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「カ、カカシ先生どうしたんですか・・・!?何処か具合でも・・・?」

イルカは慌てて駆け寄りながらも、折角のゼニアのズボンの膝が出てしまうことを危惧して、咄嗟に蹲るカカシの両脇に腕を通し抱っこするようにして立たせようとした。しかしカカシは芯のない蒟蒻のようにくにゃくにゃして、ちっとも自分の力で立とうとはしない。

「ちょっと・・・ちゃんと立ってください!」

窘めるイルカの腕をすり抜けてカカシはまた蹲ると、涙目でイルカを見上げながらポツリと呟いた。

「まめ、潰れちゃいました・・・」

「はあ!?」

イルカは一瞬何を言われたのか理解できなかった。まめって何だろうと真剣に考える。枝豆、黒豆、えんどう豆、いんげん豆、三月豆・・・イルカの頭の中で様々な豆が浮かんでは消えていく。どれもこの場にそぐわない。夕飯のリクエストだろうか?豆を潰す・・・ずんだ餅でも食べたいのだろうか。そんなイルカの疑問は続くカカシの言葉にすぐに氷解した。

「もう足が痛くて歩けません・・・ずっと我慢してたんですけど・・・っ」

カカシはううーっと呻きながらボロボロと大粒の涙を零した。その涙が黄昏に輝いて最上級のトパーズのようだ。イルカは暫しその美しい涙を呆けたように見詰めていた。三十路近い男がえぐえぐと泣いている姿は絶対に気色悪い筈なのに、相手がカカシだとすんなりと自然に受け止めることができるのは何故だろう。だが、それにしても。

一流の忍なのに、肉刺がつぶれた位で歩けないってなんだよ・・・おかしいだろ・・・

言ってやろうと口を開きかけて、イルカはぎょっとした。なんとカカシが地べたにぺたりと座り込んでしまったからだ。勿論ゼニアのズボンが・・・!とイルカが蒼白になったのは言うまでもない。

「カ、カカカ、カカシ先生・・・!ズボン、ズボンが汚れますって・・・!」

イルカは一人あわあわとしながら再びカカシを立たせようと手を引いたが、カカシは尻に根が生えたように動かなかった。終いには足まで投げ出して、「もう歩けません〜〜〜!」とじたばたと暴れだす。

「カ、カカシ先生、落ち着いてください・・・!」

一応人目を気にして周囲を見回せば、同じ道を下る家族連れがハッと視線を逸らして、足を忍ばせながらそうっと傍らを過ぎていく。その顔は頑なに俯けられたままだった。遠巻きにヒソヒソと耳打ちしたり、顔を顰めている人々の冷たい視線が居た堪れない。

あわわ・・・不味い・・・不味いよ・・・どうにかしなくちゃ・・・!

イルカは焦りの極みにありながらも、何とかカカシを宥めて歩かせなくてはと考えた。

「そ、それじゃあ、足を見せてください・・・絆創膏でも貼りましょうか。」

生傷の絶えない教え子の為に、イルカは何時でも何処でも絆創膏だけは持ち歩いていた。泣くばかりで返事をしないカカシの踵を自分の膝の上に乗せて靴を脱がせると、確かに踵の肉刺が潰れて皮が捲れていた。少し血も滲んでいて、なるほど痛いかもしれないと思えるような具合だった。だがやはり大袈裟だ。これくらいで歩けないということはないだろう。ってか、小さい子供じゃあるまいし絶対にない。

「これならば絆創膏を貼れば靴に当たらなくなるから大丈夫ですよ。」

辛抱強く優しく微笑えむイルカを、カカシが口を尖らせてじと目で見詰める。

「おんぶしてくれるって、言いました・・・」

「え?」

「まめができて痛くて歩けなくなったら・・・イルカ先生がおんぶしてくれるって・・・」

「は?」

「足が痛くて歩けません・・・」

カカシは目をうるうるとさせながら、自分の腕をキョンシーの様に前へ出した。

ええと・・・その奇怪なポーズは何かな・・・・?

分かっているのにイルカは自分自身に気がつかない振りをした。だがカカシは執拗に、ん!ん!と強請るように更に手を突き出してくる。カカシの心がサッパリ分からなかった。いつも神秘のベールに包まれた謎の生態系を持っている人だが、今回は極め付けだ。

い、幾ら足が痛いからと言って、大人の男がおんぶを強請るかな・・・しかも同じ野郎相手に・・・

これが紅先生のような、男でも背負って歩ける美しい女性だったら、多少嘘をついてでもその役得に預かろうとしたかもしれない。噂にでもなってくれたりしたら儲けものだ。しかし自分たちは男同士だ。誰かに見られて噂になっても困るし、男と密着してもおぞましいだけで何の利点も無い。

ホモうだ・・・じゃなくて、不毛だ・・・。

イルカは自分の駄洒落に心の中が更に温度をなくすのを感じた。しかし。

「おんぶ・・・」

目元を潤ませながら、少し不安そうに、しかし何処か期待に輝いた瞳で自分を見つめるカカシの姿を見ると、もう駄目だった。ナルトに似ていると思った。いつも眠った振りをして、ベッドまで抱っこして運んでもらうのを、薄目を開けて緊張した面持ちで待っている。その時の表情になんだか似ている。

はあー・・・不味いなあ・・・甘ったれの癖して甘え下手の奴に弱いんだよな・・・

やっぱり子供に見えちゃうんだよなあ、と独り言ちながら、念のためイルカは目をごしごし擦った。それでも手を伸ばしているカカシが何だか必死の様子の子供に見えた。

あー・・・畜生・・・

イルカはいよいよ観念してカカシに向かって背中を向けた。自分も確かに約束したのだから、ちゃんと約束は守らねば。

「分かりました・・・おんぶしてあげます・・・」

その途端、おんぶお化けの様に背中に張り付いてきたカカシの体温と重さを感じながら、

この大荷物はどうするんだよ・・・

その辺に散らばる買い物袋の山を見詰めてイルカは大きく溜息をついた。「俺が全部荷物を結束して背負います」とカカシは嬉々として言ったが、

その荷物を全部背負ったあんたを俺がおんぶするんだから、結局俺が荷物持ちじゃねーか・・・!

イルカは心の中で弱々しく叫ぶ事しかできなかった。

 

続く

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