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その日受付所で倒れた人々を介抱していた為、仕事の消化が追いつかず、イルカは意図せずして本当に残業になってしまった。

きっとカカシ先生の事だ・・・またコンビニの前で待っているんだろうな・・・

少し心配しながら壁の時計をちらと見遣る。明日は休日とあって、「仕事が終ったら飲んで帰るか?」と同僚が声を掛けてきたが、イルカは丁重に断わった。カカシのことだ。例え自分が幾ら午前様になっても、忠犬よろしく、コンビニの前で待ち続けているに違いない。

困った人だけど・・・一生懸命なんだよな・・・

そんな生徒を最近まで受け持っていた。どべで世話が焼けて問題児だけど、いつも一生懸命の頑張り屋。公平をモットーとする教師でありながら、イルカはついついその生徒を構ってしまっていた。その手のタイプにどうも弱い。
イルカができる限り大急ぎで仕事を終えて帰途につくと、案の定カカシがコンビニの前で待っていた。

「お疲れ様です、イルカ先生、」

転がるように飛び出してくる奇怪な人影にも大分慣れてきた。今日も石鹸で洗ったのか、魔女の箒の様に爆発した髪。首のタオル、素肌にオバーオール。その胸ポケットからぬるくなった栄養ドリンクを差し出されても、イルカにはもう驚きはなかった。それどころか、足元が左右種類の揃った普通の突っ掛けだったので、「まともじゃないか」と感心してしまったくらいだ。

でも、こんな事に慣れていちゃ駄目だよな・・・

イルカはようやく本格的なカカシ改造計画に乗り出す時が来たと感じていた。

「明日俺休日なんですけど、カカシ先生もお休みですか?」

「え・・・?はい・・・それが何か・・・?」

首を傾げるカカシにイルカはにっこりと笑って見せた。

「明日はカカシ先生を大変身させてあげますからね・・・!それはもう、吃驚するくらい。」

本当に吃驚するのは自分の方になるのだとは知らずに、イルカはどんと自分の胸を叩いていた。

 

 

かくして天気にも恵まれたその日。カカシ改造計画は始まった。

「ここが俺の行きつけのヘアーカットの店なんですけど、」

イルカがやってきたその店は、2年先まで予約が一杯といわれる、超カリスマ美容師が経営する店だった。大理石がふんだんに使われた高級感溢れるその店は、本来ならイルカが通えるようなお値段の店ではない。
しかし、たまたま髪を下ろし私服姿でイルカが町を歩いていた時、店長自らにカットモデルになってくれと頼まれたのだ。それ以来ずっと「無料でいいから好きな時に来て」と懇願されて、その必死の様子に断わるのが悪くて、何だかずっと通っている。店長いわく、またとない素晴らしい髪質のイルカの髪をカットできるだけで、美容師冥利に尽きるのだそうだ。

まあ、キューティクルには自信はあったけど・・・

イルカはよく分からなかったが、そんなものかと納得してしまっていた。勿論今日も全くの予約無しだ。ガラスの扉を押し開けて中に入ると、

「まあーイルカちゃんじゃないの!?いらっしゃいーーー!!!!」

忙しなくスタッフの間を行ったり来たりして指示を飛ばしていた胸板の厚い男が、体をくねらせながらイルカの元に駆け寄ってきた。店長でありカリスマ美容師である男・イカスミだ。店内はどの席も客で埋まり、スタッフは店中を走り回っていた。凄まじい盛況ぶりだ。

幾らなんでも電話で訊くべきだったかな・・・

流石に慌てたイルカが、

「イカスミさん、こんにちは。休日で忙しい時に何の連絡もなく来てしまってすみません・・・」

申し訳なさそうに頭を下げると、

「ううん、いいのよvvちっとも忙しくないから。それにしても今日もイルカちゃんたら素敵だわー!」

胸の開いたブラウスから胸毛を覗かせながら、イカスミ店長がぽっと頬を染める。そう、イルカは休日いつもそうして過ごすように、髪を下ろした私服姿だった。今日はハード&ワイルドがテーマだ。イルカの引き締まった筋肉を際立たせるようにぴったりとした黒いTシャツに、破け具合にもこだわったビンテージジーンズ。シルバーにトルコ石をはめ込んだ細いベルトを三本ルーズにずらすようにして飾り、同じような細工の指輪を一つだけアクセントにつける。そのシルバーの輝きが、男っぽく単純なTシャツとジーンズという格好にハードな切れ味と繊細なお洒落感を添えていた。店長の言葉に反応して視線を投げた客もスタッフも、皆一様に夢見るような目つきになった。
しかし、そんな視線に慣れていたイルカは、特にその尋常ならざる熱い雰囲気に注意を払う事はなかった。

そうか、忙しそうに見えるけど、この店ではこの程度の混雑はそんなんでもないんだな・・・

イルカが勝手に納得して胸を撫で下ろしていると、

「今日はカット?トリートメント?それともヘアマニキュアでもしてみる?」

浮き浮きとした調子で店長が奥の個室へとイルカの背中を押す。奥には更にVIP専用の個室が用意されているのだ。勿論特別料金がかかるのだが、イルカはいつも金も払っていないのに当然の様にそこに通されていた。しかも店長自らがシャンプーからカット、ドライヤーあてまで全てやってくれるのだ。なんかいつも悪いなあ、と思いながらもどうして店長がそこまでよくしてくれるのか疑問に思わないイルカだ。イルカは気後れしたように入り口に硬直したまま立っているカカシを振り返って、

「いや・・・今日お願いしたいのはこの人の方なんです。」

店長の目には映っていないらしいカカシの存在をアピールした。店長はイルカの言葉に初めてカカシの姿に気付いたようで、ハッと体を震わせると、

「な、何?この銀の毛玉は・・・」

眼を大きく開きながら、驚いたようにボソッと呟いた。その呟きに猫背なカカシの背中が更に丸くなる。イルカは店長の素直な言葉に苦笑しながら

まあ無理もないな・・・

カカシの今日も元気に爆発した頭を見詰めた。カカシの服装は休日だというのに堅苦しい忍服だ。ご丁寧な事に怪しく口布も額当てもしている。カカシの冷蔵庫(カカシにとっての箪笥)の中を物色してみたのだが、予想通りまともな服は一着たりともなく、これが一番まともな服だったのだから仕方がない。その時出てきた奇抜な服の数々に度肝を抜かれたイルカだったが、一番驚いたのは箪笥である筈の冷蔵庫の電源が入っていたことだった。

「なななな、なんで冷蔵庫の電源入れてるんです・・・!?」

訳が分からんと焦るイルカに、

「えー、だって今は夏でしょう・・・?こうすると服がひんやりとして着る時気持ちがいいんですよ・・・vv」

因みに下着は熱い風呂の後に履くから特に念入りです、と冷凍庫からパンツを出された時には気を失いそうになってしまったほどだ。以前カカシ宅で電気が通っていた時、食品用冷蔵庫として使われていた名残の黒く縮んだ野菜と思しき切れ端を見つけるにいたっては、涙が禁じえなかったイルカだ。

ま、まあ、今はそんな事どうでもいい・・・!とりあえず、この長く伸びた頭を格好よくコンパクトにするんだ・・・!

イルカは決意も新たに、

「どうかこの人を見違えるほど格好よくしてください・・・!素材はいい物を持っているんです・・・!」

有無を言わせずカカシの口布をサッと下ろして見せると、やる気なさげだった店長の顔がくわと変わった。

「その顔・・・っイメージが湧いてきたわ・・・!こんなにやる気を感じたのは久し振り・・・!やるわ、イルカちゃん!!!」

店長がきらりと光る鋏を握る。

「あなたを銀の毛玉から純金の輝きを放つ玉に変えてあげる・・・!そうよ、あなたは毛玉から金の玉に生まれ変わるのよ・・・!!!!」

金の玉って何かちょっと・・・他にいい方はないのかな・・・

イルカが一人顔を赤らめている傍らで、

「お、俺を金の玉にしてください・・・!」

カカシが期待に満ちた表情をして、店中に響き渡る大声で叫んでいた。

続く

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