(2)

カカシはイルカの誘いに一も二もなく頷いた。

「本当にいいんですか?本当に?・・・嬉しいなあ!凄く・・・嬉しいです!」

ほんのりと頬を赤く上気させ、大袈裟なほど喜びを露わにするカカシに、「え、ええ、いいですよ・・・」とイルカは答えながら、早くも後悔し始めていた。イルカのアパートに辿り着くまでの道程は、地獄の苦行にも似たものだった。カカシの珍妙な姿を夜の闇ですら隠してはくれない。道行く人々は視線を合わせようとはせず、千鳥足の酔っ払いでさえも、カカシの姿にハッと正気付いて慌てて道をあける。なんとも居た堪れなかった。それどころか繁華街を巡回中の私服警官に一度職務質問をされてしまった。イルカが身分証を持っていなければ危ういところだった。

俺の家まで十分くらいの筈なのに・・・何だかすごく長い時間歩いているような気がするな・・・

イルカがどんよりとした顔で溜息を吐く傍らで、反対にカカシは始終嬉しくて堪らないといった様子でニコニコしている。イルカはその呑気な顔に急に腹立たしい気持ちになって、

「カカシ先生、随分とご機嫌ですね。」

皮肉めいた口調でついつい言ってしまった。
カカシはそんなイルカの気持ちに微塵も気が付かないようで、更に相好を崩した。

「お、俺・・・プライベートでこんな風に誰かと肩を並べて歩いた事なくて・・・」

カカシはモジモジと恥ずかしそうに続けた。

「俺って、どうやら友達ができにくいタイプみたいなんです・・・愛想が無いからとっつき難いんですかね・・・だからこうしてイルカ先生と話をしながら歩いてるなんて、何だか夢みたいだなあと思って・・・」

なんて淋しい人生だろうか。

イルカは先ほどまでの苛立ちも忘れ、込み上げる憐憫に熱くなる目頭を押さえた。
友達が出来にくいタイプというのはある意味、あっているかもしれないが、それは決して愛想が無い所為ではない。誰もカカシと肩を並べて歩かない理由はただ一つ。

並んで歩くのが恥ずかしいだけなんだよな・・・

でも勿論口が裂けてもそんな事はいえない。こんな無自覚な人をどうやって調教すればいいのか。イルカが必死で考えているうちに何時の間にかアパートの近くまで来ていた。

すると突然イルカ達の目の前に、黒い髪を肩まで垂らした美しい女が姿を現した。イルカはその姿を認めると思わず顔を顰めた。最近頻繁にイルカを勝手に待ち伏せしている、面倒なタイプの女だ。涼しげな揺れる目元が印象的なその美女は、満面の笑顔を浮べながらイルカの元に駆け寄ってきた。その瞳にはイルカの隣に立つ面妖な人影が映っていないようだった。

「イルカ、ずっと待っていたのよ。最近残業続きでまともに食事もとっていないんですって?」
迷惑かと思ったんだけど、これ作ってきたの。イルカの事が心配で。

そう言いながら、手にした重箱を差し出して見せる。

本当に迷惑なんだけどな・・・分かってるなら持って来ないでくれ・・・

大して面識もない上、付き合うことも無いだろう女の手作り弁当を受け取るほど、イルカはお人好しじゃなかった。

「ごめん、悪いけど俺、今日はこの人に夕飯をご馳走する約束なんだ。」

イルカはにっこりと笑顔を浮べて、隣にいるカカシの背中を押してその女に見せ付けた。女はその時初めてカカシのことが目に入ったようで、ギョッとした様子で反射的に二、三歩後退さった。その驚愕の表情には「何なの?この人」と太字で書かれているかのようだった。しかし、女は負けなかった。
「でも・・・」と尚も言い募ろうとする唇に、イルカは最後の手段とばかりに己の人差し指を優しくあてた。
ハッとして顔を上げる女の視線を待ち受けて、困ったように眉尻を下げて微笑む。

そして決めの台詞だ。

「俺にあなたを嫌いにさせないで・・・?」

女は暫しの間頬を赤く染めてぽ〜っとしていたが、突然正気付くと、「わ、分かったわ・・・!ごめんなさい、お邪魔しちゃって・・・私、帰るわ!!!!」と、持ってきた弁当を抱えたまま素早く帰って行った。

ふ〜!この手はよく効くし、面倒が無くていいなあ・・・!

イルカはホッと胸を撫で下ろした。実はイルカはプライベートでとてもモテるのだ。女性上位主義のきつい母親に、「女の子には優しく」を教育理念にびしびしと小さい頃から躾けられていた。そのお陰でイルカは女心を擽る立派なフェミニストになっていた。その上「女の役割とされる仕事も自分でする」と躾けられていた為、家事もプロ級だ。特に料理の腕は素晴らしく、そこがまた女性を虜にしていた。更にそのルックスも決して美男子ではないのだが、一度忍服という没個性的な衣服を脱ぎ捨てれば、その自己演出のセンスのよさから野性味と繊細さを兼ね備えた女好きのするタイプに変貌した。そういうわけで、中忍界の光源氏と噂されるイルカは、今日みたいに気もない相手にしつこくされる事がかなりあるのだった。頑なに断り続けてばかりだと、その手の類に逆恨みされる事をイルカは今までの経験で知っていた。そんな面倒に巻き込まれないためにも、イルカは適当にあしらうという事を自然に身につけていた。

 「すみません、お恥ずかしいところをお見せしました・・・行きましょうか?」

イルカがふう、やれやれとカカシを見遣ると、何だかカカシもぽ〜っとした様子でイルカを見詰めていた。その顔が仄かに赤味を帯びている。イルカの言葉も聞こえていないようだ。

どうしたのかな・・・?

イルカは不思議に思いながら、

「カカシ先生、聞こえてますか?俺のアパート、すぐそこですから。行きましょう?」

多少大きめの声でもう一度言ってみた。

するとカカシはビクッと体を震わせて、「え?あぁ・・・あの、すみません・・・ぼ、ぼんやりしてました・・・」と、突然慌てたように頭をガシガシと掻いた。その動きがあまりに激しく、辛うじてヒップに引っかかっているスウェットズボンが少しずつ小刻みに下がり始めていた。

ひーーーーー!!!!!

イルカはこれ以上は危険とばかりにカカシを急きたてた。

「さっ!早く行きましょう!!俺ももうお腹がペコペコです!!!!」

そしてくるりと背中を向ける。その瞬間、ストッと何かが地面に落ちる音がした。

「あ・・・」

カカシの吃驚したような呟きがイルカには聞こえていたが、「どうしたんですか?」と尋ねる事も、振り返る事もしなかった。そんな事分かりきっていたからだ。イルカは気付かなかった振りをして前を向いたまま、

「あれですよ、あれが俺のアパートです」

指差しながら努めて明るい声で言った。更なる驚愕に自信を喪失する事になるとは知らずに。

 

3へ

戻る