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ゼニアのカジュアルジャケットを羽織り、さり気なくロエベのベルトで腰周りのお洒落にも気を遣う。ベルトは体のお洒落の要といわれているので、手を抜くわけにはいかない。カカシはベルトの有無に頓着しない男だった。それは出会った当初のヒップハングなスウェットからも容易に想像がついた。ズボンが落ちようが落ちまいが関係がないのだ。

「ベルトをしないで歩くなんて、シャツのボタンを留めないで歩いているのと同じです。」

イルカが諌めると、

「シャツのボタンなんて留めなくてもいいじゃないですかー何処かおかしいんですか、それ?」

心底不思議そうにカカシが首を傾げる。イルカは頭を抱えて端的に伝わるよう、すぐさま言い方を変えた。

「俺の喩えが間違ってました・・・ベルトをしないで歩くなんて、ズボンのチャックを開けたまま歩いているようなものです。」

「う・・・っ!そ、それは・・・!」

今度は伝わったのか、カカシも動揺したように顔を赤らめる。

「そ、そうですか、ベルトとチャックは同じようなものなんですね・・・そ、そうか、どちらも締りが甘いと大事なとこが見えちゃいますもんね・・・!」

納得の基準がそこはかとなくずれているが、カカシが頷いてくれるならもうそれでいいような気がしていた。付け焼刃的な気もするが、抜本から意識改革をするのは難しい。取り合えず、人並みな感じになればいいのだ。イルカは早くも達観していた。

しかし、外見を改造するだけでもこんなに労力がかかるなんて・・・
生活観念に至ってはどうしたらいいんだろう・・・

考えると行き詰まりが見えるようで暗くなるが、イルカは目の前の問題を一つ一つ解決していくしかない、と諦めていた。始まりがあれば必ず終わりはある。まだゴールは見えないようでいても、右左右左と、一歩一歩弛まず足を進めているうちに何とかゴールに辿り着くだろう。・・・と自分に必死に言い聞かせるしかなかった。

「仕上げは靴ですよ。いいですか、上流の人たちやお洒落な人たちが一番最初に見るところは足元なんです。何故なら人は服や髪型といった目に付くところには気を遣うけれど、足元に手を抜きがちなんです。カカシ先生、あんたが一番悪い例ですよ。」

イルカはカカシの常日頃の悲惨な足元を思い浮かべて、はあーっと嘆息した。

カカシ先生に足元の大切さを教えたところで分かって貰えるかな・・・

少し自信がなかったが、今から自分が向かう靴屋は自分が薀蓄を垂れなくても、履いた瞬間カカシが靴の概念を改めてくれる気がした。イルカが向かったのは靴の老舗HIROKAWA だった。

「靴はお洒落なのも大切ですが、やはり履き心地が一番重要です。そしてしっかりとした作りで長く履けるものがいいですよ。」

洗練されたデザインでありながら実質本意。HIROKAWAのスコッチグレインはそんな靴だ。カカシは靴下をはかないといけないその靴に少し不満そうだったが、試し履きをしてすぐに吃驚した様な顔をした。

「イルカ先生・・・なんでしょう、これすごく歩きやすいです・・・!」

素朴な賞賛の声にイルカは、「えっ、分かりますか・・・!?」と自分のことの様に興奮した。はいっ、とカカシも会心の笑顔で応えた。

「いつもは、こう、バランスを取るのも難しいのに・・・!真っ直ぐ歩けるっていうか・・・」

いや、それはあんたがいつも左右別々の靴を履いているからだろう!

イルカは思わずガクッときたが、カカシがすごいすごいとはしゃいでいるので、まあそれでもいいかと、またいい加減に片付けてしまった。

履いてるうちにその素晴らしさに気づくと思うし・・・

嬉しそうなカカシをニコニコと見詰めていると、

「あっ、でもこうするともっといいかも・・・」

ぐし。

突然カカシが力をこめて靴の踵を踏もうとするのを見て、イルカは思わず絶叫していた。

「あ、ああああ、あなた何すんだーーーーーーーー!!!???」

どん、カカシの体を押すと、カカシがぺそっとその場に尻餅をついた。

あわわわーーーーゼニアの服がーーーーーーー!!!!!!

イルカの頭の中を札束が駆け抜けていく。それは嵐の様に通り過ぎていきながらも、その合計金額をイルカはしっかりと換算できていた。ズボンに落ちない汚れとかができていたらどうしよう。靴の踵は凹んでないだろうか。イルカは中忍根性丸出しのいみじさで、胃をリキリとさせていた。

「だ、大丈夫ですか!?カカシ先生・・・!」

手を差し出してカカシの体を引っ張り起こすと、既にカカシは半べそをかいていた。どうしてこう涙もろいのか。イルカはそう思いながらもカカシの涙に慣れ始めていた。取り出したハンカチで目元を優しく拭ってやると、

「どうして突然こんな事・・・酷いですよイルカ先生・・・」

カカシが恨みがましい目でイルカを見つめた。

「カカシ先生が靴の踵を踏もうとするからですよ。そんな事をしたら折角のいい靴が台無しです・・・!」

ここは諭しておかねばならないだろうとイルカが厳しい顔をすると、カカシはまた目元を潤ませた。

「だって・・・だって踵が硬くて痛いです・・・まめができたらどうするんですか・・・?」

何を子供みたいなことを、とイルカは今更ながらに天を仰いだ。一つ一つカカシを納得させる事の何と難しい事か。

この人、俺の言う通りにするとか言っておいて、素直に聞いたためしがないよなあ・・・

そんな事を思いつつ、

「まめができて痛くて歩けなくなったら・・・俺が背負って差し上げますよ。」

イルカはまた思ってもみないことを口にした。その場しのぎの慰めのつもりだった。第一カカシ自身も野郎に背負われて町を歩くなんて嫌だろう。きっと遠慮するに決まっている。

「イ、イルカ先生が背負って・・・ええ?でも、あの・・・迷惑、ですよね・・・?だけど、その・・・」

カカシは一人どぎまぎと顔を赤くしていた。困惑しているというのは分かるが、それにしても何だか挙動不審だ。

そんなに嫌だったのかなー・・・すごく動揺してるけど。まあ、確かに想像するだけで不気味ではあるよな・・・

イルカは男同士が体を寄せ合い、おんぶをして帰る姿を想像して、口元に競りあがってくるものがあった。思わず「うっ」と呻き声を上げてしまった瞬間、

「・・・しいです。」

カカシが小さな声でぼそりと呟いたが、イルカには聞こえなかった。そしてその不用意な発言が現実のものとなることも、予想だにしていなかった。

続く

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