野口健環境学校・白神を終えて


M・A (1年生)


 初めに白神山地について説明しようと思う。
 白神山地は、青森県と秋田県にまたがる約13万haに及ぶ山地帯の総称で、このうち中心部16,971haが世界自然遺産に登録された。ここは、人為的な影響をほとんど受けていない世界最大級のブナの原生林があり、多種多様な動植物が生息し貴重な生態系が保たれている。

8月16日

 前日から弘前に入った私は、今日野口健さん(以下健さん)に会えるのだと胸が高鳴っていた。
ホテルで朝食を済まし、スタッフの人に連絡をとり参加者のほとんどはもう集まっていて近くのファミレスで皆は朝食をとっているとのことだったのでそこに合流をした。

 合流してまず挨拶、皆と会話していくうちに参加者がどのような人かというのがわかってきた。年齢的には、同い年が1人いて他は皆年上だった。メンバー構成をあげると私を含め高校生3人で、あとは大学生で合計12人のメンバーになった。
 最初、弘前駅前公園でアイスブレイクを行った。アイスブレイクとは、「ネームゲーム」「人間知恵の輪」等の事で、仲間としてやっていけるように協力してやるようなものだった。皆初対面なので当初は打ち解けなったが、アイスブレイクをしていくうちに段々他人から仲間になっていった。

 次に白神山地には入ってからの自分たちで食べる食料の買出しを行った。皆なるべくゴミが出ないように買い物をいているなという事を感じた。それも1つの環境問題への取り組みなのかなと思った。最終的に買ったものは、レトルトのカレーと無洗米とカップラーメンとパン、そして各自行動食を買った。
 そして、健さんと合流し、バスで白神山地ビジターセンターに移動して開校式をし、白神山地についてのレクチャーをセンターの館長から受けた。私の尊敬する健さんに会えることは光栄で終始胸が高鳴っていた。レクチャーは、白神山地が世界遺産に登録されるまでの事を中心としていて、正直何かを感じたり面白かったりするものではなかった。

 その後、白神山地の麓にあるアクアビレッジANMONというところに場所を移し、ラインナップやブラインドスクエアをした。ラインナップの説明は省くが、ブラインドスクエアについては、説明しようと思う。ブラインドスクエアとは、目隠しをした状態で縄を持ち、それで正方形を作るというものだ。これは、今回白神山地を案内してくれるマタギの工藤さん(マタギ=自然に深い畏敬の念を持ち、山に入って熊、鹿などを獲り、山菜を採ることを生業としてきた人々)、白神山地でガイドをしている小池さんご夫婦、健さん、スタッフと共に行った。これがまた難しい、視覚を奪われ言葉だけで皆で協力して行動するというのは想像以上に大変な事だった。役割をしっかり決めて、ただしゃべっているだけでなく自分の思っていることをしっかり主張しなくてはいけなくて一朝一夕にできるものではなかった。

 夜になり、夕食をいただくことになった。夕食は、マタギの伝統料理「鹿鍋」だった。これが、またおいしい!!くせが少しあるがなんとも言えないおいしさで、鹿の顎など骨がたくさん入っていてダイナミックなものだった。工藤さんが白神山地で狩った鹿を1日かけて調理してくれて、とてもありがたく感じた。夕食時健さんの近くに座っていると、健さんはスタッフの人と今回の選挙の事について話していた。これが、また健さんが政治について詳しいのだ!この人は、いずれ政治家になるのではないのかと思う程だった(笑)健さんは、とてもチャーミングで面白い人だった。

 夕食の後、スタッフのコテージに集まり、その日1日のふりかえりをした。ふりかえりをして最も思ったことは、「伝える」ということはとても難しいということ。気持ちだけもっていても自ら行動しなくては意味がない。だからといって、ただしゃべっていればいいというわけでもない。皆に聞いてもらえるようにして正確に伝えなくてはいけないのだ。しかし、正確にといっても気持ちが、強い想いが、伴わなくては相手の心には訴えられないのである。それもただ客観的に伝えるのではなく自分の経験を含めて伝えなくてはいけない。今日の活動でこのようなことを感じた。強く伝えることは、環境問題においてとても重要なこと。環境問題は自分1人だけではなく、全ての人が取り組まなくてはいけないのだから、人々に強く伝えて訴えていく事がとても重要になるのだ。

 後で聞いた話だが、ビジターセンターの館長はマタギの存在をあまり快くおもっていないらしくレクチャーの時もマタギに関してはほとんど話してはくれなかった。
 そして、それぞれふりかえっての想いをビデオカメラに録画した。
 ふりかえりが終わると翌日の準備をした。荷物をパッキングしてこの日は、翌日行く白神山地に期待と不安を抱きつつ床につくことになった。



8月17日

 5時半起床、眠かった……。普段山に行くと3時には起きているからそこまで早いというわけではないけれど、普段に比べれば早いのでやはり眠かった。朝食を食べ、各自荷物をしょって出発した。山に入ってからは、工藤さんや小池さんに白神にある植物だったり山のことだったりいろいろ話していただいた。最初は、普通の観光客もくる整備された道を1時間ほど歩いて暗門の滝に到着した。暗門の滝は、とても綺麗で虹までできていた。私は、早く白神の奥に入りたくなってワクワクしてきていた。しかし、これから先は道がなく獣道のようなところを進んでいくとのことだったので少し不安であった。

 暗門の滝からいきなり急な登りになった。人もほとんど通らない道なので地面が、踏み固められてなく土が軟らかくとても歩きにくかった。かなり急で「落ちたら怪我ですむかな?」と思うようなところだった。しかし、登山経験もほとんどないという人もきていたのでザイルを張り、確実ではないが安全を確保したので少し安心した。危険なところはひとまず越えて、この後なだらかな沢を登っていくことになった。まぁ、危険なところはこの後も所々あり、私は見なかったがザイルに宙吊りなった仲間もいたようだ……。

 白神山地は、かえるややもりがたくさんいた。私は、見つけなかったが、沢を歩いているとたくさんのかえるや、サンショウウオを仲間が見つけて皆で見入ってしまっていた。それにとにかく水が綺麗なのである。澄んでいて冷たくどこでも飲み水として使えるとのことだった。私は、漠然としているがほとんど人が入っていない山はすごいと感じた。縄文時代から姿を変えないで生きてきているこの森は、とても雄大であった。
 ある程度歩くと少し広い所で昼食をとることにした。わたしは、仲間と買った菓子パンを食べながら小池さんと話していた。小池さんは、おにぎりを持ってきていてそれをつつんでいたのは名前を忘れてしまったが木の葉っぱにつつんでいた。その葉は、通気性がよく殺菌作用もあるとのことで食料を包むという事ではとても良いものだそうだ。

 昼食後、歩き出すとすぐ足場が悪く危険なところにでた。足場が、すべて岩なのでつるつる滑ってしまうのだ。ここで、目の前で仲間の一人が滑って水の中に落ちてしまった。全身濡れてしまって少し寒そうだったが、気温も高く晴れていたのでそこまで寒くなかったのではないかと思う。
 その後、歩いていくと沢からはずれ、急勾配の登り道になった。私は、足袋を履いていたので登山靴に履き替えなくてはいけなくなり、皆から遅れてしまった。しかし、小池さんが履き替えるのが終わるのを待っていてくれて、道の無い白神で迷子ならずにすみました。この後、皆に追いつくまで小池さんと二人だったので白神の詳しい事や小池さんの学生時代の話を聞く事ができて、とても良かった。

 それから歩いていくと今度はクマゲラの森というところを通った。ここは、白神を代表する鳥『クマゲラ』が生息しているとのことだった。今回私たちは見ることは、できなかったがクマゲラの巣は見ることができた。クマゲラの森では、ブナが倒れその隙間にできた空間に光が差し込んでいてとても幻想的で、太陽の光の関係により光が入ったり入らなかったりしてとても印象的だった。
 そこから、少し歩くと赤石川に出てこの日幕営しようとしていたところに出た。しかし、そこには既にテントを張っている人がいた。本来届出を出して、届出のコピーを持って入山しなくてはいけないのに、その人たちはそれを持っていなかった。忘れたといっていたが、無断で入ったのだろうと工藤さんが言っていた。昔は許可を得なければ入山できなったのに、今は緩和されて届出を出せばいいというのになったのにそれすらも守ろうとしない。私は、悲しかった。結局、その人たちが先にいたので私たちは少し上流の方へ移動して幕営することにした。

 着いたら早速夕食を作る事にした。作るといってもご飯を炊いてレトルトのカレーをかけるだけのものだったが。まぁ、もうすぐに暗くなりそうで時間もないのでちょうどよかった。ご飯を炊くのは私がしていた。その間、他のみんなは「川で魚を採るぞ!」と言って、川に入っていった。私はこれ以上濡れたくなかったので行かなかったのだが、ほんとに魚を手掴みで採ったらしく少し行ってみたい気もしたが、米を炊いていたので諦めることにした。米が炊け、カレーをかけ「いただきます!」をして皆で食べる事にした。ここでは、米の炊き具合はあえて述べないが私としては納得のいくものではなかった。スタッフのほうを見るとアルファ米のリゾットを食べていて、工藤さんたちは米と味噌汁で両方ともおいしそうだった。食べていると工藤さんが味噌汁を持ってきてくれて生徒の私たちにくださった。具は『ミズ』といわれる植物の茎等が入っていてシンプルだが、おいしかった。食べ終わると工藤さんが、私たちのところに来てお話をしてくださった。

 話の細かな内容は、はっきり覚えていない。マタギは、必要最低限の物しか山から採らない。そして、授かったら山の神に感謝するのだそうだ。工藤さんは、「自分はここで話せるような人間ではない。自分は何度も何度も失敗をして今を生きている。でも、生きるということに真摯に向かいあっている。1日、1日、『一生懸命』生きることを忘れないで欲しい。」と、おっしゃっていた。私は、胸を打たれた。極論かもしれないがマタギの生活は本来、人があるべき姿なのではないかと感じた。必要な分だけ採り、授かったら感謝する。今の人が忘れていることだと思った。工藤さんは、私たちに出会えてよかったと言ってくれた。私こそ工藤さんと出会えてよかった。工藤さんは、生きるという事の根本を教えてくれたような気がする。1日、1日を全力で生きている工藤さんは、とてもかっこよくみえた。私もこんな人になりたいなと強く思った。
 そして、話が終わり就寝となった……。



8月18日

 ん〜、何時に起床だっただろうか?はっきりした時間は忘れてしまったが、まぁいいだろう。とにかく眠かったこととかゆかったことを覚えている。私は、朝起きたら異常な状態になっていた。なんと首のいたるところを蚊にくわれていたのだ。今思い出しても鳥肌がたつくらい異常でかゆかった。他は、あまり刺されていないのに首だけくわれたのだ。後で、小池さんに言われたことだが今まで白神を案内して人の中で一番さされていたそうだ。

 さて、こんなこともあったが朝起きて荷物をまとめ早速皆で朝食をとることにした。朝は、カップラーメンだったので川から水をすくい、お湯を沸かした。朝食が終わるとかたづけをして早速出発した。朝の赤石川の水は、冷たい。靴の中に水が入ってきてようやく目が覚めた感じだった。また、そこで記念撮影をするのだからたまったものじゃない。正直早く川から上がりたくて落ち着きがなかった。

 そして歩き出し、当初幕営するはずだった場所に出た。そこには、昨日の人たちはもういなかった。しかし、代わりにゴミが落ちていたのだ。しかも、焚き火もした後があった。本来白神山地では、焚き火は禁止行為とされている。おそらくではあるが規則を守らず入山した人が、さらに禁止行為である焚き火をしている。その上、ゴミまで捨てていっているというのだ。そのゴミというのもアルミホイル等だったのだ。土に還る物だから捨てていいというわけではないが、土にさえ還らないゴミを捨てていくのに、私は怒りに満ちていた。……しかし、私たちもゴミを捨てていたのだった。小池さんが、私たちが出発した後に見回ったらわずかであったがゴミがあって、拾ってきていてくださったのだった。私は、心の中でさっきの怒りが自分たち自身にも向けられているのを感じた。それと同時に情けなくなってしまった。故意に捨てたわけではないにしろ、自分たちもゴミを捨ててしまったことに変わりはないのだから。そして、そのゴミの前で話が一段落ついた瞬間仲間の数人が、そのゴミを拾ったのだった。私は、とっさに動く事ができなかった。他の人がしているのにゴミを拾わなかった事に、自分たちが気付かないうちにゴミを捨てている事に、もどかしさを感じてならなかった。

 そして、そこから昨日きた道を少し登りかえしてクマゲラの森に出て、昨日とは違うルートに出た。昨日は沢が中心だったが、今日は沢もあるが普通に歩くのが多いとのことだった。しばらく歩いていると休憩になり、そこには看板があった。看板には何が書いてあったかは忘れたが、そこには何か傷跡があった。それは、工藤さんたち言うには熊が噛みついたか引っかいたものだそうだ。こんなこところにも熊が来るなんて、もし今熊が出てきたらどうしようなどと考えていた。
 やはり歩いていてわかる。この森は、ブナがすごい。ブナが倒れる、そしてその倒れたブナの枝が地に根を下ろし、一つの木として立派に生えているのだ。私は、自然の偉大さを感じずにはいられなかった。木や草は、踏まれれば傷つくが2、3人程度ならすぐ再生するのだそうだ。しかし、今回は全員で20人のパーティーだったので再生するのには時間がかかると聞いた。なんだか私たちが山に入ることが、悪い事をしているように感じた。人が、たくさん山に入れば山の環境は壊れる。しかし、私を含め人は山に入ろうとする。人はどうすればいいのか、私にはわからなかった。

 そして歩いていくとまた沢に出た。ここで昼食、各々が一昨日買った昼食を食べる。私は、菓子パンだった。それにしても、白神は水がとてもおいしい。東京で水道の水を飲むのとは、比べものにならないくらいおいしかった。健さんが言うには、白神山地では場所により水の温度と味が違うそうだ。私はそれを気にして水を飲んでいたが違いは分からなかった。
 さて、昼食が終わるとこれからはずっと沢を歩いていくことになる。少し危険なところもあり、水が深いところもあった。以前健さんが来たとき、ここは魚が股の下を通っていくくらい魚がいたそうだ。しかし、次第に人が入るようになり魚が減ってしまったらしい。さらに昔の話になるが、工藤さんが若い頃は魚がもっとたくさんいて川から飛び跳ねてでてくることもあったそうだ。

 ある程度歩いたところで休憩、そこは私たちが下ってきた沢ともう一つの沢との合流地点だった。そこには、水が溜まったプールのような所があり泳いでいる仲間もいた。そうすると突如水の掛け合いが始まった。スタッフも一緒になり、水の掛け合いをしている。全身びしょびしょになって掛け合いをしているのは、とても楽しそうだった。私は、ここで健さんのところに話をしに行った。エベレストなど世界七大陸の最高峰の話を聞きたかったのだ。私は、世界七大陸の最高峰に登った健さんにとても憧れていた。私の夢もまたそれだからだ。休憩が終わって歩きだしてからも話を聞いていた。次の休憩になるまでずっと健さんに話をしてもらって、とても嬉しかった。

 さて、健さんと仲間と話しながら歩いていると休憩になった。もうここまでくれば白神山地もそろそろ終わりである。少し登り、そうすると急な下りになる。そこを越えればもう暗門の滝だ。しかし、終わりだからといって気を抜いてはいられない。ここが、最大の難所なのだから。先に女子が行って、次に男子だ。とても急なので前日と同じくザイルを張ってくれた、一安心である。工藤さん、小池さん、スタッフが手助けをしてくれてやっと暗門の滝に出た。「これで白神も終わりか」、と名残惜しくなった。スタッフも下りてきて出発することになった。と、ここで今使ったザイルを何故か私が持つことになった。ザックにのっけられるとずっしりきた。そういえば、私は仲間の荷物も持っていたのだった。「ザイルものって重いな」と、思ったが「まぁ、あと少しだしいいか」と歩き出した。ここから1時間ほど仲間と歩いていると道路に出た。この日は、ここで「ありがとうございました!」と、言い工藤さんと別れることになった。

 コテージに戻り、準備をして風呂にいくことになった。やはり山から下りてきた後に入る風呂は格別最高である。長湯をしていたかったが、時間もあまりないことから諦めて、ある程度湯につかってあがった。そして、コテージに戻り荷物をかたづけて夕食になった。夕食はスタッフの人が作ってくれて、おふくろの味というかなんというか、とにかくかなり美味しいのである。
 夕食が終わると、「白神山地で感じたこと」「白神山地をずっと残すには?」のテーマでシェアリングをしながらディスカッションを行った。まず白神山地で感じたこと。私は、「白神は雄大であって生命力に満ち溢れている。人なんかはそれに比べればとてもはかないものだな。」と、感じた。他の仲間も様々に感じたことを話した。

 私は、ここで健さんや皆と話して今まで自分が環境問題に対して考えていたことがどれだけ浅はかだったかを思い知った。私は、今まで環境を破壊してきたのは人なのだから人がいなくなればいいと、バカな事を考えていた。しかし、自然は全ての物があって成り立っているのだからそこから1つだけ無くしたらいいというものではないのだ。そういう単純な考えが環境破壊につながっていくのだと思った。私は、なんと愚かな事を考えていたのだろうと自分が恥ずかしくなった。しかし、人は自然の中にあるのだろうか、それとも自然とは別のものなのか。そこによっても様々な考え出てくるだろう。白神山地は、世界遺産に登録された。それによって、白神山地を訪れる人は増え自然が壊れていっている。屋久島も同じだ。屋久島は、白神以上に人が訪れていて、昔と随分変わってしまったと聞く。世界遺産というのは、すばらしい自然や生態系が認められ登録されるものだ。しかし、登録されることによってその環境は壊れてしまう。これでは、世界遺産条約というものが何なのかわからない。考えれば考えるほど環境問題というものが、わからなくなってくる。というのも、環境問題は単に何か1つをすればいいというものじゃないからだ。一見環境問題に全く関係ないように見えることが、実は環境問題に深く関連していたりして様々なことが結びついているから難しいのだ。私が、考える環境破壊の原因はこれだけではないと思うが人の傲慢だと思う。現に白神で許可を得ていない人が、土にさえ還らないゴミを捨てている。過度な力を持ってしまった人が、傲慢になり今の環境破壊につながっているのだと思う。これからは、その力が環境を守る事に使われていくことを強く願うものだ。

 そのためにも私たちは白神で感じた事、考えた事を大勢の人に伝えていかなくてはいけないと思った。そして、様々な人と話し、1つの事にとらわれず広い考えを持つことが大切になってくるのではないかと思った。
 と、まぁここでは私がディスカッションで考えた事を書いたが、仲間や健さんからもいろいろな考えが出ていました。最終的に答えは出なかったが、各々が様々な考えを聞き、様々な想いを胸にディスカッションは終わることになった。

 そして、皆コテージに戻り寝ることになった。
 しかし、私たち男子は寝るどころかトランプを始めた。疲れているはずなのに皆で大富豪をやり、夜も遅いといういのにかなり盛り上がっていた。と、そんなところにスタッフの1人が、コテージに入ってきて「早く寝ろよっ」と言ったので今度こそ寝ることになった……はずだったのだが。トランプが終わっても、なお話していて結局寝るのが2時になってしまった。



8月19日

 誰かの携帯電話のアラームがなる。そうして目が覚めた。最終日だ、そう考えると憂鬱になる自分がいた。しかし、まだ終わっていないのだから、と頭を切り替えた。起きると荷物をまとめてすぐ近くにある広場に出て、フリスビーを投げて遊んでいた。朝食の前に動いてすっきりしたので、この日はすがすがしく過ごせるような気がした。そして時間になったので朝食を頂くことにした。
 朝食が、終わるとコテージから荷物を出して早速アクティビティーに移った。この日は、男子女子に分かれてポスターを書く事になった。内容は、今回の環境学校で感じた事、考えた事を元に白神の環境についてだった。早速皆で意見を出し合い、具体的な内容を決める事にした。あまり時間がないのだが、誰に対して書くのか、内容はどうするのか、それぞれの意見が出てなかなかまとまらなかった。最終的に白神の現状を訴え、白神に来る人の些細な行為が環境を壊しているかもしれないということを訴える事になった。そのポスターは、ビジターセンターの向かいにあるビーチ西目屋というお店に貼ってもらうことになった。

 さて、それが終わるといよいよ工藤さんともお別れだ。とても名残惜しい。短い時間だったが工藤さんからは様々な事を学んだ。最後にお礼の言葉を言い、工藤さんからも言葉を頂いた。別れが辛い、その時泣いている仲間もいたくらいだ。最後に握手をして別れを告げ、バスに乗った。
 ビジターセンターに着くまでのバスの中では、仲間の1人が三線をスタッフの1人がウクレレをひいて少し寂しい気持ちを和ませてくれた。
 ビジターセンターにつくと、各自環境学校が終わってから環境に対して行うことを宣言した、今回感じた事を胸にそれぞれの想いをこめて。
 宣言が終わり、健さんの手から修了書をそれぞれに渡された。それが、終わると健さんは我々より一足早くビジターセンターを後にした。この後、飛行機で東京に戻りまた仕事があるそうなのだ。まぁ、なんと多忙な人なのだろう。

 さて、これでいよいよ環境学校も終わりだ。4日間が、あっという間に終わってしまった。しかし、中身はまだ短い私の人生だがその中で一番濃いものとなった。健さん、工藤さん、小池さんご夫妻、スタッフ、そして11人のすばらしい仲間に出会えたことが何よりも嬉しい。私は、環境学校 白神に参加できて本当によかった。参加するために協力してくれた人、開催中にお世話になった人に感謝している。これからは、この白神で感じた事、考えた事をまずは身近な人に伝え、いずれ多くの人に伝えていきたい。
 最後にこの環境学校で皆で言った言葉を言おうと思う、『お楽しみ様でした!』

 まぁ、解散した後も時間が許す限り皆で楽しくやっていたのだが、ここから先は想像に任せることにしよう……。



あとがき

 この体験記はただの体験記ではなく、私が環境学校で感じた事、考えた事を強い想いをこめて書いている。受け取り方は人それぞれだが、読んだ人はただ読むだけでなく環境に対して何か考えてもらいたい。そして、環境問題に対して何らかの行動を起こしてくれる事を切に願う。


(「稜線」27号(2005年)所載)


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