2005年 6月山行 山行記

筆者 K・T (2年生)

6月4日 〈1日目〉

 6月というのは何かと忙しい時期だ。5月の郊外学習や早慶戦で鈍った体に喝を入れるかのように各教科の中間テストやらレポートが立て続く。去年もそうであったが、今年も6月の日程は密なものだった。しかももうすぐ梅雨。何かと気持ちが落ち込みがちである。ことしの6月山行はそんな日程の合間を縫うように行われた。
 「今日も山行くの?」朝、学校でクラスメートが聞いてきた。「大丈夫かよ? 山梨のほう大雨になるってさ。」今回の山行は山梨県の大菩薩嶺。大雨がかなり心配である。

 土曜日最後の授業が終わるや否や学院を出て、同じクラスのワンダーフォーゲル部員、Nとともに上石神井駅そばの松屋に向かう。そこで昼食を流し込みすぐさま駅へ。駅ではT先輩が昼食を取っていたが、まだ他のメンバーの姿がない。どうやら集合時間の12時50分には間に合ったようだ。

 13時03分発の電車が来るころには今回のメンバー、A先生、K先輩、T先輩、N、後輩のAと私の7人中6人がそろった。実はもう1人のメンバーYは事情により途中の国分寺から合流。国分寺で塩山までの切符を買い中央線快速に乗車。ホームで私たちと同じようにザックを背負ったパーティを見かけた。どうやら大学のパーティらしい。途中で見失ったが彼らはどこに行ったのだろうか。

 高尾で中央本線に乗り換え塩山へ。やはりテスト前とあって車内では、私を含め、教科書を開く部員が多数。Aにいたっては数学科教師であるA先生に確率や順列、場合の数の問題を聞いていた。Aも数学のテストが近いらしい。ふと見回すとK先輩に元気がない。聞くところによると昨夜は遅くまで起きていたらしい。そう、昨日、日本時間深夜にワールドカップ予選があり、日本代表が出場していたのだ。日本は2−0で北朝鮮を下し見事にワールドカップへの切符を手にしたのだが、元中学サッカー部のK先輩は最後まで見てしまったそうだ。

 そうこうしているうちに列車は塩山のホームに。水を汲み、タクシーに乗り込む。塩山タクシーにはジャンボタクシーがないため、2台に分けて今日の目的地である「福ちゃん荘」に向かった。
 揺れるタクシーの中、K先輩が湯ノ沢峠登山口まで帰りのタクシーをお願いしたいと運転手さんに頼んだところ、「黒岳あたりで電話してくれれば、うまくドッキングするよ。あそこからだと電波入るから。ドコモじゃないとだめだよ。フォーマじゃ電波悪いから。」と運転手さんが。この言葉が後でよく身に沁みることとなる。

 40分ぐらいだったろうか、福ちゃん荘に無事到着。会計である私は小屋に行き、幕営の手続きをした。その間、部員はテント場でテントを立てていた。と、突然ザーッと雨が降り出した。手続きを済ませた私も手伝いにテント場に直行すると、「ジャンエスのフライどこ?」との声が。「これじゃない?」と袋から出すとまたもう一つとジャンボエスパースの本体が……。やってしまった。フライと本体を間違え、本体を2つ持ってきてしまったのだ。昨年の一年生山行に引き続き、装備係としてやってはいけない失敗を再び犯してしまった。あの装備わけのときにちゃんと確認しておけば、テントを立てておけばと何度も後悔する。皆しばらくは茫然とフライのないテントの周りに立っていた。その間にも雨足は強くなってきている。「とりあえず雨具を着よう。」とT先輩が言った。

 この一言がよかった。ふと我に返った。食料係のNと飯炊きのYは今日の夕食を作り、残りのメンバーでこのフライのない状況の解決策を考えることにした。K先輩がツェルトを持っていたことに気がつく。ためしにジャンボエスパースに張ってみた。しかしツェルトでは大きな本体を覆うことは出来なかった。そこでライトエスパースのフライをジャンボに張り、ツェルトをライトに張ってみてはとの案が出た。個々が持っていた細引きや靴紐の予備を駆使し、何とかフライをジャンボエスパースに被せた。ライトエスパースにもツェルトを張ることが出来た。しかし張ったとはいっても両者とも完全には本体を覆えていないので大雨が降ればイチコロである。雨さえ降らなければ大丈夫なんだが……。幸運なことに気がつくと雨はほぼやんでいた。

 テントの中にはいってみるとYとNが楽しそうに夕食のカレーの準備をしていた。いつも思うことなのだが、山行に来るとテントの中は随分ゆっくりと時間が過ぎる。このまったりとした感覚がなんとも言えずテント泊は大好きである。フライがないという大惨事なのに部員全員がテントの中に集まると異常なほどにぎやかになった。冗談やギャグが飛び交い少々騒がしくなる面も。K先輩が一言、「やっぱりワンゲル好きだわ!」

 カレーもなかなかおいしく飯も上々だった。飯炊きのYは自分のできばえに納得してなかったが。19時ごろに食べ終わり、食器やコッヘルを片付け、19時半に就寝。目覚ましに携帯のアラームを使用するのだが、何かとこれも話題になった。



6月5日
〈2日目〉

 3時起床。寝つきのいい私は一度起きたが、ほとんど7時間半丸々寝ることが出来た。T先輩はあまり眠れなかったようだが。心配していた雨は降らなかった。それどころかテントから顔を出すと空は青々と晴れていた。学院のワンダーフォーゲル部員は天気予報も覆す能力を持っているのだろうか? いや偶然だろう。

 この日の朝食はきつねうどん。すぐさまコッヘルで湯を沸かし、うどんをゆでる。ここで登場“麺食い”。今回うどんを作るにあたって出しや薄めるつゆは持っていかず、湯煎のみで食べることが可能なつゆを持っていくことにした。私はこのつゆ“麺食い”をもっていくことになったので、この朝食で一気に荷物(2キロ分)が軽くなった。しかし“麺食い”とは面白い商標名である。麺食い、麺食い、めんくい……。

 うどんが茹で上がり、皆朝食を食べ始める。私も一口うどんを口にするといやにパサパサしている。つゆがない。せっかく自分が持ってきた“麺食い”を掛け忘れていたのだ。きつねうどんのはずだったが揚げ玉も用意されていて、たぬきを食べることも出来た。
 一通り自分の荷物を片付けると、テントの撤収を開始した。外に出て改めて自分達が寝ていたテントを見るとなんとも不恰好だった。撤収は思いのほか早く終わった。靴紐やら細引きやらで結わえられていたフライだったが意外とスムーズに回収することが出来た。

 5時には準備体操も終わり、雷岩に向けて出発した。雷岩間では唐松尾根を1時間ほど登る。途中視界の開けたところで思わぬ展望が。なんと富士山が一面の雲の絨毯からそそり立っていたのだ。どうやら天気予報は当たっていたようで下界は低い雲で一面覆われていた。おそらく下界は雨だったろう。ここでYが、「我々のほうが一枚うえだったな。」と。言葉通り我々のほうが一面の雲より一枚うえだった。この絶景を撮るため小休止を取った。
 私はパーティでは5番目を歩いていたのだが、途中からなぜかパーティが思うように進まない。先頭を歩くK先輩もぎこちない。少しするとK先輩は一時的に立ち止まってしまった。見れば大量の芋虫が登山道を埋め尽くしていた。昨年雲取山に行ったときもそうであったが、今回は昨年以上だった。とにかく足の踏み場がない。仕方なく進むことにしたが、先頭のK先輩は断腸の思いだったであろう。芋虫にとっては阿鼻地獄であったに違いない。

 いつも元気なYに活気がない。そういえば昨夜の夕食や今朝の朝食のときもあまり食べていなかった。後にYはセカンドにはいることになった。

 色々あったが出発してから1時間を少しオーバーするころに雷岩についた。名前の通り大きなギザギザした岩が突き出していた。雷岩は南側に展望がよく、ここから見る富士も雄大で迫力があった。ザックを置き大菩薩嶺をピストンする。山頂は樹林に囲まれ展望はなかったため集合写真を撮りすぐさま引き上げた。

 ここからは稜線歩きが続く。賽の河原を越え大菩薩峠へ。ここでも集合写真を撮った。しかしよく晴れたもんだ。空には雲がなく、日差しが気持ちよかった。時計を見ると雷岩から20分あまりしか歩いていなかった。コースタイムは45分だったので、20分くらい縮めたことになる。これならまだまだいけると熊沢山を越え、石丸峠を通過し、狼平の手前で休憩を取った。ここからこれから向かう小金沢方面が見えた。見ると小金沢は東側から雲がせり出していた。これから天気が崩れなければよいのだが。

 少し下ってから登り返す。鞍部にある狼平は笹原だった。笹の根がクッションとなり、下りやすかった。また笹が若干濡れていてひんやりとして気持ちよかった。しかし可哀相に先頭のK先輩はズボンがびしょぬれになってしまった。登り始めて1時間もしないうちに「小金沢山」とかかれた表札がたっていた。もう小金沢という感じであった。やはり山頂はガスっていて風が冷たく寒かった。

 少し早かったが、ここで昼食をとることにした。昼食は菓子パンとインスタントのトマトスープ。計画を立てた段階ではコーンスープであったが、渡されたのはトマトスープだった。一部の人からは不評であったが、私を含めた一部からはトマトスープは好評であった。

 ガスっている中、小金沢から牛奥ノ雁ヶ腹摺山に向かって稜線を歩く。コースタイム50分のところだがまたもや短縮し、20分あまりで牛奥ノ雁ヶ腹摺山についた。ガスの中展望もなかったため通過して先へ向かった。いつのころからか再び青空がのぞいていて、気温も上昇。チョウチョも飛んでいるほのぼのとした川胡桃沢ノ頭で一本入れた。

 私やT先輩は調子がよかったのだが、K先輩は調子がいまいちらしい。やはり寝不足のせいであろうか。体調の優れないK先輩はここでトップをT先輩に代わった。しかしT先輩のペースは速かった。逆に速く歩くことになってしまいK先輩はさらにつらそうに。

 そんなペースであっという間に黒岳へ。黒岳周辺は広葉樹の樹林帯が多く気持ちよかった。この黒岳で携帯を使いタクシーを予約する予定だった。そこでYが携帯の電源を入れると、電波が入らない! Aも携帯を見るが繋がらない。恐れていた事態が。Yの携帯はau、Aの携帯はフォーマだったのだ。黒岳からは誰の携帯も通じず、仕方なく先に行くことに。ここで再びK先輩がトップを歩くことになった。

 白谷丸を越えてからはずっと下りだった。下っていく途中昨年の冬山行で登った大倉高丸が見えた。もうすぐ湯ノ沢峠だ。このころになるとさすがに疲れが足にきた。もうすぐ到着するという焦りの気持ちから、道は深く抉られていて歩きにくかったことからか降りの道は幾度となく滑りそうになった。

 見覚えのある光景が。と思うと湯ノ沢峠避難小屋が見えた。思えば昨年の冬山行はここから始まったのだ。これで冬山行と今回、2回に分けてだが、大菩薩を完全に縦走したことになる。ふと時計を見るとまだ11時半だった。随分とコースタイムを縮めたと思っていたが、まだ午前中だったとは驚きだった。湯ノ沢峠でも携帯を使ってタクシーを呼ぼうと試みたが、やはり電波が悪くうまく通じない。もっと下るしかないようだ。

 30分ほどで湯ノ沢峠登山口に到着。と同時に雨が降り始めた。ザックカバーをかけ、雨具を着る。これで今回の山行の歩行は終わりだ。しかしまだやらなくてはならないことが、タクシーを呼ぶことである。まさかと思ったがここでも携帯は通じない。A先生とK先輩は携帯の通じるところまで下ることにした。一時的に雨足は強くなったが、20分ほどでやんだ。「A先生とK先輩大丈夫かな?」そんな会話をしながら彼らの帰りを待った。まさか携帯が通じずに下まで下ったのだろうか。

 登山口でまっている途中何台か車が通りすぎた。その助手席に座っている人は決まってといっていいほど私たちのパーティを凝視して行った。すると一台の車が私たちの前に止まった。「まさかねぇ」とYが。その車から降りてきたのはなんと、A先生とK先輩だった。なんとA先生とK先輩が下っていく途中にA先生の先生にばったり会われたそうだ。その先生に下まで送っていただいて、公衆電話で無事タクシーを呼ぶことが出来き、さらに登山口まで送り返してくださった。

 A先生の先生のおかげでしばらくするとタクシーが到着。私はタクシーの中熟睡していたので気づいたら駅に着いていた。とにかく我々のパーティは無事甲斐大和につくことが出来た。ここで解散式を行い今回の山行は終了。

 今回の山行は天候にも恵まれ、絶景を見ることも出来、山も素晴らしく申し分なかった、と言いたいところだったが、昨年の一年生山行に引き続き大失敗を犯してしまった。さらに今回は数々の幸運(偶然?)に恵まれた。私は体調もよく楽しめた山行だったが、以後このような失敗は二度と起こしてはならないと心に決めた。



《「稜線」第27号(2005年度)所載》


大菩薩峠にて 小金沢山にて


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