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「昼休みが終るまで、まだ時間があるな……俺、ちょっと本屋に寄っていくから、先に戻っていてくれよ。」
腕時計の針を見詰めながら、イルカは肩を並べて歩く同僚達に向かって言った。
今日は珍しく受付が混んでいなかったので、皆で連れ立って近場の定食屋「水野」まで出向いていたのだ。いつもは昼食をとり損ねてしまうほど忙殺されているのだが、何故か最近受付業務にゆとりがある。任務繁忙期であるはずなのに人影がまばらなのだ。

五分で飯を掻き込んで、急いで受付に戻るような生活だったのになー…

今頃はそんなに急いで戻る必要もないだろうと判断して、イルカは同僚達と別れた。
目指す本屋でカカシに恋愛とセックスについての適当なHOW TO本を見繕ってやるつもりだった。

早急に対処しないと、あの人何考えてるか分からないからな…
放っておくと碌な事にならないと痛感したし…

本当に変な場所で痛感してしまった、とイルカは歩く度に鈍い痛みを訴える例の場所に、へっぴり腰になりそうになるのを驚異的な精神力で堪えた。
ようやく辿り着いた本屋にイルカは意気揚々と足を踏み入れ、しかし忽ち顔を曇らせた。数ある書棚の中で、目的の本は一体何処にあるのだろうか。それがサッパリ分からなかった。

分類するとどの棚なんだろう…?
家庭の健康…?スポーツ…?い、いや、ひょっとしてアダルトコーナー…?

店員さんに訊けばいいのだろうが、流石に「恋愛とセックスのHOW TO本は何処ですか?」とは恥ずかしくて訊けなかった。店員さんが可愛らしい女性だっただけに尚更だ。

ああー…参ったなあ…!ど、何処にあるんだろう?時間も残り少ないっていうのに……

焦りながらもイルカはキョロキョロと目的のものを探し、店内を当所もなく彷徨った。
すると本屋の一角で、まさに渦中の人物であるカカシが猫背な背中をこれ以上もないほど丸めて、こっそりといった様子で何かを熱心に立ち読みしていた。

こんな場所でカカシ先生に会うとは…カカシ先生って意外に読書家なんだな…!
しかし何をそんなに熱心に読んでいるんだろう…?

イルカがカカシの手にしている本の表紙を盗み見ると、それは菊の花の模様の本だった。タイトルは「菊座の開き方」とある。

あんなに熱心に菊の花の本を読んでいるなんて…!
やっぱりカカシ先生は園芸好きなんじゃないか!
という事は、昨日のバラの表紙の本もきっとカカシ先生のものだったんだな…
何で隠すんだろう…?若い男性の趣味にしてはじじむさいから恥ずかしいのかな…?

イルカはなんだか微笑ましい気持ちになって、クスリと笑ってしまった。するとその声に弾かれたように、カカシがハッとしてイルカの方へ振り向いた。
「イ、イルカ先生…な、なな、何でここに…?み、みみみ、見てたんですか…!?」
顔を真っ赤にして、カカシが手にしていた本を大慌てで本棚に押し込んだ。
「ええ、見てましたよ。そんなに隠すほどのことじゃないでしょう?ナルトも同じ趣味ですよ。」
「えええええ……っ!?ナ、ナルトが…っ!!??」
あまりに大袈裟なカカシの驚き様にイルカもまた吃驚しながらも、カカシが無造作に本を押し込んだ先を見て眉を顰めた。

カカシ先生、幾ら慌てていたからって…ちゃんと本は元通りの書棚に戻さなくちゃ…

イルカは苦笑を浮かべながら、カカシが押し込んだ本を書棚から取り出した。
「イ、イイイイイ、イル、イルカ先生…あのっ…そ、それは…!!!!」
カカシは赤くなったり青くなったり、モジモジオロオロと狼狽は最高潮といった感じだったが、イルカは構わずにニッコリ笑って言った。
「ナルトも園芸好きなんですよ。菊もバラも栽培が大変だって言いますよね…そういえば、菊人形祭りとか好きだったなあ…品評会とかには出してるんですか?隠すことないですよ。俺は高尚な趣味でいいと思いますけど…」
「はあ…?」
素っ頓狂な声を上げて首を傾げるカカシに、
「でも、読んだ本は元通りに戻しておかなくちゃ…これは園芸コーナーでしょう?よりにもよってアダルトの書棚に戻すなんて…駄目ですよ、カカシ先生!」
イルカはポッと頬を染めて軽く窘めるように言いながら、アダルト書棚の隣の園芸の棚に本を仕舞い直した。

これでよし…!

会心の笑みを浮かべたその時、イルカはふと腕時計が指し示す時間に気付いた。今度はイルカが大慌てする番だった。
「もう昼休みが終る時間だ…す、すみませんカカシ先生、これで失礼します…!」
イルカは何だか硬直したままのカカシを残して書店を後にすると、駆け足で受付所まで戻った。
「よう、イルカ遅かったな。それで目当ての本は買えたのか?」
何気なく声をかけてくる同僚に、

しまった…!そうだった…肝心のHOW TO本買うの忘れてた…!!

イルカは本来の目的を思い出してガックリした。
「何だ、買えなかったのか…?そんなに本屋が混んでいたのか?」
「いや…混んではいなかったんだけど…カカシ先生に偶然遭って…園芸の本を随分と熱心に読んでいるものだから吃驚して、なんだか自分の事を忘れていたよ…」
イルカの言葉に同僚は興味を惹かれたようだった。
「ええ?はたけ上忍ってクールで都会的な感じなのに、園芸なんて好きなのかよ!?マジか?意外だなあ…!」
同僚の尤もな意見にイルカも大きく頷いた。
「ああ、相当園芸好きみたいなんだよな…今日読んでいたのは確か…『菊座の開き方』ってタイトルだったかな…?菊を育てるのって、結構園芸上級者だろう?バラも好きみたいだぞ。」
イルカが感心したように言うと、何故か同僚の顔がみるみるうちに青くなった。額から大粒の汗を流し、体をガタガタと震わせる。
「そ、そうか…菊に…バラか…はは、は、ははは…」
引き攣った笑顔を浮かべながら、イルカの肩をポンポンと叩く。
「……菊もバラも…色々と大変だぞ。」
上手く花が咲くといいけどな、とイルカを見つめる同僚の瞳が、妙に優しく同情的慈愛に満ちている。

そ、そんなに菊とバラって育てるのが大変なのか・・・!
それをカカシ先生は育ててるなんて…流石木の葉一の業師…今度是非その花を見せてもらいたいなあ…!
一体何処で育てているんだろう…。

イルカは呑気にそんな事を考えていたのだった。

続く

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