2008年 夏合宿 山行記

筆者 K・M (2年生)

 7月下旬、今年も夏休みが始まった。
 しかし、ワンダーフォーゲル部に真の夏「休み」が訪れたわけではない。何故なら夏合宿という1大イベントが残っているからだ。
 北アルプスで疲れ果てた去年の夏合宿から1年、今年は南アルプスへ行くことになった。

7月27日 〈1日目〉

 午前7時半に新宿駅改札で集合。今回の合宿は1年生4人+2年生4人+3年生3人に引率のM先生も加えると総勢12名、去年のワンゲルに在籍していた自分にとってこの人数は異常と感じるほどであった。それでもこれだけの大人数で誰も遅刻しなかったのは幸先が良いといえるだろう。

 無事に全員が揃ったところで特急へ乗り込む。目的地は甲府駅。何故に普段の山行よりも近い甲府までに特急を使うのだろうか。その意義について同学年のKと話す。結論は夏合宿限定の贅沢ということで落ち着いた。リクライニングシートの柔らかな温もりに包まれて眠ること1時間半、滑らかに特急は甲府駅へ辿り着く。ここからバスで広河原へ向かい、そこから乗り換えて今日の終点の北沢峠を目指す。
 バスでの移動はお世辞にも良かったとはいえなかった。長時間の移動と広河原〜北沢峠区間でのザックを抱えながらの乗車で尻が痛かったことしか覚えていない。

 苦しかった旅もようやく終わり北沢峠に着く。ここから少し歩いて3日間お世話になる北沢駒仙小屋に辿り着いた。ここでライエス2個、ジャンエス1個、教員用スタードーム1個の計4個のテントを建てる。テント建てを終えて暇な時間を同学年のKとM、Fと雑談に費やす。ここでKからラジオの電波が入らないことを聞く。また途中に雨が降ったが長く続くことはなかった。午後4時、夕食の準備に取り組み始める。この日の夕食は鶏肉のトマトソース煮込み、料理をしながら冬山行とブッキングしていることを思い出す。

 食事はジャンエス+ライエスA+教員とライエスBの2グループに分かれる形態となったためライエスBに属している自分はテントメイトの1年のHと2年のFと一緒に食事をとる。後のミーティングで就寝を7時と決定する。
 就寝までの時間を満喫してから眠りにつく。初めて体験するライエスの広さに幸せを感じた。



7月28日 〈2日目〉

 午前3時に起床。スパゲッティで炭水化物を補給して甲斐駒ヶ岳登頂に備える。
 4時半、ラジオ体操を終えて出発する。サブザック行動のため自然と心が躍る。

 メインザックだと辛いような場所をサクサク越えていく爽快感と共に仙水峠までの1本は楽しみながら登っていく。仙水峠での休憩で目標の甲斐駒ヶ岳を発見する。見たところ急な傾斜があることがよくわかる。登頂できるのか非常に不安になる。
 目標への過酷な道のりを見て落ち込みながらも休憩を終えて登り始めていく。
ここからは10分に1組程度の割合でほかのパーティに遭遇することになる。奥多摩と違って南アルプスは人気があるので混みやすいようだ。高校生であることを珍しがられるのはいつものことだったが……。

 駒津峰までの登りを乗り越え、岩場を進むことになる。ここでの岩は奥多摩とは段違いに大きく、登るにしても降るにしても足場の確保が難しい。また人数が多いのに加え、前方を1年生が歩いているため自分のペースで歩きにくい。去年の先輩方に申し訳ないことをしたと思いながらも歩くこと30分。ようやく分岐が現れる。直登する道と巻きながら登る道があったが、今回は巻きながら登ることになる。分岐から頂上までは巻きながら登っているせいか余裕を持ちながら進むことが出来た。砂ばかりの道で登りやすい事やガスによって日の光が強く出てこなかったことも幸運だったといえただろう。

 4本近くの歩行の甲斐もあってか、ようやく頂上に辿りつく。本来ならここで感動の1つや2つはある筈なのだが、ガスによって楽しみにしていた絶景も真っ白な世界に塗り替えられている。直射日光による体力消耗から逃れたことに対する仕打ちなのだろうか。昼食のホットドックと果物缶を食べながらもどうにも気持ちが晴れない。明日の仙丈ヶ岳の景色に期待を膨らませる。

 十分に休憩したところで下山をする。コースは駒津峰までは同じ道で下り、そこから双児山を経由して駒仙小屋に帰ることになる。しかし頂上〜駒津峰区間において強い雨が降り出す。急いで雨具を装着するものの雨が当たって非常に痛い。今まで経験した中で最も酷い雨だった。とりあえず、逃げるように先を進んでいく。長く降らなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。
 再び駒津峰に到着する。ここからは双児山付近で多少登ったものの大半が下りで苦労することは何もなかった。

 ベースキャンプに無事到着。夕食までの余りある時間を睡眠と雑談に費やす。
 この日の夕食はチキンライスの鶏肉抜き……要はケチャップご飯である。
 炊飯の出来によって左右されるこの料理、炊飯スキルA++(炊飯器と同レベル)を所持する炊飯係ことFと共にライエスBに居た自分はとても幸せだと思えた。あとでKから聞いたところ、もう一つの方ではコッヘルに米が入りきらないために具とご飯が別々になっていたらしい。食料係として見通しが甘かったことを反省する。
 食事が終わってミーティング。明日の仙丈ヶ岳で念願の3000m越えなので少し興奮しながら眠りにつく。やはりライエスは広く、寝心地がいい。



7月29日 〈3日目〉

 午前3時、朝食はきつねうどん。このメニューとは味を気にしないでも食べられる関係へと発展してきたようだ。去年から一番進歩した点かもしれない。
 準備を終えて外に出る。ふと空を見上げると満天の星空があった。今日は晴れそうだなと思いながら出発。やはりサブザックだと体力の消耗が少なく、肩にも負担をかけないのが素晴らしい。メインザック歩行の日に倒れないか不安だったが、何事もなく進んでいく。

 2本目の途中だろうか今まで普通の山道だったのだが徐々に雪渓が見え始める。去年の苦労を思い出して前を歩くKと苦笑する。
 雪渓を横切って沢沿いの急な登りを登り始める。この時ほどサブザックで助かったと思うことは無かっただろう。メインザックだったらきっと疲れ果てていただろう。
 登りの途中で休憩。地図を確認して藪沢大滝という場所の存在を知るが、どれがそうなのか分かりにくい。また、ここで目の前を進むパーティが落石(さして大きくない岩で)をしてしまう。ゴロゴロという音を立てながら休憩中のこちらへ向かってくるが、ぎりぎりの所でほかの岩に遮られて動きを止める。岩が大きくないとはいえ、かなり怖かった。この一件もあってか、この後の登りは足に気をつけながら登っていった。

 藪沢の道も終わり馬ノ背ヒュッテを通過する。ここからの道はなだらかなに登り、稜線らしきところへ到達する。ここでの景色は感動するほど素晴らしかった。青い空と緑色に広がる渓谷(自分の語彙力不足でこの景色を表現できないのが非常に残念だが)、ガスによって頂上が見えないのには不安だったものの幸せを感じる。景色を楽しみながら仙丈小屋に着く。ここで休憩。開けた景色を見ながら飲む水はとても美味しかった。しかし上を見上げると相変わらずガスで頂上が見えない。昨日と同じパターンになりそうだ。

 再び頂上を目指して登っていく。休憩を挟んだのと高度が上がってきたせいか急激に寒くなっていく。ガスの中に入っていったのも関係があるかもしれない。先が見えないまま歩くこと10分ちょっと、頂上らしき場所に到達する。頂上を示す看板こそあるものの周りがガスに包まれているため何も見えない。震えるほどの寒さだけが高度3000mに居ることを証明しているようで、現実を恨まずにはいられなかった。ここは写真撮影を済ませて早々と去ることになる。

 ここからは小仙丈ヶ岳を経由して駒仙小屋に戻ることになる。登り下りが激しかったものの無事に小仙丈ヶ岳に到着。ここで昼食の菓子パンとサラミを食べる。夏合宿では肉を食べる機会が初日の夕食しかないためサラミですら貴重だ。昼食の間にM先輩は高山病にやられたらしく、サラミを食べずに寝ていた。
 以降のいつもの下山時と同じ様なものだった。速さはもっと走るようなペースでも良かったかもしれない。

 無事に駒仙小屋に到着。そして夕食までの長い長い休憩。ここでK先輩とMがリタイアすることになる。K先輩は目の治療で殆ど山行に行けなかったこと、Mは途中入部で今回が2回目の山行だったためか、この2日間で足や体力が限界だったのだろう。2人が抜けたことによってライエスを1個解体することになる。必要な食料と団装を預かり、ライエスの道具と2人の食料を預ける。

 2人が居なくなってから何時間経ったのだろうか、M先生と入れ替えにA先生が登場する。行程の半分しか終えてないことを痛感。さすがは夏合宿である。
 人数も減り寂しくなったものの夕食の準備に取り掛かる。この日のメニューは麻婆春雨とご飯。ライエスの方では早く調理が済んだため早めに食事を始めるが、A先生に見咎められ、効率の悪さを指摘される。これからの食事はジャンエスで5人、ライエスで3人+A先生という形式になる。
 食事を終えてミーティング、今回はA先生からの明日についての心構え&注意を色々と受ける。ミーティングが終わってからは明日に備えて早々と眠りについた。


筆者 Y・M (3年生)


7月30日 〈4日目〉

 
夏合宿4日目。日程で考えれば全行程の半分は既に終えている。しかし、ここからはメインザックでの行動という事もあり一層気を引き締めていかなければならない。この日は早川尾根小屋で幕営場所を確保するため、少し早めに行動することになった。朝食はお茶漬け。去年の夏合宿で苦労して何とか完食まで至ったあのお茶漬けである。お馴染みの「永谷園のお茶漬け」のパッケージ。あぁ、見るのもおぞましい……。結局は杞憂に終わり、案外美味しく食べることができた。テントの撤収も順調に進み、いざ出発と意気込み歩き始めたのも束の間、暗い足元には何やら見覚えのある物体が転がっている。何とライトエスパースの本体とフライであった。今後の行程に支障をきたすものは絶対に忘れてはならない。

 駒仙小屋から栗沢山へ続く道は傾斜はあるが歩きやすい、典型的な山道といった感じである。順調に高度を稼ぎ栗沢山に到着。標高が高いだけあって絶景。6月山行、7月山行、2日目、3日目と連続で山頂にはガスが懸かっていて、白い壁ばかり見ていたので尚更そう感じる。つい一昨日登頂したことが信じられないような岩壁を見せる甲斐駒ケ岳。どっしりと聳える仙丈ヶ岳。はるか遠方に見える鳳凰三山。一年生の中に雨男ならぬ「ガス男」がいるのではないかという疑いも晴れることになった。夏合宿の醍醐味である高い所からの景色を十分堪能した後、アサヨ峰に向かう。アサヨ峰への道は岩場だが恐怖を感じることもなく、またまた順調に登りアサヨ峰に到着。またもや綺麗な景色に迎えられる。ただ1つ気にかかるのは目立つ地蔵岳がまだまだ遠くに見えることであった。

 早川尾根の序盤は歩きにくい細い道を下っていく。1年生はなかなか苦戦しているようだった。下りというのはとにかく慣れが重要である。足を置く所をしっかり目で確認をし、腰を引かず前に足を出す。簡単そうで意外と難しいものだ。自分も一年生の頃、下りで前と離されてしまった苦い思い出がある。この合宿で慣れて帰ってもらえたら……なんてことを考えているうちに早川尾根小屋へ到着。心配されていた幕営場所の確保であるが、結局一番乗りであった。いかにもワンゲルといった感じである。昼のサンドウィッチは、甘いジャムが疲れた体に良く効く。皆ぺロリと平らげた。相当早く着いたため時間は有り余っている。山の中独特のゆったりとした時間の流れに身を任せた。

 夕食の準備に取り掛かる。炊飯難易度の高い炊き込みご飯であったがSとFは難なくこなしていた。感心するばかりである。明日は今夏合宿で一番ハードであると思われる鳳凰三山の縦走。しっかり疲れを取るために早めの就寝となった。



7月31日 〈5日目〉

 夏合宿5日目。肉体的にも精神的にも辛くなる頃。朝食の塩ラーメンを準備をしている途中に何やら隣のテントから口論らしき話し声が聞こえる。冗談なら良いが、本気の口論というのは山であってはならない。何日間も寝食を共にし、常に一緒にいなければならないので、当人達だけでなくパーティ全体の雰囲気が悪くなってしまう。隣のテントは大丈夫だろうか? なんていう心配をしている余裕はなかった。眠い……。そういえば夜あまり良く寝れなかったんだっけ……。寝惚けた体に鞭を打ち撤収に励む。

 早川尾根小屋から白鳳峠まではとても歩きやすい道で至って順調だった。高嶺に向かう途中では落石がありヒヤッとする場面もあり緊張感が走る。高嶺からは少しずつ展望も開けてくる。約3本半程度で赤抜沢ノ頭に到着。ザックを置いて、海の砂浜を想像させる賽の河原に向かう。賽の河原には地蔵岳の看板があるも、目の前に聳え立つオベリスクがあるから登りきったという感じでにはなれない。オベリスクに向かって走っていくMとKを追いかけ登っていくも、途中で断念……残念。地蔵岳からはコースタイムを遥かに越えたスピードで観音岳(昼食)、薬師岳へと行き着く。着いて間もなくMとKが山頂に向かって走っていくのが見えた。5日目だというのに凄い体力だ、これなら安心して引退できるな……なんて思いながら見渡す限りの雲海を堪能した。薬師岳から南御室小屋へ向かう道では、一年生も大分下りに慣れたようで更にスピードアップ。気づいたらもう南御室小屋に到着していたという感じだった。

 夕食はレトルト。そう、そして久しぶりの肉、肉、肉。夏合宿は後半になるにつれ食事が質素になっていくので嬉しい限りだった。次の日は始発のバスに乗る事に決まり早めに就寝することになった。しかし寝苦しくて暫く寝付けない。流石にそろそろ家の布団が恋しくなった。正直テントの中は臭いし狭い、住めば都とはいうが決してそんなことはない。結局3年間慣れなかった訳だ。



8月1日 〈6日目〉

 夏合宿6日目、遂に最終日。山の中で迎えた8月。北京オリンピック開幕まで後1週間、巷ではオリンピックの話で持ち切りなのだろうか。
 朝食は初めて食べることになるジフィーズ。パッケージ写真は美味しそうに見え食欲をそそるものだ。味についてはノーコメントとしておくことにする。

 南御室小屋からは非常に歩きやすい道で気持ち良く下っていける道で、ワンゲル名物!?の急下降も炸裂しどんどん標高を落としていく。3時間40分掛かる所を約2時間30分で歩き通し、最終目的地の夜叉神峠バス停へと到着。狙っていたバス時刻より2時間も早く着くという思わぬ誤算も如何にもワンゲルらしいと言ったところだ。

 今考えてみれば入部した当初は人並み以上に先輩方や部員の皆に迷惑を掛け、毎回の山行が辛く何度も何度も辞めようと考えながら続けてきた。それが気づけば最後の夏合宿を終え引退。何故ここまで続けられたのだろうか……? 自分でも良く分からない……。いつの間にか山の魅力に取り付かれたからかもしれない。

 最後に後輩達に一言。これからもがんばれ、今までありがとう。



《「稜線」第30号(2008年度)所載》

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