2006年 夏 合 宿 山行記

筆者 K・N (3年生)

 「なんで山なんかに登るんだろう」
 私は確か、当時1年生であった2004年の秋季山行の山行記を任された際、このような小生意気な文を書いたことを記憶している。あれから2年の月日が経ちもう部活から引退となった今、さぁ結論は出たのかと問われるとそれはまだまだ疑問が残る。しかしながら、ちょっとした良いヒントが見つかったので書いてみようと思う。

 私はあるNHKの某ドラマをたまたま見ていたのだが、作中にこのような会話が交わされていた。
 「おい、お前はなんで山に登るのだ。」
 「……山から下りるためさ。」

 あぁ、これだ。私はピンと来た。山に登るにあたっての目標。今考えるとそれは山荘のテント場でもなく、山頂でもない。紛れもない家族の待つ自宅そのものなのだ。

 私なりに考えるに、山登りというものは自宅を出発し、自宅に到着することによって完結する。この2つ時間の合間に存在するある種の異常な空間、それがすなわち山ということになるのだが、この言わば「時空のサンドイッチ」に山登りというホビーの意義が隠されているように思われてならない。

 仮に目の前にある山が標高が高く、難易度が高くて、もし登頂すれば名声が得られようとも、部員全員が無事に下界に下りてこられなければ、私たちのワンダーフォーゲル部としての活動意義はゼロとなる。私たちが行っている活動は冒険家・探検家とは決定的に異なる。彼らの目標はあくまで彼ら自身が設定した目的地にあるのである。山で得た感動や体験といったものは、私が思うに山の上ではすぐには経験とはなり得ない。一度下界に下りて自らの山登りの記憶を客観的に見つめることで、ようやく感動や体験といったものは自分自身の経験へと昇華してゆくのである。

 「山は下るために登るのだ」ワンゲルでの活動を通して私は自分が山に登ることの意味を今のところこのように解釈している。しかしこの考えはいつ覆されるかもわからない暫定的なもので、今後もこの永遠の問題に向き合ってゆくつもりでいる。

 ワンゲルを引退するあたり、このようなつまらない文章を山行記前に書かせていただいた。私の身勝手をお許しいただきたい。



7月28日 〈1日目〉

 今回の山行は実際に山に入る前から不安要素が山積みであった。なんといっても今年のメンバーにはうっかり者が非常に多い。特に1年生は今回不参加となったMを除く全員が個人装備や団体装備のいずれかをすでに忘れたことがある。これは必ずしも1年生に限ったことではない。準備会のミーティングでは寝坊してくるものが多数出るなど、危機感の欠落が浮き彫りとなった。しまいにはF先生から「夏合宿は中止にしたらどうだ」という極論まで飛び出す始末である。このような背景があり、例年のワンゲルであれば個人が自分の住んでいる場所によって途中から都合の良い場所で合流することも許されていたのであるが、今回ばかりはA先生の提案もあり、集合場所を新宿駅の南口にし、おまけに時間まで指定というまるで小学生の遠足のようなスタイルと取らざるを得なかったのである。今年度から続くイヤな流れを断ち切るには今回の夏合宿の成功が必要にして最低の条件であった。

 私に限っていえばもうひとつの不安要素を抱えていた。それは7月山行で痛めた右足の股関節のことである。7月山行からの1週間、何とか完治させようと様々な手を尽くしたが間に合うことができなかった。朝のラッシュに沸く新宿駅の喧騒を縫うようにして、私は集合場所である南口に向かったのだが、まだ山にも入っていないのに駅のコンコースを横切るだけでズキズキと右足が痛む。

 集合場所に到着するとすでに他のメンバーは集まっており、不覚にも私は最後であった。しっかり者の2年生Aが前日に特急のチケットを購入しておいてくれたので、私はチケットを彼から受け取ると皆でホームに向かった。

 ホームの先端部でA先生と合流をし、私たちが乗るあずさ3号の到着を待つ。その間にも話題は忘れ物の有無を確認する内容であった。特に忘れ物が激しいとみなされているOなどは皆からの激しい尋問を受けていた。しかしながら今回は、テントのフライを忘れるような致命的な忘れ物をした者はいない模様なので、一安心といったところだ。

 そうこうしているうちに列車がホームに到着し、指定席のシートに身を沈めると私は自分でもおかしいぐらい妙に感傷的な気分になった。私たちを乗せた列車は高尾を過ぎ、山々の間をすり抜けるようにして走っている。車窓からは厚い雲の合間から、このワンゲルでの3年間で登ってきた山々が顔をのぞかせていた。そうした山々を見るたびに、そこで起こった今でも忘れられない山の記憶がよみがえってくる。

 すっかり自分の世界に入り込んでしまっている私に、前の座席に座っているSが声をかけてきた。Sはなんだかうれしそうに車内販売のカタログを私に見せてきた。そこには疾走感のたっぷりの画像処理が施されたホバークラフトのラジコンの商品説明。一体なんだと思いよくよく見てみると、「4時間の充電で10分間走行できます」と激細の文字で書いてある。どうやらSはそれにウケている様子であった。そういえば1年生のころの私も夏合宿の前はこんなに無邪気であったのだ。

 私の記憶だと1年生のときに登った山の印象は、とにかく辛かったということしか残っていない。あのころは体力はもとより、メンタル的な弱さが私にとって最大の課題であった。最後だからこの際言えるようなものだが、実を言うと1年生山行の笊ヶ岳が終わったあたりから私は「退部」というものを真剣に考えていた時期があった。しかしそんな状況下でも山の楽しみをもう一度教えてくれ、そして私に誤った判断を思いとどめさせてくれたのは紛れもなく同学年のTとYの存在であった。彼らがいなければ、こうして私は最後の夏合宿に向かう列車のシートには座っていなかったことだろう。自分でもこんな文章を書いていて赤面モノであるが、彼らには本当に感謝しているというのが私の本心だ。

 そんな少々おかしなことを考えていると、私たちの乗った列車は細長い穂高駅の島式ホームに目一杯に横付けされていた。去年の夏合宿に比べるとやや軽く感じるザックをよいしょと持ち上げ、予約しておいたジャンボタクシーに乗り換える。乾いた冷たい風が時よりほほをかすめる。数名がトイレに行った後、いよいよ初日のテント場となる中房温泉までの移動を開始する。車内は終始、和気藹々といった感じで笑い声が絶えなかった。

 ジャンボタクシーで中房温泉に乗りつけ、私たちがタクシーから降りると小雨が降り出した。なんとも幸先の悪いスタートである。あわててテントの設営に取り掛かる。下界での特訓の甲斐もあり、若干不慣れなところがあるにしても1年生は自分たちだけでテントを張れるようになっていた。なんとも頼もしい限りである。これで忘れ物がなければ……。

 そんな中、少々不条理な出来事が起きた。なぜか私たちがテントを張り終えて中に避難すると雨はいきなり止んでしまったのだ。テントの中では一体誰が雨男なのかと言う論争が起きたが、結局結論は見送られることとなり平和的な結末となった。

 夕食の時間まではかなりの時間があったので、たわいのない話やトランプ遊びをしたり、Aが持ってきた「ロマネコンティ」という短編官能小説集を皆でまわし読みをしたりとテントの中で思い思いの時間をすごしてきたが、さすがに山に来たからにはなにかアウトドア的な遊びもしなくてはということで、近くにあった小川で川遊びをする運びとなった。この川遊びのトレーニング法は前回の夏合宿から導入され、おもに大きな石を持ち上げたり水切りをしたりする関係で腕の筋肉が大いに鍛えられる。筋肉に大きな負担を伴う夏合宿にはもはや欠かすことのできない重要なウォーミングアップのひとつだ。

 冗談はここら辺で終わりにして、いよいよ夕食の準備に取り掛かる。メニューはワンゲル伝統のポークカレーである。今回使用したカレールーには粉末状のスパイスが同封されており、これが非常にいい味を出していた。好評のうちにコッヘルの中のカレーとご飯は空になり、食後のミーティングの後、私たちはそそくさと就寝することとした。

 私は今回の山行に、ちょっといいものを持参していた。それは安眠を約束してくれるフカフカの枕である。私がトイレから戻ると早速、横に寝ているTが無断で使い心地を試していた。「なかなかいいねぇ、コレ」「このためだけに枕なんか持ってきたんですか?」Aはやや冷ややかに私の行動を受け取ったようだ。皆の間では意見が分かれた私の枕であったが、その後安眠に一役買ったことは確かであった。ただ、もう少し早く導入していればと悔やまれるところである。

 明日は北アルプス3大急登のひとつである合戦尾根で1300mもの高低差を乗り越えなくてはならない。しかも行動初日の重いザックとともにである。一抹の不安は禁じえなかったが、それよりも尾根上に出てしまってからの大展望への期待のほうが大きかった。Tの気象情報によると明日は雨になる模様。気を引き締めなければ。いよいよ最後の夏合宿がスタートする。



7月29日 〈2日目〉

 この日は燕山荘のテント場の収容数が少ないということで2時に起床し、3時半から行動を開始することとなった。下界では到底ありえない生活リズムであるが、3年もワンゲルに身を置いているとさすがに慣れてくるから不思議である。

 テントから首をにょきっと出し、外の様子を伺う。頭上には星の姿はない。その代わりにガスと灰色の雲が垂れ込んでいる。天気はあまり期待できなさそうだ。

 この日の朝食はもはや恒例になりつつあるきつねうどんである。いつもはおいしく頂けるこのメニューであるのだが、この日ばかりはなかなか食が進まない。自らの胃の悲鳴を感じ取った私は、ふと1年生の夏合宿の「カレーうどん」事件を思い出した。(詳細は「稜線」26号に掲載。かのK先輩が克明に私の醜態を描写して下さっております。)もうあの頃の自分と今の自分は違うんだ! 私は必死にうどんをすすった。

 さぁ、うどんとの激しい格闘の後、いよいよ撤収の時間が近づいた。初日の緊張感からか、皆きびきびとした行動をしている。起床から1時間半ほどで見事に行動を開始することができた。

 最初の2本はヘッドランプ行動を余儀なくされた。幸い雨は本降りではなかったが、全員雨具を着ることになった。……それにしてもこの延々と続く急登には閉口してしまう。さすがは北アルプス3大急登に数えられるだけのことはある。道は非常に整備されていて歩きやすいが、朝一番の登りはやはりこたえる。第一ベンチと第二ベンチとの間で最初の休憩をとる。1年生に目をやると、へなへなとして元気がない。しかし次の1本はかなり楽になった。そして前を歩くAと、第三ベンチに何時に到着するかという一種の賭けをやったりして、急登の苦しさを紛らわせていた。1年生もがんばって付いていっているようだ。

 富士見ベンチを過ぎ、合戦小屋に到着する。時刻はまだ朝の7時、雨は小康状態になっている。事前に私が調べた情報によると、この合戦小屋は1切れ800円の大きなスイカが名物らしいのだが、時間も早かったためか人影さえもなくひっそりとしていた。その代わりに、40〜50代くらいのおじさんパーティーに出会う。

 「よぉ、若いの。今日はどこまで行くんだい?」
 「今日は燕山荘までです。」
 「はぁーん、優雅なこったな(微笑)。その荷物、何キロぐらいあんだい?」
 「まぁ、20キロちょいってところですかね。」
 「20キロか! たいしたことないな。燕なんてこっからすぐだから、まぁがんばれ。」

 少々アクの強そうな親父さんであったが、きっと学生時代は山岳部にでも入っていたのだろう。山に対してそれなりの理解をもっていそうであった。

 合戦小屋からはこれまで続いてきた急登もひと段落して、徐々に緩やかになってくる。ガスには巻かれていたものの、幸いにも雨はこのときすでに止んでいた。広くて白い砂のような登山道を緩やかに登ってゆくと、頭上にガスの合間から燕山荘が姿を現した。まことに不意な到着である。意外にもこの合戦尾根は目印がこまめに設定されているために疲れを感じられない。「7月山行の雲取の登りのほうがキツかったんだけど……」私が思わず口にすると、皆も賛同の意見を述べてくれた。この違いはやはりメンタル的なモチベーションの違いからくるものなのだろうか。

 燕山荘に到着するとガスは徐々に晴れてゆき、ついに向かいにそびえる鷲羽岳や水晶岳が望めるまでに天候は回復した。北側に目をやると、幻想的な燕岳の勇姿が目に飛び込んでくる。時は午前8時10分。中房温泉を出発してから4時間半後のことだ。

 予想よりも速く山荘に到着してしまったので、一同はテントの中で昼食のホットドッグを食べることにした。
 「ホットドッグのパンを持ってきたやつは出して」
 食料係の私が言うとまずAが持っていたパンを出した。……見事に潰れていない。さすがは次期主将である。続いてはSの番であるが、こちらに何かを訴えかけるような目つきで、恐る恐る自分のザックからパンを取り出している。すると常人の想像を絶する謎の未確認物体が我々の目の前に鎮座した。……なんなんだ、この靴べらみたいな物体は。薄さは推定1センチもない。ミリ単位の世界である。おそらくこれはパンなのであろう。もはや3次元の世界を飛び越えて、2次元の平面と化している。「ほら、こうやって置くとなんだか絵みたいじゃない?」Tがすかさずフォローを入れる。「まぁ、潰れても栄養は変わらないからね」とA。当のSはというと自責の念を感じているわけでもなく、良いネタを提供できたといった様子でひょうひょうとしている。うむ、こいつはなかなかの大物だな。私はSにある種の可能性のようなものを感じた。いや、皮肉ではなくて。

 パンにソーセージを挟むというより、申し訳程度に乗っけてもらうような感じのホットドッグを食べた私たちは早速、燕岳のピストンに取り掛かろうとしたが不幸なことに雨が降り出した。やむなく待機となりA先生とも協議した結果、12時ごろになっても雨が止まない場合は雨でも出発しようということになった。

 それからというもの、テントの中は夏合宿中とは思えないほどマッタリとした空気が流れていた。そう、私たちは健康のことも考え、昼寝を開始したのだ。……何時間ぐらい寝ただろうか。自らの五感のうち聴覚が戻ってきたことを確認すると、私はテントに雨が当たる音がしないのに気がついた。

 「雨が止んでるぞ!!」
 テントの中の誰かも気づいて叫んだ。テントの外からはおば様ハイカーの黄色い歓声もかすかに聞こえる。一同慌てて外に出てみる。そこには大スケールの北アルプスの山々の大展望が広がっていた……。

 私たちは慌てて燕岳のピストンに出発することにした。今なら最高の展望が独り占めにできる! はやる気持ちを抑え、しかし半分走りながら山頂に突き進んだ。燕岳独特ともいえる花崗岩のにょきにょきとした岩をすり抜け、最後の登りも越えて、ついに私たちは燕岳の山頂に足を踏み入れた。

 私は体中の震えが止まらなかった。単に寒かったからではない。この大展望を目の前にし、あまりの自然のスケールの大きさに恐れおののいている自分がいた。皆、感動していた。言葉はいらない、ただこの場に少しでも長くいたい。幸せな時間だった。

 30分ほど山頂にいた私たちであったが、天候の回復を知った他の登山者が燕山荘から大挙して押し寄せてくるのが見えたので山頂を明け渡すことにした。そして私たちはまさに「踊るように」して燕岳を下りていった。

 この日の夕食は過去にさまざまな伝説と悲劇を生んできた、炊き込みご飯である。Aを中心とした1年生が今日の米は炊いてくれるようである。ただでさえ難易度の高いメニューであり、ましてやここは標高2704mの高地である。失敗するかもしれない。不覚にも後輩を裏切りこんな想像をしてしまった。ほどなくしてテント内に2年前にどこかで嗅いだことのあるような異臭が漂い始めた。……どうやらいやな予感は的中したらしい。とはいえその後のAの見事なリカバリーによって、何とか人間の食べることのできるおこげに収まってくれた。ただ、その焦げつきだらけのグロテスクとしか言いようのないコッヘルを持つのは、紛れもなくこの私である。人を信じることを忘れた私への天罰と考えるほかない。結局そのコッヘルはみんなの協力もあり、こげはある程度ティッシュでぬぐわれて、そのぬぐわれたティッシュは下痢をふいたトイレットペーパーに偽装し、トイレ横のBOXにその他もろもろとともに安置された。

 早くも様々な事件が勃発した2日目であったが、もうすぐそれも終わろうとしていた。私事だがこの日の次の日、つまり30日は私の誕生日でもあった。山で誕生日を迎えるのも今年で2回目だ。ひょっとしたらこれが山で迎える最後の誕生日になるかもしれない。明日は楽しみな尾根歩きだ。思う存分楽しもう。

 私は目をそっと閉じた。人生17年目の最終日はこうして終わりを告げたのであった。



筆者 K・T (3年生)


7月30日 〈3日目〉


 一面の星空だった。昨夜の天気からは想像できないほどの満天の星だった。我々は朝食ができるまでの暫しの間、テントから出て夜空を仰いでいた。このとき北風が強く、寒かったことも印象的である。

 この日の朝食はジフィーズ。お湯を注いで20分待てばできてしまう即席料理だ。今回は「きのこご飯」のジフィーズだった。

 午前4時30分には燕山荘を出発。東の空はすでに赤みを帯びていた。風化した花崗岩の稜線を歩く。15分ほど進んだところの小ピークから日の出を見ることにした。薄暗い中私たちは今か今かと太陽を待ち望んだ。山脈の東側はどこまでも雲海が広がっていた。その向こう側が徐々に明るくなっていく。突然一点がまぶしく輝いた。日は見る見るうちに上がった。あまりにも早い光の動きに、私は圧倒され見とれていた。振り返ると背後の山々はオレンジ色の朝日に照らされていた。

 明るくなっていく中、歩行を再開する。少しすると大きな奇岩が現れた。蛙岩("げえろいわ"と読む)だ。しかし稜線上に突き出たその石柱はどう見てもカエルには見えなかった。

 燕岳山頂付近でもそうだったが、このあたりの稜線では部分的にコマクサの大群生を見ることができた。結晶質の白い砂地の斜面が薄く桃色に染まるほどだった。残念ながら白いコマクサを見つけることはできなかったが。

 起伏の少ない道だったが、2699メートル地点を過ぎると100メートルほど下る「大下り」となった。鞍部付近は草木が生えていて、虫の飛び交う無視にもたかられた。下ったら登らなくてはいけないもので、また100メートルほど登り返す。この先の稜線は起伏が少ないことから通称「自転車ロード」とも呼ばれているらしい。本当に自転車で走ることが出来るのだろうか。

 そして鎖の張られた「切通岩」を下る。ここは岩稜が小さく切れ込んだような場所だった。一年生も難なく通過。頼もしい。ここの岩壁に埋め込んである、小林喜作のレリーフに皆気がついたそうだが、私は気がつかなかった。残念だ。

 切通し岩から大天井岳の東を一定の傾斜で登っていく。もうすぐ一本というところで、赤い屋根の大天荘が現れた。皆ここからは空身となって山頂を目指した。ただし、ある理由によりOだけはポリタン、医療ボックス、Aのカメラを背負うことになった。緩やかに上っていくと2922メートルの大天井岳山頂。北アルプスを一望。穂高連峰、槍、裏銀座、立山連峰、そして後ろ立山。明日登る常念も南にどっしりと構えていた。今年の夏合宿一番の標高で眺望絶佳だったことは本当に幸運だった。

 大天井岳から東天井岳まではあまり変化のない単調な歩行だった。コースタイムでは1時間30分であったが、一本かからずに東天井を巻いた。東天井と横通岳の間の鞍部で昼食を取った。菓子パンにパック入りのフルーツだった。この昼食で危うく次の日の菓子パンを消費してしまうところだったが、何とか難を逃れた。フルーツは缶詰の味を想像してもらえば近いだろう。フルーツには、白桃、みかん、パイナップルの三種類があった。初め部員の人気が白桃に集中したが、なぜか争奪戦にはならず、各自食べるものがスムーズに分散された。Oと私は、仲良く白桃を半分ずつにした。

 さすがに昼が近くになるに連れ、雲がもくもくと湧き上がってきた。昼食も早々に出発。少し登り、横通岳の西面を巻き、一気に下降する。250メートル下の常念乗越はもう雲に覆われている。我々一向は斜面を蛇行しながら白い雲の中へと下っていった。樹林帯に入り、いつまで下るのかと飽きてきたころ、広々としたガレた鞍部に到着。常念小屋は幕営スペースがあまりないため、すぐにAが会計に行き、設営。

 この日は時間があるため天気がよければ、常念岳をピストンしようという話もあった。しかし山頂にかかった雲は晴れる見込みはないと判断し、ピストンを中止した。こうなってはやることもなく、皆は気ままに時間を過ごした。Aはザックのショルダーベルトの位置を調整し、Oは死んだように灼熱地獄のテントの中で眠り続け、NやSそして私はぶらぶらしたり、のんびりとした時間だった。

 それにしても暑かった。周囲はガスに包まれていたのに、私たちのテント頭上だけはぽっかりと晴れていた。おかげで常にお日様がじりじりと照り続けた。

 晩飯はハンバーグ丼。レトルト食品ということもあり、文句なしの出来だった。食後、終身時間の19時まで時間がまだあったので、皆で涼しくなった外を散歩した。Oは相変わらずテントの中にいたが。夕方になる山にかかっていた雲が途切れることがよくある。案の定このときもわずかな間だけガスが晴れた。そこで私達はガレたピラミッドと対面してしまった。明日は初っ端これを登るのかと思うと、心が挫けそうだった。ヒエ平の方角を眺めていると、A先生が、「さっきあの辺に熊を見ましたよ。黒いものが動いていましたよ。」と教えてくださった。クマ……。今夜はトイレに行けないな……。



7月31日 〈4日目〉

 午前3時起床。朝食は前日炊いた米でお茶漬け。食が細いながらも今まで調子がよさそうだったNは、この日のお茶漬けには苦戦しているようだった。

 4時30分には撤収が完了していた。私が1年生だったころは起床から撤収終了まで2時間はかかっていたが、最近では1時間30分で出発できるようになった。ここは今年のパーティで大いに誇れる点だと思う。

 常念小屋から10分程度登ったところで日の出を拝む。この日は雲が太陽にかかってしまい前日ほどの感動は得られなかった。一時間ほど急坂を切り返しながら登っていく。単調なガレ場の登り、息切れの中、突然目の前で白と黒の縞々が動いた。私はトップを歩いていると、カエルや虫の突然の動きでドキッとてしまうことがよくある。縞々を見た瞬間「蛇だ!」と思わず思った。しかしよくよく見てみるとそれは丸々と太った不恰好に歩く鳥だった。「ライチョウだ!」と後ろのメンバーに報告。警戒心の強いライチョウが登山道脇にひょっこりいるとは驚きだった。向こうの方にしてもみても驚きだったのだろう。そそくさハイマツの中へガサゴソと入っていってしまった。残念なことに後ろのほうにいたA先生、N、Aの三人には見えなかったそうだ。

 傾斜がゆるくなったところで山頂も見え、赤ペンキで「八合目」の文字も。もうすぐ、もうすぐと自分に言い聞かせながら最後を踏ん張る。頂からの眺めは圧巻だった。ずっと遠くに見ていた槍が大きく真横に、穂高もずいぶん近く、存在感も増した。今まで歩いてきた表銀座の燕、大天井はずっと遠く北にあった。長い距離を歩いたと我ながら感心し、山々に見とれた。

 常念岳の南側はごつごつとした岩場の下りだった。浮石に注意しながら岩の上を渡っていく。途中私がルートミスをしそうになった。A先生が気がつき、Aが教えてくれた。危うく一ノ俣谷へ急降下するところだった。2512のピークで一本入れ、振り返ると三角形の常念岳が美しい。

 このピーク後は広葉樹の樹林帯へと入る。20分ほどの登りで山頂の開けた別のピークにたつ。ここは地図にも書いてあったが、多くのニッコウキスゲが咲いていた。正面にはこれから向かう蝶槍を望んだ。再び樹林帯の下りとなったが、随分とぬかるんでいるところが多かった。途中登山道の右手に沼のような小さな池があった。そんな場所を進んでいくと急登が現れる。梯子のかかったところや泥濘を超えると樹林を抜け、ハイマツ帯に入る。急登も長くは続かず、最後の岩場をよじ登り蝶槍の頂に。
 向かい合う青みがかった穂高連峰は迫力があった。槍はもう私たちの後ろへ後退してしまった。ここでは5分程度の小休止にし、先に進む。広く平らな尾根でザックを置き、昼食にした。前日危うく胃袋の中に入ってしまいそうだった残りの菓子パンとジャムと紅茶。すぐに昼食も済ませ、少し歩くと横尾分岐に到着。ここからは全員空身で蝶ヶ岳に向けピストン。広い尾根を下ったり、登ったり。荷物もなく身も心も軽かったが、山頂まではコースタイムどおりの20分かかった。手前にある「瞑想ノ丘」はダミーだと伝えないと、やはり山頂と勘違いした部員がいた。

 蝶ヶ岳ではすでに雲の湧く時間となっていた。目の前に広がるはずの山々は白い積雲をかぶっていて、かろうじて槍の穂先が見える程度だった。集合写真の後、3年生の我々はワンゲル最後のピークということもあって、Nと私の二人だけの写真もとった。

 軽快な20分のアップダウンをし、再び分岐へ。肩に食い込むようなザックを背負い下りに入る。梓川沿いの横尾までは1000メートルの下りだ。展望の利く稜線からすぐに樹林帯の斜面へ突入。速いペースだったが、1年生二人は遅れもせずにちゃんとついてきた。尾根の途中で一本入れた。もう半分は下ったのではという期待と、最後で滑落しないようにとの気持ちがあった。次の一本は途中から尾根をはずれ斜面の道を進んだ。じとじとと蒸し暑く、滑りやすい急坂となり、沢の音が近くから聞こえるようになった。最後はペースを落とし、慎重に下る。

 道が平らになったところで、視界が開け大きな小屋が姿を現す。横尾山荘だ。近くにはコバルトブルーの梓川が涼しげに流れている。前日徳沢まで進むことが決定していたので、ここは通過し、林道となった道を進む。休憩のあと一本かからずに徳沢についた。今日の長かった行程もここまで。テント場は、広い草地で風が通り抜ける、本当に気持ちのよい場所だった。

 テント場には様々な人がいた。これから山を登る登山者、キャンプに来た家族連れ、小さい子供達、学生、そして国籍不明の団体(後にアメリカ人と断定)。他にも小さなハエや無数の虫、そしてヒル。

 ここには一風変わった標識があった。「トイレ0.1km先」。0.1km!と、遠い。催したときにはもう間に合わないのでは……。ただよく考えてみれば100メートルである。世界記録なら10秒かからないからそう遠くもないのかも。

 夕食のレトルト丼はテントの外で食べた。ワンゲルの夏合宿でレトルト食品は最終日前夜しか食べられない貴重な御馳走である。レトルトは色々な種類があったので、各自の思惑が衝突、結局じゃんけんで決定。私は牛丼だった。やはりレトルトはうまかった。

 この後、「ヒル騒動」が起こった。気にせずに寝ることにする。次の日の歩行は2時間しかないのでこの日は20時就寝。



8月1日 〈5日目〉


 午前5時起床。最終日だ! 今日は短い林道歩行なので、私はもう少しゆっくりしたい、だらけたいと思ったが、気持ちを引き締め朝食の調理を開始。たらこスパゲッティーは毎度のことながら大変おいしかった。

 6時30分には出発し、林道を歩き始める。一週間ほど前の大雨によるものか、ところどころ道の修復作業を行っていた。登ってくる多くの人ともすれ違った。彼らはどこに行くのだろうかと思いながらひたすら林道を進み続ける。明神館を越え休憩を入れる。ここからは30分ほどで河童橋に着いた。このあたりにはキャンプのため多くのテントが張られていた。少し進み上高地バスターミナルに到着。ここで解散式を行った。

 この日の歩行がすぐ終わってしまったこともあり、夏合宿が終わったという達成感、解放感は少し薄かった。しかし我々のパーティは無事事故もなく常念山脈の縦走を終えたのだ。(事前のミーティングでの遅刻や忘れ物の多さといった問題はあったが。)これで私たち3年生はワンゲルを引退となる。

 この後A先生はバスで松本へ向かい、部員は風呂を浴びにホテルアルペンへ。このアルペンは大層絢爛で、場違いな格好をした我々は入るのに躊躇してしまった。風呂を終え再びバスターミナルへ。ここで灰汁の強い運転手のタクシーに乗り松本へ。松本でNがA先生とご対面。バスと松本電鉄の乗り継ぎはかなり時間がかかったらしい。同じあずさで新宿へ向かう。そして私は眠りの中へ。

 今年の夏合宿は昨年に比べ、体力的精神的にずいぶん楽だったと思う。しかし新歓、7月山行などの問題、パーティの力量から無難な山行だっただろう。これからは世界を目指すAと明るい1年生3人組にワンゲルを託す。大いに頑張ってもらいたい。


《「稜線」第28号(2006年度)所載》

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