(13)
その日アスマが馴染みの居酒屋の暖簾をくぐると、カカシがカウンターで一人酒を呷っていた。
鬱陶しい先客がいやがる。さてどうしようか。
アスマは腕組して考えた。先日イルカと一緒に飲んだ時のことが思い出された。
自分を大切にしてもらいたいんです。
そして、当たり前に幸せになって欲しい。
それには俺はどうしたらいいんでしょうね。
張り詰めた表情でイルカは言った。
イルカの言葉にアスマは呆れた顔をして、小さく肩を竦めて見せた。
へっ、そんなこと俺に訊くもんじゃねぇ。俺ァ、あいつのことを地獄に落ちやがれって思ってるんだからよ。
アスマの軽口にイルカがようやく笑った。
思い出してアスマは盛大に溜息をついた。馴染みの女将と言葉のやり取りを楽しみながら、じっくり一人酒を飲むつもりだったのに。
...面倒臭えけど、仕方無えか。俺もとんだお節介野郎だな。
アスマは自分の性分に苦笑を洩らした。
「おう、隣り邪魔するぜ。」
カウンター席で飲んでいたカカシの隣に、アスマが強引に滑りこんだ。
「最近一人で飲んでるみてえじゃねぇか。」
「だから何?」あからさまに迷惑そうな顔をするカカシにアスマは失笑した。
「そんなに嫌な顔するもんじゃねえ。」
言いながらアスマはカウンター越しに徳利とつまみを2、3品頼んだ。徳利がくるまで二人は無言のままだった。アスマは煙草に火をつけて、気怠るそうに煙を燻らせていた。その横でカカシは何本目とも知れぬ酒を、ずるずるとだらしなく啜っていた。お待たせしました、という店員の明るい声と共に徳利が運ばれてくると、アスマは手酌で猪口に酒を注いだ。グイッと一気に呷って臓腑に染み渡らせる。酒の心地良い浮遊感に後押しされて、アスマはようやく重い口を開いた。
「もうイルカを解放してやれ。」
単刀直入だった。遠回りをしていてはカカシに逃げられると思ったからだ。カカシは一瞬驚いたような顔をして、すぐに鋭い目でアスマを凝視した。口元には歪んだ笑みを浮かべていた。
「何の事?解放するも何も、俺は繋縛しているつもりもないよ。」
「カカシ、」
「あの人が勝手に俺に纏わりつくんだ。」
「カカシ、やめろ...」
「自分から縋って股を開いたんだ。」
ばしゃり。水音と共に酒の臭いがプンと辺りに立ちこめる。カカシの銀髪からその芳しい滴がポタポタと零れ落ちていた。
「頭は冷えたか。」徳利を手にしたアスマが怒気を孕んだ声で言った。
怒りに燃えるカカシの腕がアスマの胸倉を掴んだ。常人ならば失神してしまうほどの殺気を込めて、カカシはアスマを睨んだ。アスマは平然とそれを受け止め同じようにカカシの目を睨みつけながら言った。
「6年前お前とイルカはつきあっていた。」
イルカと、つきあっていた?
誰が?
俺が?
思い掛けないアスマの言葉にカカシは目を見開いた。思わずアスマを拘束する手が緩む。
「あの爆発の怪我が元で、お前はその記憶をなくしちまったんだ。」
まあ、お前はいいだろうよ。忘れちまったんだから。
だが、イルカは忘れちゃいねえ。
想っても甲斐が無え相手なのによ。胸糞悪い。
だからもう解放してやれ。十分だろ?
「いい加減なことを...。」
今やすっかり怒気の抜けてしまったカカシは、また椅子に腰掛け直してグイッと酒を呷った。
全て嘘っぱちだと思うのに、カカシはその話を聞きたいと思った。嘘っぱちだと、思うのに。
「どうしてそのことを言わなかったわけ?おかしいでしょ、そんなの。」
はじめまして。どうぞよろしく。イルカはそう言った。なんて紋切り型の台詞。あれは嘘だったというのか。
「...お前の記憶はもう戻らねえ。医者にそう言われただろ?なくなっちまった物を強請っても仕方が無えって、イルカは笑ってたぞ。強請ってもお前が困るだけだからってな。」
カカシは黙ったままだった。
「ま、そういうこった。」
アスマは話は終ったとばかりに酒を呷ると、ご馳走さん、と店員にお愛想を頼んだ。最後にアスマは振り返って、「あんまり飲みすぎんなよ。」とカカシを諌めた。折角の諫言を無視するように、カカシがグイグイと酒を呷る姿を目の端に認めて、アスマは大きく嘆息した。
続く