古 い 山 の 手 帖 か ら 2 |
T・F (顧問) |
北 尾 根 三 峰 フ ェ ー ス |
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明神岳主峰東稜 |
風が冷たくなった。這松にビレイを取って、ザイルの先を行く仲間を見つめていた。足場が不安定で、神経を使っているのが分かる。 足元には梓川の白い川原が広がっていた。多くの人々が憩うその場所から、自分たちがひどく遠いところまで来てしまったように思えた。――遥かに、ぼくたちの思いも届かぬ距離を隔てて。 山靴の中で、爪先が冷たかった。 |
明神岳星夜 |
明神岳主峰の頂にツェルトを張った。日が暮れると、あまりにも鮮やかな星々、そして銀河。無数の星々が輝き、瞬き、すぐには一つ一つの星座の形が見分けられなかった。また西空には、不気味なほどに明るい金星。まるで天空にそこだけ穴が開いているようだ。 西穂高の上に、三日月が掛かっていた。ここでは、それが驚くほど明るい。ぼくはツェルトから少し下まで下りた。岳沢から吹き上げる風が冷たい。だが、それは冬の山とは違って、ぼくを拒むことのない優しい風だ。ぼくはライトを消してみた。三日月の光だけで周りは十分明るかった。ぼくはライトを消したまま、三日月の光がくっきりと岩の影を刻む岩場を登り返して、ツェルトに戻った。 |
北尾根三峰フェース |
前穂高から北尾根を下降して、三峰フェースを登った。 ザイルがのびるたびに、この狭いテラスには多くの落石が降ってきて、ぼくの背後をかすめていった。どうやら、オーソドックスなルートを少し外れたらしい。だが、落石を避けるためにテラスの岩肌に身体を密着させながら、不思議なことだったが、それが自分に当たることは決してないと思っていた。(落石っていうのは当たりそうで当たらないものだよ、滝谷を登った仲間がそう言っていたのを思い出す。) 背後には、常念岳のたおやかな姿。それは午後の陽に柔らかく照らされていた。この北向きの薄暗いテラスから、それは、深い慰安そのもののように思われた。 先に登った仲間から、登ってこいと声がかかった。慰安の山、常念。それを背にして、ぼくは再びフェースに取りつく。 |
前穂高山頂 |
登攀を終えて、細長い山頂のその北の端に登りついた。山頂には高いケルンが二つ、その上にはすでに衰えた夏雲の峰々。16時30分を過ぎていたので、他にはもう誰もいない。 ここには確かに何もなかった。ただ、岩の頂と四囲の山々と淡く青い夏空があるばかりだ。そして、そこでは、ぼくたちの互いの表情も短い会話も何と退屈なものでしかなかったろう。 だが、そのとき、ぼくは確かに思っていた。自分には、欠けたもの、これ以上必要なものなどもう何ひとつないのだ、と。ぼくと世界を隔てていた何かがなくなり、世界がぼくのすべてを受け容れ、世界の息吹がぼくを充たしている、と。それは、単なる安堵や達成感とは全く違うもの、自分の力の限界まで肉体と精神を試した後に訪れる純粋な悦び――いや、それ以上に深い何かだった。 〈至高体験〉。もしそれが可能なら、この夕映えの山頂で、ぼくをひととき充たしたものを、そう呼ぶこともできたかもしれない。 岳沢までの道を駆け降り、小梨平のBCに戻ったのは、19時35分。すでに日はすっかり暮れていた。 |
(1978年8月) |
熊 倉 山 |
三角点のある広場には雪があったので、酉谷山に続く尾根を少し歩いて、南に向いた岩の上に腰を降ろした。下には大血川の谷、その奥に長沢背稜の連なり。そして、右の方にねじ向くと、恐竜の背のような両神山。 静かな山頂だ。風の声も聞こえない。枯れ枝越しに、空が青い。 この山上の憩い。ここは、まるで最も深い慰安のために与えられたような場所だった。――佑助。 降誕祭。――降誕祭の今日、この明るい山頂で、一人過ごすことのできる幸いを、ぼくはぼく一人のために祝福しよう。熱もなく、憂いもなく……。 |
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頂稜が近づいてきたと思ったころ、雪が出てきた。標高で1300mのあたりだった。ふと、大気の感触が変わってきたことに気づいた。――〈高み〉へ来たと思った。 ある高さ以上の山には、下界と山上とを分かつ境界があるらしい。その境界を越えるまでは、下界のよんどころない想いを引きずり、嫌厭(けんえん)、忍辱(にんにく)、自ら望まずに負わされたものの息苦しさ、そうした澱(おり)のような重さから逃れることができないでいる。むしろ、下界で暮らすときより更に一層無防備にそれらの衝迫に曝されていると言ってもいいかもしれない。 しかし、ひとたびその境界を越えれば、そこはすでに山上の世界、下界の汚泥のような想いの一指も触れることのできない場所だ。そこで、はじめてぼくは〈自由〉を感じる、下界のあらゆるものから、その想念の衝迫からも解き放たれた自由を。 この山には、その境界が確かにあった。 |
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なぜ、この山頂を下らなければならないのだろう。こうして過ごすことがいつまでも許されるのなら、それ以上の幸いに何を望むだろうか。ギド・レイは言う。「平野に帰ったならば、わたしたちは人生のつつましい現実をふたたび見出すにちがいない。それなら、下山を急ぐ理由がどこにあろう。」〔注〕 けれども、じきに、日暮れが来る。この柔和な空がかたく凍り、そこから日暮れの寒さが降りてくる前に、日暮れのうす蒼い大気に追い立てられるより早く、ぼくは、今日おそらくぼく一人によって占められたであろうこの山頂の、この小さな岩を立ち去ろう。 |
* * * |
薄暮のころ、武州日野の駅から、シルエットになった熊倉山を眺めていた。浅葱(あさぎ)色の空の中に、三つのピークを連ねた、あの山上の尾根が高かった。 |
(1987年12月) |
〔注〕ギド・レイ『アルピニズモ・アクロバチコ』(近藤等訳)講談社文庫版 278頁 |
《「稜線」第23号(2001年度)所載》 |