古 い 山 の 手 帖 か ら


T・F (顧問)

夏 山 思 慕

 朝霧の中に、夏の冷やかな匂いの流れる夜明け。僕らは、薄明の微かな気配に目覚める。

 周囲の風景がおぼろなシルエットになって浮かぶ頃、僕らは、蒼白くにじんだ岩尾根を登る。空は少しずつ碧く澄んで、高い頂は黄金
(きん)に燃える。
 地平線から虹色の光の束が昇ると、不意に天の一角が輝いて、世界は朝に反転する。――水晶の光を浴びて、足元に揺れているチシマギキョウやイワギキョウ。谷間から吹き上げる色づいた風。朝露に濡れた這松の爽やかな樹脂の匂い。
 気の早い岩燕が、もう軽い弧を切って飛び始める。

 岩肌の粗い手触りやザクザクの急下降。そして、無限に深い蒼天に向かって残雪に埋まった谷をつめるとき、僕らは地上の一切の重さから解き放たれたように錯覚する。(だが、なんと悦ばしい錯覚だろう。)
 登り着いた小さなコルには、絶え間ない冷涼な風だ。身体
(からだ)中の汗がみるみる冷え切っていくのを感じながら、僕らはときどき、こんな天と地の分界にいる自分を不思議に思う。

 午後。岩壁の目蓋はすでに重く、遠い雪渓は鈍く光る。
 積み雲の群れがそろそろ高く伸び上がってゆく頃、僕らは一日の気負いを投げ出して、天幕の傍らに腰を降ろす。仲間が蹴った小石は、物憂い衝突音を残して落ちてゆく。

 近くに渓流があれば、日暮れの寒さがやってくるまで、そこに寝転んで存分に懶惰
(らんだ)な時を送る。
 「今、僕の周りを一匹の小さな蝶が飛んでいます。風が吹くと、たちまち高く吹き上げられてしまうのに、またすぐここに戻ってくる。それは、彼女にはこの渓流に何か大切な用事があるからなのでしょうが、僕には、この小さな蝶が、こうして今日の僕を祝福してくれているように思えます。君はこういう気持ちをわかってくれるでしょうか。」
 街にいる友達に、僕はこんな手紙を書き送りたく思う。

 僕らがこうした呑気な仕草に飽きる頃、傾いた陽は手元に淡い影を投げ、谷間には灰色の日暮れの霧が積もっていく。時として、湿ったガスが湧いて、空に賑やかな雷光が踊る。

 日没。
 幾条もの雲が高く高く焼けている空の中から、再び冷たい風が吹き降りてきて、僕らは明日の晴天を確信する。
 そして、焚火を知らない僕らは、ストーヴの青い炎が濃くなってゆく闇の中で一心に燃えているのを見つめながら、僕らの生命
(いのち)が明日も翳りなく燃え上がるように、しばらく、不器用な夕暮れの祈りを思う。
(1978年4月)



積雪期後立山連峰縦走・山行記から
――経験はぼくらに教えてくれる、愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと――

 この山行の直前、僕の体調はおそらく最悪の状態だったろうと思う。去年の12月から患っていた十二指腸潰瘍の具合が出発直前にまた悪くなって、一度はこの山行を諦めたほどだったが、それを押して、半ばのるかそるかの賭けのような気持ちで行くことに心を決めた。
 無理を承知で敢えてそう決心したのは、一つには、この山行が、去年の冬の八ヶ岳全山縦走以来、僕たちの一年越しの宿願であり、是が非でもこれをやり遂げて、自分のそれまでの登山に一応の決算をつけたかったからだが、また、それとは別に、そうすることで自分の頼りにならぬ〈肉体〉を何とかして乗り超えたいという、言いようによっては無謀極まりない(と今は思うが)試みをしてみたかったからでもあった。G・レビュファの言う「その生涯ですくなくとも一度は己に打ち克ちたいという、人間誰もがもっている欲求
注1、その欲求に僕も取り憑かれたのだと言ってよいのかもしれない。自分のやくざな〈肉体〉とその〈肉体〉に支配されっぱなしの自分の敗北主義に、生涯に一度だけのことでもいいから「否!」と言うために、僕は山に行くことを決めたのだ。3月11日の夜、僕は〈山登り〉ではなく、一つの〈苦行〉に向かうような気持ちで新宿を発った。
*            *             *
 (……)そうするうちに、どうやら歩ける状態になったので、Oと一緒に歩き出す。白岳の山頂には登らず、南東斜面をトラヴァースした。雪はしまっていて、雪崩の心配はまずなかった。
 トラヴァースの途中で、Tが迎えにきてくれた。「ザックかせよ」とぶっきらぼうに言われて、僕はそんな無愛想な言い方が却って嬉しかった。その時は、五竜山荘まで荷物を持って十分行ける状態だったが、僕はためらいなく彼にザックを託した。それは、わざわざ迎えに来てくれたTに遠慮したからでもないし、途中でヘバッてしまった自分を卑下したからでもなかった。そうではなく、もしこの山行で次にTがヘバルようなことがあれば、今度は僕が彼の荷を分け持ってやるはずなのだと、その時本当に自然に思ったからなのだ。僕は休憩中に水筒を手渡すように自分のザックを彼に託した。もし彼がヘバッたら、僕は水筒を受け取るようにして彼の荷物を背負うだろう。
 ずっと以前、高校生の頃だったが、山で重い荷物を背負って出来るだけ速く歩くことを、僕は仲間たちとの〈競争〉のように考えていた頃があった。仲間が僕よりヘバッた時、僕は競技に勝ったような満足を覚えたものだ。また、逆の場合は、ひどく悔しい思いをさせられた。だが、山はもとより競争でも競技でもない。仲間が疲れた時、僕は彼の荷を背負い、僕の体調が悪い時は、彼らは面倒な介抱もしてくれるだろう。それは、決して勝ち誇った者のお慈悲などではなく、同じパーティの一員である以上、そうせずにはいられないというだけのことなのだ。
 僕たちは山の中で同じ運命を共有し、同じ行為によって結ばれている。山が僕たちを一つの相補的な共同体にまで鍛え上げるのだ。そして、おそらく、山は僕たちに、無私とは何か、一人一人の人間を心から信頼するとは何かを教えてくれる。もちろん、それが〈山〉という特殊な(非日常的な)場においてのみ実現される特殊な人間関係に過ぎないことは、僕もよく承知している。無私であり、同時に極めて能動的な人間同士の〈共同体〉が、僕たちが多くの日々を送り暮らしている下界の日常でも同じように実現されることを夢見るのは決して不当なことではないだろうが、それにつけても、僕は下界での生活がいかに多くの偽装と消極的な逡巡を強いられるものであるかを思うのだ。下界の日常がそういうものである以上、人は、多かれ少なかれそのような流儀で振る舞わざるを得ない。これは、不幸なことであるかもしれない。僕たちの日常は、人が真に生きるべき〈場〉ではないのかもしれない。それを思うたびに、人間的な〈場〉としての〈山〉だけはどうしても信じ抜きたい気持ちに僕は駆り立てられる。
 皆より遅れて五竜山荘に着いたのは、13時15分。午前中はよく晴れていた空に、薄雲が広がり始めていた。
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 (……)鞍部(あんぶ)から小広い砂礫帯を通り、牛首岳の岩稜にかかる。(……)ルートは西側(左側)をからみ気味に登っていく。下はかなりの急傾斜で切れ落ちているが、覚悟を決めてきたためか、さほど悪くは感じない。西寄りの風がいよいよ烈しくなり、完全な風雪模様となった。しかし、季節風ではなく低気圧による悪天なので、まだ気温は高く、骨身にしみる寒さはない。じき、7〜8メートルほどの雪壁にぶつかる。ここで、1年生のYが死なば死ねの奮闘を見せる。Yのためにザイルを出すべきところだったと、今にして思う。
 続いて、フワフワの雪の付いた不安定な急斜面を右にトラヴァース気味に下り、狭いギャップに降りてから、また岩と雪のミックスした岩場を攀じ登る。決して気楽なところではないが、そうした悪場がむしろ僕には嬉しかった。岩をつかみ、雪面にピッケルを打ち込み、アイゼンの爪を蹴り込みながら、僕は溢れてくる悦びにほとんど我を忘れて岩尾根を登った。左から絶えず風雪が吹きつけてくるが、さほど苦にはならない。却って、吹雪は僕を自分の持てる力以上に靭くしてくれる。吹雪は、僕から自分の疲労について考える一切の余裕を奪ってしまうからだ。吹雪の山で僕は疲れたことがない。そして、いつも別人のように〈勇敢〉だ。
 視界が悪くなったので、トップのIは慎重にルートを拓いていく。かなりデリケートなトラヴァース(10メートルぐらい)に出遇ったが、鎖に助けられて通過する。さらに、両側の切れ落ちた岩稜を、やや左側を巻き気味に辿る。何度か、急峻な雪壁をピッケルのピックとアイゼンのツァッケだけを頼りにトラヴァースする。だが、不安は感じない。ほかの5人の調子はまずまずだし、それに3年間一緒に山を歩いてきた3年生の連中は、やはり僕にとって頼もしい仲間たちだったからだ。僕はただ自分のことだけを考えていればよかった。メンバーがみな頼りになり、自分の行動だけに没頭することが許される登山は素晴らしく楽しいものだ。
 ルートが平坦に稜線の左を巻くようになると、唐松山荘はすぐだった。唐松山荘到着11時45分。
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 僕たちは、行く手に低く姫川の谷を見おろしながら、陽光に祝福された雪の尾根を下った。背後で、五竜岳と不帰が次第にせり上がり、そして遠ざかっていった。
 足早に山を去っていくこの下りで、それまで仲間たちに感じていた確かな一体感が、もうどこにも見つからないことに、僕は漠然と気がついていた。その時、すでに、僕の気持ちも他の5人の気持ちも、早々と下界に帰ってしまっていて、僕たちは、再び舞い戻るあの下界でのあれこれについて、一人一人全く別のことを想い始めていたのではなかったか。一人はすぐに出掛ける旅行のことを、また一人はやらなければならないアルバイトのことを、別の一人は自動車の教習所のことを、というふうに。いや、もしかしたら、僕たちは5日間ともに山で過ごしながら、ついぞ一度も同じことなど思ったりはしなかったのかもしれない。
 だが、それはそれでいいのだ。仮に、僕たちが心の奥所において互いに別々であったとしても、共に一つの山を登り、そして下ったことに変わりはない。少なくとも、〈山〉という場で、僕たちは一つの目的を持ち、その目的のために共に多くの烈しい行為を引き受けてきた。僕たちは、山の中で、共通の目的と行為とによって、間違いなく一つのだったのだ。
 僕たちが、山を下りてしまえば、互いによそよそしい間柄になり、要するに〈山〉でしか結びつけない人間同士にすぎなかったとしても、それは悲しむに当たるまい。むしろ、心の奥所において互いに無縁な人間同士を一つの確かな〈共同体〉にまで鍛え上げてくれるこの〈山〉という人間的な場に、僕たちは感謝すべきなのではなかろうか。そうだとすれば、サン=テグジュペリが、飛行士たちの職業の場である大空や不毛の砂漠を〈人間の土地〉と呼んだように、山を僕たちにとっての〈人間の土地〉だと言うことも出来るだろう。『人間の土地』――これは、僕がこの山行に携えていった文庫本の表題なのだが、今、その中の一節がゆくりなく思い浮かぶ。サン=テグジュペリはこう揚言している。
 「経験はぼくらに教えてくれる、愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと
。」注2
 しかし、普段、滅多に「同じ方向を見る」ことをしないのが、この僕たちではないか。同じ方向を見、同じ目的のために能動的に行為するためには、僕たちは進んで〈人間の土地〉に足を踏まえて立たなければならない。そして、山がそうした〈人間の土地〉の一つでありつづける限り(そうでなくなったら話は別だが)、僕は山に向かうことをやめてはならないはずなのだ。
(1980年3月)

注1〕ガストンレビュファ『星と嵐』(近藤等訳) 集英社文庫版 56頁
注2〕この一節の含意をより明確にするために、その前後の部分も補って引用しておく。
「ぼくら以外のところにあって、しかもぼくらのあいだに共通のある目的によって、兄弟たちと結ばれるとき、ぼくらははじめて楽に息がつける。また経験はぼくらに教えてくれる、愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと。ひと束ねの薪束の中に、いっしょに結ばれないかぎり、僚友はなく、同じ峰を目ざして到りつかないかぎり、僚友はないわけだ。」(サン=テグジュペリ『人間の土地』(堀口大学訳) 第8章「人間」
新潮文庫版 216頁)


《「稜線」第22号(2000年度)所載》

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