2007年 夏合宿 山行記

筆者 A・S (2年生)

 本来、この部活のメインイベントである夏合宿の山行記は3年生が書くものなのだが、今回は3年生が一人、ということで二年生の私にお鉢が回ってきた。私にとっては二年目の夏合宿ということ、二年生だということで、否が応にも緊張感をもたなければいけない山行だったように思う。

7月22日 〈1日目〉

 午前7時新宿駅南口。きっちり集合時間の5分前に全ての部員が集合した。当たり前のことではあるが、なかなかいい滑り出しだ。ここから一路、スーパーあずさに揺られて白馬駅まで向かう。しかしスーパーあずさというのは、圧倒的な速さで後ろに流れてゆく景色も、ときたま通り過ぎる車内販売もリクライニングシートも含め、大いによろしい。大好きである。合宿の中の大きな楽しみの一つだ。

 そんな魅力的なスーパーあずさの旅も昼前には終わりを告げ、白馬駅からはバスで猿倉荘まで移動する運びとなっている……はずなのだが、白馬駅のロータリーにてタクシーのおじさんが熱心に勧誘してくるので、結局タクシーを足として猿倉までいくこととなった。曰く、4人で一台なら値段はそこまで変わらない、とのこと。ゆったりすわれるのはありがたい。早稲田の学生だ、と運転手さんに話すと、いろいろと話が弾んだ。タクシーの運転手さんというのはいつも話がうまくて感心してしまう。

 猿倉荘についたあたりで雲行きは怪しくなり、まもなく雨が降り始めた。この日は白馬尻小屋まで1時間あるかないかの歩行だが、今年は皆、6月山行からブランクがある上に、1年生達は幸か不幸か雨中での山行を経験していないのだ。そのせいかどうか50分ほどの歩行で息が上がってしまったようだ。しかし雨の中ちょうどよく1本だけであったし、いい経験だったかもしれない。

 白馬尻小屋についてからはいったん息を整えてからテント設営。雨風がさらに強くなり、皆設営したあとは寒さに震えながら小屋に避難していた。
 夕食のハヤシライスは特に問題もなく、K(2年生)も上手く飯を炊いてくれた。明日も雨だろうかと多少憂鬱になりながら就寝。この時19時。



7月23日 〈2日目〉

 テント内が寝苦しいということはよくあるもので、この日も僕はあまり熟睡できなかった。全員が寝起きで口数少ないまま、この日の朝食であるうどんを作っていく。私は普段は人並みに食べるほうなのだが、朝食によく出るうどんは実を言うとなかなか苦手なのである。押し込むようにして食べきった後、ぐずついた天気の中でテント撤収、行動開始。今日は白馬岳頂上宿舎まで大雪渓をひたすら登る。着用した雨具がなんとも重い感じだ。

 小屋を発ってまもなくすると、大雪渓に差し掛かった。A先輩がいろいろと注意をしながら、小雨の中、雪の上を黙々と歩いてゆく。踏みしめる雪の感覚が心地よい。ひたすら同じような雪の上を歩く、という体験も初めてでなかなか楽しいし、風景は緑と白のカラーで枯山水のようで美しい。晴れていたら……という思いがなかったわけではないが、適度に涼しいし、最初の1、2本はなかなか快適だった様に思う。

 3本めくらいからだろうか、ここらあたりでM(1年生)が前方のメンバーから遅れだした。そういえば彼は雨具の下を忘れたとの事。私が1年生のときもそのような不注意というものはよくやったものだが、先輩からはこう見えていたのだな……と思う。いやはや、なんとも言いがたい気持ちになったのだが、とりあえず今は目の前のM(1年生)が心配だ。ここまで来てしまった以上、もう登りきってもらわねばなるまい。

 実を言うと私も、雪渓をいったん抜けてザレたところに入ったあたりから疲れが見え始めた。雨風も強くなってきていたのに加え、気温も低かったので皆それなりに消耗していたのだろう。3回目の休憩ではチーズを行動食として配り、長めの休憩をとった。

 出発から4時間、ようやく雪の中から宿舎が姿を現した。疲れの割りに歩行時間は短いな、と思う。あれは手前にある避難小屋だろうかとも思えたが、どうやら宿舎らしい。パーティのテンションが若干上がったような気がした。個人的に一番上がったのは私だと勝手に思っている。もう5分ほどで宿舎だった。

 立派な施設だった。幕営の手続きをA先輩が済ませている間、外で待って見ていたのだが、高い建物だし、奥に結構続いているようで、よくこんなところに建てたものだ、と思った。中にはストーブがあるというから、テントを設営したらさっさと温まろう、という話になった。が、その設営も風が強いわ、気温は低いわで、なかなか迅速な行動、とはいかなかった。

 寒さに震えて宿舎の食堂に入ると、中心でストーブが煌々と燃えていた。さっそく、雨に濡れた衣服を乾かす。食堂には他の高校の山岳部のような方々がさきにおいでになっていた。あまり山で若い人と出会うことはないので一抹のうれしさがある。
 ストーブの周りを占領して温まっていると、大人数のツアーの人達が到着した。ここで少し休憩して白馬山荘に向かうらしい。やはり年齢層は高かった。ツーリストの人と「明日は晴れますかねえ?」なんて会話をして、それからすぐに彼らは発ってしまった。あれだけの人数を率いるのはなかなか体力の要りそうな仕事だ。尊敬してしまう。

 しばらくすると服も乾いてきたので、テントにもどる。強い風と濃い霧の中、テントでしばらくのんびりすることとする。しかし、せっかく上まで登ってきたのに天気がこうなのはなんとも残念だ。雪渓もさぞかし良い眺めであったろう。

 テントの中にて他愛もない雑談をしているともう夕食の時間だ。この日の夕食は焼きそばである。少々焦がしてしまったが、おいしく仕上がったようだ。夕食を食べているころから、ガスっていたのが晴れ、天気も回復したようだった。周りもよく見渡せるようになり、外に出て散歩でもしようじゃないか、ということになった。

 夕食を食べ終わるとすっかり晴れた模様で、白馬岳も山荘もすっかり見渡せた。宿舎から見た白馬山荘はずいぶんと立派なつくりだった。もう小屋という感じではなく、しっかりとした建築物だった。中にはレストランもあるらしい。なにかが違のでは……ということを多少のうらやみながら思った。
 景色を楽しみながら外の開けた場所でミーティング、そののち夕日が沈むのを眺めてから就寝となった。


筆者 M・A (3年生)


7月24日 〈3日目〉

 午前2時、誰かの携帯電話のアラームで目が覚めた。夏合宿3日目、前日の雨で濡れた装備はまだ乾いていなかった。シュラフを袋に突っ込み、朝食の準備に取り掛かった。朝食はお茶漬けだったのだが、なかなか食べるのに苦戦してしまった。高校生活で最後の山行になっても未だに山では食欲がでない。だが、食べなければエネルギーにならない。何も考えずに口にかきこんだ。

 出発は3時半頃になった。まだ空も白んでいなかったが、白馬岳で日の出を見ようという事と白馬山荘から出る人たちの列と一緒になりたくなかったのでこの時間になった。頂上宿舎のテント場からすぐ稜線に出て白馬岳へ向かった。白馬山荘を通り過ぎ、途中ルートを右寄りにとってしまったので左向きに修正しつつ頂上を目指した。空では星が段々見えなくなり、夜が終わろうとしていた。

 白馬岳に着くと日の出はまだ先であった。時刻は午前4時、日の出時刻は4時40分頃だったので随分と待つ羽目になってしまった。頂上では風もそこそこあり寒かった。ボクは防寒具を持っておらず、Tシャツに薄手の長袖シャツ、雨具という感じで2年生なんかはちゃっかりフリースやダウンジャケットを持ってきていたのでうらやましかった。しかし、ボクとしては夏の北アルプスは防寒具を多く持つよりは荷物を少しでも軽くしたほうがいいと思っている。寒いのは明け方と夜だけ。しかも、この時間帯でも行動していれば暑いくらいである。我慢できない事はない。

 ご来光の時にはもう頂上は白馬山荘から来た人々でごった返していた。日の出と共に写真を撮り、道が込まないうちに下り始めた。今日の行程は朝日小屋までで雪倉岳を越えて行く。

 白馬大池への分岐がある三国峠を過ぎてルートを雪倉岳の方へとった。そこからじゃりじゃりと石が転がった所をくだる。所々には雪渓が残っていて滑らないように進む。そうして下り気味でアップダウンを繰り返しながら雪倉岳避難小屋に着いた。ここからは雪倉岳まで一気に登る。ペースを整え、あまり速くならないようにした。黙々と登っていると目の前を何かが通りすぎた。なんとそれは雷鳥であった。しかし、雷鳥はすぐに飛んで逃げてしまい。すぐに見えなくなってしまった。
 そして、斜面は少しなだらかになり雪倉岳に着いた。雪倉岳からは日の出を拝んだ白馬岳からおそらく立山であろう峰々、これから向かう朝日岳がしっかりと見えた。雪倉岳からは朝日岳への登りと巻き道に分かれる所まで一気に下る。途中に残っている雪渓の白と空の青、そして草の緑のコントラストがとてもきれいだった。

 朝日岳への登りと巻き道の分岐まで昼食をとった。ここでも雪渓が残っていて食事を取れるスペースがあまりなく、狭いながらも昼食にした。その後巻き道である水平道に入った。小さなアップダウンを繰り返しながら進む。雪渓では踏み抜いて苦労している人もいたみたいだが、僕には楽しくしょうがなかった。そしてこの途中くらいからM先生が遅れだした。しかし、ペースを落としてダラダラ歩きたくはない。個人的にも嫌であり、パーティにもよくない。そこでテント用具を持っていないM(2年生)をM先生とゆっくり来るようにと残し、パーティは先へ向かった。黙々と歩き、午前11時45分朝日小屋に着いた。

 小屋ではまだテントを張っている人は誰もいなく、青空の下とても気持ちがよかった。装備を全て広げ、これまでに濡れたものを乾かした。周りには高山植物が咲き乱れていて写真を撮るのに夢中になった。しかし、この朝日小屋周辺には日差しを防ぐ場所がどこにもないではないか。テントの中は直射日光を浴び、モワモワしている。結局どうすることもできず、ボクはただ照り付ける直射日光を浴びることしかできなかった。

 そして、日は傾き夜が訪れようとしていた。夕食は炊き込みご飯、これは先輩の代から因縁の食事である。だが、炊飯担当であるK(2年生)は少し焦げを出しつつも無難に炊いていたのでよかった。夕食後、日の入りを見ようと外にいたら小屋の人たちがなにやら宴会を始めてガヤガヤうるさくなった。そんな中シュラフに入り、眠りについた。



7月25日 〈4日目〉

 目が覚めると朝日小屋は雲に包まれていた。風も昨晩よりは吹いている。これに加えてまた雨が降ったらと考えると憂鬱になった。しかし、今日は暴風雨でルートが寸断でもされない限り早く下りなくてはならない。なぜならM(1年生)が前日より目の調子がおかしいといって片目をふさいでいるからだ。自分らではどのような状態か判断ができない以上放っておく置く訳にはいかない。午前4時撤収をすまし、朝日岳へ出発した。

 雲の中ヘッドライトで足元を照らし、ルートをしっかり確認しながら進んだ。頂上についた頃にはもう明るくなっていた。そうすると自分たちが今どのような状況にいるのかがはっきりとわかった。頂上でも雲に包まれていて、上空にはさらに厚い雲が空一面に広がっていた。強い風によって時折切れる雲間からは太陽も見えた。しかし、雨はどうにも避けられない状況のようである。行動中に降らない事を祈るばかりであった。

 朝日岳からは北側にルートを取り、鞍部まで出て五輪尾根に入っていった。ここでも所々に雪渓が残っていて、滑らないように進んだ。そしてこの付近は雪渓の雪融け水のルートが非常にぐちゃぐちゃしていて泥だらけになってしまった。地図を見てみると五輪尾根に入ったあたりをぬかるみの道と書いてあった。まさに納得である。そのぬかるみの道で次に出てきたのが木道である。滑ってこけないようにと聞かされていた木道。自分なら大丈夫と言わんばかりに調子にのって歩いていたら最初にずっこけました。尻餅をつく感じでドスンッといってしまった。おぉ、結構痛い・・・。他にもずっこけ続出、Sなんか特に痛そうにこけていた。この木道は高山植物保護や登山道が不用意に荒らされないように設置されているもので、登山者の多い北アルプスでは多くのところで見られる。木道の存在理由は納得できるし、多くの人が山を楽しむためにはあった方がいいものだとは思うが、もう少し構造なんかを考えてもらいたいなぁと思わずにはいられない。痛いんです、木道歩くのって。

 そうしてぬかるみの道を過ぎ、樹林帯を抜けて開けた尾根にでた。ここから先はまた延々と木道が続き、転倒こそしなかったものの変化のないルートにストレスを感じつつ進んだ。木道が終わると次には少し急な下りが待っていて、ここで結構消耗してしまった。やっとこさ、休憩を取ると若干雨が降ってきた。しかし、この時はパラパラとなっただけで問題なかった。

 更に下り、川を渡り、少し歩いたところで昼食にした。地図を見ながら頭の中であとどのくらいか考えていた。その後、また別の川を渡り遂に蓮華温泉までの登り返しに取り付いた。そうするとこのくらいから雨が本降りになってきた。あと少しの行程だと思い、雨具をつけないでいたら全身ビチョビチョに。そして、予想以上の登り返しにヘトヘトになりがなら歩いているといつの間にか高山植物の咲き乱れる湿地帯に出ていた。よく見るとここには普通の観光客もいる。あと少しだ! やった! と思い、もう気分は蓮華温泉についた。しかし、これが間違い。なんとここからが結構長くて地味な登りが続いていて浮かれた気分にカウンターパンチ、マウスピースが吹っ飛びました。もうここからは無心になり、黙々と歩くばかり。そうして時間が無常にも流れていく中で蓮華温泉のキャンプ場についた。

 本来であればこの日はキャンプ場で幕営するはずであった。しかし、結構早く着けた事とM(1年生)の目の事もあるので蓮華温泉まで行ってみて帰れそうだったら帰ろうという話になっていた。キャンプ場で気合を入れなおし、もう残りわずかの蓮華温泉までの道をいきり立って進んでいった。
 そして午前11時25分、蓮華温泉についた。今回の夏合宿の終着地点。小屋で帰りのバスと電車を確認したらなんとか今日中に帰れるとのことだった。そして予定を繰上げ解散式を行い、帰途に着くことになった。

 雨で始まり、雨で終わった2007年夏合宿。しかし、皆しっかり歩き、多少のアクシデントはあったものの無事に終わることができた。ボクにとってはこれが部活での最後の山行となった。3年生になってからは初めの新歓山行から行かず、皆さんに迷惑をかけてしまった。またTとは結局1回しか一緒に山に行く機会を持てなかった。1人しかいない3年、主将でありながらこのようにしてしまい申し訳なく思っている。しかし、2年生が以前に比べ頼もしく成長してくれたのでこれまで以上にがんばってくれることと信じている。あまり人数の多い部活ではないけれど、これからもっと盛り上げて部活として大いに活躍してくれる事を期待したい。



《「稜線」第29号(2007年度)所載》


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