空海と親鸞
私が尊敬する日本の仏教者に空海と親鸞がいる。
仏教がブッダになるための修行の道とすれば,そこには自力で到達する
修行の道しかないはず。
空海はその道(経)を示したと言えるだろう。
そしてその代表する経として「般若心経」がある。
しかし,現実のなかに生活しているとこの自力は非常に難しい。
とにかく「行」なのだ。
私の場合には空手道をこの「行」として置いているが,それは苦しい。
「般若心経」を幾度となく唱えてみるが,これまた現実の苦しみを
取り除いてくれるものでもない。
が一方の親鸞がとなえる「南無阿弥陀仏」はやさしい。そして,現実の
苦しみを簡単に取り除いてくれる。
「とにかく全てを阿弥陀仏におまかせしなさい。あずけなさい,
そうすれば超常的存在である阿弥陀仏が全てをとりはかってくれる」
というのだ。
実際,現実社会では,自分の力ではどうしようもない時がある。
そういう時,人間関係や経済に困ったときに,私も唱えてみたりする。
効果は絶大で安心感が心に芽生えてくる。
注意しなればならないのは,「なんまいだぁ,なんまいだぁ」ではなく
心をこめて「南無阿弥陀仏」と唱えること「おまかせします。」
という思いを持つことだろう。
こう考えてくると,困難を自力で修行で力をつけて,切り抜けるのか,
おまかせし,他力に自分の不安やストレスをあずけるのか。
実に二つの道が,「密教」と「顕教」が,さきの二人の偉人によって
示された,ということだと思う。