後編



今のカカシになら言える、とイルカは思った。
今のカカシなら、わかってくれる。

今、目の前にいるカカシは、昔のままのカカシだ。

カカシを纏う空気が。やわらかな雰囲気が。かつてイルカが大好きだったカカシだと、一生懸命伝えてくる、今。

今ならきっと。

イルカは何か確信めいたものを感じた。

「カカシ...さん」

それでも、呼び捨てにしていいものかどうか一瞬躊躇したため、変な間があいてしまった。それが余程おかしかったらしく、クックッとカカシが肩を揺らして笑った。

「カカシ、でいいよ?」

変なところで意固地なイルカは、カカシの言葉を無視して、「カカシさん」ともう一度言い直した。

「うん?」何を言うつもりかと、カカシが神妙な顔つきになる。

「アンタどの面下げて俺に会いに来れるんだ?今更友達ごっこもないでしょう。俺は....会いたくなかった。」

カカシの顔から表情が消えた。

「俺はスズキの事でアンタを許せない。自分のことを許せない。今でも...今でも俺は苦しい.....っ!」

あんなこと、もう2度とおきてはいけない。おこしたくない。だからカカシにはもう何もあげないと決めたのだ。
カカシは分からないから。与えられるものと与えられないものがあるという、簡単な真実。
イルカが触れたものを全て差し出せという傲慢。それを当然とするカカシの態度が、イルカを貶めている現実。
カカシは分かってないから。

「それなのにアンタは....!

さっきも。俺の嫌いな、ぎらぎらした目で同僚を見て。スズキの時のように。
奪っていこうとする。奪われまいと必死で踏ん張っても。
そんなイルカをせせら笑うように。

「また同じことを繰り返そうとする。俺は嫌だ、もうあんな思いはしたくないんだ!」

あの頃自分は幼く、カカシの振る舞いに対して為す術を知らなかった。奪われるままで、再びスズキのようなことがおきたらと不安に震えるだけの自分。

でも今は違う。

「アンタが奪っていくというのなら、俺は死に物狂いでそれを阻止する。絶対に渡さない。今度は戦います、アンタと。」

カカシとの決別を口にすると、イルカはホウッと息を吐き、身体の緊張を緩めた。決別を明言するには勇気が要った。それを舌に乗せる瞬間までイルカは迷っていたから。カカシの仕打ちを許せないと思うのに、カカシの全てを切り捨てることができない自分。さっきの笑顔がまだ胸に痛い。そんな弱い自分との決別でもあった。
カカシは表情のないまま黙って耳を傾けていたが、イルカが話し終えたのを知ると、「イルカは物騒だねェ〜!」と少し笑って茶化した。
そして次には真顔で、「俺はイルカと戦うつもりはないよ。」と言った。その言葉にイルカの心が踊った。

やっぱりだ。やはり今夜のカカシは思ったとおりのカカシだ。
わかってくれた。俺の気持ちをわかってくれたんだ!

昔には戻れない。でもカカシがイルカの気持ちを汲んでくれるというなら、新しい関係を築けるのではないだろうか。そしてスズキへの罪の償いを分かち合えるのではないだろうか。

だが次にカカシが紡いだ言葉は、イルカにとって残酷なものだった。

「でも、どうしても欲しいものがあるんだよね〜。」イルカから、どうしても。

その言葉に、イルカは頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。カカシにイルカの気持ちが通じなかった。通じなかった。俺の思い違いだった。あの頃のカカシだなんて滑稽なこと、どうして思ったんだろう。こんなにカカシと離れてしまった。心が。本当にもう、終わりだ。

イルカは我知らず、うっうっ、と嗚咽を洩らした。

「アンタって人はッ.....俺はっ、絶対何もやらないからな...っ!絶対!...俺を馬鹿にしてそんなに楽しいかっ...!?」

もうこんなところには居られないとばかりにイルカが走り去ろうとするのを、カカシの手が強引に引き止めた。離せ、と振り向くとカカシの顔がイルカのすぐ側にあった。イルカが動揺して動きが止まったところを見逃さなかったカカシが、すぐさまイルカを背後から自分の腕の中に抱きこんだ。

「なっ....にする....はな、せっ...」拘束されたイルカがじたばたと暴れる。そんなイルカの耳元に口を寄せ、「馬鹿にしてなんかいない〜よ?」信じて、と甘やかにカカシが囁いた。カカシの片手がイルカのあごを捕らえ、ギギギ、と無理矢理カカシの方を向かせて固定する。

目と目がまともに合った。

カカシの真摯な瞳にイルカは驚く。目は口ほどにものを言うとは、よく言ったものだ。瞳が本当を映しているとイルカは思った。自分を馬鹿にしてないのは伝わったが、ならばどうしてと思う。カカシの本当がききたい。そう思う自分を甘いなとは思うのだけど。

イルカは抵抗を止めた。それなのにカカシの腕により一層力がこめられたのは何故だろうか。

カカシはうっとりとした様子で、イルカに強請った。


「イルカが欲しい。ずっとずっとイルカだけが欲しかった。他にはなんにもいらない。」


そう、イルカが欲しかったのだ、ずっと。そのことに長い間気づけなかった。イルカの手にするものが輝いて見えたのは、イルカが輝いていたからだ。いくら奪っても満たされなかったのは全てまがい物だったからだ。本物はイルカだけだったのだから。今も欲しい。欲しくてたまらない。
過ちは償うから。だから。


「だから、ね?ちょうだい。」



                          終


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