時を少し回ったくらいであった。

 ここでこれからの歩行に備え昼食をとる。3年生のKがペットボトル専用のごみ箱に他のゴミまで入れようとして先生からの叱責を受けたが、こちらはまだ可愛いものであった。なんと1年生のIが登山靴ではなく、普通の靴でここまで来てしまったというのだ。前代未聞のハプニングであるが、起きてしまった以上しょうがない。靴とコースの関係上、は2日目終了と共に帰る事が決まった。

 食事と準備を済ませた一行は10時45分に出発し、蓼科山を目指すことになるが、これが何分辛かった。異常な暑さと夏合宿独特のザックの重さで、体力がみるみる削られていく。それでも1本ちょっとで蓼科山荘に到着して、サブザックに交替すると、体は軽くなり比較的楽に登れた。12時半頃山頂に到着し、そこで休憩がてら景色を満喫する。天気も景色も良好で、蓼科山は申し分なかった。

 ところが、そこから2本を費やし双子山に着いたころには、昼間の晴れはどこへやら、曇天が広がっていた。なんとかもってほしいと願ったが、そうはいかず、この日の幕営地双子池ヒュッテに到着したころ、雨は土砂降りになってしまう。双子池ヒュッテはその名の通り、隣接した二つの池の傍に佇む小粋なヒュッテで、幕営地までかなりの距離があり、雨の中の僕らにはなかなか使い勝手が悪かった。

 それでも16時ごろ雨の中の設営を終えた一行は30分後の食事の準備に向けてしばし休養する。この日の晩飯はナスと挽き肉の炒め物。水場と称した池がこれまた遠く(ヒュッテまで引き返さなければならない)、準備に一苦労したが、調理そのものは順調に進んだ。

 おいしい食事の後、今日の反省と明日の打ち合わせを終え、僕はジャンエスを後にする。テントの人数比が7:1だったため先生に頼んでジャンエスから教テンに二人を回し5:3にしてもらったのだ。そこで提案者である僕が最初にジャンエスから出向することになったのだが……、特に気まずいということもなく普通な感じで良かった。
 最初で最後の教テンは安眠できそうだ。19時就寝だが、それより早めにシュラフに入り寝てしまった。明日は3時起きである。



7月26日 〈2日目〉


 午前3時に携帯のアラームで目を覚ます。霧がかった池はどこか不気味で、Yから聞いた怖い話と相まって妙な恐怖を感じさせた。2日目の朝食はスパゲッティという無難なメニュー。食事も撤収も割合スムーズに進み、狙っていた5時に出発することができた。

 この日の1、2本目はうっそうと茂った木々のなか、大きな岩をよじ登りながら進む感じで、さながらジャングルのなかを登っているようであった。前を行くHがちょいちょい派手に転ぶので、気を引き締めるよう注意しようとした矢先、自分も滑ってお尻を強打してしまった。泣きそうになった。

 2本目の休憩で、元気のある者は大岳に登ったようだ。自分の中で大岳に登りたいという気持ちと、1本目で滑って痛めた臀部のケアに努めたいという気持ちが対立したが、結局後者にすることにした。先はまだ長い。

 そのあと一行は北横岳で写真撮影をした後、坪庭を経由し歩き続けた。途中縞枯山荘で遅れているM先生を待っていたが、合流した先生は一人で巻いていくエスケープルートを通りたいとおっしゃった。初日の2本目から遅れが目立っていたが、どうやら足を痛めているらしい。仕方ない。とりあえず縞枯山に向かって歩き続ける。ところがここで前方にタラタラ登る50人超のパーティを発見。人数が人数だけに抜くに抜けず一行はペースの遅れを余儀なくされてしまう。

 聞くところによると、林間学校で訪れた女子高生の一団らしく、結果として彼女たちは茶臼山のふもとまで僕たちのペースを邪魔することとなる。10時半頃、茶臼山山頂に到着し、昼飯の菓子パンを平らげる。再び追いついてきた彼女たちを尻目に僕らは早々と山頂を後にし、麦草峠を目指す。下界で会えれば嬉しい女子高生も山で会えばうるさいだけだ。

 11時50分。麦草ヒュッテに到着した一行は、M先生と合流するためにそこで休憩する。ところが、いつまでたっても来ないため先に山荘に行くことに。すると山荘までの道中で先生と合流。先に山荘に着いた先生は僕らがいないことを知り、引き返してきたのだ。

 12時半ごろ、一行はこの日の幕営地に到着。夕食までの暇地獄はトランプによって解消された。ここでM先生とIは離脱となる。彼らと入れ替わりにA先生が登場し、夏合宿も中盤に差し掛かっていることが感じられた。この日の晩飯は炊き込みご飯。おいしく食べていたころにポツリポツリとテントをたたく不穏な音……。昨日に続く急な夕立にウンザリしていると、今度は雹みたいなものまで降ってきた。場所が窪地のため水がたまり、テント内が浸水。止んだのち、先生と協力してなんとか周囲の水を掃き出したが、それでもテントはびしょびしょである。

 この日も昨日に続き、就寝前には寝床についてしまった。


筆者 K・K (3年生)


7月27日 〈3日目〉


 いつも通り3時に起床して、朝食をとる。ジャンエスは昨日の雨の影響はあまりないようだ。朝ごはんのチキンラーメンは作り方を工夫したとはいえ、朝に食べるものではないと確信した。どうも味が濃すぎて吐きそうになってしまう。

 あまりボケボケしてもしかたないと、撤収時間を早くしたため、出発の際、山の間から日の出を観ることができた。去年のことを考えると恵まれ過ぎた天気である。

 行程開始。初めの順調な足取りも天狗岳の登りはきつく、やっと尾根になったと思ったら道が広く岩場で目印を見失いそうになったり、風で帽子が飛びそうだったりした。東天狗に着いた時は更にそびえる西天狗が霧の中から垣間見え、また急な登りがあるのかとため息が出た。西天狗に着きガスが晴れた時の景色はやはり登山でしか味わえないであろう感慨があった。それも束の間、またすぐにガスがかかってしまった。標高が高いので、雲の流れが速い。

 その後無事にオーレン小屋に着いた。オーレン小屋では中学生の林間学校とかち合ってしまう。今回は本当に林間学校のせいで静かにできない。オーレン小屋では川が流れていて涼めたり、小屋自体も新しくよかった。

 夕食は焼きそば。インスタントでいつものではないが、こっちの方が軽くは済むだろう。味はやっぱり美味しく、夏合宿の焼きそばは安定感に定評がある。

 私はおなかを壊してしまったので冷えないように寝ようとした。他にも体調がなんとなく良くない人が多く、明日登れるか心配にしながらの就寝となった。



7月28日 〈4日目〉


 起きてみてもあまりおなかの調子は上がらない。そういうことで朝ごはんがお茶漬けで助かったが、他の人たちには不評だったようだ。Tもまだお尻が痛いらしい。とはいえ今日はこの合宿のメインなので調子が悪いなんて言っていられない。しかし皆のテンションは全く上がらなかった。

 撤収の時にライエスのポールがちぎれてしまった。H曰く、思いっきり引っ張ったそうだが、そんなので壊れるのだろうか。

 赤岩ノ頭の登りの途中で昨日の中学生とすれ違った。彼らは日の出を見に来たようだ。その後、硫黄岳、横岳と難関を越えて行く。歩けば何とかなるもんだ。

 なんとか赤岳に到着した時は青空が出ていて、疲れもたまっていたが、みんな写真を撮ったりと今回最高の赤岳を登ったと達成感に満ちていたと思う。3年生の卒業アルバムの写真を取る際、Hが来られなかったHの写真をうっかり離してしまい、飛ばされ危うくなくしてしまいそうだったが、A先生がポールを巧みに使い救出するというハプニングが起きた。

 今日は下って終わりという心の油断があったのか、そのキレット小屋への下りで道を間違え、沢に下りてしまいそうになった。私とA先生はかなり下の方まで下りてしまった。Y以降は下りないで待っていたのでよかったが、1年生のKも結構下りてしまったので引き返す際の登りはきつかったのではないかと思う。

 原因は鎖が途中から錆びて同化していたことや、目印が上からは見にくかったことがある。しかし実際はルンゼ状の下りに慣れていない私のペースに呆れてA先生自ら先頭に立ったため、後ろから全体を見渡して誤りを正す人がいなくなってしまったことだと思う。もっとCLとSLがしっかりしていれば起きなかった。いくらA先生でも道を見失うこともあるのだ。

 そうしてようやくキレット小屋に着き、2時間近く休憩もなく歩き続けたのでさすがに休憩を取ってからの設営となった。テント客はいなかったものの張るスペースが狭くジャンエスはギリギリだった。水もちょろちょろしか流れず、ポリタンに砂が混じってしまうという心が折れるものだった。

 最後の晩餐とまで豪華かわからないが、夏合宿の最後はレトルトと随分前から決まっていたらしい。調理しないで美味しく食べられ、肉も入っているすぐれものである。しかし使えるカートリッジが1つしかなく、米を炊くので精いっぱいだろうし、水も豊富にないと考え、レトルトは温めないでそのままかけて食べた。カートリッジのことは今回最も危険なミスだっただろう。停滞になった場合絶対足りなくなっていただろう。

 食後はもう話すこともなくなったのか早めの就寝。私はワンゲル最後の夜に少し切なくなり、パラパラと小雨が降る外でボーとしたりした。



7月29日 〈5日目〉


 朝から雨が降る最終日を迎えたが、今日帰れることで士気は下がらなかった。カートリッジは最後のジフィーズのお湯を沸かす力は残っていた。ジフィーズは決して美味しくはないが、そこまでではなかった。足りない水はA先生が予備で持っていた水を足すことにした。

 撤収も雨で、今日は空が低かった。行動中も雨で集中力が途切れ休憩時間を間違えたり、メガネが濡れ簡単なミスをしたりといいところがなかった。しかしこの夏合宿でパーティ全体が成長していると思う。少し遅れていた人も遅れなくなったし、休憩時間も余裕が出てきた。個人としても、道に間違ってもなんとか自分で気づけるようになったと思う。

 権現岳も編笠山も展望は望めず、割と天気のいい山行が続いた1年生にはいい経験になったと思うが、3年生として最後はやっぱり晴れてほしかった。

 乙女の水で、途中で砂が入ってしまったポリタンを入れ替えた。

 最後の下りは、コースタイムの半分以下というほとんど走っているペースで一気に観音平まで下った。帰りたいと言う気持ちが強かったと言っても先生を置いてきてしまうということは今から思えば反省している。

 タクシーを呼ぼうと思っていたグリーンロッジはやってなかったが、偶然やってきたタクシーにもう1台呼んでもらえることになった。解散式を終え、無事に帰ってこられたことを喜び、雨でずぶ濡れの体を温泉で温めようと楽しみだった。

 今回怪我や体調不良でリタイアする人が出なくて良かった。CLとして無事に夏合宿を乗り越えたことは正直ほっとしている。

 私はワンゲルに入ったのが遅かったが、新歓山行以外には参加することができた。あの時から見れば引退なんて早いものだ。私たちはあの頃よりは成長していると思うが、最高学年としても最低限はやってきたつもりだ。

 次は2年生を中心とした後輩に引き継ぎになる。後輩も仲がいいし、十分体力もある。体調管理などで休止気味な人もいるが、責任感を持って今後のワンゲルを盛り上げてほしい。


《「稜線」第32号(2010年度)所載》

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