わたしの教員生活の足跡


 私の教員生活の足跡は、昭和27年4月1日に野沢温泉村立市川中学校に着任したところから始まりました。市川中学校では3年間お世話になりました。次に、中野市立南宮中学校で3年間お世話にないました。次に長野市立西部中学校で5年間お世話になりました。次に、信大教育学部長野附属中学校で3年間お世話になりました。次に山ノ内町立東小学校で9年間お世話になりました。

 次に長野県教育委員会上田教育事務所学校教育課数学科指導主事として3年間お世話になりました。次に松本教育事務所に1年間お世話になりました。

 次に軽井沢町立東部小学校に教頭として3年間お世話になりました。次に中野市立中野小学校の教頭として3年間お世話になりました。
 次に中野市立平野小学校で校長として4年間お世話になりました。
 次に36年ぶりに中野市立南宮中学校で、初任研補充の非常勤講師(数学)として週2日間1年間お世話になりました。現在中野市立中野平中学校で同じように非常勤講師として勤めています。
 

 どの職場でも充実した生活を送ることができました。いろんな方に支えられ大変お世話になり感謝しております。


 20年ぶりに、長野市立西部中学校で1年と2年を担任した生徒から同級会の通知をいただきました。1年と2年を担任して3年を前沢純夫先生(2010年12月30日没、享年76歳)に託して、私はとなりの信大教育学部附属長野中学校に転勤しました
 2011年4月29日(金)の午後6時から長野駅前のボスコ店で12人が参加して開かれました。これからは毎年開き、会の名前も「関前会」に決まりました。全員が53歳になりそれぞれ個性を生かした仕事に自信を持って専念していました。また、りっぱな親になっていました。
 近況報告のとき、最初のMM君が「先生に一番殴られました」と言いました。私も覚えていたので「そうか、済まん。穴でもあったら入りたい気持ちです。」と言うと、 
彼はニコニコしながら「初めて謝ってもらったよ。先生は毎日懇々と諭してくれました。今日、先生が来ると言うので出席しました。 私は小学校の時から、半年で転校していました。しかし、一番心にの残っているのはこの西部中学校の6ヶ月間でした。」全員シーンとして聞いていました。彼は不幸な境遇の中で育ち、施設を半年毎に移っていたのでした。今、二人の子供の父親になっていました。私の目頭が熱くなる中で、本当に教職の道を歩んで来てよかったと思いました。彼は言うのです。先生!今度私の妻を見てくださいよと。

身近なこと

トップページ