(38)

境内は色とりどりの提灯に灯りがともり、その下でごった返す人々を華やかに照らしていた。
煩いくらいの香具師の口上や祭囃子が、何処か気持ちを浮き立たせる。
事実カカシは興奮したように、イルカの繋いだ手をぐいぐいと引きながら、物凄い勢いで人混みの中を掻い潜って行く。
「ちょっと、こんなところでそんなに急いだら危ないですよ、」
イルカの心配を他所に、カカシは一直線にイカ焼きへ向かった。

え?一番最初にイカ焼きか…随分と通好みの選択だな……
まずは腹ごしらえという算段かな…?

嬉々としてイカ焼きを購入するカカシの背中をぼんやりと見詰めていると、カカシが振り返って言った。
「どうです?これを食べている俺ってイカしているでしょう?」

うわあ……

夏なのに背筋も凍る駄洒落にイルカの笑顔は引き攣った。しかも得意満面のカカシの様子に仕込みネタな事は確実だ。掴みはオッケーとでも思っているのだろうか。しかし無反応なイルカにカカシは俄かに焦ったのか、更に笑いを誘うように駄洒落ソングを口ずさんだ。
「♪イカに『ル』を足しゃ『イルカ』だね〜イカイカイルカ〜るるるるるる〜」

な、何だその歌ーーー…!!!???

イルカは内心寒いと思いながらも、額から汗をだらだら流し、緊張した面持ちで馬鹿らしい歌を歌い続けるカカシに、自然と笑顔がこぼれてしまった。決してウケた訳ではないが、一生懸命な様子に微笑ましい気持ちになったのだ。イルカの笑顔にホッとしたのか、カカシはイカ焼きを手にしたまま、また歩き出した。
「カ、カカシ先生、イカ焼き食べた方がいいんじゃないですか…?」
イルカはイカ焼きを食べる気配もないカカシをいぶかしんだ。

ほ、本当にネタ振りの為だけのイカ焼きなのかな…い、いや、まさかな…
俺も焼きソバかお好み焼きか…何か腹にたまるものが食べたいな…今日は家に帰ったらお茶漬けくらいで済ませられるように…

そう思うものの、何だか鬼気迫る様子のカカシにイルカは言い出せないでいた。カカシは何やら口の中でぶつぶつと念仏の様に唱えていて、それはよく聞いてみると計画してきた祭りの順路らしかった。

よっぽど楽しみにしていたんだなあ…

そう思うと不憫で益々言い出せない。イルカはグウと空腹を訴える腹を撫でながら、カカシに引っ張られるがままに歩いた。

一体次は何処へ行こうとしているのんだろう?

答えはすぐに出た。カカシが目指していたのは金魚掬いだった。
「イルカ先生はどの金魚を掬って欲しいですか?」
カカシが片手に金魚掬いを持ち、腕捲りしながら鼻息荒く尋ねる。

どの金魚が欲しいかっていわれても……

イルカは困ったように鼻先を掻いて曖昧に笑った。
「あー…でもこういうところの金魚ってすぐに死んじゃうでしょう?俺駄目なんですよ、そういうの。懲りたって言うか。カカシ先生は自分のお好きなのを獲ったらいいと思いますよ。」
つまらない返事だなあ、とイルカ自身も融通のきかない自分に苦笑した。折角の楽しい雰囲気に水を差すような自分をどうかと思う。でも本当に駄目なのだ。なるべくなら、どんなに些細な命であっても自分の側では死んで欲しくないと思う。両親を亡くした日から、ずっとそんな思いを引き摺っている。
イルカの言葉に、カカシは僅かに覗いた右目を大きく見開き、すぐにしょんぼりと肩を落とした。
「すみません…そうでしたか…ここでイルカ先生の好きな金魚を獲って、一気に盛り上がりたかったんですけど…やはり上手くは行きませんねえ…」
急にやる気なさげに金魚すくいを放り投げたカカシに、イルカは面食らった。

ええ?お、俺の所為…?やっぱり何か言い方が不味かったか…?

金魚掬いをやらずに急に立ち上がったカカシにイルカは罪悪感を覚えた。
「カカシ先生、でもほら、やりたいならやった方が…お、俺も餓鬼の頃はよくやったんですよ。結構楽しいですよ。」
言い訳するように言葉を連ねても、カカシの心は翻る事がないようだった。イカ焼きを片手にまたズンズンと人混みを歩き出す。
「カカシ先生、そんなに急いだら危ないですって…ちょっと待って…!」
イルカが叫んだ時には時既に遅く、物凄い勢いで歩いていたカカシが前からやってきた人物と、まさに「どしん」という音を立ててぶつかった。それは女性だった。吹き飛ぶかと思っていたその女性は、キュキュキュと摩擦の煙を足元から上げてひっくり返りそうになるのを堪えると、思い切り頭上高く手を上げた。しかも手をグーに握って。
「何すんだよ!?このすっとこどっこい、どてかぼちゃ!!!!人混みと蕎麦屋で走る馬鹿があるかい!?あんたのイカ焼きで折角の浴衣が台無しだよ!どうしてくれるってわけ!?」
罵声とともにオラアとばかりに振り下ろされた手にイルカはハッとした。

カ、カカシ先生が…!!!!

イルカは実に素早かった。中忍とは思えない身のこなしだった。何しろカカシが子供に見えて仕方がないイルカだ。そのカカシが今猛禽類の牙に襲われようとしている。庇わずにはいられなかった。思わずカカシを背中にするように割って入ると、制裁の鉄拳はイルカの顔面にクリーンヒットした。
ごきり、と嫌な音がした。相手の拳ではなく自分の頬骨がいってしまったようだ。イルカはチカチカと視界が点滅するような痛みを感じながらも、何故か恍惚としていた。

やっぱり情け容赦ない…母ちゃんに似てる……

燃えるような紅蓮の瞳がイルカを射抜いていた。
「ちょっと…なんなの?あんた」
形の整った眉を顰めながら、美しくも雄々しい女・夕日紅がそこに立っていた。紅の拳はイルカの噴いた鼻血で赤く染まっていた。
次に繰り出されるであろう金蹴りを予想して股間を手で覆いながらも、

いいパンチしてる…抉り込むような拳だった…
こんな風に殴られたのは十三年ぶりだ…何だか懐かしいなあ、この痛み…やっぱりタイプだなあ、紅先生…

鼻血の所為ばかりでなく、イルカの顔がぽうっと赤く染まった。
その様子に背中のカカシが、
「イ、イルカ先生、まさか…」
ハッと大きく息を呑むのが聞こえた。


続く

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