1986年秋からきのくに線で普通列車を中心に使われてきた元急行型電車の165系が、春のダイヤ改正で引退することになりきのくに線での活躍やさよなら運転など165系最後の様子を追った。改正2週間前の3月9日は朝にしか運転されない6両編成の列車を撮影するため早朝よりきのくに線を訪れ、昼間は海沿いを走る冷水浦〜加茂郷間やかえるのデザインをした跨線橋のある印南でも165系を撮った。改正を翌日に控えた22日は165系での運転がこの日で最後となる夜の新大阪発紀伊田辺行き快速に乗り、翌々日の24日は白浜から天王寺へ向けて運転された「ありがとう165系号」を浅香駅ホームで狙った。なお翌週30日には、山陽新幹線の岡山開業30周年を記念してリバイバル運転された急行「鷲羽」にきのくに線の165系が使われ、当日は仕事が終わってから新大阪へ「鷲羽」を見に行った。
3月31日は来春の電化開業に向けて工事が進むJR小浜線や、2004年度中の電化が決まった加古川線を訪れた。先に乗った加古川線は名前の通り加古川に沿って北上するが、全線を通して運転される列車は少なく途中の西脇市で一度乗り換えて先に進んだ。終点の谷川から乗車した113系2両編成の普通福知山行きは、中間車の面影を残す先頭車が大阪側に連結されていた。福知山から綾部を通り小浜線と接続している東舞鶴へ向かうと今まで晴れていた空が徐々に曇り始め、東舞鶴を出発すると同時に大雨が降り出したが一時的だったようで雨は次の駅である松尾寺到着までに止んだ。電化工事は全線をいくつかの区間に分けて行っているようで、訪問時は小浜〜十村間が工事のため代行バスでの移動となった。また小浜や敦賀周辺で運行されていた西日本JRバスはこの日限りでほとんどの系統が廃止されるため、バス前面には廃止を惜別する幕が掲げられていた。なお十村で再び小浜線の気動車に乗り、敦賀からは北陸本線で米原を経由して大阪へ戻った。
8月4日は毎年夏休みに静岡県浜松市の東海道新幹線浜松工場で開催されている「新幹線なるほど発見デー」へ、1999年以来3年ぶりに出かけた。朝早めに起床して大阪から快速や普通列車などを乗り継ぎながら浜松には昼前に到着し、駅東側の高架下から無料シャトルバスに乗ろうとしたが利用者の長い列が出来ていたため路線バスで工場へ向かった。工場では先に昼食をとってからパンフレットに書かれた順路通りに移動し、電気検測車「ドクターイエロー」など色々な車両を撮った。工場から浜松駅へ戻るシャトルバスはやはり混んでいるため再び路線バスを使い、まだ少し時間があるので浜松から北へ向かう遠州鉄道にも乗ってみることにした。地方私鉄とは言え列車の運行本数が多く、車両も自社オリジナルで他社からの譲渡車はない。終点西鹿島では第三セクターの天竜浜名湖鉄道に乗り換えて豊橋手前の新所原まで出ることができるが、発車時刻が合わないのと途中にいた小さな電気機関車を見るため遠州鉄道で折り返し、浜松から東海道線で帰路についた
この年の盆休みは新型車両E231系の増備で山手線を追われた205系に置き換えられ、数年以内に姿を消そうとしている首都圏の国鉄型通勤車などを見に行った。8月13日早朝に夜行快速「ムーンライトながら」で東京入りし、常磐線の電化開業40年を記念して「赤電」と呼ばれる1980年代前半の塗装に復元された415系車両を見るためさらに北上した。宇都宮線の小山から同系が運転される水戸線を経由し車両基地のある勝田まで行ってみたが、赤電は上野方面へ戻る途中ですれ違った下り列車に連結され写真を撮ることはできなかった(写真は年末の再訪問時に撮影)。来年度の引退が予定されている(実際には2006年春まで生き延びた)常磐線オリジナル色の103系を沿線や上野駅などで撮り、次は山手線と中央線の各駅停車を乗り継ぎ中央線の最古参車で営団地下鉄(現東京メトロ)東西線にも乗り入れる301系を見に行く。同系の置き換え計画はまだ出ていなかったのだが数が少ないため、翌2003年夏に後継車が登場すると301系は約1ヶ月で全車引退した。
新宿のカプセルホテルで朝を迎え、もう一度常磐線の415系「赤電」を探しに上野や隣の日暮里へ行ってみたがそう簡単には見られなかった。京浜東北線の電車で川崎へ移動し南武線の黄色い103系に乗り換えて2駅先の矢向で構内にいた103系などの車両を撮り、武蔵中原〜武蔵新城間にある車両基地を見て武蔵小杉から東急東横線で終点桜木町まで行き、2004年1月末のみなとみらい線開業で廃止される同駅を写真に撮って再び川崎へ戻った。川崎からは南武線の尻手〜浜川崎間で最後の活躍を見せる国鉄新性能電車の元祖101系に乗りに行き、終点浜川崎で鶴見線の103系に乗り換える。途中にある鶴見線の車庫には同線の103系や南武線101系、まもなく運転を開始する205系の姿もあり101系の引退は秒読み段階にあるようだ。鶴見から一旦都内へ出て妻に頼まれた買い物をし、東海道線の普通列車を乗り継ぎ大阪への帰途についた。しかし豊橋で大雨のために1時間半近く足止めされ、なんとか大阪駅までは列車で戻れたものの自宅までは徒歩で約3時間かけて帰る羽目になった。