2005年 7月山行 山行記

筆者 M・A (1年生)

 八王子6時半集合、これは上尾に住んでいる私にとって到底間に合わない時間であった。ということで、山行前日の夜から私同様に間に合わないT先輩と共にY先輩のお世話になることになったのである。

7月23日 〈1日目〉

 茅野駅についた。駅の改札では、先に特急できていた先生と合流した。今回のパーティーは、先生含め6人になった。あらかじめ予約していたタクシーに乗り、桜平へ向かった。そして、そこから夏沢鉱泉を経てオーレン小屋に向かったのだった。本来この日は、唐沢鉱泉に行き西天狗、東天狗、根石岳を経てオーレン小屋へ向かうはずだったのだが、パーティーの一人が体調を崩したため急遽変更される事になった。内心、足が痛かったので少しほっとした。

 夏沢鉱泉から歩き出したとき、雨が小降りだが降っていたので雨具を着た。登っている時に雨具を着るのは初めてだった、ものすごく暑かった。できるだけ雨具は、着たくないと思った。オーレン小屋には、予定が変更されたことでかなり早く着いてしまった。最初は、皆で話したりしていたがテントから出て高山植物を携帯電話のカメラに納めることにした。

 さて、炊事の時間が来た。私は、不安であった。飯を炊く事になってしまったからだ。失敗しないだろうかと思いつつ飯炊きのプロのY先輩に指示を仰ぎつつなんとか失敗せずに炊くことができた。

 ところで、オーレン小屋はすごい!! トイレが、水洗なのだ!!!! さらにお風呂までついていた。
 私は、この事実にわずかだが感動してしまった。まぁ、お風呂には入らなかったのだが。この日は、天気図を見ても明日の天気は予測できない天気であった。ガスっていて明日の天気は、崩れないかどうか心配だった。こんな思いを胸に床についたのだった……。



7月24日
〈2日目〉

 毎度の事だがまだ空が白み始めていない頃起きた。起きたと同時に天気はどうなのかと気になった。晴れたり、曇ったりまだよくわからない天気であった。K先輩は、以前ここに来たことがあり、その時は展望がなかったそうなので「今回はK先輩にいい景色を見てほしいなぁ」と思っていた。

 朝食は、ご飯とチキンハンバーグ。ご飯は、私が前日炊いたもので「ちゃんと食べられるだろうか?」と心配だった。パーティーの皆の感想が気になったが、あえて聞かなかった。

 テント撤収後、ザックを背負い歩き出した。山行前にザクトレをしていたことでザックが軽く感じられて嬉しかった。歩き出して20分くらいが経った頃だっただろうか、夏沢峠に着いた。懸念していた天候は、快晴だった。私は、そこでとても幻想的で感動的な景色を見た。あたり一面雲海、そこに朝日が昇ってきたのだった。輝く太陽は刻々と昇っていくが、私はこの一時の景色をいつまでも見ていたかった……。

 さて、硫黄岳の山頂についた。硫黄岳の山頂からは、予定を変更して登らなかった天狗岳と根石岳、これから向かう横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳を一望することができた。八ヶ岳ということもあり、新歓や6月山行よりもたくさんの人に会った。大半は、年配の方たちだったが。横岳は、横這いになるときいていたがそこまでではなかった。森林限界を超えているので岩、石がごろごろして歩きにくいものであった。そんなこんなで進んでいくと赤岳展望荘についた。ここから見える赤岳の頂まで急な登りが続いていた。この登りを登るのにかなりの体力を消費した。登りきった後には、「よく登ったなぁ」と感心した。

 赤岳の頂上で昼食になった。まだ9時過ぎである、普通ならこの時間は朝食と呼べる時間だ。まぁ、朝食を3時過ぎに食べたのだから無理も無いが。昼食は、食パンにコーンビーフとマヨネーズを挟んだものと紅茶だった。ここで、問題が! 私は、マヨネーズが食べられないのである。しかし、分け前のコーンビーフは健康である以上食べなくてはいけない。なんとか、なんとか私はコーンビーフを生でそのまま食べた。もう二度とコーンビーフは食べたくない。K先輩が、体調が悪くほとんど食べていなかったので心配だった。それとは打って変わってT先輩は、毎度の事ながらあっという間に食べてしまっていた。まるで人間ポリバケツの様だった。

 赤岳から下り、中岳を越えると阿弥陀岳が目の前に現れた。ガスっていたので頂上は見えなかったが。本来は、阿弥陀岳を越えて御小屋尾根を通るはずだったがパーティーに体調が悪い人がいたので阿弥陀をピストンして行者小屋の方に下ることになった。阿弥陀は、荷物を一時デポして登ったので身体がかなり軽く感じられ、うかれてしまった。しかし阿弥陀は、傾斜がかなり急で集中し緊張した。そんな時岩に赤い液体がついていた。一瞬なんだか分からなかったが、はっと気付いた。血だ、血が岩に何箇所もついているのだ。私は、ぞっとした。話に聞くと転倒して頭を打ったらしい。その人は、ヘリコプターで運ばれていったらしい。山の恐ろしさを改めて感じた瞬間だった。そして、それもあってか緊張は更に増し、別の感情に変化した。恐怖だ。自分もあんな風になってしまわないかと怖かった。

 そんな阿弥陀も無事に下ってきてデポしていた荷物を担ぎ、行者小屋へ下った。その間は、F先生にいろいろな事を教えてもらい、なるほどと感心するばかりであった。そこから、美濃戸口まで下り、タクシーで茅野駅まできた。そして解散式、お疲れ様でしたと今回の山行は、終わった。
 下界は、暑いなぁと思った。


《「稜線」第27号(2005年度)所載》

▲2005年度の山行一覧に戻る▲

▲以前の山行・目次に戻る▲


■ワンゲル・トップページに戻る■