2008年 春合宿 山行記

筆者 G・F (1年生)

3月31日 〈1日目〉

 初日からあいにくの雨で始まった春合宿。私にとってはワンゲルに入ってから3度目の山行である。思えばワンゲル部員として初めて行った雲取山では、ザックの重さとワンゲルのペースについていけず、つらかったのを今でも鮮明に覚えている。そんなこともあり、色々な不安を抱えての山行であった。

 集合は渋沢駅。A先生の指示で雨具を着てバスで大倉に向かった。丹沢では幕営が禁止されているので初日は塔ノ岳の尊仏山荘に素泊まりをする予定だ。3日間の行程を考えると初日はすんなりとクリアしたいと思う私であったが、このあと色々なトラブルが起こる。

 大倉から2時間ほど登った、後沢乗越から鍋割山でのことだが、ここは斜面が急で足の踏み場も悪い。今回CLを務める主将のS先輩はそんなことにびくともせず早足で登っていたが私はそういうわけにもいかない。そろそろ限界だなと思ったその時だった。前を歩いているMの様子がおかしい。どうやら足がつったようだ。
 普段やっているザックトレーニングでも、すごい勢いで階段を駆け上がっていく彼もここの登りはきつかったようだ。このあと先輩が歩くペースを落としてくれたので、周りの景色を楽しみながら歩くことができた。おかげで、雌鹿を見つけることもできた。小4の頃から山を登ってきたが、本来これぐらいのペースが私にはちょうどいいのだ。

 鍋割山に登頂した頃から雨もやみ、天気もよくなったが尊仏山荘は貸切だった。他の登山者は悪天候で全員キャンセルしたらしい。夕食を作るまで時間があったので暫し休憩。たたんである布団を枕にして横になっているといつのまにか寝てしまった。
 先輩に起こされ食事作りに入る。水場が遠いということで、メニューをご飯と肉豆腐から2日目の焼きそばに変えた。ここで豚肉を牛肉に間違える事態が起きたが、かといって食べてみると焼きそばは焼きそばだった。

 食事を終え、しばらくしてから布団に入った。疲れていたこともあり、すぐに眠りに落ちたと書きたいところだが実はこの日2,3時間しか寝れていない。強風が宿に吹きあたりガタガタと音をたてている。昼間、宿の柱にぶつけた足の小指の痛みと自分でもよく分からない何かが私を不安にさせていた。



4月1日
〈2日目〉

 携帯の耳を劈くような音で目が覚めた。同時に小指の痛みが襲ってきた。A先生にテーピングしてもらい階段を下りるとMとKが、お湯を沸かしていた。外を見ると山の上は真っ暗だというのに下界は町の灯りで明るく綺麗だった。

 朝食はスパゲッティーだ。春合宿の前日にMと学院近くのスーパーに買い物に行った時のことだが彼の提案でソースの選択肢を増やすことに……。たらこ、明太子、ぺペロンチーノ、そして私が選んだバジルソースなのだが、これが失敗だった。味が濃い! とにかくバジルの味が濃すぎる。食器にもバジルの匂いが染み付いてしまい……とまぁこんな感じで時が過ぎ、スパッツとアイゼンをつける。風が強かったので、ついでに目出し帽も。その頃には、もう太陽が昇り始めていた。雪は相当積もっている感じだったが凍ってはいなかったので、アイゼンはつけたくなかったが結局つけることになった。Mはスパッツを忘れたらしく先生に雪が入らないように足に何かしてもらっていたが、これだけ積もっているのだから大丈夫かと心配になったが、それ以上に自分がばてないか不安でならない心配性の私である。なぜなら2日目にA先生とM先生がバトンタッチするので2日目は登頂した後、キャンプ場まで下山しなくてはならないのである。

 隊長ことKの掛け声でラジオ体操をして丹沢山を目指す。1本目はきつかった。それでもなんとか踏ん張り、コースタイムより少し早く丹沢山に無事到着。小指も先生のテーピングのおかげで痛まずに済んだ。A先生、ありがとう。
 写真撮影をして、次は丹沢最高峰、蛭ヶ岳へ。中間地点の不動ノ峰あたりから雪の深さが、がらりと変わる。深いところでは、膝あたりまで雪がきた。それから歩くこと30分、ついに蛭ヶ岳の目の前に来た。傾斜がきつくザックの重みが肩や腰を圧迫する。つらかったが丹沢のてっぺんに立った気分は最高。そこで昼食をとった。ソーセージは温めずにケチャップをかけただけのシンプルなホットドックだったが、めちゃくちゃ美味しかった。正にSimple is the best!である。それと果物缶を飲み込むようにして食べた。

 ザックも軽くなり、心も軽快な気分になった。後は下るだけである。丹沢最高峰の文字が書かれている所で、にっこり笑って写真撮影。その後ザックをしょって下山しようとした時だった。足跡がない! なんと八丁坂ノ頭の方に蛭ヶ岳から下った人は誰もいないようである。ある程度下ったところで、S先輩とA先生がなんとか道を探そうとしているが全く見当がつかない。
 結局、蛭ヶ岳の山荘まで戻り、宿の主人に道を聞くことになった。
 道を把握して、なかなかのペースで下っていく。雪がクッションとなってくれていて足が楽だった。雪の中から土が見え隠れするくらい下まで降りてから、道を間違えた。A先生が最初に気付いて道を探す。かなり上まで登って正しい道を見つけたようだ。残念なことに丁度、坂が急になった所で道を間違えたようで上まで登るのに相当、苦労した。

 また上青根あたりまでの下りでは完全に雪がなくなり足がぼろぼろになりながらも、ひたすら下りていった。ようやく道志渓谷キャンプ場に着いたとき、時刻は16時をまわっていた。出発から約10時間が経っていた。
 テントを設営して、夕食作りに入る。K先輩に炊飯の仕方を教わった。案外、簡単だと思ったが標高が高い所では気圧の関係で炊くのが難しいらしい。夕食後はすぐにシュラフにもぐりこみ、明日の山行が無事にいくよう願って眠りに落ちた。



4月2日
〈3日目〉

 携帯のアラーム音がなる前から私は起きていた。いつものことだがテントの中ではなかなか寝付けない。朝の3時頃にトイレに行ってから、ずっと起きていた。みんな早く起きないかなぁ……。

 朝食はきつねうどん。かなり苦手だ。
 押し込むようにして食べきった後、少のんびりしてテント撤収。私の時計が10分ほど進んでいたので皆を焦らせることになってしまった。撤収後、時間があったのでM先生と話したが、私と先生は家がかなり近いようだ。最寄り駅、2駅の差である。

 バスで和出村まで行く。そこから菜畑山、今倉山、二十六夜山と順々に登っていくわけだが、腿や脹脛のひどい筋肉痛などでこの日の登りはきつかった。菜畑山まで、膝に手をつきながら気合で登った。登るペースはかなりハードなものだったが、ついていくことができて少しは慣れてきたのかと嬉しくなったのだが、今倉山は手強かった。
 途中の行動食でウィダーとアップルパイを食べる予定だったが、無惨にもアップルパイはザックの下の方でつぶれてしまい、今日の行動食はウィダー1本に。Mにお菓子を分けてもらったり、先輩に非常食のクラッカーなどをもらい、なんとか凌ぐことができた。

 今倉山の頂上で昼食。菓子パンと紅茶を食べ、体力回復して、そこから二十六夜山までは楽だったが足にまめができていて痛かった。二十六夜山の頂上につくと、見晴らしがよく下のほうに町が見えた。

 もうすぐ帰れる! なんとなく3日目は、登り切れるだろうかなどと不安に思い、ちょっぴり緊張していたのだが、ここに来てふっと楽になった。頂上での休憩で上戸沢からバスが出ていることが分かり、いっそう元気になった。いいペースで坂を下り、上戸沢のバス停につく。ここで悲劇は起こった。あいにく次のバスは2時間後である。しかも今日のバスは3本しかなかったようだ。とりあえず、遅れていたM先生が来るのを待つ。近くの自販機でコーラを買った。美味すぎる、最高だ!
 それから少ししてからM先生が到着。M先生のおごりでタクシーに乗り大月へ。本当に助かった。登山靴と車道はあまりに相性が悪い。赤坂まで歩いていたら途中で干からびていただろう。大月で解散式をして、そばを食べた。朝食のきつねうどんもこれくらい美味ければいいのにと思ってしまう。帰りの電車はM先生と一緒で色々、話ができてよかった。

 次の山行からは新1年生が入ってくる。私としては人数が多いほうが、にぎやかで楽しいのでは!?と思うのだが……。
 気合を入れて勧誘して5,6人はワンゲルに入って欲しいものだ。まぁその前に自分の体を鍛えなおそうと心に決めた春合宿だった。


《「稜線」第30号(2008年度)所載》

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