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「カカシ先生、夕飯食べないんですか?何時まで経っても片付かないんですけど…」
イルカは困ったような声を上げて、カカシをちらと見遣った。カカシは部屋の隅っこで膝を抱え、イルカに背を向けたまま微動だにしない。祭りから帰ってからずっとこうだった。

紅先生の浴衣を汚した事を気にしてるのかな……

イルカは今尚ズキズキと痛む頬骨の上を擦った。紅に見事なパンチを入れられた場所だ。イルカを殴り飛ばした紅の剣幕は、しかし長くは続かなかった。
一緒に祭りに来ていたと思われる恋人らしき男が「く、紅さん、今日の話は無かった事に…!」と怯えたような叫び声を上げて、その場を逃げ出してしまったからである。カカシへの怒りが収まったという訳でなく、怒りの矛先がかわったのだ。
「てめえ、ふざけんなよ!?さっきまで好きだなんだと言っておいて…!」と豊かな黒髪を振り乱して男を追いかける紅に、祭りに来ていた子供達が、「山姥だぁ!こわいよう」うわーん、と泣き出して、境内は祭り以外の事で一時騒然となった。

紅先生恋人がいたんだな…当たり前か、あんなに美しく強い女性…誰もが放っておかないよな…あの後、また仲直りしたのかなあ…

高嶺の花だとは思っていたが、実際望み薄だと分かると何となくうらびれた気持ちになって、イルカはフウと溜息をついた。結局その後消沈してしまったカカシは、それ以上祭りを楽しむでもなく、そのまま家に帰って来てしまった。カカシが楽しみにしていたカキ氷も綿飴も、何も口にしていない。

あんなにはしゃいでいたのに…可哀想だな。だからイカ焼きを早く食べた方がいいって言ったのに…

イルカは卓袱台の上の本日の夕飯を見つめた。卓袱台の上ではすっかりとけた氷の中で素麺が泳いでいる。水分を吸った麺は少しふやけて、とっくに食べごろを過ぎていた。

折角カカシ先生の好きな色つきの素麺も混ぜたのにな…

そっと立ち上がって、イルカはもう一度鍋を火にかけた。また新たに素麺を茹でてやるつもりだった。

我ながら甘いなあと思うものの、何とかカカシを浮上させてやりたい気持ちで一杯だった。イルカはピンクや緑の素麺を茹でながら、ふと思いついて焼き海苔をちょきちょきと台所はさみで切り出した。金魚の形に切り抜いて、素麺の上に散らす。何となく金魚掬いの事を思い出していた。

泣きべそをかいているナルトにもよくこうしてやったなあ…

思い出してイルカは緩く笑った。お椀の形に盛ったごはんに旗を立ててやったり、ケチャップで動物の絵を描いてやったり。そんな事で子供というものはすぐに機嫌を直すのだ。傍や絵が嬉しいわけではないと思う。多分そうして気にかけて貰っている事が嬉しいのだ。

カカシ先生もまるで子供だからなあ…上手く機嫌を直してくれるといいけど…

「カカシ先生、見てください。素麺の上に何かいますよ。」
イルカがカカシの側まで行って、素麺を盛った皿を差し出す。案の定興味を惹かれたのか、頑なに下を向けていたカカシの顔が少しばかり上を向く。ちらと皿に視線を送って、カカシは驚いたような声を上げた。
「うわあ…イルカ先生、海苔を切って作ったんですか…!?とっても上手です…それ、蛸でしょう?」

はあ?

金魚です、と言うよりも早く、カカシがニッコリと満面の笑顔を浮かべて言った。
「特に八本足がすごく上手にできてます…すごい…すごいですねえ…!」

…いや、それは尾びれなんだけど……

イルカは微妙な気持ちになりながらも、無邪気に笑うカカシに海苔の正体についてはどうでもよくなってしまった。泣いていたのか、カカシの目と鼻の頭が赤くなっていた。

泣いていたなんて…

イルカは吃驚して、
「そんなに紅先生のことがショックだったんですか…?」
思わず触れてはいけないことに触れてしまった。その言葉にようやく笑顔を浮かべたカカシの顔が忽ち曇る。ああ、折角機嫌が直ったのに、とイルカは自分の失態に舌打ちしながらも、ハッと閃くものがあった。

こんなに紅先生の事を気に病んでいるのは…つまり…カカシ先生が紅先生を好きだって事じゃないか…?そうか、そうだったんだ…気付けよ俺…!

その事実にイルカは自分でも吃驚するほど衝撃を受けた。何となく面白くない気持ちがするのは、自分も紅をいいと思っている所為だろうか?

でも紅先生にはもう恋人が…そうか、今は無理でも頑張って振り向かせたい相手って…紅先生のことだったんだ…恋人がいるのに…なんだかいじましいなあ…

紅の連れている男は洒落者が服を着ているような、今風のイケメンだった。果たしてカカシがあれに対抗できるかどうか。イルカは思いながらもカカシの手をがしっと握った。
「大丈夫ですよ、カカシ先生。頑張ればきっと恋人になれます。一に努力、二に努力ですよ!俺にできる事なら協力するし…俺はカカシ先生がかなりいい感じになってきたなあって思ってますよ。」
「ほ、本当ですか!?」
イルカの言葉にカカシはボボボと顔を赤くした。今までのしょんぼり具合とは打って変わって、嬉しくてたまらないといった様子で身を捩る。可愛いなあと思いながらイルカが微笑ましく見詰めていると、カカシがズイと身を寄せてきた。

なんだろう?

イルカが不思議に思っていると、カカシが真剣な表情で言った。
「あの…俺、お付き合いについて少し自分なりに努力してみたんです…素麺を食べた後その勉強の成果を、イルカ先生見てもらえますか?」
お願いしますと頭を下げられて、何のことだろうと思いつつも、
「別にいいですよ、」
イルカはうっかり頷いてしまった。その返事にカカシはこの上も無く嬉しそうに笑った。

続く

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