(4)

「最近珍しい奴とつるんでるみたいじゃねーか。」

カカシが上忍待機所で暇を潰していると、煙草の煙を燻らせながら入って来たアスマが開口一番に言った。
猿飛アスマ。今はカカシと同じ上忍だが、かつて暗部に所属していたこともあるこの男は、他人と馴れ合わないカカシにとって比較的気心の知れた相手と言えた。それは気を許しているからというよりも、単に付き合いの長さから来るものだった。

カカシの返事を待たず、アスマは先を続けた。

「イルカを気に入ったか。」

揶揄するような、アスマの思い掛けない問い掛けに、カカシは内心驚くと同時に違和感を覚えた。「面倒臭え」が口癖のこの男は、滅多なことで他人との境界を越えてはこない。それがカカシのような者でも長く付き合っていられる理由でもあった。それが、どうして。

「何?アスマ。随分下衆な勘繰りを入れるじゃないの?」カカシは口元を歪めて笑った。

アスマは慣れたもので、そんなカカシの物言いを気にするでもなく軽く受け流した。

「ああ、そうだな。下衆の勘繰りだ。」

軽く笑いながらも、アスマの目がどこか探るような目つきでカカシを射竦めた。

「火遊びなら、余所でやれ。」ポツリと洩らされたアスマの真意にカカシは失笑した。

「へえ。アスマこそイルカ先生のこと、随分と気にしてるみたいじゃない?惚れてんの?」

あまりの可笑しさにカカシは腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。アスマに紅という恋人がいると知った上での悪質な冗談だった。
「おい、」とアスマが剣呑な雰囲気を漂わせたその時、カカシは笑いを止めて苛立たしげに吐き捨てた。

「あの人の呑気な面が、気に入らないんだよね。」

アスマに向けて話しているというより、それは独り言めいていた。

「へらへら笑ってばかりで苛々する。」

アスマはカカシを凝視していた。何か思案するように顎鬚を撫でる。

「嫌なら放っておけばいいだろうが。」アスマの言葉にカカシは目を三日月の形に細めて言った。

「どこまで笑っていられるのか、知りたくない?」

カカシが声に出さない次の言葉が、アスマには分かっていた。それは以前にも聞いた事があったからだ。


踏み躙ってやりたいんだよね。あの笑顔を。歪めてやりたい。


6年前のあの時も。カカシは。
今のように目を細めて。

それが始まりだった。「苛々する」とカカシがイルカを意識した。それが始まり。
そしてその感情は半年の間に形を変えた。驚くほどに。

アスマは既視感に軽い眩暈いを覚えた。どうなんだ、これはとアスマは自問する。
事態は良い方へ向かっているのか。以前のように。それとも。

アスマはチッと小さく舌打ちした。
そして煙草の煙をフーと吐き出して、面倒臭え、と独りごちた。



「あんな奴のことは、いい加減忘れちまったらどうだ?」
早く決着つけて、可愛い嫁さんでも貰え。

酒を呷りながらアスマは少しおどけた調子で冗談めかして言った。
イルカはアスマに誘われて居酒屋の暖簾をくぐっていた。アスマはかつてのカカシとイルカの仲を知る、唯一の人物だった。そして今はこうしてカカシのことでイルカに心を砕いてくれる、唯一の人物でもある。
イルカは幾度となく聞かされているアスマの決まり文句に、顔では笑っておきながら、いつも泣きそうな気持ちになるのだった。
その言葉に隠されたアスマの深い思いやりが分かるからだ。そんなアスマの気遣いに感謝しつつも、イルカはアスマの言葉に首を縦に振ったことはなかった。

「俺はこのままでもいいんです。このままで充分幸せです。」

イルカは屈託なく笑ってそう答えた。
本当にそう思っていたから笑うことが出来た。
例えカカシに忘れられていても。
二人で過ごした優しい時間がもう二度と戻らなくても。

だって、カカシは生きている。
生きていてくれている。
それだけで。

6年前、病院のベッドで目覚めた時のイルカの絶望は計り知れないものだった。あの爆発に巻きこまれて、カカシは死んでしまったものと思っていた。最後の瞬間にカカシの手が自分を包み込んだのが分かった。カカシは自分を庇ったのだ。庇って、俺だけが助かった....。掻き毟られるような思いにイルカは狂ってしまいそうだった。近くにカカシの姿が見えないのが確かな証拠だと思った。

しかし、現実は違っていた。
カカシは記憶をなくしてしまっていたのだ。
自分との半年間を全て。勿論自分の存在すらも。

カカシの記憶が戻ることは100%ないそうだ、と見舞いに来たアスマが告げた。
なんたって、記憶の入っていた部屋ごと潰れちまったそうだから、と。

だが、それを聞いてイルカは震えるほど嬉しかった。ちょっと前までの絶望が嘘のようだった。

カカシが生きている。
愛しい人が生きている。

それだけでいいと思った。
それ以外、何を求めるというのか。
死んでしまったと思い込んでいた時よりも、遥かに幸せだった。

生きていてくれれば。

それに。

「俺、約束したんです。カカシさんと。」

「どういう約束だ、そりゃ?」

「内緒です。」悪戯ぽくイルカが言った。

ふたりの、約束。

この6年間、イルカがカカシのことを想わない日はなかった。
そしてこれからも、ずっと想い続けるだろう。これから先も忘れるなんてことは絶対ないのだ。

俺が、俺でなくなってしまっても。
ずっと。ずっと。

カカシの言葉を思い出して、イルカは柔らかな笑みを浮かべた。それはとても幸せそうな笑みだった。
それを見ていたアスマがハーと大きな溜息をついた。

「お前の笑顔は、見ていて痛てぇんだよ。」苦虫を噛み潰したような顔をするアスマに、今度はイルカがおどけて見せた。

「アスマ先生、俺に恋してるんじゃないですか?」駄目ですよ、俺にはカカシさんがいますから。

そう言って笑うイルカの額をアスマは小突いた。
この馬鹿が、と小さく呟いて。



続く