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中忍といえどイルカも忍の端くれ、大の男を背負って歩く事位は朝飯前だ。
別段体力を激しく消耗するほどのものでもない。消耗したのは神経の方だった。
帰路擦れ違う人々がちらちらとイルカの姿を横目で見ては怪訝な顔をする。時折きゃあきゃあと黄色い歓声を上げる若い娘達に、何やらフラッシュを焚かれるのも気になった。一体何なのだろうか。イルカには全く分からなかった。しかも焚かれるフラッシュに何事かと更に人目が集まるのが居た堪れない。

俺をそっとしておいてくれ…!

目頭を熱くしながらイルカは思わず足早になった。それにこんな姿を誰か知人に見られたくはなかった。

見られていない…よな?

広いようでいて狭い木の葉の里を思ってイルカは溜息をついた。もし見られていたら一体どんな噂が立ってしまうのだろう。うっかり忘れていたが、カカシは醜聞の帝王でもあるのだ。噂と真実との間にかなりの齟齬があるが、そんな事誰も知らない。背中の人物がカカシだと分かると面倒な事になりそうだった。

だけどいつも口布で顔を隠しているから、すぐにはカカシ先生だとは分からないだろうな…
普段から怪しい人で助かったよ…

イルカの焦燥も知らずに、カカシは呑気にくうくうと寝息をたてていた。イルカの背に揺られながら寝入ってしまったのだ。首筋にあたる銀髪をくすぐったく思いながら、カカシ先生、本当に疲れてたんだなあ、とイルカは苦笑した。

ナルトと変わらないよな、子供だこの人…まあ、体重は倍違うけど……

よいしょ、とずり落ちるカカシの体を背負い直すと、だりんと零れた涎がイルカの肩をしとどに濡らした。

う…っ!

生暖かい感触に顔を顰めながらも、よくもまあここまで熟睡して、と微笑ましい気持ちになってしまう。ナルトに至っては涎どころか鼻水までつけられたことがあるので、この程度ではイルカは大して気にならなかった。

気持ちよさそうに寝ちゃって…俺も流石に疲れてきたなあ…早く家に帰って休みたいよ…

カカシの規則正しい寝息につられたように、イルカもふわあ、と大欠伸を漏らす。早く背中の大荷物を下ろして、畳の上に大の字に転がりたかった。

その後落ち着いたら冷蔵庫の冷たい麦茶を飲んで…今日は食事の前に風呂だ…!

間近に見えてきた自分のアパートにホッとしながらイルカは足を速めた。アパートの外付け階段を軽快な足取りで上ると、それにあわせて肩の上のカカシの頭が揺れる。その刹那。

チュッ

首筋に口付けられたような感触がして、

「うおっとぉ!」

イルカは驚きに足を踏み外しそうになって、思わず大声を上げてしまった。

い、今のは何だ…!?カ、カカシ先生、俺の首にキスしたんじゃ……!?

辛うじて掴んだ手摺でバランスを取って、肩の上のカカシの顔を見遣る。イルカが大声を上げたにもかかわらず、カカシはすぴすぴと眠ったままで、半開きの口元からは流れる涎が川を作っていた。

うう…っ!

自分の肩の惨状に、イルカは今更ハンカチを取り出してカカシの口元を拭った。そんな事をしてもカカシの口が開いている以上無駄な足掻きだったが、目にしたらそうせずにはいられなかったのだ。口元を拭われたカカシはむにゃむにゃ言いながら顔を動かした。その拍子に形のいい唇がまたしてもイルカの首筋に僅かに触れた。その感触にビク、と体を震わせながらも、なあんだ、とイルカはホッと胸を撫で下ろした。

なんだ…頭が揺れて偶然唇が触れてしまったんだな…それもそうだよな…
なんといっても肩に顔を乗せているんだから、そんな事もあって当然だよな…

それを俺は何を大袈裟に、と自分の先刻の狼狽振りが可笑しかった。実際少しばかり笑い声を上げて、イルカは再び階段を上り始めた。イルカの肩の上でカカシの頭が弾むように揺れ、それにあわせてチュッチュッと首筋に唇が押し当てられるような感触がしたが、イルカはもう気にならなかった。気にならなかったが。

なんかちょっと…やばくないか……

押し当てられる唇の感触にぞくりと背筋が震えた。しかもカカシの口が半開きの所為か、時々ぬるつく舌の感触までする。まるで舐められているかのような錯覚に眩暈がした。そう、恐ろしい事に寝ていても、無意識でも。カカシの唇と舌は触れるだけで究極の愛撫を齎すようだった。

あわわ…寝ていてもその威力を発揮するとは…!す、すごいな…流石木の葉一の業師…!

感心しながらも、体の中心に集まってくる熱にイルカは慌てた。何だか体力の消耗ではなく、ハアハアと息が乱れている。視界にバラの花びらが薄っすらと見え始めてイルカの焦りは頂点に達した。

ひー!やばいやばいやばい…は、早くカカシ先生を下ろさなくちゃ…!

カカシを起こす事も考えたが、それには自分の股間が育ちすぎている。知られるのが恥ずかしいし、どうにもこうにも言い訳できない。イルカは死に物狂いで家の前まで駆け足すると、大急ぎで鍵を開けた。今やカカシの寝息がフウーと耳孔に吹き込まれるようにかかり、足がガクガクしていた。

べ、ベッドの上に、カ、カカシ先生を…は、ははは、早く…!

ようやくたどり着いたベッドにイルカはカカシを背負ったまま腰掛けた。そのままカカシを下ろそうとしたが、がっちりと回された腕がなかなか解けない。焦っていると突然カカシの体が後方に大きく傾いで、イルカも一緒にベッドの上に倒れこむ形になった。
その瞬間、

「う〜ん…」

イルカを抱き込んだままカカシが寝返りを打った。上だったイルカの体が反転してカカシの体の下になる。無意識にしてもあんまりな体勢に、

ぎゃーーーーーー!!!!!!

イルカは心の中で大絶叫をあげた。イルカを抱き枕と勘違いしているのか、カカシはぎゅうぎゅうと力一杯イルカを抱き締め、怪しく足を絡めてくる。その力は凄まじくイルカでは全く解けないほどだ。その上伸し掛かられているので何だか息苦しい。

こここ、これはもう、カカシ先生に起きて貰わねば…!!!!

硬くなった股間はもう二の次だった。

「カ、カカシせんせ…」

言いかけた言葉は、しかし最後まで発せられる事はなかった。ふに、と押し当てられたカカシの唇が塞いでいたからだ。

え?ええええーーーーーー!?

イルカが大パニックに陥った瞬間、それを蹴散らす勢いで、パラパッパッパーと天使がラッパを吹く音が頭の中に響き渡った。


続く

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