古 い 山 の 手 帖 か ら  6


T・F (顧問)

断  章


扇 状 地

 与太切川の谷は眼が痛いほどの紅葉だった。爽やかに晴れ渡った秋空に向かって、山々は黄金と緋色の炎のように燃えていた。退屈な林道歩きだったはずなのに、僕たちはそんなことなどすっかり忘れてしまって、子供ように幸福だった。紅葉の眩しい照り返しを頬一杯に受けながら、僕たちは色鮮やかな光の海の中を歩いた。
 それまでの砂利道が舗装道路に変わると、もうそこは伊那谷の扇状地の一角だった。僕たちの背後で、今日歩いた中央アルプスの連山が悲しいくらい遠ざかり、そして高かった。
 行く手の平野の奥には、夕陽を浴びた美しい仙丈岳。この穏やかな山容に僕はこれまで何度優しい慰めを感じたことだろう。僕たちは、残照に映える仙丈岳を頻りに仰ぎながら、枯田の中の道を急いだ。
 午まえ、越百山(中央アルプスのピークのひとつ)で、僕たちは長い休みを取った。足元の伊那谷はつややかな光に包まれていた。柔らかい這松の匂いの中で、僕はまだ一度も知らないあの〈黄金時代〉について夢想した……。
  しかし、僕たちが歩いた伊那谷はすでに半ば日暮れて、陽の輝きはもうどこにも残っていなかった。――本当のことを言うと、こんな蒼い日暮れの、もうどうしようもなく生活の寂寥の降り積もった伊那谷の平野を、僕は歩きたくはなかったのだ。僕が心に描いていたのは、越百山から俯瞰した時のように、秋の清爽な光の中で、人も町も潤沢な生の歌を謳っている、真昼の伊那谷だった。
 刈り取られた藁を焼く煙の中をくぐって、歩き疲れた僕たちは、飯島の駅を目指して押し黙って歩いていった。
(1978年10月 中央アルプス/1979年記)




 山で鴉の鳴き声を聞いたことがあるだろうか。もしあるのならば、その時それがどんなふうに聞こえたか想い出せるだろうか。
 あの鴉の声を、僕は今でも覚えている。
 四年前の冬のことだ。分厚い雪雲に閉ざされた凍りつくようなある日、僕はひとりで奥多摩の低山を歩いていた。はじめ盛んに降っていた雪も午まえには止んでしまい、山も空も枯れた樹々も死んだように冷たく押し黙っていた。それはあるいは〈死〉そのものの姿だったかもしれない。あらゆるものが死に絶えた冬枯れの山は僕の内部からも熱を奪い、非情な〈死〉の力に屈服させようとしているように思われた。
 その力を振り払うようにして、僕は一心に歩いた。自分の足元だけを見つめ、心まで冷えきらせてはならないと自分に言い聞かせながら……。
 その時だった。僕の背後で鴉が恐ろしくもの淋しい声で鳴いたのは。振り返ってみると、鴉は高い枯れ木の枝に雪雲と紛れるようにしてとまっていた。僕が見ている間に鴉はまた二声三声続けて鳴いた。その声は、童謡で歌われているような優しい響きではなくて、まるで絶望の叫びにも似て、世にも悲しげな声だった。僕はもう一歩も歩けなかった。悪寒の震えが僕を貫き、それまで一心に支えてきた心までその場で凍りついてしまったのだ。それは本当に何という声だったろう。僕にはそれがこの世の淋しさ、悲しみのすべてを塗り込めて、地の底から這い上がってきた孤独な人間たちの鬼哭の声にも思えたのだ。
 鴉が里の方に飛び去ってしまっても、僕はしばらくそこに佇ったまま、それまで鴉のとまっていた枯れ枝を見上げていた。――僕は何にこれほど怯えたのだろうか。あの鴉の声にだろうか、この冬枯れた山の淋しさにだろうか、それとも自分の心の弱さに対してか……。その鴉の声を胸に深く刻みつけながら、僕は頻りにそんなことを考えていた。
(1979年記)



夜  景

 風の凍るころであった。時折樹々の枝が震えて薄闇の中に口籠もった音を立てていた。夕食に暇を取り過ぎたため、往き帰り四十分の水場に行くには遅すぎた。(それに二人はひどく疲れていた。)暮れやすい冬の空は既に濃紺に沈み、微かに西空が浅葱色を残していた。
 それでも、私たちは星でも見ようとすぐ近くの山頂に行くことに決めた。残照の中であれほど神秘に輝いた枯れ草も、今は無機質に吹き寄せる風にざわざわ不気味になびき、その中を私たちは登っていった。私のライトは電池が切れていたので使えず、幾度も足もとを確かめて立ち止まった。
 シルエットになった雲取山の頂に立った時、辺りは厚い闇に閉ざされていた。小刻みに震える枯れ枝を通して金星と木星が低く光っていた。まだ時刻が早いため、淋しい秋の星空であった。白い星々はちかちかと落ち着きなく瞬いていた。
 しばしば風は激しく吹きつけた。次第にヤッケを通す寒気の中で、いつの間にか私の心にも暗く闇が降り、そこにも悲しく瞬く星たちが点り始めたことに私は気づいた。風の凍る山頂であった。そして、その日の真昼に、私たちが描いた熱い思いも、石膏のように硬直してもう取り戻すこともできなくなった。
 凍てついた夜空に堪らず、私はじき昇り来るであろう冬の星座の喧噪を東の空に探した。けれども冬の星々はいまだ現れず、ただ私の知らぬうちに遙か遠くの地平は街の灯りに彩られていた。生命の絶えた風が渡り、夜空の星々もそして街の灯りもちろちろと悲しく揺れた。
 しかし、あの地平の灯りのもとには人々の生活があり語らいがあるに違いはなかった。それは私の知らない無数の人々の温もりと、幾分生臭いが暖かい風の渡る世界であろう。そうして、言い尽くせぬほどの陋しさ、醜さの混在した都会であり、私もそこから逃れてここまで来たというのに、その灯りは不思議に私の心を動かした。音もなく廻る星座の下で、私の生命(いのち)はますます悲しく、そして地平の灯りは一層美しく輝いた。
 テントに向かって下り始めたとき、私は友にその夜景のことを話した。「そういう安っぽいリリシズムは好きじゃなんだ」と友は語り、「ぼくが山に登るのは、結局ぼくの生命の悲しさを拾うためなのかもしれない」と私は応えた。
 私たちは暗く危うい足もとを気づかいながら、テントまで黙々と下っていった。
(1974年記/2005年補筆)
*          *          *
 これにささやかな〈後日談〉を書き添える。
 この冬の夜からおよそ二十年が経った頃、何かの折りに、この夜景が記憶の中に浮上してきて、そうして、それは本当に自分が見たものだったのだろうか、ひょっとしたら自分がただ想像の中で描き出した幻にすぎなかったのではないか、という思いに囚われた。
 その年の晩夏、それを確かめるために、雲取山に登った。大ダワ林道の滴るような緑の中を歩き、山頂で日が暮れるのを待った。
 素晴らしく大気が澄んで、遠く槍、穂高の山稜まで見ることのできる夕方だった。
 夕闇が降りてくると、川苔山の背後から南に向かって、鮮やかな街々の灯りが広がっていった。
 ――確かに、二十年前の冬、ぼくはこの夜景を眺めていたのだった。
 ただ、違っていたのは、その夕闇の中には身を切るような冬の夜風が吹いていなかったことと、そして、その夜景がぼくにもはやどのような「リリシズム」も感じさせないものに変わっていたこと、それだけだった。


《「稜線」第27号(2005年度)所載》

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