私は昭和43年4月1日から48年3月31日までの5年間お世話になりました。その後信大附属長野中学校へ転勤しました。あ世話になってすぐ5学級の中の1年4組を担任しました。また全校では、1年生と2年生は5学級、3年生は4学級と養護学級で15学級でした。養護学校は昭和38年6月25日から44年3月11までありましたが、附属長野養護学校と合併して閉鎖になりました。

 
生徒たちが3年生になた時の1年生は4学級で、2年生は5学級でしたから全校で14学級でした。現在は、特別支援学級2学級を含めて11学級です。なお3年生のときの私の学級は転入や転出等で、男子21人、女子21人計42人でした。

 長野市立西部中学校は、戸隠へ行く道の途中の西長野にあります。また、学校へ行く道路の左下の妻科には、長野商業学校があります。校舎は3階建て教室等が2棟と体育館、音楽室があり現在も同じです。当時は、長野県立短期大学の教育実習を受け入れていました。西部中学校の手前の右側には、長野市立加茂小学校、信州大学教育学部信大附属長野小・中学校と養護学校(現在は特別支援学校といいます。)ありました。現在、附属長野小・中学校、特別支援学校は長野市南掘に建設されました。

生きがいNO3

平成20年7月25日

      生きている喜び 「長野市立西部中学校での歩みNO1」
 毎年4学級の学年が必ず一つありました。それは、附属長野中学校と通学区が同じなので附属中学へ進学する子どもがいたからでした。学級によっては他の中学校と学力は勝るとも劣らずでした。 その後附属中学校が長野市南堀へ移転し、保護者の考え方が変わったりして,学力など等他の中学校と同じようになりました。

[学校の様子]

 次回からは、学級の様子について述べたいとおもいます。