2005年 夏 合 宿 山行記

筆者 T・K (3年生)

 いよいよ今年度の夏合宿が始まった。学院ワンゲル部最大の行事だけに自然と気合が入る。3年生部員にとっては最後の山行だということもあり、個人的にも俄然意識の仕方が違った。

7月31日 〈1日目〉

 今回の集合場所高尾駅には人一倍思い入れがある。幾度に集合場所として利用していることを考えれば無理もない。この日もオーストラリアに研修に行くことになった2年生のYを除いて、Ta・Tu・N・Aが先頭車両前に集合した。「ザック重過ぎない?」などと毎年恒例の決まり文句から始まり、改めて夏合宿に突入する実感みたいなものを部員各々が感じ始めていたのかもしれない。

 それにしても日曜日ということだけあって登山者らしき人の数も多かった。電車に乗り込むときは、今年のワンゲル部員の定位置と言っても過言ではない車両の中にあるトイレの前の座席に陣取った。座席を確保した後は甲府まで時間の潰し方との戦いだ。この戦いに毎度救済の手を差し伸べてくれたワンゲル伝統(?)のアイテムがある。去年の夏合宿でもお世話になり、今でも先輩たちと囲んで楽しく山の話をしていたことを鮮明に思い出すことが出来る。……、が、誰からもアイテムを出そうとする動きが無い。ひょっとしてと思っていたがそうだった。たいていそのアイテムを持ってきてくれる部員は志半ばにして無念の夏合宿参加断念をせざるを得なくなってしまったY君であったのだが、このとき後悔をしても何も始まらない。停滞のときはどうするんだ? との声も聞かれたが、とりあえず甲府まではTaの時計についているストップウォッチを駆使したり、たまには学院生らしく知的なしりとりゲームを試みたり、何とかその場を凌いだのであった。

 甲府に着くと広河原行きバスの停留所付近でA先生と合流。しかし次の瞬間目に飛び込んできたのは、長い行列をなしている登山者の姿であった。これは想像以上だった。夏合宿に入る直前まで、広河原までバスで行くかタクシーで行くか判断しかねていた。結局金額面でバスという交通手段を選択したのだが、とてもバスに乗れそうな気配が無い。

 「やっぱりタクシーのほうが良かったんじゃ……?」「あ〜あ先輩……」的な発言をNとAがしていたが、言い返す術は腹立たしいことに何も無い。挙句、Taが弁当を電車の中に置き忘れたという事態も発覚し、踏んだり蹴ったりだ。

 その後、バスが2台出ることがわかり一安心。Taも優しいおばさんに食べ物を分けてもらったようだ。2、3回休憩を挟んで広河原に到着。と、ここから北沢峠に向かうバスの前にも登山者の列が並んでいる。とりあえず人数分のバスの券を購入し、バス乗り込んで膝に重たいザックを乗せて、窒息しそうになりながらも広河原を発った。

 さすが南アルプスである。バスで行く道中でも左手に大きな沢が流れ、滝も垣間見られ、軽くガスがかかった山々が見える。右手はほとんど岩壁であった。このちょっとした間の景色だけでも、自分が新入部員であったころ、当時の7月山行に同行してくださったU先輩の「南アルプスは最高だよ〜!」という言葉を思い起こさせてくれた。

 北沢峠に到着。すると、広河原に向かう帰りのバスの前にも長い行列が出来ていた。ひょっとしたら、これから幕営することになる北沢長衛小屋もテントを張るスペースもないのか? と内心とても心配をしていたが、小屋に到着すると思っていたよりも幕営スペースが広かったのでそうした懸念は払拭されたのであった。

 ジャンボエスパースとスタードームを設営し終わり、早々と夕食の準備に取り掛かった。ワンゲルの献立定番のカレーを作りに水場へと向かった。ここは下界に近いこともあり、水道設備がしっかりしていて、おまけに生ごみまで捨てられるという夢のようなところだった。野菜の下準備を終え、テントに戻って調理再開。

 カレーはとてもおいしく出来上がった。今回YがいないのでAが炊くことになったが、Aのご飯もまったく問題ない。夜のミーティングで翌日の行程を確認し、就寝した。



8月1日 〈2日目〉


 3時に起床。いつものことながらあまり寝た気がしない。というのも就寝しても途中何度か起きてしまうからだ。とりあえずこの日の朝食のきつねうどんの準備をする。このきつねうどんは今年の春合宿から採用された、朝食欲の出ない自分にとって大きな助けとなっているメニューである。「揚げ」の存在もさることながら、何より「めんくい」とよばれるダシスープが他の追随を許さない。この日もサッと食することが出来たのであった。

 4時30分に北沢長衛小屋を出発。この日はサブザック行動なので幾分気持ちも体も余裕がある。仙水小屋を通り過ぎると岩場地帯に入った。さすが夏合宿、普段の山行とは違った厳かな雰囲気である。仙水峠を経由して駒津峰を目指す。そこまでの平坦な道のりと打って変わって急登が続いた。すると幾つかのパーティーと遭遇し、多少時間がかかることになったが、駒津峰を無事通過。甲斐駒ケ岳の手前に巻き道の現れる分岐があるのだがこれが曲者で、看板のあるところから先のわかりづらいところにあった。文句を言っていても仕方が無いので、トラバース道を黙々と歩く。この登山道は石や砂がほとんどで多少歩きにくい感じだった。

 サブザックにもかかわらず、行動初日であるせいもあるのかほぼコースタイム通りに甲斐駒ケ岳頂上に到着。登山者で溢れかえっていたが、ここからの景色の素晴らしさは期待を裏切らない。写真を撮った後、やけに空腹感に襲われていたのでそこで昼食をとることにした。ホットドッグだったのでウインナーを茹でるだけなのだが、このホットドッグもとてもおいしかった。はっきり言って自分は食パンコンビーフサンドよりも断然ホットドッグを推奨する。ウインナーのあのパリッという音がなんともいえない。

 ガスが出始めると元のトラバース道を通って、帰りは双児山経由で下っていった。最初は飛ばしていこうかとも思ったのだが、後々辛くなる恐れがあったのでペースを抑えた。きっと去年の岩城先輩だったらとんでもないことになっていただろう。駒津峰から下っていく途中、山の清掃をしながら登ってくるおじさん2人組が環境保全PRのプリントガイドみたいなものを手渡してくれた。内心部員の誰もが「ぜってぇーゴミになるよ……。」と思っていたであろうことは過分に推測できる。そう、ワンゲル部員にとってどれだけゴミを減らせるかが今後の重さに響いていく、ということを十二分に理解しているが故のことだ。

 そんな中、双児山を部員たちは目指していたのだが、結構下ってきている。当然登りもそれだけあるということだった。気合で双児山に到着し、北沢峠へ向かう。

 エアリアマップの甲斐駒ケ岳の拡大図に載っている、双児山から長衛荘の間に、やや気になる言葉があった。「ジグザグ道」……。あれれ? なんでしょう、この突っ込みどころ満載の表示は?「ジグザグ道」とは、私だけではなく万人のイメージからして道がジグザグしているところであろう。そう考えると下りの途中に突如としてジグザグ道が現れる、そういうふうに地図から意味を汲み取ることが出来る。だがしかし、基本的にどこの山でも下りはジグザグなのでは? おまけに双児山からは基本的にジグザグ道であり、その表示はどこを始まりとしていてどこを終わりとしているのか結局わからず仕舞い。そのまま北沢峠に到着したのであった。

 北沢長衛小屋に戻ってくると、まだ夕食の準備には早い時間帯であった。一応主将という立場でもあったので何かすることはないか考えたが特に浮かんでこない。するとなにやら小屋の前の沢で一息入れようという動きが部員の一部にあったのでそそくさとついていった。

 沢の水はとても綺麗で凍るようにつめたい。これこそ正真正銘の「南アルプスの天然水」であった。本当に「南アルプスの天然水」のラベルのついたペットボトルを持ってきた猛者はいないのかと探したが、やはり部員は持ってきてはいなかった。今回来られなかったYあたりだったら持ってきそうなものである。

 イワナ釣りをしに行くと話してくれたおじさん達にも会ったが、ここの沢は上流のほうから間隔をあけてダムのようなものが作られていたので魚や生き物らしいものは見ることは出来なかった。その代わり無我夢中で行ったのが水切りである。手ごろな石を探しては、水がせき止められているところで放り投げていた。このときに普段使わない筋肉を使ったのが原因で、後に右肩が筋肉痛になってしまったとなっては恥ずかしい限りである。

 時間を有意義に使った後はこの日の夕食の豚汁の準備だ。といってもそんなに時間のかかるものでもない。外で1人で米を炊いているAをおいて、テントの中では去年の夏合宿でも大活躍をした「出し入り味噌・チューブバージョン」が登場していた。それにしてもこのチューブ型ボトルは何度見ても飽きることは無い。今後も更なる活躍が期待できるであろう。

 のんびりしているとAの声がした。行ってみると懐かしさの中に恐怖の入り混じる独特の臭いが立ち込めていた。どうやら米の底が焦げているようだが、あまりにも早すぎる。原因をAと考えてみると、どうやら昼食のウインナーを茹でたときに残った油が焦げているようであった。炊き上がった後は、普通に食べられるご飯になっていたので一安心である。焦げの臭いとなるとどうしても思い出してしまうのが去年の夏合宿の朝日小屋での出来事だ。これ以上触れることは避けるが、Aの米炊きの技術は相当のものだ。安心してこれからの山行でも任せられるであろう。

 この日の夕食もおいしかった。豚汁に関しては「あれ、ごぼうは? 糸こんにゃくは?」と多少文句を言いながらもおいしく頂いた。

 ミーティングで、明日は両俣小屋まで行くということを確認し、この日のペースだとほぼコースタイム通りだったので、明日のバス発車の時間を踏まえて早めに出発をするということに決まった。行動初日の疲労感からすでに「本当に北岳まで行けんのかなぁ〜?」と弱音を吐きつつ、シュラフにくるまった。



8月2日 〈3日目〉


 この日は2時30分に起床。疲れていたせいか前日よりも良く眠れたように思う。パスタを茹でている間にトイレに行った。ここのトイレはやはり綺麗である。それは良いのだが、何より気になっていたのが自分の腸の調子だ。夏合宿に入ってからまだ出ていない。このままだと歩行中に……、ということになりかねない。ほかの部員は全員出ているようだった。よくわからないが少し悔しい。

 さて、この日の朝食のスパゲッティだが、今まで散々攻略に苦労してきた。この献立もワンゲル定番ではあるが、毎度長期戦を強いられてきた。しかし今回、今までミートソースが主流であったのを「たらこ」に変更したことによりどうにか攻略することが出来た。部員の中でただ一人たらこが苦手であったTaには申し訳ないが、はっきり言ってこの食事との戦いは自分にとって山では死活問題だ。山で最も辛い事柄は食事と言ってしまっても過言ではない。食料係であるNには様々な工夫をしてもらい、どうにかここまで生き抜くことが出来た。本当にN様様である。

 朝食を食べ終え、4時ごろに出発。最初の一本は日が出ていなかったので結構怖かった。2合目を通過し、3合目で休憩。ここでTaがキジ撃ち。「次の一本で5合目行けるかな?」と部員たちの間で話していたのだがあっという間に5合目通過。「もう少し、もう少し」と欲を出した結果、1時間とちょっとで小仙丈ヶ岳に到着。ここからの景色もなかなかのものだった。そこから一本で仙丈ヶ岳に到着した。素晴らしい眺めだ。ここからだと北・中央アルプスが一望できる。富士山も見ることが出来た。登ってきた甲斐があった。サブザック行動でピストンであるということもあり快調なペースで登ってきたが、天気に恵まれたこともあった。

 山頂で写真を撮り、早々と馬ノ背ヒュッテに向かう。馬ノ背ヒュッテでジャムサンドを食べた。このジャムサンドに使った食パンも少し変えて、くるみパンなどにしてみた。やはりちょっとした工夫で食事も充実してくる。

 そして沢沿いの道を下り、やがて沢から離れていったが、エアリアには「藪沢大滝」と記されている。これでは滝が見られないのではと思っていたところ、左手に少しスペースが出来ていて看板がひっそり立っていた。その看板には「そ〜っとのぞいてみてごらん。」とやや挑発的に書いてあった。気になったので文字通りそ〜っと覗いてみると滝らしきものが木々の間から見ることが出来た。なかなかにくい演出である。どうやら滝へと続く道は廃道となっていたようだった。
 そうして太平山荘に出て、いざ北沢峠に戻ろうとしたところ、予想外にもそこまでの道のりは登りになっていた。ぶつぶつ文句を言いながら登りきり、再び北沢長衛小屋に到着。バス発車時刻にはまだ時間があったが、バス停で休もうという話になり、その場でテントを撤収した。

 メインザックの準備完了、ではあるのだが……。重い……。とりあえずバス停のある北沢峠に向かう。その距離歩いてほんの10分ほど。だが、メインザックの現実の重さを痛切に思い知るには十分な時間であった。

 バス停に着いた部員たちの中の一部は情けないことに「絶対重過ぎるよ〜!」「あれ!? ほかのやつと全然重さ違うんだけど??」「あのザックが一番軽いね。」と弱音や文句が飛び交っていた。そもそも主将がそんな発言の核をなしている時点で大問題である。

 バスが到着。部員たちは最後に乗り込み、野呂川出合で下車した。遅れたが、なぜ仙丈ヶ岳の尾根上を通って両俣小屋へ向かわず、わざわざ野呂川出合から両俣小屋を目指すことになったのか説明しなければなるまい。そうなると7月山行までさかのぼる。八ヶ岳を登っていたのだが、F先生の体の調子が優れず、病院で検査を受けることになったのである。しかし、病院に予約をしたところ、夏合宿中に入らざるを得ない形になってしまい、検査の翌日のこの日に合流することになっていたのだ。なので北沢峠でも、「F先生本当に来てるのかな?」と気になっていたところだった。

 野呂川出合のバス停から少し離れたところに無事F先生が座っていた。ひとまず一安心だ。「お久しぶりです。」とっさに出た言葉に自分でもわけがわからなかったが、とりあえず安心したから自然と出たのであろう。

 F先生も合流し、ここから両俣小屋までの2時間20分の林道を延々と歩き始めた。最初は予想外のザックの重さによってペースを抑えていこうと考えたのだが、仮にここでペースを落としたら両俣小屋に着く前に気力が失われるような予感がしたので、ほぼコースタイム通りのペースで歩いた。途中Aが死にそうになっていたが、そこはTa・Tu・Nに助けてもらい、どうにか進んでいった。

 すると左手に一瞬目を疑うような看板が見えた。「ここから43分17秒で両俣小屋」……。はっきりとした時刻は定かではないがこんな感じで書いてあったと思う。ここまでくると人間の理解の限界を超えてくる。恐るべし南アルプス。「そ〜っとのぞいて……」の看板をはじめ、これはきっとプロの所業に違いない。自分を始め、こうして人から叩かれる過程をもすべて計算し尽くしているとしか思えない。○○秒って……。

 そうこうしているうちに、ラジオの気象放送の始まる16時ジャストに両俣小屋に到着。Tuと受付に行き、狭い幕営スペースにテントを設営した。時間も時間なので早速夕食の準備を開始する。Taが天気図をとっているあいだに、Aは炊き込みご飯、TuとNは味噌汁の準備に入る。

 炊き込みご飯……。思い出すだけでもおぞましい。今はAの成功を祈るのみだ。F先生も付き添っているのできっと大丈夫であろう。その間、味噌汁隊はあることに気づいてしまった。「あっ、ジャガイモがない……。」いやいやないわけがないでしょ? っと思っていたが、それが決定的になる。「カレーで3個、豚汁で3個……。あっ、カレーで4個、豚汁で4個使ったんだ!」いくら数学の苦手な自分でもそのぐらいの計算は出来た。その場は、自分が持ってきていたベーコン(豚汁で豚肉を使うとき少し不安であったため)で凌ぐことになった。その場の流れで物事が進んでしまうワンゲルの恐ろしさをこのとき垣間見た。

 「それではいただきます。」
 基本的に主将がこの言葉を言うのだが、果たして炊き込みご飯の運命は……。A君、素晴らしい、大成功です。焦げがひどくない時点で合格です。本当に良かった、っと思っていた矢先、「ちょっと無理ですねぇ……。」とTuが一言。先ほどから調子の悪そうだったTuがギブアップ。どうやら相当調子が悪いらしい。とりあえずスタードームで休ませることになった。「おいおい……、どうすんだよ……。」危機だった。いつも食事で助けてもらっているTuがダウンとなると、残りをほかの部員で完食せねばならない。Ta・Nが御代わりをして、食器を片付ける。となると残っているのがAと自分だ。炊き込みご飯と味噌汁、両方残っている。Aが炊き込みご飯と戦うことになり、自分は味噌汁に挑むことになった。それにしてもしょっぱかった。塩分が強すぎる。どうやら冷めていくうちに塩分がその存在を主張し始めたらしい。本当にこの夕食はTuのありがたみが、塩分のとりすぎで自分の体が水を欲する度に感じられた。

 この夜のミーティングは決断が迫られていた。このまま明日になってもTuの調子が元に戻らなければ、Tuは下山。もしくはパーティーも下山。それとも停滞か……。全ては明日のTuの体の状態に委ねられていた。
 うれしいことがひとつ。ついに出た。これで気分的に調子が良くなりそうだ。後はTuの回復を祈るのみ。小屋の前の沢の音を聞きながら一時的な休息に入った。


筆者 S・T (3年生)


 「そこに山があるからだ」
 ある登山家の言葉。名言。彼はインタビューを受けていて、彼は偉大な登山家だったのだが、だからインタビューを受けていた。というか、その彼の名はジョージ・マロニ−で、つまり、文字通り「前人未踏」の地に初めて足跡を残した人間で、まあ、実際は雪の上に足跡を残したから、月面のように足跡が今でも残っている訳ではないし、それ以前に本当に偉業を成し遂げたかどうか定かではないということが、遺体が発見されて分かったのだが、というか、とにかく、ジョージ・マロニ−というのは、世界ではじめてエベレストの登頂に成功した登山家だった、と一般には思われているので、そういう事にして話をすすめる。

しかし、この言葉「そこに山があるからだ」は、彼の言いたかった事を正確には表現していない。かも。
 原文はこう。らしい。
 “Because, it is there.”
 直訳すると、「そこに『それ』があるからだ」。これが正しい。でも、日本人の誰かが指示代名詞を意訳して「そこに『山』があるからだ」となり、それが定着した。
 その訳、安直じゃないか? 彼の山に対する情熱は、どれほどだろうか。そして、インタビューされた。そこで、こう聞かれた。「なぜ、あなたは山に登るのですか?」その問いに対する答えに、どれほどの重みがあるだろうか。

 何が言いたいのかというと、彼の言った『it』は山そのものを指しているのではなく、つまり、物質的な土と、石と、岩と、草と、花と、木と、雪とを指すのではなく、もっと精神的な何かを指しているのではないか。そういうことだ。そして、その『it』の正体を見つけるべく、人は山に登るのではないか? いや。人が山に登る理由は、人それぞれ、ある。じゃあ、俺は何故。なぜ、山に登るのか。山の何が俺を惹きつけるのか。いや。山の何が人々を惹きつけるのか。

『it』を探して、旅が始まった。

8月3日 〈4日目〉

 そんな書き出しにしたら、面白い山行記になるかな? そんな事を考えながら、前日の夜はいつの間にか眠ってしまいました。それにしても、体が足が、疲れています。暑くても寒くても、疲れていれば人は眠りに着けるようで、その夜は途中で目がさめることはありませんでした。

 朝になりました。時刻は3時です。A君の携帯電話のアラームで目を覚まします。昨晩、体調を崩したTu君を元気付ける意味で、スターウォーズのテーマでした。「チャーッ、チャーーッ、チャチャチャチャーーーッチャ、チャチャチャチャーーーッチャ、チャチャチャチャーー…」疲れていても、目が覚めたら、無理矢理にでも体を機敏に動かさなければなりません。シュラフをたたみ、朝食の準備を始めます。今朝のメニューは蕎麦です。水で冷やす必要があるので、テントの中ではなく、炊事場で調理をします。といっても、茹でて、冷やすだけですが。ただし、いえ、山では当たり前だし、別に問題はないのですが、1つ言うならば、今朝のメニューは、蕎麦のみ、なのです。ジャスト蕎麦、です。蕎麦屋さん、です。そして、これもやっぱり当然だし、むしろ誇りの思う部分すらあるのですが、よく見ると、具なし、です。ジャスト麺、です。原材料:そば粉・小麦粉、です。粉屋さん、です。栄養バランスとか気にしないタイプの人間のほうが、山では生き延びる気がしてなりません。心の中に(T_T)この顔文字を思い浮かべつつ、「いただきます」。若干、茹でる時間が足りなかったような歯ごたえでしたが、まあ、美味しかったというか、正確に表現するならば、正直、マズかったです。ここで、心の中の顔文字は、(TOT)に変わりました。

 テントを撤収し、荷物をパッキングし、5時前に出発しました。今日は、今回の合宿で最も厳しい登りがあります。少々不安になりながらも、そんな弱気になっても意味はありません。心の中で自分を最高の言葉で褒め称え、自分で自分に告白などしながら、告白は嘘ですが、根性でザックを背負い、気合を入れてザックベルトを締めます。荷物が重いので、ゆっくりとしたペースで沢沿いに歩いていきます。

 沢を歩いていくと、石の上をうまく跳んで対岸へ行かなければならない箇所に出くわしました。これは難易度が高そうです。ゆっくりと川のギリギリにある石の上まで移動します。目標の石に意識を定め、ゆっくりを足を伸ばします。そして、両足にかかる体重が5:5になった瞬間に、思い切りをつけて一気に移動します。そしてまたバランスを整え、次の一歩へ意識を集中します。まあ、理屈はどうでもいいのですが、結果としては、1人でした。1人が、ドボンでした。というか、具体的には穴ピーでした。しかも、「泣きっ面に蜂」という言葉の意味を知らない私ですが、穴ピーはバランスを崩した自分の体を支える為に川底に手をつこうとして、左手小指を突き指してしまいました。のちに、シップをしていました。夏なので水に濡れたくらいでは着替える訳にはいかず、またそのまま歩いて行きました。

 その後も、川を渡る箇所は何度もありました。しかし、無事に進んでいくことができました。休憩時には、「天然南アルプスの天然水」を飲みました。進んでいくと、北岳の急登に入る直前に、左俣大滝を見ました。一瞬、支流から落ちてくるニセモノの滝に騙される所でしたが、奥に本物がありました。高さも水量もあり、かなり迫力のある滝でした。F先生が、写真を撮ってくれました。

 そして、ついに、最大の試練であろう北岳への急登です。そこで、私たちには1つの選択肢がありました。「登る」。それ以外の選択肢は、私たちの想像力の外側でした。という訳で、登ります。一歩一歩、歩きます。さすがにキツイ登りでした。腰から上を少しかがめます。すると、前傾姿勢になります。そして、ちょっと倒れそうになった拍子に足を前へ。その直後に腰を前に出そうと背筋に力を入れます。すると、前へ倒れようとする力のベクトルの矛先が上へ向き、「一歩」が完成します。その一歩を、ただひたすら。約50分間続けます。頭の中では、音楽が無限ループしています。私はサブリーダーなので、パーティ全体の様子を見ながら歩かなければならないのですが、この時は実は出来ていませんでした。歩いていると、肩が痛くなってくるので、そっちに意識を集中させます。普通は意識しないようにする事で痛さから逃れたりするのでしょうが、私の場合は、あえて自覚した上で我慢することで耐える方法の方が効果的でした。一歩、一歩。からだ全体に、しびれに近い痛みがじわじわと忍び寄ってきます。肩も。足の裏も。かかとも。肺も。なぜか、左の耳も。極限の状態で、何かを感じて、それでも歩ける自分がいるのです。何か。『it』。

 そんなとき、パーティが不意に止まりました。不思議に思ってK君の様子を見ようとしましたが、道が細いので、前の様子がわかりません。でも、どうやら、道が無くなっているようです。つまり、途中で道を間違えたようです。一応、道の上を歩いているつもりだったのですが。すると、F先生が「おーい、あそこに看板あるぞ」と言います。確かに、プラスチックの看板らしき陰が5m程上に見えます。仕方が無いので、道なき道を突き進んで、無理矢理ルートまで出ました。既に相当キツイのに、道まで間違えては、気を抜けばすぐにでも精神がやられてしまいそうです。そのときにN君の言った「萎えないで下さいね」という言葉が、妙に印象的でした。それでも休憩はまだ入れずに進みます。歩く、歩く。ふと時計を見ると、休憩までまだ30分もあります。仕方が無いので、登ります。そしてまた、ふと時計を見ます。すると、休憩までまだ15分もあります。仕方が無いので、足を進めます。更にまた、ふと時計を見ます。すると、休憩までまだ10分あります。どうしようもないので、まだ足を前に出します。そうして、やっぱりまた、ふと時計を見ます。すると、休憩までまだ5分、いえ、もうあと5分で休憩です。その後は、休憩まで時計を1分に1ペースで見ながらも、やっと休憩です。そして、水を飲んだら、まだ出発です。

 やっと、森林限界を抜け、中白峰ノ沢の頭の近くへ。とりあえず、最悪な登りは終わりました。少しホッとして、休憩を入れることにしました。昼食を食べます。メニューは、菓子パン3、果物缶2分の1、蒟蒻畑2。食べて、また出発です。次の、肩の小屋方面と北岳山頂・間ノ岳の方面との分岐まで、一気に60分歩き続けました。普通は50分歩いて10分の休憩を入れるのですが、広い場所で休憩した方がザックの置き場にも困らないので、10分延長してあるきました。パーティメンバーも、特に嫌がる様子を見せません。それならば、大丈夫そうです。という事で、分岐へ。邪魔にならないようにと、どこにザックを降ろそうか迷っていると、F先生の檄が飛んできました。「早くザックを降ろせ!」怒っているような声ですが、何故そこまで大きな声を出すのか、私たちには分かりません。とにかく、K君が皆に指示を出します。「それじゃあ皆ザック降ろしてー」休憩中、メンバーの様子は意外と元気でした。うなだれもせず、かがみこみもせず。それでも一応、聞いてみました。

 Ta「皆、結構平気そうな感じだけど、体調とかどう?」
 Tu「あ、全然平気ですよ?」
 N「ええ、特に問題ないです。」
 Ta「Aは一応一年生だけどどう?」
 A「オレですか? はい、大丈夫です。」
 そこで、K君が気づきました
 K「F先生、体調大丈夫ですか?」
 F先生が、辛そうにしています。
 F「……。(苦しい表情のまま、無言で首を振 る先生)ちょーっとね、今の登りでバテてしまったよ。」
 K「はは…じゃあ、休憩5分延ばしますか?」
 F「悪ぃんだけど、そうしてもらえる?」
 K「はい、分かりました。(そう言って、皆の方を向くK君)」
 「(やや大きな声で)じゃあ皆ー! 休憩5分延長して25分までねー!」
 Ta「了解〜」
 N「あ、はい〜」
 Tu「分かりました〜」
 A「ガッテン承知だぁい!(右腕でガッツポーズをしながら)」

 その後は、天気の話で少し盛り上がりました。この山行中、まだ一度も雨に降られていません。それどころか、A先生とA君が一緒に山へ行くと、確実に晴れるのです。今だって、さっきまでガスっていたはずなのですが、いつの間にか視界が開け、北岳が見えます。今回、一番のメインである北岳からはどうしても絶景を見たいので、晴れ男の二人に祈りを捧げたり、はたまた脅迫したりして、どうにかガスを吹き飛ばしてもらおうと頑張りました。

 次の歩行は、北岳の山頂を目指して、荒々しい岩の道を登っていきます。どんなに小モノでも、「石」ではなく「岩」と呼びたくなるほどゴツゴツとしています。そんな道を歩いていると、こちらの心まで荒々しく、と言いますか、俄然と気合が入るから不思議です。30分程度登り、北岳の山頂に辿り着きました。日本で2番目に高い山踏破の瞬間です。山頂は、ガズってしまっていました。こうなると、「気象コントロール係」のA君に非難の声が次々と浴びせられます。結構な言いようでした。このA君をいじる行為に固有の名称が制定されるほどでした。それは、「Aいじめ」でした。まあ、A君の切り替えしと言うか、リアクションが面白いからついつい、イロイロといってしまうのだと思います。そして、言われても平気な顔をしているA君。潜在的になのか、意識的になのかは分かりませんが、コミュニケーション能力が非常に高いのは確かだと思います。しかし、もし傷つけていたら、すみません。ごめんなさい。本当に申し訳なく思います。(褒めてフォローしつつ平謝り)

 少し待ったのですが、霧は結局晴れませんでした。仕方が無いので、記念撮影をして出発することにしました。皆の写真と、K君とのツーショット。コレは、卒業アルバム用だそうです。

 北岳山荘へは、ぴったり50分でした。しかも、コースタイム通りです。北岳山荘は、エアリアに「水洗トイレつきの近代設備」と書いてあったので、一体どんな山荘なのだろうと思っていたのですが、外観は至って普通でした。しかし。それにしても、幕場が混んでいます。というか、私たちのテントを設営するスペースがありません。唯一空いているのは、トイレのすぐ後ろに段違いで2スペースのみです。心地よいそよ風に運ばれて排泄物の香りか私たちを温かく包み込む素敵な場所です。。手分けしてテントを張れる場所を探していたのですが、場所がもうないので、我慢するしかない、と思って私は一人で設営に取り掛かりました。教テンの本体を広げ、骨を組み立てていきます。近くにはF先生とA先生が。教テンの骨を全て組み立てた頃に、しかし、私以外のメンバーがなかなか帰ってこないことに気づきました。まだ場所を探しているのでしょうか。選択肢はもう無い筈なのですが、私は何故か一人です。すると、F先生が「他のメンバーは?」と聞いてきます。正直、僕のほうが聞きたい状況なのです。早く戻ってこないか、少し不安に待っていたのです。しかし、そう言うとK君たちが責められてしまうのではないかという心理が働き、「K君とTu君は幕営代を払いに行っていて、N君とA君は山小屋を見に行ってます」と答えました。先生の質問は「何故、他のメンバーはまだ帰ってこないんだ?」という意図で聞いたものなので、本当は答えになっていないのだと思われますが、だからおそらくは、苦し紛れに答えたんだという事も見抜かれていたかもしれません。そこへ、K君とA君とが戻ってきました。そして、もっと奥のほうにテントをはれる場所があると言います。つまり、移動することになりました。「奥のほう」というのが具体的に分からないので、皆で見に行ってみます。全員で行くことも無いと思い、私は管理人さんの所へ詳しく聞きに行きました。管理人さんは、ヘリポートに張るのはダメだが、そのもっと奥に張る場所があると教えて下さいました。皆の所へ戻り、その事を報告します。北岳山荘に着いた時からそうだったのですが、皆は、何となく疲れているというか、動きが非常に鈍くなっているようです。例えば、「奥のほう」に2張り分のスペースがあるかどうか、その場所に行ってみて確かめるのが最も手っ取り早いのですが、近場の高くなっている場所から見て晴れるかどうか検討してみたり、確かめに行ってみようという時も、無言で躊躇ってみたり。無言で躊躇うというのは、躊躇う正当な理由が無いからそうする訳で、つまり、疲れるから行きたくない訳で、そこは我慢しないといけないところなのです。

 山では、体力なんて当てになるものではありません。いえ、体力は勿論とても大切です。しかし、体力の限界なんて初日に訪れます。「もう無理」と思った後で、いかに歩くか。母から聞いた言葉なのですが、「山は気力で登るもの」というのが私の登山に対する考え方です。その考え方が真実だとすると、しかし、これは諸刃の剣になりえます。何故なら、体力が限界に達したと思っても精神力さえあれば歩き続けることが可能になると同時に、気を抜いたら最後、その瞬間から動けなくなるからです。そして、どこかに到着した瞬間が最も気を抜いてしまいやすいタイミングです。「やっと着いた〜」と達成感を感じてる暇なんて、本当はないのです。ちょっと厳しい考え方なので、「達成感を感じたらいけないなんて、一体何のために歩いてるんだ!」と反論されそうなのですが、一度「萎え状態」に入った心というのは、元の「気を張った状態」にするのが意外と難しいのです。「慣性の法則」は、心にも働くということです。それならば、歩き終わったその瞬間に歩いている状態の気合いを維持して次の行動に移った方が、結果的に楽なのです。そこに「甘え」が入るのは、決していいことではないのです。この日は非常に厳しい工程だったので、「疲れても仕方ない」という自己防衛的な感情だとか、「この時の達成感を味わうために山に来てるんだよなぁ〜」という自己肯定的な感情だとかでダレる事を正当化しようとしてしまいがちなのですが、その時の判断というのは冷静な判断であるとは言えません。そして、その「疲れた〜」という個人の持っている雰囲気はそのまま周囲に感染し、場の空気が「疲れた〜」となってしまいます。「場所探し 皆でダレれば 怖くない」そういう事です。歩いている時は、パーティに遅れないために嫌でも気力は使うので、キツい状態ではありますが、結果的に気が抜けることはありません。問題なのは、到着したその瞬間なのです。気をつけて欲しいと思います。

 以上のことに気づいた私は、しかし、少し困りました。気づいたまではいいのですが、それを皆にどうやって伝えていいのか分からなくなってしまったのです。理想は「皆がモチベーションを保って作業に取り組んでいる」で、現実は「やや疲れに負けている」です。つまり、すべき作業は「皆の気合を入れなおす」です。ここまではすんなり思いつきます。しかし、「ならば具体的にどうするのか」が分からないのです。ここで「気合を入れろ」と言うことが、結果的にメンバーのモチベーションにつながるとは限りません。「気合を入れろ」と言えば、少なくとも「確かに厳しい道だったらから疲れるのは分かるけど、それでもまだ俺は頑張ってるぞ」という事を伝えることにはなります。それは、例えば先生の目から見たら「アイツは気合が入っているな」と映る事になるので、私の自尊心は大いに満足されるでしょう。しかし、そうなってしまっては意味が無いのではないでしょうか。求めるものは、パーティのテキパキとした行動です。「気合を入れろ」といった結果、後輩たちが「先輩はそう言いますけど、それは先輩だから出来るんですよ。僕らには無理ですって、疲れてますし」と反発されて受け入れられないのもダメです。また、「うわぁ、あの人、よく気合を入れっぱなしにできるなぁ。それに比べて、僕はダメだなぁ。疲れてろくに返事もできないや」と受け入れた結果ネガティブになってしまっても、迅速な行動は生まれません。キツく言っても、感情の部分で間違えて受け取られてしまう可能性もあります。それはらば、目線と後輩たちと一緒にして伝えるのはどうでしょう。例えば、「疲れたー、いやぁ、我ながら良く頑張ったよ。皆、お疲れー。でも、もう少しだけ頑張っとかない? 早くテントの中で寛ぎたいしさ」というのも良かったかもしれません。聞いた方は、素直に聞けるので、比較的同意しやすいと思います。しかし、私はそれをするのは嫌でした。理由は大きく分けて2つあります。第一に、ノリが軽いだけに、相手からも「今回くらいはゆっくりしときません?」と軽いノリで返されたとします。その時に、更に「そう? そうかなぁ。いや、でもやっぱりさ、もうちょっと頑張ろうよ」と、口調は軽いながらも頑固な発言をせざるをえなくなってしまい、相手からすれば「そう思ってるならハッキリ言って下さいよ! 反論しちゃったじゃないですか!」と思える状況を作り出してしまう可能性があります。第二に、そして何より、後輩たちのご機嫌をとりながら会話しているようでイヤでした。ご機嫌をとるような会話をする、という事を選択した時点で、後輩たちの普段よりもヤル気の無い状態を認めていることになります。同時に、わざとらしい会話を発すると、その意識的に発せられた言葉の「意識の部分(皆疲れてるから、優しく言おう)」を読み取られ、逆にその時のその場の空気を象徴することになり、ヤル気のなさを強調してしまう気がしたのです。

 ならば、どういう行動をとったのか。最終的に出た結論は「何も言わない」という事でした。表現をどう工夫しようとも、根本的にある「注意する」という目的のために発せられた言葉は、「注意する者」と「注意される者」という対等で無い立場関係を作り出してしまうのです。これは、おそらく、逃れようの無いことなのだと思います。だから、本人たちが「自らの力で気づく」のを待つことにしました。しかし、ここでポイントなのですが、表現というのは言葉として発せられるもののみではありません。つまり、「何も言わない」=「何もしない」ではありません。具体的にはどういうことなのかと言いますと、「魅せる」、これです。意識して、少しわざとらしくテキパキと作業するのです。そうすれば、それを見た後輩たちが勝手に「俺も!」と思ってくれるのではないかというわけです。

 そういう訳で、何も言わずに行動を開始しました。組み立てかけてしまった教テンを崩し、ザックを背負い、山小屋から少し離れた場所にあるテント場まで移動します。到着したら、すぐさまテントの設営を開始します。私とTu君の2人で教テンを設営します。そして、こここそが魅せ場です。とにかくに、急いでテント作り上げました。すると、というか、そして、というか、しかし、気づいた事には、Tu君も十分に作業が素早いのです。しかも、別に私の様子を見てそうした、とかではなく、最初からいつも通りにサッサと設営するのです。なかなか、凄いことだと思います。今は決して気を抜いてはいけないということを、心得ていたらしい雰囲気でした。そんな訳で、設営はスグに終わりました。ジャンエスを手伝いに行ける余裕さえありました。2つのテントが建ち、ザックをしまい、夕食を作ります。私は気象係なので、天気図帳を取り出してスタンバっていました。他の皆はトイレなり水汲みなりへテントから出て行きました。気象通報の16時まではまだ20分くらいあったので、私も水汲みに行こうか迷って聞いてみたのですが、大丈夫ということで、ほんの少しだけ、テントの中でゆっくりした時間を過ごさせて頂きました。16時。皆はまだ戻ってきていません。水汲みに行かなくて良かったなぁ、思いながら天気図をとります。御前崎の気温を忘れずにメモしつつ、その日の天気図は完成しました。途中、米を出すだの出さないだの、尊敬だの銅像だの、まあイロイロとありましたが、問題なく書けました。現在地の北、東北東、北北西にそれぞれ低気圧、熱帯低気圧、台風があったり、やたらに長い停滞前線があったりと、なんだか面白い天気図になりましたが、明日はまだ晴れていてくれそうです。

 その日の夕食のメニューは「ふりかけご飯+お吸い物」でした。今朝の朝食といい、味よりも手間を最優先事項として用意された夕食ですが、意外にも食が進みました。食べないと死ぬのと、なにより米が上手く炊けていたのが大きかったのだと思います。F先生だけは、体調不良のため1人で別のテントで食べていましたが、こちらは和やかな雰囲気でした。「やっと北岳まで来たね〜」だとか、「ここのトイレ凄いですよね」だとか。時には「でも、明日の歩行時間:7時間50分て何? 8時間じゃん。絶対無理! そんな歩けるわけないし!!!」だとかも。

 いつもなら夕食からそのままミーティングをするのですが、F先生がその場にいないので、時間を決めて先に片づけをすることになりました。片づけをして、私は噂のトイレへそこで始めていきました。そこで見たものは、もう、何と言うか、都会よりも近代的なトイレです。近代的というより、むしろ未来的とさえ言えます。ステンレス製の大きな厚い扉がずらーっと並んでおり、全部で20台以上はあるのですが、その扉の1つ1つの右側に緑・黄・赤のランプが立てに3つ並んでいるのです。そのうちの緑は光っています。その下には電卓で使われている88のどこかが光る数字の電光掲示板があり、赤く「32」だとか「14」だとか光っています。扉を開け中に入ると、自動的に照明がつき、中には和式のボットン便所が。しかし、ただのボットンではありません。下にはバイオっぽい砂利が敷き詰められていて、予想以上に臭くないのです。しかも、その砂利は時折変な機械の音と共に、かき混ぜられているようです。用を足し、拭き、外に出ると、さっきの数字が1つ増えています。どうやら、使用人数をカウントしているようです。最後に、トイレ全体の出入り口には張り紙と箱がありました。箱は、どうやら募金箱のようです。張り紙には、こんな事が書いてありました。「このトイレは、1台につき1000万円の資金が掛かっています。維持費も含め、使用者の皆さんが毎回500円ずつ払って下さると10年で元が取れる計算です。お気持ちだけでもよろしくお願いします」と。え、えぇ〜!? だったら、作らなきゃいいじゃん。明らかに無駄遣いじゃん。ノーマルなボットンでも、多少は臭くても我慢するし。てか、20個は作りすぎでしょ。そんな混まないって。てか、1000万×20個=2億。うわ。いや、まあ、観光に力を入れている南アルプス市としては、これくらいして当たり前なのかねぇ。でも、使わなかったら意味無いよやっぱり。

 ミーティングは、内容的にはいつも通りに進みました。内容以外の部分で言うと、F先生が夕食を別で食べた理由がここで分かりました。体調が悪い、というだけで、別のテントで夕食を摂るというのは、本当はちょっとおかしな話です。普通、別のテントに行く場合というのは、寝るために行くのですから、わざわざ食事を持って移動する事は考えにくいのです。では、何故F先生は別のテントで食べたのか。次の言葉がヒントです。推理してみてください。「痛み止めの薬を入れてくるため」です。分かりますか? 「入れてくるため」ですよ。薬を「入れる」。あまりに予想外なので、ちょっと想像できないかも知れません。実は、つまり、あれです。そう、「座薬」!

 就寝時間は19時で、明日は朝日が昇る瞬間を見てから出発ということになりました。まだ少しだけ時間がありましたので、夕日を見に行くことにしました。そこで見た夕日か、別に大きいわけでもなく、雲でぼやけた夕日でした。しかし、何故か、存在が大きいのです。港から、夕日でオレンジ色に染まる水平線を眺めながら、異国の地へ思いを馳せる時の気分。星を見上げながら、その光が本当はもう何億年も昔に発せられたものであり、何億年も昔の人も同じ光を見ていたのだと考えている時の気分。意味も脈絡も無いけれど、とにかく感動してしまう景色。いや、感動したくなってしまう風景。いや。感動せざるを得なくなってしまう情景。そこには、その何かがあったのでした。何か。『it』。

 結局、シュラフに入ったのは19時を過ぎてからになってしまいました。それでも、夕日を見れて良かったです。テレビとか、映画とか、作られた感動を与えられる機会は多々あります。しかし、自分で感動を作り、その中に入り込んで体感したのは久しぶりでした。1年ぶりでした。



8月4日〈5日目〉

 また、長いような短いような、よく分からないのですが、とにかく新たな1日がはじまりました。午前3時、アラームがなりました。「♪負けないでー、もぉおー少しー、さぁいーごまで、走りぬっけてー」ZARDの名曲「負けないで」です。今の自分たちの状況にあまりに相応しい選曲に、思わずニヤリとしながらシュラフを片付けました。

 今朝の朝食はお茶漬けです。お茶漬けもやっぱりそれ以上は何もないのですが、美味しいので食は進みました。また、野菜が入っていないので、そこはサプリメントで補います。米は前日に用意してあるため、とにかく準備が早いメニューです。お湯さえ沸かせば完成しますので。F先生も、まあ何とか歩ける程度の体調にまでは回復していました。ただ、今度はK君が調子が悪いようです。お茶漬けをあまり食べられていません。元から朝に弱いK君なのですが、今朝は特にスローペースです。それは本人も自覚しているようで、歩けないほどではないとの判断でした。昼食までの歩行がきつくなりますが、個食を使って何とかするしかありません。とりあえず、様子を見る、という訳でもないですが、予定通りに物事は進みます。

 テントをたたみ、ザックにパッキングし、ザックはその場に放置。私たちは、ご来光を見に行きました。まだ、あと10分くらいはありそうです。雲が出ていて、どの時点が「朝日が昇った瞬間」なのか分かりにくかったのですが、地味ながらもとても綺麗で、こんな朝日もすがすがしいなと思いました。

 さて。8時間歩行の始まりです。まずは、北岳山荘から中白峰を目指します。最初の1本というのはまだ寝起きで、ごはんがエネルギーに変換されていないので、少しゆっくりめに歩きます。すると、イキナリ同年代パーティに抜かされました。そんな事は気にせずに、私たちは私たちのペースで歩きました。歩きましたのですが、心の中では、収まりきらないものがありました。やっぱり悔しいといいますか、むしろ、抜かしてみたいといいますか。F先生は、最初は「K、抜かすぞ!」と一言。確かに、目の前にペースが同じくらいのパーティがいるのは、非常に歩きにくいのです。とはいえ、道もまだ登りで、ペースを上げることがパーティをバテさせ、結果的に遅くなってしまうことも考えられます。もうしばらくは、そのままのペースで進むようです。

 見事にコースタイム通りに、中白峰、間ノ岳と踏破していきました。間ノ岳の標高は3189メートル。語呂合わせっぽく読むと「3189」で「さいやく」つまり「最悪」になってしまいます。ならば天気はどうだったのかといいますと、結構晴れていました。少しは夏雲だってありましたが、北岳よりも明らかに日差しが強いです。写真を撮り、途中、中学生の超大人数パーティを追い抜き、農鳥小屋へ。そこには、さっき私たちを追い抜いていったパーティがいます。しかも、メンバーの一人が瓶で牛乳を飲んでいました。しかし、私たちが休憩を開始すると同時くらいに出発してしまい、間は縮まりませんでした。現状維持といったところです。ここで昼食を摂ろうか、という選択には、「次で」ということで決定されました。

 その昼食の場所は、西農鳥岳です。ここまでもコースターム通り。メニューは菓子パン2、蒟蒻畑2、6Pチーズ2です。朝に引き続き、K君の食欲はあまりありません。食べなかったパンは、私が頂きました。それにしても、虫が非常に多いのが妙に印象的です。ハエが進化したような、ハチが退化したような、アブのような虫が大量に飛んでいます。しかも、肌の上を普通に離着陸しています。別に刺す訳でもないし、気にしなければ良いだけのことなのですが、そんな理屈は脳内だけで留まってしまうのが人情です。常に「ウザいな〜」と思いながら昼食を食べていました。そんな中、A君が先生に高山植物についての質問をしていました。F先生は、すんなり答えています。Tu君も、その話に参加していました。私は全く分かりません。山の名前すらも、下山した瞬間に忘れてしまう程なのです。ましてや、高山植物の名前なんて、思い当たるものといえば「ラフレシア」が限界なのです。ポケモンで覚えましたが。

 昼食を食べていると、前を歩いていたパーティが分岐で迷っていました。私たちは山の上にいるので、俯瞰した視点でパーティを見ることができ、非常に面白いのです。右はトラバースルートで、左は直登ルートです。といっても、左の道は道かどうか怪しいような道で、右に行くのが正解なのですが……。1つでも多くの頂に足跡を残したいと思うのがアルピニストです。パーティの先頭から4人は左の直登ルートを選んでいました。後ろにいた2人と先生は右へ。それを見た突撃組は、突然に不安になったのか、やっぱり引き返すメンバーが3人。先頭の一人だけは、そのまま上を目指しています。それにしてもその一人、やっている事も声も長澤先輩そっくりで、私たちはクスリクスリと笑いながら見物していました。さらに、やっぱり引き返したメンバーのうちの1人は登山経験が浅いようで、上手に下れていません。体重が完全に後ろに掛かっています。F先生が、「重心を前に掛けろ!」と言いたそうにしています。結局、1人だけは左の山を登り、他のメンバーは無事にコースどおり歩いていきました。

 私たちは何の迷いもなく右のルートを選択。さすがに余計な体力を使いたくないのが本音です。農鳥岳までも、マイペースかつ順調に歩きました。山を歩いている時、緊急な伝達を聞き逃してはいけない、という理由で、お喋りは禁止されています。つまり、ただ黙々と歩いているわけです。しかし、それは非常に「暇」な時間でもあります。足が厳しい状況なので、余裕があるわけでもないのですが、「歩く」事にのみ集中している訳ではありません。頭の中で音楽を聴いていたり、色々と考えていたりします。そして、そのときの歩きでは「知識」について考えていました。

 結論から言うと、「知識を増やすのは良いことなのか」が今回のテーマでした。知識を増やすのは、勿論素晴らしいことなのですが、この場合の知識というのは、意図的に覚えた専門知識の事を言います。しかも、その中でも「別に覚えなくても何とかなる言葉」を指します。何を言っているのか分かりにくいので、経験の具体例で主張を説明したいと思います。

 私は、中学の3年間、テニス部に所属していました。すると、様々な専門知識・用語を覚えることになります。わざわざ覚えようとしたつもりは無いのですが、使っているうちに覚えてしまうのです。「サーブ」「レシーブ」から始まって「デュース」や「サービスエース」、「コンチネンタルグリップ」とか「オーストラリアンフォーメーション」更には「WilsonのHYPER PRO STAFF6.1」ラケットの名前も、自然と覚えました。しかし、周りの皆は覚えているのに私だけは無知である分野が1つあったのです。それは、選手の名前でした。「アンドレ・アガシ」と言われても、「誰?」なのです。顔かも知らなければ、その選手にはどんな強みがあり、どんなプレースタイルなのかも知りませんでした。そして、その理由は何より「知る必要が無い」からでした。いえ。もっと正確に言えば、「知る必要性を感じない」からなのです。何故なら、テニスの話で盛り上がっても、テニスが上達する訳ではないからです。私は、テニスに関して色々と知識をひけらかしているだけのメンバーが好けませんでした。人の知らないような情報を発言すれば、その人は「テニスに関して非常に詳しい」つまり「テニスに関して人より詳しい」つまり「テニスに関してのこだわりが人より強い」つまり「テニスが人より強い」という図式によって、自己満足を得ることができます。しかし、発言している人と実際に上手い人は別なのです。

 とはいえ、山の楽しみ方は人それぞれで、達成すべき目標が決まっているわけでもないので、知識をたくさん持っている人が知識を持っていない人に対して気を使いながら一緒に楽しめたらいいな。という結論に達しました。

 そんな事を考えながら到着したのは、農鳥岳です。写真を撮り、出発。大門沢下降点へ。そこで、気合を入れなおして再び出発。ここからの道は、「学院ワンゲルでは必ず誰かが滑落する道」だそうです。

 そして、やっぱり少し歩きにくい道でした。大きな石が結構たくさん転がっています。とはいえ、例えば八ヶ岳の岩場に比べればらくな訳で、ペースも特に飛ばしているわけではないので、慎重に下れました。1度休憩し、水場でも少しだけ休憩し、大門沢小屋へ。ジンクスは破れました。あっさりと。

 この日が、夏合宿の最後の宿泊となります。テントを設営し、テントの中へ。1週間1度も脱いでいない靴下からは、現代化学の限界に挑戦しているのかと思えるような凄まじいアンモニア臭が放たれ、テント内を埋め尽くします。私たちは、ファブリーズを持ってこなかったという致命的な失敗を夏合宿でやらかしてしまったことを公開しつつも、持って来ても、あまりの臭さに意味が無いかもしれないじゃないかと自分を納得させ、昼食の準備を始めるまでの時間を荷物の整理やお喋りで過しました。この日のお喋りは、本当に楽しかったです。まず出てきた話題が、テントの悪臭。そして、そこからへ発展。私はフランス語なのですが、ドイツ語には「ウ*コステン」という言葉があるそうです。ただただその1つの事実に皆で笑い、共に腹を抱えました。私は、そんな時間が大好きで、山でも一番の楽しみです。別に、山である必要が無いと言えばそうなのですが、24時間×6日間を、しかも、かなかな厳しい状況下で共に過す仲間たちとの間にできる絆は強く、そんな奴等との笑いには、他にはないけれども楽しい何かを感じられずに入られませんでした。何か。『it』。

 その日の夕食はレトルトで、社会的な味を楽しみました。
 ごちそうさまの後も、就寝までは時間があり、主にA君の話題で盛り上がりました。犯罪歴やら、恋バナやら。



8月5日 〈6日目〉


 最終日です。朝食は雑炊で、あっという間に完成しました。味にムラがありましたが、そんな些細な問題が、食事に関しての、おそらくは今回の山行で1番の失敗なのです。つまり、炊飯も含めて大成功でした。

 テントをたたみ、出発です。何より感じたのが、「ザックが軽い!」ということです。実際、出発時よりも物理的に軽いのですが、精神的要因も大きいと思われます。

 今日はもう3時間程度歩けば下界です。私としては一気に下ってしまいたかったのですが、夏合宿の最後の1本で滑落する確率は過去4年間で75%です。K君が後で教えてくれたことには、「結果的に一番早く下れるスピード」で下りました。途中、八丁坂の手前と小コモリ沢と思われる沢で休憩し、吊橋を3つ渡った所で少しだけ休憩。

 秘密会議の結果、前にいるパーティを抜かすことにしました。それほど離れていないし、下りならスピードを上げやすいからです。では何のために抜かすかというと、バスの座席の確保です。バスに乗っている時間は1時間以上であることから、どうしても座りたいのです。そこから、ワンゲルのペースは突然上がりました。ペース、というか、走ってもいました。

 夏合宿の最後に走るなんて、もう爆笑モンなのです。本来は。しかし、私は本気でした。しかし、メンバーは爆笑していました。
 結局、追い抜くことはできませんでした。
 と思いきや、前にいた中学生パーティは途中にある温泉へ向かっています。しめた! 温泉の営業開始時間は午前9時。まだあと40分はあります。気づかれないよう、急いでいるそぶりを見せずに横を通過。ぬかしました。

 しかし。もうすぐバス停という所で、前方には大量の中学生がいます。前日に追い抜いたパーティです。もう、恥とか、人情とか、色々捨てて、猛ダッシュ。バス停には、ほぼ1番に到着しました。

 最後の最後であれだけの体力が残っていた私たちは、特にA君は、先生に「もう1回登ってくるか?」など言われながら、ザックを下ろしました。

 反省会をし、K君は言いました。
 「それじゃぁ… 解散!」

 そんな内容にしたら、面白い山行記になるかな? そんな事を考えながら、その夜はいつの間にか眠ってしまいました。それにしても、体が足が、疲れています。暑くても寒くても、疲れていれば人は眠りにつけるようで、その夜は途中で目がさめることはありませんでした。

 『it』の正体。
 それは、『何か』である必要は無い。
 それが、俺の出したFinal Answer。
 つまり、1つの単語である必要は無い。
 それが、俺の出した結論。
 色々あって、全部なのだ。
 全部で、『it』。
 全部は、行ってみないと、分からない。
 行けば、全部が、分かる。

 『it』
 何でもそうだ。
 『it』


《「稜線」第27号(2005年度)所載》

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