イチコプログクツ

イチコプロダクツの由来

洋之助の姉の慶子の息子である市川伸太朗は、ボンクラだったが、真面目な男で、おとなしい娘の伊藤伊智子と結婚していた。しかし伊智子は、決しておとなしい娘ではなかった。北陸の建設会社の社長の娘で、高校時代から遊びはじめ、大学は三流の私立に進ると、尚、一層、精を出して遊んだ。目線はいつも男の股間にあり、風船ガムのように、ゴムをいつも口に入れ、男のものを入れる娘だった。

いつも違う男が、甘い親が買った都心のマンションにいた。なまじスタイルも金もあり、好き者で、どうしようもない不良だった。父の伊藤作之助は、娘を案じて、女の不良はといって、躊躇していた洋之助に頼みこんで、人を教育すると定評のあった安倍紡績の総務に潜りこませた。伊藤作之助は、紡績から放りだされたら、東南アジアでも子会社を作り、そこに島流しすると脅し、本当にインドネシアの小島に訳の判らない会社をわざわざつくり、エビの養殖とかを始めた。洋之助にも伊智子のその会社の役員兼務を認めて貰った。伊智子は、田舎は大嫌いな娘だったので、それに怯えて、猫をかぶって紡績では静かに可愛い子のように振る舞った、そうするとスタイルや顔だけは良かったので、馬鹿な伸太朗は、ころっと騙され、伊智子の魔の手に掛かった。伊智子はコツコツ働くなんて嫌いだったので、直ぐに会社も辞め、家で遊び出す機会を待っていた。作之助は馬鹿な娘が改心したと親馬鹿にもそう思い、何かと小遣いを渡した。伸太朗はそんなに立派なものも持たず、テクニック豊富な伊智子に翻弄された。伊智子は欲求不満ではあったが、敷地内では、洋之助や和子が怖く、ホストクラブ遊びもこっそりやった。精液が入ってくると、それでも男の子の和也が出来た。和也は手が掛からない子供だった。

洋之助や和子が亡くなって、もうおばさんになっていったが、お金も、まだ甘い馬鹿な父にせびり、本格的に遊ぼうと思った時に、神太朗が生まれ、お義理でやっていたセックスで、伸太朗のものが突然大きく硬くなり、不覚にも逝って、絶頂感を味わってしまった。そして何回か絶頂感を味わうと病みつきになった。中年で盛りがついた好き者なので、傷は深く、変態手前まで症状が悪化した。ついには、膣から涎を出しながらオナニーをして、伸太朗の使った便器を舐めている所を真世に見つかった。真世は自分の経験から、さかりのついた伊智子を更に追いつめ、色ボケしていた伊智子は真世の言われるままに真世の前でオナニーまでした。写真を撮られた時は、ピースの合図までする変態になっていた。その後少し正気に戻った伊智子に、真世は反省しないと、子供の前でもオナニーさせ、みんなの笑い物にしてやると脅した。伊智子も少しは理性が残っていたので、あまりの事に泣き出し、託児所の下働きをして、反省すると言った。不思議な事に、託児所の保育士の元不良たちと話が合い、やがて託児所の運営にも参加するようになった。

「この頃、変なのよ。伊智子さんが、急に財団に来てね、施設で何でもいいから手伝いたいと言うのよ。前には見向きもしなかったのに。真世さんも何か仕事を探してやってよと言うの。社長のお嬢さんだった人なのに。でも施設の中では好評なの。みんなの相談役みたいになっているの。元不良たちとも仲良くやっているの。」
香奈 「よく分からないけど、いい事じゃない。伊智子さんも仕事をする事は良い事よ。」

イチコプロダクツの転機

やがて伊智子の父の伊藤作之助は亡くなり、伊智子にも少しは遺産が入り、訳の判らないエビの養殖業などをするインドネシアの会社などは伊智子に押しつけられた。伊智子は家族の中では、不良娘として通っていたので、あんな奴に渡すのは、どぶに金を捨てるのも同様だと考え、みんなが処分に困るような土地や会社を押しつけられた。伊藤作之助は、人に頼まれるといやと言いにくい性格で、養豚業や養鶏場や牛肉加工会社まで持っていた。伊智子の兄弟たちは、本体の建設業と関係のない事業はすべて伊智子に押しつけ、情けも容赦もなく、時価総額は高いからとか云って、現金はあまり渡さなかった。伊智子は反対したが、お前の正体を、伸太朗にばらすぞと脅かされ、伊智子は今では伸太朗にぞっこんになっていたので、渋々合意した。伊智子は高校の時は1日に5人、大学時代は8人の記録を持ち、1週間に30人の記録を達成し、伊智子は鼻高々に、アダルト女優の嘘っぽいインタビューのように、みんなに喋っていた。伸太朗がそれを知ったら、放り出されるぞと兄弟たちは脅し、伊智子はそれに屈した。伊智子は、相続税に困り、叩き売ろうとしても売れず、運用会社に相談した。香奈はこんな事業には関心もなかったが、正子は興味を持って、相続税分を伊智子に貸して、調子が良かった運用会社は大きく出資して、すべてを統合して食品原料を供給するイチコプロダクトを作って、偶々正子の大学院時代の友人に、食品会社を喧嘩して辞めた人がいて、その人に運営を任せた。その人は、いくつかの青果や野菜を集荷したりする会社も合併して、次第に会社は大きくなった。無農薬や健康とかを売り物に、契約栽培なんかも手がける会社にしていった。やがて、それなりに利益があがり、伊智子も、配当も得た。運用会社も少しずつ返済してもらい、運用会社自身も利益も入ってくるようになっていた。イチコプロダクツの近くに、広い場所の遺伝子研究センターを作った。養豚場がもう一つ出来る程の広さだった。真一郎は人の遺伝子治療を目指していたが、人での遺伝子の操作は難しいので、遺伝子操作の研究やテストを牛や豚で取りあえず進めてようとしていた。畜産関係の関係者を集めたのには、そう云う理由もあった。違う思いの二人だったが、理想的な肉が取れる牛や豚を作る事を取りあえず進めた。建物や実験設備、試験動物の設備なども出来上がり、高性能のコンピューターもアメリカらから運び込まれる事になった。建部はこれで問題ないと思ったら、コンビューターはソフトなければ、ただの箱とか言われた。叩き買ったコンピューターなので、ソフトは自分たちで考える必要があった。建部も、管理とは云え、所詮株屋だったので、コンビューターソフトの会社を買えばいいと思い、ジブトラストに支援を要請している小さなソフト会社「ごきげんソフト」を使う事にした。ごきげんソフトは元々通信ソフトの会社だった。ジブトラストは金は支援できるが、仕事は特殊なので、仕事の斡旋も出来なかった。話は、それこそトントンと進み、ジブトラストが金を出して大幅な増資をして、遺伝子研究センターでのコンピューターのソフト設計や運用を、この会社にやって貰う事になった。

健介の息子の伸太朗の妻の伊智子は、イチコプロダクツの多くを保有し、その配当で相続税の借金を少しつづ返済していたが、伊智子は、これらの事業にあまり興味もなく、それよりも現金を持ちたいと思い、香奈と話をして、伊智子分の株を相当程度運用会社に売る事になった。過半数の株式が、伊智子からジブトラストに移るので、ジブトラストも、特別に伊智子にジブトラストの株式への出資を認めた。そして借りていた相続税分もジブトラストに返した形になった。結局、伊智子は、お金を貰い、イチコプロダクツの株式の相当数をジブトラストに譲渡し、ジブトラストに3億出資した事になった。イチコプロダクツについては、ジブトラストが過半数の株式を保有する事になった。

発展し、進歩するイチコプロダクツ

こうして、イチコプロダクツは、ジブトラスト傘下の会社となり、遺伝子研究センターの実験場ともなったが、最新の研究成果を反映させ、先進的な技術を使用して、美味しい肉や野菜を次々と市場に出していった。その後聖子が快適農作物研究所日本を作った時にも、この研究所での研究成果の実験場にもなり、収穫量のある、美味しい農作物や水産物の実験場にもなり、革新的な農水産業のメッカとか言われ出した。そうして生産体制が確立して後に、神太朗がジブトラストに復帰した。神太朗はジブトラスト内の協力ネットワークを推進した。イチコプロダクツは世界の様々な所にある快適農園そして岡崎交易とも協力するようになり、もはや世界でも有数の農水産物や畜産関係の会社ともなった。次第に官僚的な経営体質となり、世界中で安価な農作物や畜産物を入手出来る立場にもなり、単価の高い国内での製造体制には及び腰になり、生産整備の充実より、流通網の整備とか販売体制の強化とかに、比重を移していた。販売体制や流通面そして管理体制は、格段に進み、圧倒的な体制を作り上げ、影の農水産省と陰口を聞かれる程強くなっていた。殿様体質、役人体質とも呼ばれた。それだけに、ジブシティー近郊での農園や畜産物は、ジブトラストからの無言のプレッシャーを感じ、ジブシティー内での消費を考えて、少しは事業拡大に応じたものの、これ以上、生産コストの高い国内での事業展開は採算ラインが高いと感じていた。リトルキャット運用会社からの合弁の呼びかけにも、ナンダカンダと文句を言い、出資を減らして、リトルキャット運用会社がほとんど出資し、管理や運営の協力をするだけで合意していた。今や社内の実権が、管理とか販売、海外とのリレーション推進なんぞと云った部門に握られていた。子猫たちの考えを聞いた、イチコプロダクツでは決定的な影響力のあった神太朗の呼びかけもあり、不満を感じていた、従来社内の実権を握っていた、製造・研究関係の年寄りたちと中堅たちが、率先して、新しい合弁会社に移ろうとしていた。

猫たちは、日本での革新的な農水産業そして畜産物の生産体制の確立と、水産での美味しい製品に魅力を感じて、事業を進める事にしていた。猫たちは日本に住み、そこで飯を食っている。どんなに現金や金があっても、金は食えないけど、美味しい鯛や魚は十分食えるのだと猫たちは思っていた。

イチコプロダクツは、香奈スペシャルNo.2に、初登場して、その後も折に触れて話題になっている。