長野県教育委員会

NO2:松本教育事務所での歩み

 上田教育事務所から異動し、昭和62年4月1日から63年3月31日までの1年間,数学科指導主事として学校訪問等の仕事をしました。特に心に残ったことを紹介します。担当地区は、木曽郡、塩尻市、東筑摩郡、安曇野市、北安曇野郡、大町市、松本市でした。

 ・今は岐阜県の中津川市となっていますが、当時は木曽郡山口村の神坂小学校(現在は廃校になっています)と山口中学校を訪問したときです。最初の日は神坂小学校を訪問しその日は馬籠宿の民宿に宿泊しました。山口中学校を訪問する当日、朝お腹が痛みひどい下痢です。とにかく朝食を食べて教頭先生の迎えを待ちました。その間も何回もお便所に行きました。前日の夕食の食べ物が悪かったようです。教頭先生が迎えに来られたのでとにかく学校へ行きました。学校へ着くとすぐお便所をおかりしました。校長先生や教頭先生、養護の先生が心配され、養護の先生が正露丸を飲ませて下さいました。段々下痢もおさまり何とか全校研究授業の3年生の数学の授業を参観し、生徒が帰宅した後の授業研究会の指導をして南木曽から電車に乗り、浅間温泉の手前の美須々の県の住宅に無事帰宅しました。

・木曽町立開田小学校を訪問したときです。新任の先生の算数の授業でした。学習指導案は経験のある先生方と比べると内容は十分とは言えませんが、子どものとらえや指導の手立てに温かさが感じられました。授業は一人ひとりの子どもに寄り添ったわかる授業でした。授業を見るとき何が大切かを教えられました。毎日の授業で、いかに子どもと対等に向かい合って指導しているかです。21年前のことですが今でもあのときの授業が脳裏に浮かんできます。

次回は、教頭を勤めた軽井沢東部小学校での足跡を記載します。