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昨晩は大変だったな・・・

今日も受付所に座りながら、イルカは愁眉の面持ちで深い皺の寄る眉間を揉んでいた。「大変だった」などというなまっちょろい言葉で片付けられないほどの凄まじさだったが、イルカは他にどう言っていいのか分からなかった。とにかく今までの人生で経験した事がないほど、凄まじく大変な一夜だったのだ。

ご、極楽浄土に行きかけてたもんなー・・・

よく女性が達する時に「死ぬー死ぬー」と絶叫していたが、あれは本当にお花畑がみえていたのかと、イルカは目から鱗が落ちる思いだった。過ぎる快楽というものは何と危険なものだろうか。イルカは究極ウェポンとも言える自分のセックス奥義に心底戦慄した。

腹上死とかって過度の運動による心臓麻痺かと思ってたけど・・・気持ちよすぎて本当に昇天してる場合もあるんだろうな・・・

イルカは昨晩の自分の失態を思い出して「うう・・・っ」と机上に突っ伏した。

達しながら失神してしまった・・・・

しかも目覚めるとイルカの身は清められ、布団も服も洗濯してベランダに干してあったのだ。(どうやって洗ったのか考えると恐ろしいのだが)。カカシは緊張した面持ちでイルカの枕元に正座をして、その目覚めを待ち受けていたようだった。

「お、おはようございます、イルカ先生・・・!あ、あの・・・昨晩イルカ先生、突然気を失っちゃって・・・ひょっとして何処か体の具合が悪いのに、無理して俺に付き合ってくれたんですか・・・?すみません俺・・・っ自分の事しか考えていなくて・・・っ・・・このまま目を覚まさなかったらどうしようかと・・・っ・・・」

安心したように突然ぶわっと瞳から涙を溢れさせるカカシを性懲りもなく、可愛いなあ、などと思いつつも、イルカの心の中は激しい葛藤が渦巻いていた。できるなら愛撫だけで(しかも男の)失神してしまった事は抹殺してしまいたい。しかし体の具合が悪かったと嘘をつくのはどうだろう。

も、もう愛撫のレッスンは終ったから、嘘を吐いてもばれるような事はないだろうけど・・・

男の矜持を守るべきか、カカシの心を慮るべきか。考えあぐねていると、自分を見詰めるカカシのその青い右目が左目の写輪眼と同じくらい赤く充血している事に気付いた。

ま、まさか・・・徹夜したのか・・・!?

イルカが尋ねる前にカカシがずびーっと鼻を啜りながら、

「し、心配で眠れなくて・・・本当にごめんね、イルカ先生・・・」

声を詰まらせながらうぐうぐと子供の様に泣くので、イルカの矜持は一遍に何処かに吹き飛んでしまった。とにかく滅法子供の涙に弱いイルカだ。泣きじゃくる目の前の図体の大きい子供をどうにかしてやらねば。イルカは心を決めて、朝の陽光に相応しい爽やかな微笑を浮べて言った。

「違いますよ、カカシ先生・・・!気持ちよすぎると失神してしまう事があるんですよ。それは女性でも男性でも同じです・・・!」

「え・・・っ?そ、それじゃイルカ先生は・・・!?」

「体の具合が悪かったわけじゃありません。カカシ先生の愛撫が気持ちよすぎて失神してしまったんですよ。・・・カカシ先生、愛撫のレッスンは合格です・・・よくできましたね!」

微塵も恥ずかしがったり動揺したりしてはいけないとイルカは心の中で自分自身を叱咤しながら、爽やかな笑顔を全力でキープして、カカシに向かって力強く頷いて見せた。子供たちに「赤ちゃんは何処から生まれてくるの?」と訊かれて「キャベツからだ」と堂々と答えた後、「嘘だー俺は母ちゃんの股から生まれたって聞いたぞー!」と思いがけず反論された時と同じだ。その時も微塵も恥ずかしがったり動揺したりせずに、「よく知ってるな、えらいぞ!その通りだ。」あっはっはっ!と豪快に笑い飛ばしたものだ。とにかく恥ずかしがったら負けなのだ。
イルカの心の葛藤に全く気付かず、カカシはそれはもう手放しの喜びようだった。

「ほ・・・本当ですか、イルカ先生・・・!?本当に気持ちよかったですか・・・!?」

「は、はい・・・」

「俺の愛撫、よかったですか!?」

「は、はあ・・・」

「そうか・・・気持ちよすぎて失神してただけだったんですね!よかった、本当によかったです・・・!」

「はは、は・・・」

そんなにしつこく訊かんでくれ、と心の中で涙していたイルカだ。その時の事を思い出すと、「うおーーーーーーっっっ!!!!!」と叫びながら猛ダッシュして、何処か誰も知らない世界へそのまま逃げてしまいたい衝動に駆られる。勿論そんな事は出来るはずもない現実が恨めしかった。しかもそんな事になっても、どうにもこうにもカカシを放って置く事ができない。馬鹿な子ほど可愛いタイプの人間なのだ。

まあ・・・もう愛撫のレッスンは終ったんだし・・・今日からは多少まともな生活が送れるよな・・・多分・・・

憂えるイルカの口から漏れるのはしかし溜息ではなく、涙が目縁に浮かぶほどの大あくびだった。失神してそのまま寝ていたとはいえ、睡眠不足には変わりなく、その上吐精の疲労がはなはだしかった。

「ふわあー・・・」

口に手をあて伸びをすると、隣の同僚がすかさず「随分疲れてるみたいだな。睡眠不足か?」と興味津々といった様子で訊いてくる。同僚の好奇に満ちた視線を怪訝に思いながらも、

「そうなんだよ、・・・実は今、訳があってある人と同居を始めたんだけど・・・慣れない事が多くて結構大変で・・・睡眠不足気味なんだ・・・」

当たり障りなく答えて笑みを浮かべれば、

「ば、馬鹿、イ、イルカ、そんな大声で・・・!」

何故か同僚が赤くなったり青くなったりしながら周囲を見回して、慌てふためく。一体なんだっていうんだ、とイルカが益々不信を募らせていると、受付所に居合わせた人々が次々にバタリバタリと気を失って倒れていく。そのあまりに尋常ならざる様子に、

「わわわ・・・!?な、なんだ!?敵の細菌攻撃か何かか・・・それとも集団食中毒か・・・!?」

イルカは倒れた人々を介抱しながら思わず大声で叫んでしまったほどだった。そんなイルカに同僚は首を振りながら呆れたように呟いた。

「肝心なところで鈍感なんだよなー・・・」

「え・・・」

それって俺のこと・・・?違う、よな・・・?

同僚の呟きを聞き取っていたイルカは一瞬首を傾げたが、自分には関係ないとすぐに忘れてしまった。
それが自分の事だったのだと気付いたのはずっと後・・・・カカシとの同居が二週間を迎えようとしていた頃だった。

続く

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