板西城

別名-  付近住所 徳島県板野郡板野町古城若宮 現在-
2009/3/28 碑・案内板アリ 日本城郭大系


近藤六親家

赤沢氏
平安時代末期(八百年前)藤原師光の6男、近藤六親家が築城したという。親家は、屋島の合戦(1185)に向かう源義経案内をして、睥睨をして、平家滅亡の一助となった人でもある。その後、赤沢氏が居城とし、阿波国守護職の居館が秋月(阿波市土成)から勝瑞(藍住町)に移るとともに、勝瑞城の西の守りとして、重要な位置を占めるが、天正10年(1582)中富川の合戦で、土佐の長曾我部元親の兵火にかかり、勝瑞城とともに落城した。蜂須賀氏の入国後も、再建されることもなく、その正確な位置、規模とも不詳である。今に古城、城ノ内、城ノ西という地名として、その名残りをとどめている。落城の際、討死した赤沢信濃守とその将兵は、那東(板野町)の愛染院に祀られている。