2006年度 個人山行・北八ヶ岳 山行記

筆者 M・A (2年生)

12月18日

 どうして僕はこんなにも雪を見るとワクワクしてしまうのだろう。なぜこんなに心躍るのだろう。

 僕たちは渋の湯にいた。12月18日、暖冬の年だがちょうど寒波が入ってきた時であった。だが、曇ってはいるものの雪は降っていない。時折青空が雲の切れ目から現れる。この日は黒百合ヒュッテまでの行程だ。T先輩と共にスパッツなどを装着し準備完了、登りだす。足跡はあるものの登っている間は誰一人とて会わなかった。静かな雪の中、のんびりと登る。風も全くなく、音がなく静寂そのものだった。僕はこの世界を満喫しながら進んだ。

 ふと体に力が入らなくなった。我慢しながら進んだが、やっぱり力が入らない。何故力が入らないのか、その原因ははっきりしていた。それは空腹。そこで僕は「先輩!! お腹が空きました!」と叫ぶ。先輩も了承してくれて休憩をとり菓子パンを食べた。そうしたら元気10000倍、快調に進むことができた。やっぱり山にきて感じることだが、空腹になると本当に力が入らなくなる。エネルギーって大切。

 そんな感じで雪山を楽しみながら歩くこと数時間、やっとこさ黒百合ヒュッテに着いた。黒百合ヒュッテじゃテントを張っている人は全くいなかった。小屋の中に誰かいるのかなと思いきや、小屋番の人しかいなかった。んー、少し寂しい。それよりも明日のルートにトレースはあるのかが気になった。小屋番の人に聞いてみると多分ないだろうとの事。どのくらい雪があるか分からないけど、少なからずラッセルは覚悟しといたほうがよさそうだった。

 テントは雪のあんまりついていない木の陰に張ることにした。雪の上のテントは初めて。人から聞いたり、本で読んだようにまず地面の雪をならす。ならしてもならしても地面がしっかり硬くならなかったのでもういいやってことでテントと張った。案の定テントの中はでこぼこで少し傾いていたが決して悪くない、悪くなかった。その後は写真を撮ったりして、のんびり、のんびり。

 雪山での食事の準備は水作りから始まる。鍋に雪をいれて溶かす。初めての水作り、どのくらいの雪でどれだけの水ができるのか、どのくらい時間がかかるのかさっぱりわからなかった。雪を集めるのは外に出るのがめんどくさくてテントの入り口のところの雪を使った。テントの入り口のところは自分たちで踏んでいるので汚い。なので少しピッケルで掘って使ったのだが、溶かしてみたら沈殿物がわんさか、わんさか。だが、キリマンジャロに行ったときよりはキレイだということで気にしないで使うことにした。

 食事後、小屋まで行き、天気予報を見た。明日は天気はよさそうだ。風は少しありそうだが、雪山の天気としてはいい天気だろう。期待を膨らませシュラフにもぐりこんだ。



12月19日

 夜中2時、目が覚めた。あまりの寒さのために目が覚めた。足先が痛い、寒くて痛い。気温は−20℃は切っていたはずだ。エアーマットにシュラフカバー、スリーシーズン用のシュラフ、上半身はそこまで寒くなかったが靴下を一枚しか履いていない足先はとても冷たかった。テントがあまり広くないため、体のどこかがテントにぶつかる。足先がぶつかると足先が寒くなり、そのために少し腰をまげると腰がテントにくっつき腰が寒くなる。とてもじゃないが眠れないので結局先輩と共に起きることにした。ガスを余分に多く持ってきていたので暖房として使った。前の晩に水をあんまり作っていなかったので、水作りから始めることに。テントの入り口を開けたら一面の星空だった。

 目をしょぼしょぼさせウトウトすること数時間、やっと朝食をすませ、出発の準備を開始した。もう夜が白みはじめた頃、あらかた準備をすませ快晴の空の下に出た。今日はやっぱり天気がいい。嬉しくなった。中山峠を越え、一気に天狗岳までの稜線に出た。風はややあるが問題ない。今日の行程は無事に終わらせることができそうだ。

 雪は場所によっちゃ膝上くらいまであった。トレースはあるもののどうやらワカンかスノーシューを使ったような跡である。ラッセルを強いられた。だが、ラッセルも大した距離じゃなく快適に登ることができた。ただ荷物が重い! 何でこんなに荷物が重いのか……謎だ……。

 黙々と登り続けて東天狗岳山頂に着いた。ザックをおろし一休み。山頂からは北八ヶ岳が見下ろせて気持ちよかった。山頂には反対側から来た男性が1人いた。「よしっ、これでラッセルは楽なはずだ!」と心の中で喜んだ。山頂では休憩をしていると風があたって寒くなってきた。写真を撮り、気持ちよくなりザックを背負った。

 さて、今回の山行で一番注意しなくてはいけないのはこれから行く東天狗岳直下の下りのところである。だが、僕はここでミスを犯してしまった。なんと転んだのである。鎖場で両側はスパッと切れ落ちている。落ちたら一気に下まで転落、おそらく助からない。「うぉっ! やべぇ!!」、心の中で叫んだ。アイゼンが岩か鎖に引っかかったらしく抜けなかった。前のめりのまま倒れこんでいく、両側はない。しかし、このとき僕はなぜか落ち着いていた。「無理に力をいれないほうがいい」と思いそのまま倒れた。そうしたらちゃんとルートの上で倒れていた。体勢を立て直しまたすぐにてくてく歩き出した、何事もなかったのように。いや、後になって考えてみて本当に落ちていたら助からなかっただろうなと思う。

 そんな事もありながら僕たちは進んだ。根石岳やらちょっとしたピークを越えた。そんな中夏沢峠まであと40分くらいであろうかという樹林帯に差し掛かった頃僕の頭に異変が起きていた。んー、頭が痛い。どうやら連日の睡眠不足がたたったらしい。最初は気にしないで歩いていたのだが、どんどん痛くなってくる。夏沢峠ももう間近というところで僕はバファリンを飲む事にした。普段僕は薬を飲まない。少し体調が悪くなっても「ほっとけば治る」と気にしないできた。そもそも医者が嫌いだし、病院が嫌いだし、薬が嫌いだ。だが、これより悪くなって先輩に迷惑をかけても悪いなと思い飲む事にした。まぁ、飲んだからといってすぐに効くというわけでなく、痛いまままた歩き出した。

 そして夏沢峠に着いた。この日の行程は夏沢峠からピストンで硫黄岳までいき、オーレン小屋に泊まる予定だった。だが、頭が痛い。はてさてどうしたものか? 結局T先輩には悪いが硫黄岳は断念してもらってすぐにオーレン小屋に行く事にしてもらった。オーレン小屋への下りはコースタイムではたいしたことはないものの、頭ガンガンの僕にはとっても長く感じられた。うぅ、早く着いてくれ……。

 先輩にペースを合わせてもらってやっとオーレン小屋に着いた。しばらく休んでいるとバファリンが効いたのか痛みがなくなった。ふぅ、悪くならなくてよかった、安心である。

 僕が元気になったところでテントを張ることになった。このオーレン小屋のテント場にも雪はたくさんある。設営がめんどくさいなぁと思ってそこらへんをうろうろしていたらオーレン小屋の一角へ足跡がついているのを発見した。こりゃなんだ? と思い、進んでいくとなんと冬季小屋が開放してあったのである。これでテントの設営&撤収がなくなる!

 先輩と一緒に荷物を運びいれた。中には誰もいない。あとから下りてくる人もいなさそうである。貸切の小屋で僕たちはシュラフをひろげすぐに休憩した。ぼくは頭が痛かったこともあってか随分と眠くなってしまった。先輩はお腹空いたと言っていたが、僕は眠いので「1時間待ってください」と言って眠ってしまった。そうして1時間後先輩は僕の事を起こした。いや起こそうとしたらしい。だが、僕はもう完全に熟睡していて起きる気配がなかったそうだ。それで先輩も眠かったので結局寝ることにしたそうな。



12月20日

 翌朝、朝食をとって出発しようとしたが二度寝をしてしまい寝坊した。結局出発したのは10時ごろ。だが、今日はもう下界に下るだけだ。先輩と僕はのんびり下って、温泉に向かった。

 今回の山行は初めての雪山のテントで初体験なことばかりであって楽しかった。また雪山という素晴らしいフィールドにきて遊びたい、そう思いながら僕は硫黄の匂いのする温泉につかっていた。


《「稜線」第29号(2007年度)所載》

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