2005年 冬季山行 山行記

筆者 K・N (2年生)


 「あっ、言っておくけどキミ、雪が積もってるから。今がだいたい20センチだから、今度また降られると30センチはこえちゃうな。」受話器越しに聞こえる将監小屋の小屋番さんの声は、私に明らかな懸念を示しているように思われた。私たちが今回の山行で目指す予定であった奥秩父の秘峰、和名倉山はすでに雪に閉ざされてしまっていたのだ。直ちに行き先を変更。このことを翌日F先生に連絡し、新たな行き先を御坂山塊の黒岳・釈迦ヶ岳とした。和名倉山のルートファインディングの難しさを前々から聞かされていた私には、とりあえずハイキングコースとして整備されている今回のコースはありがたかった。和名倉山に未練が無いといえばそれはウソになるが、御坂山塊が富士山の展望に恵まれていることもあり、この山行への期待は高まっていった。

 しかしながら、喜んでばかりもいられない。今回のCLはなんと私なのだ。なんとも実感が無い。時が経つのは速いもので「とうとうワンゲルも私がCLを務める時代になりましたか」などと感慨に浸っている時間も無い。……不安がつのる。


12月24日 〈1日目〉


 集合は例のごとく高尾駅、集合時間は正午。ワンゲルの山行としては、とってもスローペースだ。遅刻を警戒するあまり集合時間20分前に到着してしまった可哀想な私は、小雪が舞うホームで一人縮こまって、ぽつねんと立っていた。集合時間10分前、Yがいつもの赤いザックとともに現れる。ほどなくして、F先生も合流。一路、河口湖を目指す。……と、ここでちょっとワンゲル通な方なら気づくことが1つあるはず。そう、TとAの姿が無いのである。これは別に、我々が意地悪をして彼らを置き去りにしていった訳でもなく、かといって彼らがそれを苦に退部してしまった訳でもない。理由はここではあえて触れない。ただ1つ言えるのは、「サンデーハイカーにちょっと毛が生えたような存在」の私には到底行こうという意欲も湧かないトンでもない山に旅立っていった、というだけである。

 河口湖の駅に到着して、1つ驚いたことがある。それはタクシーが腐るほど待機していることだ。というのも私は、この山行の前にはりきって河口湖駅からのタクシーを予約していたのだ。そういえば電話で富士急山梨ハイヤーの受付嬢の人が「河口湖の駅はタクシーが沢山いますから、予約は必要ないかと……」などと言っていた。その時はなぜかテンパって「いや、万が一のことがありますから!」などと押し切ったが、今考えると何が「万が一」なのか意味がイマイチよくわからない。とにかくその時は必死だったのだろう。タクシーの車内では、運ちゃんの山話に付き合う。山梨だけあって、タクシードライバーも山好きが多いのだろうか。

 この日の歩行は無く、直接タクシーで西湖レイクサイドオートキャンプ場に乗りつける。今回はCLの仕事のほかに会計の仕事も引き受けていたので、事務所でテントの張り場所や決まりを管理人の方から聞く。この管理人さんがまた人の良さそうな方で、実に丁寧に説明をしてくれる。幕営後は少々時間が余っていたので、Yとともに西湖を散歩することにした。ふと見つけた看板に「2級河川・西湖」と書いてある。湖は河川なのか、という議論が2人の間に一時的に巻き起こったが結論を見ぬまま、それとなく話題が変わってしまった。気になったので後日調べてみると「2級河川:国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したものに係る河川以外の公共の利害に重要な関係があるものに係る河川」(国土交通省・河川局資料参考)ということらしい。同じ水物として1つにされているのだろうか。

 この日の夕食は、中華丼とコンソメスープだ。私が食料係としての意地とプライドをかけたメニューであったが、なかなか好評であった。とりわけ、山行直前にコンソメスープに入れると美味しいと言われ母親から手渡された「鶏がらスープの素」がかなりイイ味を出しているらしい。ただ、相変わらず冷めると味が急激に落ちてしまう。今後は冷めても美味しいメニューの開発に取りかかっても良い気がする。個人的には、体調が本調子でなかったこともありあまり食が進まなかったが、悪くは無い出来だった。実際、F先生も次の日の黒岳山頂で「ワンゲルでこんなに美味い飯を食えると思わなかった」と言っていた。私としては、しめしめといったところだろう。

 この夜は本当に寒かった。何しろ、炊事場のシンクがバリバリの氷に覆われていたぐらいだ。平気でそこらへんにある水が凍っていく。そそくさと個人用マットを敷き、完全防備で眠りにつく。時刻は午後7時。街では喧騒に包まれたイブの夜が過ぎているはずだが、今の私たちには星空と静寂が与えられるのみだった。



12月25日 〈2日目〉


 この日は4時半に起床。足先の切れるような寒さで目が覚める。これはいけないと思い、慌てて持参していた携帯ホッカイロで暖める。ふとYのほうに目をやると、少し眠そうなさえない表情をしている。どうやら寒さであまり眠れなかったらしい。この日の朝食は、もはやワンゲルの定番メニューとして定着した感があるきつねうどんだ。改めてテントの中を見回してみると、やはり3人というのは少ない。しかし裏を返せば1人のスペースが多く使えるため、ゆったりしているとも言える。来年は何としても、ライエスがいっぱいになるぐらいの新入部員を手に入れたいところだが……

 とにかくこの山行は私にとって初めてのことが目白押しだ。6時半に再びタクシーを手配し、天下茶屋の登山口まで向かう。朝にタクシーで登山口に向かうのも恐らく初めてだろう。天下茶屋の登山口につくと、朝焼けの赤色を浮かべる富士山が目の前に現れた。しばらく写真撮影をした後、準備体操を行い、いよいよ出発である。

 初めてのトップは、なかなか手厳しいものだった。どうしてもペースが落ち着かない。前に人がいない分、何か前に引っ張られていくような感覚に陥る。「ちょっと速いんじゃない?」すかさず後ろのYからアドバイス。少しペースを落としてみる。「ちょっと遅いよ、後ろが詰まる。」内心、意外と当てにならないなとおもいつつ少しペースを上げる。ふむふむ、後ろからは何も聞こえなくなったぞ。しかし気がかりが1つ、F先生がかなり遅れて来ているのである。私はその時、先生は富士山の絶景を所々で写真にでも収めているのだろうと、あまり気にはしていなかった。(実際、よくそういうことが過去にあった)しかし、それは思っていたよりも深刻な形で自分に跳ね返ってくることとなる。御坂山へはコースタイム70分のところを55分ほどで到着し、Yともなかなかの好ペースだなどと話していると、ほどなく軽く息を切らしたF先生が登ってきた。「今の野田のペースで問題点があったところを3つあげろ」と開口一番言われたので、これは何かしでかしてしまったと直感した。そう、パーティーを決して分裂させてはいけないという大原則を忘れてしまっていたのだ。もしもF先生が後ろの見えないところで、万が一のことがあったら、私たちは助けることが出来なかっただろう。とにかく1本目のペースは本当にマズかった。ただただ、反省するのみである。その後、先生からその他にも様々な指摘をうけたのだが、確実にそれらは私にとって今後プラスに働いてくれることだろう。いま思えば、ありがたい指摘の数々だ。

 この御坂山塊の尾根道は、明るい樹林帯の中をくぐるような道で実に気持ちがいい。下に目をやれば、固くしまった白い雪が敷き詰められている。軽アイゼンのザクザクという音が耳に心地よい。地図には休業中と書かれているが、まったく商売を再開しようという気配が無い御坂茶屋の横を通り、いよいよ黒岳を目指す。やや傾斜のキツい尾根道を登ってゆくと、意外とあっさり山頂についてしまう。山頂から5分ほど南に進んだところに展望台があるので、早速行ってみることにする。着くなり、目の前に迫るような富士山の迫力に圧倒される。冬のピンと張り詰めた空気はとても澄んでいる。眼下には河口湖大橋や富士河口湖町が見え、まさに箱庭といった様相だ。

 少し早めだが、空腹を訴える者が出始めたので昼食を黒岳山頂でとることにした。この日の昼食のメニューは、最近人気急上昇中のホットドッグだ。確かに菓子パンよりは温かくて、「人の飯」を食べているといった感じはある。寒い日はやはり暖かいものが食べたいものだ。……それにしても、昼食中の話題はころころと変わった。ワンゲルとしては結構珍しいちょっとアカデミックな話をしていたかと思えば、それがヘンな方向に展開して下ネタへと急降下する。いつもの山行とは違う、なんだか異様な雰囲気である。

 昼食を食べ終え、記念撮影を済ませると釈迦ヶ岳への歩行を開始する。実は事前の調査で一番心配していたのは、黒岳の北側の斜面がアイスバーンになっていることだったが、思ったよりも雪は柔らかくまったく問題ではなかった。とりわけこの日は、前日までの厳しい寒さから一転、穏やかな天候となったので天候面ではかなり恵まれていたのであろう。一本(50分)もしないうちに日向坂峠に到着したのだが、この峠の別名である「どんべい峠」というネーミングには思わず反応してしまった。Yのほうを振り返ると、彼も同じことを考えていたようだ。この名前を聞くと、どうも某食品会社CMの中居クンが頭をよぎる。

 釈迦ヶ岳への急登は想像していた通り、なかなかのつわものだった。しかし、今の世の中にはインターネットという便利なツールがあるので、すでに予習済みだ。その情報どおりに、3本のロープの箇所を目印に着々と足を進めていく。ここら辺にくると雪が急激に少なくなり、軽アイゼンが不快な音を出し始める。Yがしきりにはずそうと言うのではずすことにした。急登も少しの辛抱で山頂に着いた。山頂からは360度の大パノラマである。Yが機銃掃射に行っている間(通な人なら何を指すかわかりますよね?)私はF先生から見える山のレクチャーのようなものを受けたが、かすかな山の特徴と方位から山の名前を導き出すのはなかなか難しい作業である。

 下りはコースタイムで50分。その後は上芦川のバス停まで1時間ほどの車道歩きが待っている。最後の車道では疲労ですこし足がフラついたが、何とか芦川村の集落にたどり着く。バス停へはこの集落を通り抜けていかなければならないのであるが、歩いていると出会った村民の方がほぼ100パーセントの確立で私たちに話しかけてくれる。

 ここでふと、先日に偶然に見たニュース番組の特集で芦川村が過疎地域として取り上げられていたのを思い出した。その番組によるとこの地域は1年で亡くなった方の数が20人に対して、出生した人の数が1人という超少子化の村だということだ。若者が珍しいというのもうなずける。山をやっているとこういう場面に出くわすことは珍しいことではないのだが、しかしこういう場面になるといつも、我々のような日本の若者に向けられた将来への責任の重さというか、背負うものの大きさというか、うまく言い表せないのであるがとにかくプレッシャーに似た感情に襲われる。これはむしろアンニュイな気分に近い。しかし、それを不快と感じていてはいけないだろう。こんな感情には、むしろ「オレの腕を見ててくれ」みたいな心構えで気軽に接していけばいいのではないだろうか。……そんなことを考えていると、コンクリートの坂の下にゴール地点の上芦川のバス停が姿を現した。ここで解散式を済ませ、タクシーで石和温泉駅に向かう。

 今回の山行は学ぶべき物があまりに多い山行となったが、この経験は今後の活動に大いに活かされることだろう。


《「稜線」第28号(2006年度)所載》

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