古 い 山 の 手 帖 か ら  5


T・F (顧問)

あ る 後 輩 へ の 手 紙

 先日はどうも。僕には久しぶりに楽しい酒が飲めた。何より山について存分に話せたのが気持ちよかった。ああいう具合に山のことを率直に話せる機会は、OBになってから、僕には滅多にないことなのだ。(同期の連中とでは、どうもそういう雰囲気にはなれない。山のことを話しても、ついつい憶い出話ばかりに落ち込んでしまいがちだった。)

 実は、10月初めに、たまたま、「ルシアン」に載った君の「上越の山に寄する讃歌」を読んで、その時、山について色々考えさせられた。いや、「考えさせられた」などと尤もらしいことを言う前に、正直に告白しなければならないんだが、あれを読んで僕は相当“やられてしまった”んだよ、つまり、〈感動〉させられた、しかし、何とも言えぬ嬉しさを感じながらね。そんなことがあったので、この前、ああいう形で君と山の話が出来たのは、格別に楽しかった。

 そういうわけで、僕はあの文章を通して“君にとっての山”について考えさせられ、翻って、僕自身にとって山がどういうものであったか、改めて考えてみることにもなった。君が捉えた山(君が“捉えられた山”と言った方がいいか? 山に執ねく登り続ける者の気持ちには、山に“魅入られた”というしかないような不思議な一途さがあるものだから)を鏡にして自分を見直す、彼我の相違を考えるという成り行きになったわけだよ。この前君と話した時もやはりいろいろなことを考えさせられた。あの時もっと話しておけばよかったとも思う。しかし、僕らの話すべきことはあれでもう尽きていた、あれ以上話しても僕らの〈肉体性〉を離れた抽象論になるか(登山は〈肉体〉で行い、〈肉体〉で考えるしかないものだと僕は思う)、無用な〈文学的〉な味つけを加えたりしてしまうだけのことだとも思える。――どちらが本当なのかはよくわからないのだが。

 ただ、次のことは、もう一度君に聞いてもらいたい。少しくだくだしくなってしまいそうだが、とにかく書いてみる。

 君は山を「母の懐」と言い、「ふるさと」だと言う。山に対して、何と言うか本質的に対立する関係を感じていない、いや、とい言うより、その対立的な関係をどこまでも解消していきたいと願っている、そう僕には思える。しかし、一方僕にとって、山は結局のところ(実際の行為の上でも、精神的心理的な意味でも)確かな間違いのない抵抗となってくれるもの、したがってそれは僕なりの闘い(?)を通して乗り越えるべき相手、自分にとって全く不足のない敵手とでも言うべきものだった。僕がこれまで重ねた山行の中で最も“幸福だ”と感じた瞬間が、穂高の小さなフェースを無我夢中で登り切った時だったと言えば、僕にとって〈山に登る〉という行為がどういうものであるのか、おおよそ判ってもらえるかもしれない。

 山は、あくまでも僕に対立し、僕を脅かし、それゆえに僕の生にとって(こうした大仰な言い方を許してほしいのだが)最も確かな、最も〈純粋〉な抵抗となってくれるものだった。――ここで、〈純粋〉というのは、この世の中ではお決まりの、人間同士の私心や打算、自己保身のための駆け引き、あるいは、メリトクラットに通有の、自己防衛の本能の卑しさ……などとは全く無縁なもの――言ってみれば、そういうことだ

 その抵抗が確かで〈純粋〉であるなら、その抵抗の中を全身的に生き抜いた後の幸福感と自恃もまた確かで〈純粋〉なはずだと僕には信じられた。そして、(これは君も話してくれたことだが)自己に対する、特に僕自身の〈肉体性〉に対する信頼を確保し、その信頼の上に立って、他者たちに向かってどこまでも開かれていく僕自身を予感する――山とは、それらを可能にしてくれる場、少なくとも僕にとってはそういう場だった。

 だから、当然のこととして、それは〈無機的〉な場だった。僕の山は、僕に微笑みかけはしないし、僕を抱き取ってくれることもない。それは、その本質においては、〈無機的〉で〈非情〉な場であって、それが僕に必要だと思われたのは、突き詰めていけば、結局それが〈純粋〉な抵抗だったから、ということに尽きる。もちろん、山の魅力というものは、ひとつひとつ数え上げていけば、それこそ際限がないくらいだ。そのひとつひとつはやはり僕にとっても魅力であることに変わりはない。それでも、それらを捨象していって最後に残るものは、(繰り返しになるが)ひとつの混じり気のない抵抗を生き抜くことによって、ある確かな蘇生――僕自身の蘇生を予感することを措いて他にはなかった。この前、僕は君に向かって、君にとって山は「有機的」なものではないかと言ったが(君は覚えているだろうか)、それはここに書いたようなことを思いながら、ふと君の場合はどうかと訊いてみたくなって口にした問いだった。その時、君が何と応えてくれたか、情けないことに失念してしまったが、僕は、やはり君にとって山は〈有機的〉な場に違いないだろうと一人決めにしている。

 ところで、君は、残雪期の上越の山々は、自信を失った時に、自分の態勢を positive なものに立て直してくれる場だと書いていたね。僕も、山は自分の蘇生を予感することのできる場だと言った。僕らは、結局山に対して同じことを求めているらしい。ただ、君は〈有機的〉=母性的な場(山)において、僕は〈無機的〉=〈非情〉の場において、それを希っているということになるようだ。

 こういう僕らの違いは一体どういうことに結びつくのか? ――でも、深くは考えないことにしよう。考えて、あれこれ人性論的に言ってみたところで、結局はどうにもならない自分の臍(へそ)の緒に思い当たるということで終わるのだろう。そんなことなら、もういい加減たくさんだと思う。僕自身にしても、こうした〈自分の山〉にいつまでも固執するつもりはない。それは、年齢とともに変わるかもしれないし、変わっていって少しも構わないと思っている。――大事なことは、あれこれ口舌を弄する前に、とにかく、今、山に向かうことなのだろう。

 こんなことを君に向かって書きながら、僕には、今、夜の電燈に照らし出された自分の横顔が、妙に白く寒々と思い浮かぶ。そして、この燈がもし〈生きている燈〉――そう、蝋燭やランプの光だったらどんなにいいだろうと、ふとそんな想いが湧いてくる。僕は憶い出す。――みなの横顔が暖かい光と押し黙った深い闇の中に静かに息づいて見えた天幕の夜、わずかに蝋燭の焔が瞬くと、天幕の屋根も仲間たちの静かな横顔も何でもない小さな食器や空き缶たちまで、みな巨きな波のように揺れた。その時、僕は夜闇の中を漂う小さな舟に揺られているように思ったものだが……。そして、僕は「焔は生命である」と言ったG
バシュラールのことを思ってみたりする。彼は、また、焔は「生きている実在」で「創造する被造物」だと、「夢想家の最良の伴侶」だと言っているんだよ〔注〕。けれども、こんな美しい言葉を思いながら、いや、そんな余計なことまで考えたからか、すぐに白々しい気持ちがやってくる。変に冷たく湿った、ちょうど今時分の薄暮のうすら寒さのような気持ちがね。どいつもこいつもただの〈夢語り〉にすぎないではないか、そうでなければ、ただの追想にすぎないではないか、そう責め立てる声がする。

 だからこそ(ここで話は元に戻るのだが)、僕は山に行かなければならないと思うのだ。僕は、今、山に登っていない、これが問題のすべて――というか、差し当たりの問題のすべてだと思う。とにかく山に向かうことだ――自分の〈夢語り〉を現実化するために。そして、それを、実際の登山という激しい行為の中で、容赦なく風や雨に曝して、最後にはそれを消し去り、忘れ去るために。夢想は、それが夢想である限り、決して実体化できないものだ。夢というのはそういうものではないだろうか。これまでのたかの知れた山行な中でさえ、それを僕は十分理解できたように思っている。様々な〈夢〉を描いて、その〈夢〉に促されながら、僕は山に向かった。しかし、そんな〈夢〉が実際に実現することなど一度だってなかった、いや、それに似たものさえ見当たらなかったと言っていい。僕が山から持ち帰ったものは、以前に〈夢想〉していたものとは全く別のものだったし、僕はそれで十分充ち足りていた。

 しかし、そうであるにしても、やはり〈夢〉は必要なのだと僕は思う。それは、僕(僕ら?)を未知の場所に駆り立てる、強い、ひょっとしたらただひとつの促しになってくれるものだから。このごろ僕はよく山の夢を見る。僕がその〈夢〉を本当に切実に夢見ているのなら、どうしても実際の登山という行為によって、それを現実化、実体化しようとしなければならない。そうでなければ、どんな〈夢〉も惰眠の中の絵空事と同じだろう。そして、しかも、その〈夢〉は、登山という間違いのない確かな行為の中で、吹き散らされ、忘れ去られるだろう。

 随分力んだ書き方をしてしまって、大いに恥ずかしい。こんなことは書かなければよかったとも思う。今度君に会った時に話せばいいことではないか、と。でも、とにかく書いてしまった以上、あれこれ考えずにこのまま君に送ることにする。山のことを誰かに書き送るというのは何度かやってきたことなんだ、これまでにも。僕の場合、少なくとも山に関わることを考える時、誰かそれを聞いてくれる人がいてくれないと、うまく考えをまとめることができないらしいんだよ。性分というやつかな? それで、ついつい君に煩わしい思いをさせてしまった。僕の身勝手をどうか許してほしい。そして、また機会があった時に、もう一度〈君の山〉の話を聞かせてくれるなら、何より嬉しい。

 強い寒気がやってきて、ここしばらくは寒い日が続くということだけれども、どうか元気で。これからの君の山行にも幸多からんことを祈っています。
(1981年11月10日記)
  〔注〕 ガストン・バシュラール 『蝋燭の焔』 (渋沢孝輔訳) 現代思潮社



断    章

雪くる前の山に寄せて

 その日、僕らは、両手をポケットにおさめて、冬枯れ近い尾根道を歩いていた。いくらか背をこごめ、上目使いに空を見ながら。空は水を流したように青く光り、散り残った紅葉が音もなく揺れていた。
 冬が近づくと、枯れ木の下の道にも日だまりが群れて、山は急に明るくなる。そして澄んだ大気には独特の香りが流れるものだ。それは直接嗅覚に訴えるものではなく、身体全体で感じ取った冬の冷ややかな感触なのかもしれない。あるいは遠く高山から流れる雪の匂いであったろうか。
 白く染まった南アルプスの連山を遠景にして、枯れた尾根の小道を、僕らは歩いていた。
 冬は明るく、また淋しい。けれども、いつの頃からか、僕は雪くる前の静かな輝きの中で、僕の独りを飾ることを覚えた。晩秋から初冬になり、いまだ雪の訪れぬ山の、その乾いた日だまりにも、誰にも語ることの出来ない冴えた孤独の歌があることを、僕に信じさせたものは何だろう? 雪くる前の期待と愛惜の間を、透き通った感傷が流れていく。
 その日、世界は青く凪いで、雪を呼ぶ冬の風の音は聞こえなかった。積もった枯れ葉を踏みしだく音に、僕は、冬のほのかに白い吐息を聞いた。
(1973年12月・奥秩父/1974年記/2004年補筆)

《「稜線」第26号(2004年度)所載》

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