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「カカシ先生、これ返しておきますよ。」
イルカは夕食後のお茶を啜りながら、ふと思い出して薔薇の表紙の本を取り出した。落し物箱に入れたものをまた回収してきたのだ。
一度否定されたが、カカシの物に違いないとイルカは踏んでいた。
突然突きつけられた薔薇の本に、驚愕に目を見開いたカカシがブハーッと景気よくお茶を噴出した。そのお茶は水鉄砲の如く、イルカを悩ませていた一匹だけ入り込んだ蚊に命中した。

うわー…カカシ先生すごい…鉄砲魚みたいだなあ…!

イルカは一瞬「水辺の生物」という理科の教育テレビを思い出して、酷く感心してしまった。
しかしゴホゴホと苦しそうに咳き込むカカシにすぐに正気付くと、
「だ、大丈夫ですか!?」
慌ててカカシの背中を擦りながら、茶を拭う為のタオルを手渡した。
薔薇の本に関係がないのなら堂々としていればいいのに、
「…そ、そそそそ、それはっ、お、俺の本じゃありません…って…言い、言いいいいいました、よね…?」
必死に呼吸を整えながらカカシがしどもどと言うので、全く信憑性がない。
そんなに園芸好きが恥ずかしいのかな、と首をかしげながらも、イルカは微笑ましい気持ちでカカシを見詰めた。

カカシ先生はどう思ってるか知らないけど…でも俺は寧ろホッとしてるけどな…
こんなに破天荒なカカシ先生にも、草花を愛でるような普通の感性があったなんて…
花の美しさとか、そんなものはみんなと同じように感じる事ができるんだな…

やっぱりどこか純粋で無垢な心を持っている人なのだ。イルカは一人頷きながら、
「今度俺にもカカシ先生の菊や薔薇を見せてください…!俺もどんなものか興味があります。カカシ先生は色々と丹精するのがお上手なんでしょうね…!」
ニッコリと心からの笑みを浮かべれば、咳を止めたカカシの顔が茹蛸よりも赤く染まる。血圧は大丈夫なのかと心配になるほどの赤さだった。カカシは顔を真っ赤にしながらも、酷く困惑しているようだった。
「イ、イルカ先生…ええと、昼間も思ったんですけど…何処まで本気ですか…?」
「え?何処まで本気って…」
思い掛けない切り替えしにイルカは間の抜けた声を上げた。

なんだろう…?社交辞令か何かと思っているのかな…?

どうしてカカシがそんなに疑り深く慎重なのか、イルカにはよく分からなかった。まあ、以前からよく分からない人なのだから今更だが。
イルカはもう一度はっきりと言った。
「俺はいつも本気ですよ?本当にカカシ先生の菊と薔薇に興味があるんです。」
会心の笑顔を浮かべた瞬間。
ボタボタとカカシの鼻から今度は盛大に鼻血が噴出した。
「カカカ、カカシ先生っ、鼻血、鼻血!!!!!」
突然の出来事に慌てながらも、イルカがティッシュを渡してやろうとすると、カカシがすっくと立ち上がった。

ど、どうしたんだろう…?

不思議に思いながらイルカがカカシを見上げると、カカシは見たこともないほど真剣な顔をしていた。
今にも特攻に出るような。ギリギリの緊張感を漂わせるその迫力に、イルカは思わず息を詰めた。

ひょっとして俺はカカシ先生を怒らせてしまったんじゃないだろうか…?
あ、あんまり園芸の趣味についてしつこく訊くから…
そうだよな…俺はなんとも思っていないといっても、本人が隠したいと思っていることをしつこく訊くなんて、最低だよな…!

鼻血は激昂しすぎて頭に血が上った所為かもしれない。イルカはそう考えて自分の浅はかさを反省した。
謝ろうかどうしようか。逡巡するイルカの目の前で、突然するりと。カカシがズボンを下げた。それも下着ごと。

こんなこと以前にもあったなあ…

イルカは下半身だけすっぽんぽんになったカカシの姿に茫然としながら、既視感を覚えていた。

あの時カカシ先生は前を突き出しながら、病気かどうか確かめるように俺に強要したっけ…

そして今は桃のように可憐なお尻をこちらに向けて、モジモジしながらカカシが立っていた。
「イ、イ、イルカ先生にだったら、見せてもいいです…」
何を、と尋ねる前に、この数日間で飛躍的に鍛えられた、イルカの危機回避能力が高速で働いた。
「カ、カカシ先生、ちょっと待ったーーーーーー!!!!!!!!」
イルカは叫びながら、側に乾かしてあった空の大鍋を手に取ると、向かってくる尻を緊急ガードした。
物凄い勢いも相俟って、カカシの尻はすぽっと鍋に吸い込まれた。

ジャストフィット…!

イルカが去っていった危機に思わず快哉を叫んだ瞬間、鍋ごと尻餅をついたカカシがへにょっと顔を歪ませて、情けない声で言った。
「イルカ先生…酷いです…!イルカ先生が見たいっていうから俺は…っ」

誰が見たいって言ったーーーーーーーー!!!!!????

イルカは激しい突込みを内心で入れながら、
「もう…何考えてるんですか、あんたは…それよりもこの鍋どうしてくれるんです…?」
煮物を作るのに丁度いい鍋だったのに、と溜息をついた。問題はそこじゃない気がしたが、最早どうでもよかった。
するとカカシがぐすぐずと鼻をぐずらせた。よく見るとボロボロと大粒の涙を流している。涙と鼻血でぐちゃぐちゃだ。

泣きたいのはこっちなんだけどなあ…

やれやれと思いながらも、イルカがその涙と鼻血をティッシュで拭ってやろうとした時、カカシがううっと呻き声を上げた。
「イルカ先生…お鍋…お鍋からお尻が抜けません…!!」
お尻が痛いよう、と泣きじゃくるカカシにイルカは顔を蒼白にした。

これに似た事、以前にも…あったよう、な…

不吉な既視感に眩暈がした。

続く

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